2017年12月10日 (日)

イノック・アーデン テニスン [読書記]

ヴィクトリア朝時代の物語詩を朗読向けに翻訳。美の香り豊かな名訳文が物語を惹きたててくれる。

・3人の幼きときから青春の日々への変遷は、アニーとイノックを結びつけ、フィリップを良き隣人として運命付ける。幸せな日々はしかし、突然の悲劇に見舞われる。新しい運命をアニーと子らは受け入れる。

・漂流の10年。変化(へんげ)したイノックの身体に、それでも神に支えられた精神は宿っている。そして帰郷へ。

・暖かな光の中に、"他人"となった元家族のだんらんを覗き見る悲劇。張り裂けそうな心を必死に押さえ、イノックは一人生きる決意を新たにするのだが……。

真直ぐに堂々と生きてきた。最愛の人の幸せをたしかめた。そして最期を悟り、語ること、想いを託すことのできたイノックは、まだ幸せだったのではないだろうか。

暖かな思いをもって読了。紙面の質も装丁も近年のものと違って格調高いつくり。文芸本はかくあるべし。

ENOCH ARDEN
イノック・アーデン
著者:Alfred Tennyson、原田宗典(訳)、岩波書店・2006年10月発行
2017年12月10日読了

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2017年12月 8日 (金)

杉浦非水のデザイン [読書記]

グラフィックデザインの黎明期に新しい仕事を切り開いていった杉浦非水の作品が「三越の仕事」「デザインの仕事」「図案集」「非水百花譜」の4章にバランスよく収められている。

・三越呉服店の華やかなポスターと会報誌。和風アール・ヌーヴォーと呼ぶべきか、100年を経過した現在でも古臭さを感じさせないセンスは、やはり本物だ。

・「<美>と<経済>のバランスのうえに成り立つデザインというジャンルの本質」(p79)、顧客の無茶で過大な"要求"と現実的かつセンスある"成果"をどう両立させるのか。広い意味でのデザインの本質を、彼は心得ていたんだなと思う。

・『東洋唯一の地下鐵道上野浅草間開通』(1927年)は何度見ても飽きない。着飾った婦人たちや子供の姿、煙草を手に近づく電車へ目をやる紳士。そしてこの構図。良いなぁ(p86)。

・各種「図案集」も秀逸。アール・ヌーヴォーのみならずアール・デコの風潮を逃さず、日本風にアレンジ。素晴らしい。

本書そのものも美術作品集にふさわしい手触りとなっており、申し分ない。ただ、できればB5ではなく、A4サイズで出版して欲しかったと思う。


HISUI SUGIURA : A PIONEER OF JAPANESE GRAPHIC DESIGHN
杉浦非水のデザイン
パイ・インターナショナル・2014年3月発行
2017年12月7日読了

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2017年12月 7日 (木)

大英帝国のアジア・イメージ 東田雅博  [読書記]

ヴィクトリア時代に刊行された総合雑誌を対象に、そのインド論、中国論、日本論を分析することによって、当時のアジア・イメージの変遷と「文明化の使命」の史的変遷が描かれる。
インド・イメージ(第4章)と中国イメージ(第5章)が本書の半数を占め、引用される当時の雑誌評論文の数量は圧倒的だ。日本に関する情報の少なさはやむを得ないところ(第6章)。

・インドについては、統治手法の変化が決定的となる1857年の大反乱をキーに据えて1800年代を四期に分け、70を超える雑誌評論文を読み解き、その傾向からイギリス人にとってのインド・イメージの変遷を考察する。
・「停滞した物質文明と、イスラム教とバラモンに支配され、カースト制にとらわれた中世的な精神文化」のイメージに彩られたインドを、「普遍的な西洋文明」の光をもってヨーロッパ的なレベルに引き上げるべきであるとする「文明化の使命」(p88)論は、大反乱を経てもなお主流であった。だがドイツとアメリカに追い上げられてワールド・パワーとしての大英帝国の地位の低下が明らかになる1880年代になると、インドを不可分の帝国領土とする帝国主義的論調が堂々と目立つようになるという(p103)。

・地の果て、極東の古い帝国である中国に対しては、18世紀に論じられた好意的なイメージ=安定した穏健な専制的帝国に対し、いかに西洋文明を輸出するかという議論が、1850年代から盛んになる。こちらも50を超える総合雑誌の評論文を引用・解説しつつ、イギリスにとっての中国イメージの変化を読み解く。
・1890年代になると、険悪化する国際関係の中で、いかにして中国でのイギリスの通商的利益を維持するかに主眼を置き、中国の改革、すなわち近代化・文明化を「強制」すべしとの論調が力を得てくる。改革の一向に進展しないアジアの老大国に対し、「きわめて無知で迷信的な」中国人、「馬鹿げた慣習」の横溢する中国は「東洋における巨大なタコ」だ、等の厳しい表現が顕れるのもこの時期だ。

・1850年代にはほとんど注目されなかった「人形の家の文明」を持つ日本は、停滞する中国と比較され、さらにはジャポニスムの影響もあり、1860年代頃より好意的なイメージで捉えられるのみならず、日清戦争を契機として、アジアにおける大国、男性的国家と評されるようになる。ただ、西洋文明の摂取に熱中するあまり、自身の相対的な芸術的・文明的価値を認識できなくなった(p217)との評論も存在したのだな。

包括的なアジア・イメージは1800年代後半を通じて変容し、それはイギリス自身のイメージにどう影響を与えたか。アジア諸国の工業化の影に怯え、それは「文明化の使命」に疑義を投げかける。そしてパクス・ブリタニアの衰えが見え隠れする1880年代以降は、社会進化論や人種主義の勃興により、全人類の「単一の連合体」への統合を目指す「帝国の使命」をもって世界に君臨するイギリスへと、セルフ・イメージを変遷させた。ここに、帝国主義の正当化が完成する。

自由貿易と「文明化の使命」の両輪をもって、世界をイギリスのイメージに従って変革しようとする衝動。すなわち、文明世界という外観を持ち、自由貿易によってリンクされた農耕の国際分業が貫徹した世界(p253)の実現は、19世紀中葉のヴィクトリニアリズムの楽観的な時代の産物であったというのが、本書の結論である。

大英帝国のアジア・イメージ
著者:東田雅博、ミネルヴァ書房・1996年3月発行
2017年12月7日読了

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2017年12月 2日 (土)

アガサ・クリスティーの大英帝国 東秀紀  [読書記]

都市犯罪に主眼を置くポー、ドイル等の作品に比べ、移動手段を含む観光ミステリーの多さがクリスティー・ミステリーの特徴である。本書は、年代区分別に、特に戦間期における大英帝国の最盛期から戦後の帝国解体・社会福祉国家への変貌が、クリスティーとその作品に与えた影響を考察する。僕のようなクリスティー初心者にはとても参考になった。

・『茶色の服の男』は、独身女性の南アフリカ行きを視野に置き、汽船、鉄道、地下鉄の登場する初期のミステリーだが、そのヒットの要因を、大英帝国博覧会で露わになった人々の「観光願望」を捉えたものと分析する(p58)。1920年代は貴族・ジェントリにとどまらず、中産階級が帝国の版図を中心に海外へ足を延ばした時代でもあり、夢や憧憬であった「海外観光」を身近に感じられる作品として、時代のニーズにマッチしたんだな。

・1930年代のオリエント=シンプソン急行(p89)を舞台とする『オリエント急行殺人事件』(p98)と、『ナイルに死す』(p109)の解題は有意義だ。大英帝国をこの目で確かめ、明るい未来を確認するという国民の潜在的要望に沿った作品群は、なるほど、ベストセラーになりうるな。

・第二次世界大戦を挟んでの中産階級の境遇の変化、すなわち配給制度の継続、帝国の解体による配当の減少、村への見知らぬ帰郷者の増大等が、クリスティー作品に変節をもたらしたとの分析は秀逸だ(第五章、田園への旅)。『予告殺人』をぜひ読まねば。

・帝国の繁栄と変貌を背景に、「観光」と「田園」が20世紀イギリス人の普遍的な関心事とするなら、なるほど、クリスティーの作品はしっかり応えてくれる。

「空間」の旅、過去を呼び覚ます「時間」の旅。その背景にあるのは20世紀イギリスの繁栄と衰亡か。この視点で作品を読み返してみたい。

アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代
著者:東秀紀、筑摩書房・2017年5月発行
2017年12月1日読了

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2017年11月27日 (月)

都市の周縁(モダン都市文学Ⅲ) [読書記]

本書は16編の小説、3編のルポタージュ・座談会と、小コラムから構成される。大正末期から昭和初期にかけて拡大した都市の盛り場とその周辺――ダークな部分を含めて――の賑わいと悲哀を堪能することができた。
しかし、いつになっても男は騙される運命にあるんだな。

■武田麟太郎『日本三文オペラ』
浅草の三階建てアパートに生息する多種多様な人間たち。トーキーの普及により失職寸前の映画解説者、若くても女に相手にされない萎びた安酒場のコック、60過ぎて恋仲となった老夫婦、呉服屋のせり売りの桜とその女房、そして、アパートの管理人。下層階級の悲喜こもごも。個人的には近メガネをかけて30過ぎて女を知り、手ひどく騙されたコックに同情を禁じざるを得ない……でも、女の父親との会話は実に面白いぞ(p116)。狡猾な映画解説者の最期は、さもありなん(p124)。

■佐多稲子『レストラン・洛陽』
愛想笑いに終始してパトロンを探し、銀の釣盆に残されたチップから日銭を稼ぐカフェの女給の生活は極めて厳しい。関東大震災からの復興時に浅草六区に雨後のタケノコのように設営されたカフェの事情は、どこも似たようなものだったろう。病気の旦那と莫大な借金と子供を抱えたお芳、娘に洋服を買い与えて上野公園を散歩するのが夢の夏江、憲兵と心中するお千枝……。ライバル店の繁盛を横目に、経営の傾くカフェレストラン・洛陽。花見すら行われず、景気後退を身に染みて感じ、パトロンに離れられ、ウイスキィをがぶ飲みする上得意に逃げられ……。脳梅毒で亡くなる寸前の「木片のような」お芳の顔(p184)。
近代日本・新東京の暗黒面の辛さが、読後感を重くする。

■川端康成『水族館の踊子』
「ね、お魚にも、情熱ってものがあるでしょうか」(p192)
客引きの"一等利口な"兄を自慢する千鶴子。大規模カフェ、カジノ・フォーリーの"水族館"で愉しげに踊る姿は微笑ましい。だが、やはり借金、である。その重みは人を滅ぼす。特別な顧客への特別な接客、竜宮……。彼女の復讐の物語でもある。

■石川淳『貧窮問答』
木賃宿の三畳間に寝泊まりすることになったインテリ。好いた牛飯屋の娘に、翻訳を終えたら二百円が手に入ると述べたことから、群がってくる下層階級の群れ。暴力団員、宿屋の掃除婦、娘を抱えた労働者……。一時の情に流され、牛飯屋の娘にもあっという間に騙されるインテリ君。本書で異色をなす作品。面白い。

■コラム『元町通』は昭和5年正月の神戸の様子がうかがえて嬉しい気分(p423)。

他に、地方から駆け落ちしたティーンエイジャーの姿を描く龍胆寺雄『機関車に巣喰う』、ばくち打ちの世界を覗き見る広津和朗『隠れ家』、浅草のダンス・ガールを描く今日出海『泣くなお銀』、法善寺横丁「めをとぜんざい」と「しる市」の登場する織田作之助の味わい深いエッセイ『大阪発見』、佐藤春夫『路地の奥』等を収録。

モダン都市文学Ⅲ 都市の周縁
編者:川本三郎、平凡社・1990年3月発行
2017年11月27日読了

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2017年11月25日 (土)

舞台の上のジャポニスム 馬渕明子 [読書記]

19世紀パリに花開いた日本趣味とジャポニスム。国立西洋美術館長の著す本書は、日本の文物ではなく、舞台芸術で表象された「日本人」を対象に、現代まで続くイメージの系譜を探求する。
10枚のカラー口絵を含め、ヴィジュアルイメージとしての舞台資料満載。

・オペラ座で公演された『イエッダ(江戸)』をはじめ、『黄色い姫君』『美しきサイナラ』『コジキ』など、これが日本か? と思わせる1870年代パリ舞台芸術の数々。1871年初演の『青龍の尼寺』で想像の日本イメージが形成され、それが継承されたことが理由として示される(p76,90)。1890年になっても、白いチュチュの上に着物を羽織ったフランス人ダンサーが、日本髪のかつらをかぶってオペラ座のステージを舞い踊る『夢』が、日本的! として持てはやされるとは、なんとも複雑な気分(口絵6、p135)。

・ロティの傑作小説『マダム・クリザンテーム(お菊さん)』のルネサンス座における舞台についての論評は厳しい。西洋人男性にとっての現地妻、理解しがたい日本文化とお菊さんに対する主人公の心理は小説ならではのものであり、単純化された脚本には現われない。かつてないレベルで衣装・日本文化・社会風俗の再現されたものであっても、かくも舞台芸術は難しいものなのか。

・1900年パリ万国博覧会、ロイ・フラー座での川上音二郎と貞奴、すなわち「本物の日本人」によるパリ公演『武士と芸者』『袈裟』は何をもたらしたのか。乱れ髪を振りかざして踊る貞奴や、武士の切腹シーンは見ものだろうし、フランス人の心に寄り添った=つくられた日本イメージを踏襲した演出は見事(p222)。何しろ、本物の日本人による演技である。この誇張されたイメージが、今日まで日本人像として定着しているとしたら、皮肉である。

・着物、侍と切腹、浮世絵に描かれた富士山と大波、西洋で大流行した扇と団扇に関する考察も興味深いが、日本を表彰する人物像としては、やはり芸者となるのだな(第4章)。

・ジャポニスム礼賛から黄禍論へ。世紀末にはエキゾティックな東洋の島国から、危険な新興国へと日本のイメージは転換する。以降、カリカチュアとして蔑視される日本人のイメージは、21世紀になっても出歯小男とゲイシャガールのままである(p213)。実に歯がゆい。

・第6章「ジャポニスムの終焉」の意味するところは大きい。現代の西洋における日本アニメ・マンガ文化等の流行は、かつてのジャポニスムとは似て異なるものであることが示される。

パリを席巻した(と思い込む)ジャポニスム。われらは感情として浮かれがちであるが、著者は手放しで喜ぶことは慎むべきことを説く。
「オリエンタリズム的日本イメージは姿かたちを変えて脈々と続いているのだ」(p245)
ジャポニスムとはすなわち、遠い未知の、魅力に富んだ発展途上国への眼差しが生んだ現象(p263)であったのか。

舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>
著者:馬渕明子、NHK出版・2017年9月発行
2017年11月25日読了

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2017年11月20日 (月)

階段を下りる女 ベルンハルト・シュリンク  [読書記]

駆け出しの弁護士だった「ぼく」は恋をした。ぼくに向かって階段をゆっくりと降りてくる女性。絵の中のヌーディスト、モデルとなった女性のぬくもりに。
「若いころの小さな敗北」(p135)もし、あのとき、一緒に逃げることができていたならば……。
あの感動が忘れられない『朗読者』の著者の最新作だ。

・40年を経ての「告白」。第二部・19章からの展開は胸を痛めさせる。東西に分断された国家、過去の自分、自ら望んだ未来への選択。4人の邂逅したシドニーの磁場に、それぞれの人生が吸い寄せられてゆく。

・第三部。二人の新しい過去を語ることは、未来への約束へとなる。人生の最期に、選ばれなかった自分たちを生きること。淡々と歩み続ける過去は、ただただ美しい。

・ラストは静かだ。人生=世界の終焉とは、実はこんなものなのだろうか。

「ぼく自身が当時のエピソードを終わらせ、それに意味を与えなくてはいけない」(p73)
タイトルの『階段を下りる女』の真の意味は、第三部・15章に収斂される。「もう一度……海辺へ行ってみたいの」(p200)長い道の途中でたくさんの人生、たくさんの約束を想いながら、一歩一歩下りてゆくイレーネの姿は、あの絵画とあまりにも乖離し、痛々しくもある。それでも「ぼくとイレーネ」の旅の終わりに、人生の確かな意味を見いだせたものと信じたい。

Die Frau auf der Treppe
階段を下りる女
著者:Bernhard Schlink、松永美穂(訳)、新潮社・2017年6月発行
2017年11月20日読了

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2017年11月14日 (火)

阿Q正伝、藤野先生 魯迅 [読書記]

辛亥革命による混乱と嵐、それでも人々の日常は変わらず、緩慢な変化と「希望」だけが人の意識を変えてゆく。
いまもって中華世界を代表する巨人作家、魯迅の13の中短篇を収録。

『故郷』
数十年ぶりの帰郷。実家の雇い人の息子であり、幼いころからの旧友との再会は、しかし、過酷な現実となって主人公を打ちのめす。
「いまわたしが希望といっているものも、わたしが自分の手でつくった偶像ではなかろうか」(p79)
いまなお古い制度・しきたりに縛られる中華民国。その緩い歩みを叱咤するは、魯迅その人なのだろう。彼は民族の希望を携えている。
「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
個人的に最も気に入った一篇。

『阿Q正伝』
大胆にして卑怯、自由な夢想家であり、その日暮らしを所与のものとして時を過ごす三十男、阿Queiを中心に、村の衆人、有力者、女の織りなす中国式世界が展開される。
清朝末期・革命さなかの民衆の卑しさが存分に披露され、阿Qもその一人である。末期にあっても情けない態度しか取れない主人公の姿をもって、著者は民衆の啓蒙を試みようとしたのだろうか。

『祝福』
古いしきたりの農村。姑に縛られた嫁の哀しいさだめ。薄幸の女性の運命を想うとき、主人公の胸に去来するは、やるせなさか、虚しさか。印象深い短篇だ。

他に『狂人日記』『孔乙己』『薬』『髪の話』『小さな事件』『家鴨の喜劇』『酒楼にて』『孤独者』『離縁』『藤野先生』を収録。

阿Q正伝、藤野先生
著者:魯迅、駒田信二(訳)、講談社・1998年5月発行
2017年11月13日読了

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2017年10月31日 (火)

たゆたえども沈まず 原田マハ  [読書記]

万博を機にパリへ渡り、日本美術の紹介と販売を手掛けて来た林忠正。日本に恋い焦がれた孤高のオランダ人画家、ゴッホ。本書は、忠正の直弟子である重吉とゴッホの弟テオドルスの出会いと友情を縦軸に、ゴッホ兄弟の愛憎、日本人二人の絆を盛り込みつつ、1880年代後半のパリ後期印象派の躍動が、まるでセーヌ川の流れのように描かれる。
オランダ人のフィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉。この二組のパリでの幸運な出会いは、浮世絵と印象派を新たなステージへと押し上げる。
広重・歌麿・北斎の浮世絵が、ゴッホ兄弟とその作品が、身近に感じられるようになる一冊。

・フランス芸術アカデミーの巨匠、ジャン=レオン・ジェローム、筋金入りのジャポニザンである小説家、エドモン・ド・ゴンクール、若き画家の"パトロン"にして画材商のタンギー爺さん、ガシェ医師、そして、ポール・ゴーギャン。まるで彼らがそこに存在するかのような活き活きとした会話も、本書の愉しみのひとつだ。

・オペラ・ガルニエ宮、カフェ・ド・ラ・ペ、コメディ・フランセーズ劇場、オテル・デュ・ルーブル、建築中のエッフェル塔。現在のパリでもお目にかかれる建物の登場も嬉しい。

・世紀末パリのジャポニスム旋風に乗り、日本美術工芸品を広く紹介した仕掛け人、林忠正。彼もまた孤高の人生を歩む人だ。だから、ゴッホ兄弟を理解できたんだろう。

・「イギリスには、パリがない」(p29) 凛として横顔に風を受け、未来を見据えて輝く瞳。忠正と重吉の出会いはすがすがしく、パリへの想いは熱く語られる。向上心に溢れた日本青年の姿は素晴らしい。

・『タンギー爺さん』制作の現場。背景に据えられた六点の浮世絵。それらを貸し出しながら、決してアトリエに足を踏み入れず、ショーウィンドウ越しに見護る忠正と重吉。良いなぁ(p188)。

・まったく新しい絵画。「絵の具が叫び、涙し、歌っている」(p202)のがゴッホの表現であり、観るものに、どっと押し寄せる「色彩の奔流」(p172)を感じさせずにはいられない。このあたり、著者の表現は見事だ。

天空の下、滔々とセーヌは流れる。FLUCTUAT NEC MERGITUR―― たゆたいはしても、流されることなく、沈まない。フィンセント・ファン・ゴッホが本当に描きたかったものがテオと重吉に明かされるのは、アルルでの「耳切り事件」の翌日のことだ(p315)。

そして「とうとう……成し遂げたんだな」と忠正に言わせた『星月夜』を前に、フィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉がたたずむシーンは感動的だ(p360)。

たったひとつ、弟のためにしてやれること……(p387)。それが答えだったとしたら、あまりにも、あまりにも哀しい。

読後の余韻に浸りつつ、装丁を眺める。物語の鍵となる『星月夜』と『大はしあたけの夕立』があしらわれ、実に良い。カバーを外すと、よれよれの中折れ棒と、山高帽が現われる。うん、兄弟の運命と名声に叶う、粋な計らいだ。
アムステルダムのゴッホ美術館に行きたくなってきたぞ。

FLUCTUAT NEC MERGITUR
たゆたえども沈まず
著者:原田マハ、幻冬舎・2017年10月発行
2017年10月31日読了

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2017年10月28日 (土)

オペレーションZ 真山仁 [読書記]

未来の世代のために「いま」われわれがなすべきことは何か。
何度も噂されては政府・財務省の敏腕によって事なきを得てきた国債危機。だが担い手が多様化したことで、従来の回避策は通用しなくなってきている。いまや1000兆円を超える国債のデフォルト、すなわち日本の破滅を防ぐため、総理大臣直轄のImpossible Mission Force、オペレーションZが創設された。
本書は、デフォルトに陥った日本の惨状を描く大物小説家の作品「デフォルトピア」の片鱗を覗かせつつ、財務省の若きキャリアの歳出半減ミッションを中軸に、「あるべき国家観」を深く考えさせてくれる内容となっている。

・第四章、チームOZと厚生労働省との第一回折衝は胸に重くのしかかる。「年金、医療、介護保険給付費をゼロ」(p136)にする。日本を破滅から救う財政健全化のために、国民皆医療制度を犠牲にする――。これを本気でやれと明言する総理大臣の決意は良いが、国民の命を預かる厚生省の反論は正当だ。「生活保護を除く社会保障関係費ゼロとなった場合、想定される事態」(p152)何をもって正しいと判断しうるのか。そも、崖っぷちに立たされると、正しさの定義すら怪しくなってくるのか。

・ワーキングプア、増加する下流老人、疲弊する地方経済、これらをすべて「切り捨て」る決断。日本は民主国家ではない。大蔵貴族と揶揄される高級官僚の思いは正鵠を得ている。

・アルゼンチンや韓国のような小国へのIMFの介入の例はあるものの、これでは世界第三位の経済大国、日本は救えないのか。

・第六章は市町村「地方自治体の存在意義」を真正面から問う。著者の見解は明快だ。無駄な地方公務員の存在、行政のきれいごと、すべてを御破算にすべし。ところで、無神経かつ失礼千万な准教授、宮城のキャラクターは気に入ったぞ。

・第八章、もはや「おそロシア」としか言いようがない。インテリジェンス・スキルの圧倒的な格差。こうやって日本の国益は損なわれてゆくんだな……。

・日本国民の選択。最終章は勇気に彩られつつも、哀しい予感に溢れている。そして心地好いぬるま湯は、エピローグが吹き飛ばしてくれる。

「社会の中で、困った人を可視化するために必要なのは、金でもITでもない。近所や学校、企業内でのコミュニケーションじゃないのか」(p355) 周防の言葉はまったく正しい。仮に国家窮乏の事態に陥ったとしても、近隣との助け合い精神があれば、何とか生きて行ける……と僕も思っていた。

この日本を何とかしなければ、との著者の思いが紙面から強く伝わってくる。
カネがなくなると何が起こるのか。「Z」の意味を知る時、行動しないのは罪だと理解し、書を閉じた。

オペレーションZ
著者:真山仁、新潮社・2017年10月発行
2017年10月28日読了
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2017年10月24日 (火)

ソーネチカ リュドラ・ウリツカヤ [読書記]

読書後の静かな余韻。それは女主人公ソーニャの平凡な一生を彩る重厚な物語によるものだ。ペレストロイカ以前のソビエト時代の空気、第二次世界大戦、変わり者の友人たち、そして、世にも希な家族愛のかたち……。

・本の虫の少女時代から電撃的な結婚、愛娘ターニャを囲む芸術家の夫との貧しくも幸せな生活、成長した娘との確執までは穏やか。娘の友人で美女であるヤーシャの登場により、幸せに変節が訪れる。

・家族愛の変節。それでもすべてを受け入れるソーニャの懐の深さはロシア的というものか。

・「光を放つような声」(p20)、「宇宙の星がみな、興味津々といったふうに目を輝かせて」(p91)の表現が気に入った。

・終盤、夫の葬儀を「はじめての個展」に仕立てるソーニャの決断と行動力は印象的で、羨ましくもある(p127)。

ところどころに見出される洗練された表現は、実に心地よい。ロシア文学の愉しみを味わえた。

Сонечка / SONECHIKA
ソーネチカ
著者:Ludmila Ulitskaya、沼野恭子(訳)、新潮社・2002年12月発行
2017年10月24日読了
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2017年10月22日 (日)

海の上の世界地図 和田博文 [読書記]

旅に何を求めるかによって、その見聞と体験から得た心象は人によって異なり、それぞれの世界認識が形成される。ただ、明治、大正、戦前昭和のP&Oあるいは日本郵船の欧州航路を巡る旅では、西欧近代に追いつこうとする意識が強力に作用していたであろうことは想像に難くない。
本書は豊富な図版、写真、地図とともに、著名人から一般人まで、帝国興隆期に欧州航路を旅した先人たちの物語をふんだんに盛り込み、刺激的な読書の楽しみを十二分に提供してくれる一冊となっている。

・日本人が憧れの地へと向かう欧州航路。それは転じれば、列強によるアジア進出の足跡であり、その寄港地は植民地の主要都市または租借地である。あらためて地球儀を俯瞰すると、20世紀初頭の大英手国のアジア航路と寄港地の規模と、その統治の巧みさには驚嘆させられる。

・「他者性を鏡とすることで、そこに映し出される自己の姿が、心象地図にはクローズアップされてくる」、欧州航路を辿ることで、その船客はいやおうなく、極東の新興帝国である日本、その自意識を強く認識するに至る(p16)。非日常の異文化に触れながら、他者と自分を考えること、そこに旅の意味があることは現代でも変わらない。

・青年層の行動力には舌を巻く。欧州の大衆社会を見んとして外国船に乗り込み、結果的にアジアの下層社会の現実を目の当たりにしたのは、なんと広島の一農民である。

個人的には第五章「一九二〇年代に到来するツーリズムの季節」が興味深かった。欧州航路乗船客のために日本郵船が発行した各種ガイドブック、初めての船旅での、まるで弥次喜多珍道中のような面白エピソード、日本郵船を好んで乗る西洋人の趣向、日本郵船独特のデッキパッセンジャー、和辻哲郎、南部兄弟商会、等々。現代観光旅行と重なるものがあるな。

様々な文化圏との差異や落差を体験しながら、時間をかけてその意味を反芻すること(p279)。飛行機での移動が主流となった現在では失われて久しい旅の"重み"を追体験できた。

海の上の世界地図 欧州航路紀行史
著者:和田博文、岩波書店・2016年1月発行
2017年7月9日読了
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2017年10月21日 (土)

流 東山彰良 [読書記]

国民党による恐怖支配、大陸渡来の外省人と土着の本省人の確執、台湾の闇社会。1970年代の中華民国を舞台に、秋生の青春が流れてゆく。
殺害された祖父。殴り合いと刀定規を交わす喧嘩、親友のファイアーバード、そして文化人類学的多様性という観点から見ても括目に値する(p130)A片(笑)。序盤は、不思議な「狐火」を交えた物語にぐいぐいと引き込まれる。

・二十年前の切符……(p164)。『彼女なりのメッセージ』の章がおもしろ哀しく、秀逸だ。

・『恋も二度目なら』の「じゃ、あたし、お嫁にいっちゃうね」 毛毛の言葉の深い意味。そのニュアンスを本当に理解した瞬間の、秋生の咆哮には泣けた(p402)。

・意を決しての大陸行。国民党と共産党の内戦の歴史と絡まりあいながら、砂の地で一族と「兄弟分」の運命を、そして祖父殺害の真相を秋生は知るのだ

時代は流れる。大地は動く。魂は躍動せねばならない。エピローグの「わたしの心は、そうやって慰められる」(p486)の件には、ああ、人のありかたを思わずにはいられない。

重いテーマをユーモアとペーソスで煮詰めた傑作。直木賞受賞もさもありなん。


著者:東山彰良、講談社・2017年7月発行
2017年10月21日読了
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2017年10月17日 (火)

2017年10月 金沢と和倉温泉の旅 その2 [男ひとり旅の美学・番外編]

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・特別名勝、兼六園


■2017年10月9日(月) 金沢へ戻ります。

6時起床、晴れ
加賀屋 雪月花・特別階「浜離宮」の朝食はシンプルだが、どれも美味。満足度高し。

18階のスカイラウンジ「雪月花倶楽部」でコーヒーを馳走になります。

お土産の追加を購い、チェックアウト。加賀屋、また泊まりたいです。
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8時15分発の宿のバスでJR和倉温泉駅へ。8時41分に特急能登かがり火4号はスムーズに出発。
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(隣に並ぶは「のと里山里海」号らしい。)


9時44分、無事に金沢へ到着。コインロッカー(今度は駅構内のものを確保できた)に荷物を預け、昨日と同じ金沢駅東口7番バス乗り場より「城下まち金沢周遊バス」、今度は右回り(RL)に乗車。「金沢・加賀・能登ぐるりんパス」でフリ-パスです。

10時15分、乗車時間10分程度で「ひがし・主計町茶屋街」に到着です。


■金沢 ひがし茶屋街

バス停から東へ向かい、それっぽい角を曲がると、あの有名な光景が現われる。
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公家の京都に対して武家の金沢だから、何か特徴があるかと思ったが、デジャブー。京都に何度も通っていると、いまひとつ新鮮味に欠けるというのが素直な感想。
そんな失礼な思いを抱きつつ、懐華樓(カイカロウ)へ入る。ここも「金沢・加賀・能登ぐるりんパス」でフリ-だ。
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パンフレットによると築195年、金沢で最も大きな茶屋建築だそうで、室内はとても雅だ。
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金箔の茶室!
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ここは良かったぞ!

11時4分、「城下まち金沢周遊バス」(RL)に乗車し、6分後に「兼六園下・金沢城」前で下車。
右手に金沢城が見える。


■特別名勝・兼六園

土産物屋の連なる紺屋坂を上り、桂坂口より入場。「金沢・加賀・能登ぐるりんパス」でフリ-だ。
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・ことじ灯籠
兼六園に来たからにはこれを見ないと。
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唐崎松、雁行橋を見る。
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眺望はまぁまぁ。
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それより、松が見事。
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霞ヶ池を廻り、内橋亭を経る。
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夕顔亭、瓢池。
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蓮池門口より兼六園有料エリアを抜ける。

もう12時だ。昼食は……一番手前の食堂「城山邸」で良いかも。
ここの「治部煮そば」は当たり! まろやかなとろみとジューシーな鶏肉のハーモニーが絶品です。
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■金沢城

兼六園を出て、隣接する金沢城、石川門口へ。
ああ、どこかに数種類の石垣と書かれていたが、本当だな。
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で、このお城、昔から天守閣はなく、二の丸の館が居城だったのか。知らなかった。
石川門の内部へ入ってみる。
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天空は晴れ。三の丸広場を横切り、橋爪橋を渡ると、みごとな橋爪門だ。
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五十間長屋へ入る。
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橋爪橋を見下ろす。
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よくぞ、こんな城を作ったものです……。
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■金沢21世紀美術館

さて、ここからは歩いてお堀通りを10分ばかり南下し、金沢21世紀美術館にやってきました。

エントランスには、何々? 「レセプション関係者は右、一般者は左へ」
素直に左へ並びます。それにしても黒いスーツの男の多いこと。そして、入場制限……。

なんと、デンマーク皇太子ご夫妻がご来場中とのこと。
ロビーには「デンマーク王国皇太子同妃両殿下 歓迎レセプション」と書かれ、報道カメラマンがごったがえしている。

入場チケットを購入(\1,000円)し、待つこと約15分、ついに「デンマーク王国皇太子同妃両殿下」が現われた。
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それはそれで良いのだが、お二人の入場の関係上、あの「スイミング・プール」には入場できないとのこと。ガックシ。

で、第一展示室から順に見ていく。現代美術はわからないのだが……。

おおっ、いまから「スイミング・プール」の地下に入場できるとのこと!
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不思議な空間だなぁ。

デンマーク皇太子の演説をしばし聞き入る。
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14時55分、「城下まち金沢周遊バス」(RL)に乗車し、15時10分に金沢駅へ到着。
お弁当と地ビール、お土産を購入。

16時29分、特急サンダーバード36号は出発。さようなら、金沢。
外は暗い。残念ながら琵琶湖は見えないや。
お弁当「北陸浪漫」は実に美味。百万石ビールは、微妙な味……。
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19時16分、新大阪駅に到着。新快速で家路へ。

最後まで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

2017年10月16日 (月)

2017年10月 金沢と和倉温泉の旅 その1 [男ひとり旅の美学・番外編]

百万石の武家の古都、金沢を歩き、前から気になっていた和倉温泉、加賀屋に宿泊することとした。
再びの親孝行旅です。

【参考データ】
2017/10/8(日)
特急サンダーバード9号 大阪8:40発~金沢11:14着
特急能登かがり火5号 金沢15:00発~和倉温泉15:57着

2017/10/9(月)
特急能登かがり火4号 和倉温泉8:41発~金沢9:44着
特急サンダーバード36号 金沢16:29発~新大阪19:16着

宿泊先:加賀屋 雪月花・特別階「浜離宮」(和倉温泉、1泊)


■2017年10月8日(日) 金沢行

5時30分起床、バスとJRを乗り継いで大阪駅へ。やはり人が多い。
8時40分、サンダーバード9号はスムーズに発車。2時間30分の列車旅が始まる。
今回はJR西日本の「金沢・加賀・能登ぐるりんパス」を利用。e5489より予約したのだが、便利になったものだ。

琵琶湖を右手に見つつ、10時に敦賀駅、北陸へ入ったぞ。長いトンネルを超えて、福井に停車。
11時14分、金沢駅へ到着。
なんと、コインロッカーがいっぱいだ。駅の外にあるコインロッカーまで100mほど歩く。空いていたので500円で預ける。
昼食は駅構内の蕎麦屋で天ぷらそばを食す。いまいち。

金沢駅のシンボル、鼓門は良いな。
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12時15分、金沢駅東口7番バス乗り場より「城下まち金沢周遊バス」左回り(LL)に乗車。やはり満員だ。
乗車券を買わなくても「金沢・加賀・能登ぐるりんパス」がそのまま使えるので、実に便利だ。

12時30分、香林坊に到着。金沢東急ホテルの横を通って、武家屋敷界隈へ出る。

■長町武家屋敷跡

加賀藩に出仕する武士の住まいの跡。楽しみです。
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・武家屋敷跡野村家
ここは欧米人が興味深げにガイドの解説に聞き入っていた。
庭園も良かったが、2階の茶室とその窓から見える草木の景色が見事だった。
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・旧加賀藩士高田家跡
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・金沢市足軽資料館
足軽と言っても、きちんとした家を与えられ、結構良い生活をしていたんだな。ちょっとイメージが違った。
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名もない長町武家屋敷跡界隈が印象に残った。
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2時間なんてあっという間。もう移動時間だ。「城下まち金沢周遊バス」右回り(RL)に乗車して10分強で金沢駅へ戻る。
15時に特急能登かがり火5号に乗車・出発となった。


■和倉温泉、加賀屋は素晴らしい!!

15時57分、和倉温泉駅に到着。なんだかしょぼい駅だな。
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駅前には各旅館の送迎バスがずらり(6~7台?)。加賀屋グループの大型バスに乗り込む。
この和倉温泉、何か寂れた感じの街だな。

16時18分、加賀屋に到着。大勢の仲居さんが出てきて、荷物を持ってくれる。フロントへ。

雪月花を予約したのだが、雪月花・特別階「浜離宮」にアップグレードしてくれた。やった!
旅館HPから直接申し込み、海側の部屋をリクエスト(別料金1万円)していたからかな?

吹き抜けのロビーもすごいぞ。
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専用エレベータで18階へ上がると、そこは「浜離宮」専用のフロア。階段で19階へ。
その上の20階は皇族の宿泊する巨大なフロアだから、事実上、一般人が宿泊できる最高の部類の部屋となる。

この部屋、12.5畳+6畳+洋室の構成で、実に広い。
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部屋からは七尾西湾が一望できる。
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ツインブリッジのとも見えるぞ。
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さっそく大浴場「恵比寿の湯」へ。おお、三層構造になっているんだな。
露天風呂は……気持ち良いけど、寒いや……。

夕食は「月見茶寮」と呼ばれる別室でいただくのだ。

日本三大珍味「干しくちこ」は冬の七尾湾で収穫されるナマコの卵巣を何本も重ねて陰干ししたもの。絶品。
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お造り10種盛りと能登牛陶板焼きも美味。
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満腹になったところで、1階のお楽しみ処「錦小路」に出向く。
ここは土産物屋が軒を連ね、一種の商店街となっている。
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その奥には祭小屋、さらにはシアタークラブ「花吹雪」と、夜のエンターテインメントも充実している。
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■「雪月花歌劇団レビューショー」を鑑賞

もと松竹歌劇団のメンバーから成る加賀屋専属の劇団だ。
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45分のショーは充実。特に「和風カルメン」は愉しめた。

ロビーラウンジでピアノ演奏を聴き、お土産を買い、時を過ごす……。

部屋に戻ると、カットフルーツ盛り合わせのお皿が! ありがとう、担当仲居のSさん!

就寝前にもういちど大浴場へ。ビールとハイボールのほろ酔い気分で、いい湯です。

洋室のベッドに横になります。おや、隣室の水回りの音が……年季の入った建物だからしかたがないのかな?
改装の際には、しっかりと防音にしてもらわないと。

続きます。

2017年10月15日 (日)

ヌメロ・ゼロ ウンベルト・エーコ [読書記]

2016年2月に永眠した現代イタリアの知の巨人、ウンベルト・エーコ。彼の遺した最後の小説は、あるメディア王の権力拡大のために画策された日刊紙「ヌメロ・ゼロ」の発行準備に追われる編集部と、戦後イタリアの陰謀史を交差させ、厳正に生きる者に「記憶すること」の意義を問いかける。

・新聞準備号の編集部を舞台に、読者の意図を汲んだ表現手法、告発者の信憑性を落とし方、取材者との取引、ターゲットとする人物の貶め方など、メディアの「空恐ろしい情報操作のテクニック」の数々が披露される。こんなものを日々われわれは読まされているわけか。

・50男の主人公が見出した、30歳の女記者との幸せな日々。だが、ムッソリーニ生存説、バチカン銀行、ローマ法王暗殺事件、情報機関「グラディオ」など、戦後イタリア史の闇の部分を追究する一記者が殺害されると、事態は急変する。

・著者は記憶を失うこと、無関心になることに警鐘を鳴らす。「Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ」(p156)、「でも、私も忘れていたのよ。新しい暴露があるたび前の暴露が消されてしまうかのように。全部引っぱり出すだけでよかったのよ」(p193)

・主人公を含む新聞編集部と影の出資者以外、すべての関係者が実名で登場する。影の出資者ですら、ベルルスコーニ大統領のことを想起させてくれる。どこまでがリアルでどこからがエーコの生んだ世界なのか、あるいは想像とは現実世界と紙一重であるのだろうか。

「世界そのものが悪夢なんだよ」(p197)、情報操作の現実的恐ろしさは、ある日を境に突如報道されなくなる官僚関係の微妙なニュースや、Google検索から削除される事件の痕跡など、われわれ日本人にとっても無縁ではない。
濁世の中で生き抜くこと。第四の権力者であるメディア報道の真の意図を見抜き、自己を護るためにも、確固としたリテラシーだけでなく、個人なりの哲学が必要ってことだな。

NUMERO ZERO
ヌメロ・ゼロ
著者:Eco UMBERTO、中山エツコ(訳)、河出書房新社・2016年9月発行
2017年10月15日読了
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2017年10月13日 (金)

海外観光旅行の誕生 有山輝雄 [読書記]

世界旅行の創始者といえばトマス・クック社が思い浮かぶが、日本ではどうだったのか。日露戦争後、まだジャパン・トラベル・ビューローが創設される前の1906年に、満洲韓国周遊旅行と初の世界一周旅行を企画・催行したのが朝日新聞社であった。本書は、そのメディア側の事情と歴史的・社会的背景、新興帝国としての日本人の心理を明らかにする。

・イベントとしての観光旅行は新聞記事のネタとなり、世間の話題となり、ひいては新聞の広告収入や発行部数のアップにつながる。その流れが現在まで続いているんだな。

・最初の満州・観光国旅行において、観光客は何を見たのか。それは日清・日露戦争の戦跡であり、その土地の風習・歴史にはほとんど無関心な旅、すなわち自己の形成した枠組みの中での旅行となった(p85)。自分の2017年9月の大連・旅順旅行がまさにそうであり、この枠組みは日本人の枷でもあるな。

・西欧と北米を対象とする1908年の日本初の世界一周は、帝国を代表(p109)しての旅行であり、「同じ」文明国としての矜持を求められた。服装、言葉遣い、立ち居振る舞い……「見られる」ことを意識しての毎日は窮屈だったかもしれない。

・日露戦争後の帝国意識が、最初の海外観光旅行を生み出す契機となった(p47)。欧米帝国主義国では、世界旅行はみな、最初から「見下ろす観光旅行」であった。一方、日本の場合は異なる。従属国、植民地を傘下に収める帝国になったという意識(p45)、1900年代後半の高揚感。それは「見られる」自己、特に先進帝国主義国家である欧米諸国に対する劣等意識と、未開の国々に対する優越意識が混交する。その屈折した感情が世界旅行での訪問先や、訪日観光団を迎えての演出に反映される。

・良く知っているものの発見がツーリズム、良く知られていないものの発見がトラベル、知られていないものの発見が冒険か(p9)。その意味で、今日の観光旅行は、秘境でさえあっても観光旅行者が主催するものは、過大な広告宣伝によってみなツーリズムになる。個人旅行はトラベルよりと言えるな。

1910年、ロンドンで開催された日英博覧会の訪問を目的に募集された第二回世界一周旅行では、参加者による自主的なアレンジが加えられ、結局は第一回と変わらない旅程となる。主催者の目的と参加者の意思のずれが、参加者の世界一周旅行に求めるものを露わにする。できるだけ多くのものを観たい、知りたいという欲求。「未知未見の異郷に遊ぶ快楽」(p187)これはわかる気がするなぁ。


海外観光旅行の誕生
著者:有山輝雄、吉川弘文館・2002年1月発行
2017年10月7日読了
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2017年10月 5日 (木)

2017年9月 大連と旅順の旅 その3 [男ひとり旅の美学]

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・夜の大連駅

2017年9月17日(日) 旅順一日ツアーの続きです。


■川島芳子の旧邸宅(旧粛親王邸)
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■旧旅順ヤマトホテル
旅行社になって廃墟となり、撤去されるそうだ。もったいないな。
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■旅順博物館

外国人の入館にはパスポートが必要って、おおげさな。
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工事中とのことで、目玉でなる本館2階の展示は見られない。まぁいいや。
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むしろ別館のほうが面白かったりする。
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■関東軍司令部跡

旅順博物館のすぐ横にあるのに、見向きもされないんだな。
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こちらは憲兵隊司令部跡
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■旅順駅跡

ここは日本人、中国人の個人観光客が多かった。
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■旅順口、白玉山塔

乃木希典と東郷平八郎が日本兵の慰霊のために建立したのが、この白玉山塔だ。
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旅順口の景観は良し。
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実は右手に潜水艦隊の基地があるのだが、撮影はやめておいた。スパイ容疑で拘束されたら困るし。


ツアーは終了。星海湾大橋を通って大連中心部へ戻る、と。
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最後に無理を言って、大連港へ連れて行ってもらった。
ここは完全に再開発され、観光地となっていた。
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満鉄マーク入りのマンホール蓋。まだ現役なんだな!
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17時10分にホテルへ戻る。ツアー代金1,350元と、チップ50元×2を渡す。

18時30分に再出発。今度は中山路を西へ向かうのだ。
まぁ、すごい繁華街というか、百年城などの大型デパートが軒を連ねている。不景気になったらどうするんだろう?
それにして、毛沢東・人民服時代の中国とは隔世の感があるなぁ。

大連駅へと通じる地下街は巨大な神戸・元町の高架下のイメージ。小さな店がごちゃごちゃと……。

大連駅は、上野駅をモデルに建築されたそうな。
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しかし、しかしだ。何かきれいではない。ごちゃごちゃ雑然とした雰囲気は、やはり中国というべきか。

中山路の北に位置する繁華街を通って、中山広場経由でホテルへ向かう。
途中、コンビニでビールを買ったが、店員のオバハンは「日本人」と露骨にイヤな顔をした。こっちこそイヤなんですけど!

20時10分、ホテルへ戻る。クタクタだ。
夕食はルームサービス。
・紅焼牛肉麺 68元
・鮮下水餃子 68元
って、想像より美味しくなかった。

で、VPNルータを使ってGoogle、Yahoo!をチェックする。まさか神戸・明石に台風18号が再上陸するとは思わなかった。とても心配だ。


■2017年9月18日(月) 帰国です

最終日、ゆっくり過ごそう。
朝食を昨日にも増して食べ過ぎた。苦しい。
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新華書店は閉まっているし、朝の中山広場でヤマトホテルを見納めて、ホテル近くの土産屋へ。
海鮮のお菓子と干し魚で25元。
店員は信じられないくらい無愛想。なるほど、中国だな。

チェックアウトし、地下鉄(4元)で空港へ向かう。
11時8分 友好広場駅発、11時38分機場到着。
空港行きの車内は満席。スマホとおしゃべりでものすごい活気に溢れている。

で、大連空港に着いたは良いが、迷って国内線のほうへ入ってしまった。
国際線に到着したら12時になってしまった。案内もないし、わかりにくいぞ。

12時10分に出国完了。
お土産を選ぶ。月餅餠(136元)とお茶(80元)にした。

復路便はビジネスクラスにしたので、ラウンジへ……あれ? しょぼいぞ。
おつまみ数種類とドリンクのみか。
そう言えば、青島ビールばかり飲んでいるな。
……酔ってしまった。

13時40分ボーディング、おお、ANAのCクラス席は快適だ。
14時19分離陸し、眼下の大連の街を見る。山を削って新しい街をどんどん造成し、発展しているんだな。
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あっ。窓から星海湾大橋と星海広場が見えるぞ。
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昼食は和食をセレクト。TRUEの『サウンドスケープ』(響け!ユーフォニアム2)を聴きながら舌鼓を打つ。白ワインも良し。
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関西国際空港が見えてきた。
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16時10分ランディング、16時35分に入国完了。

残りの残金は……2,571元(43,700円)か。11月の北京旅行のために取っておこう。

小腹がすいたのでラーメンを。1,000円の割には美味しくないな。

神戸・三宮行きバスは超満席。補助席まですべて埋まるとは。
19時35分、三ノ宮を経由して、20時過ぎに自宅へ戻る。

これで弾丸旅行は終了です。幸い、自宅に台風の被害はありませんでした。
最後まで拙文にお付き合いくださり、唔該!

< 結束 >

2017年10月 4日 (水)

2017年9月 大連と旅順の旅 その2 [男ひとり旅の美学]

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・水師営会見所


■2017年9月17日(日) 旅順へ

朝食はホテルのバイキングで。みんなよく食べる(ような)ので、負けてはいられない。
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個人で旅順へ行けないこともないが、公共交通機関を使って廻るのは非効率すぎる。しかも日本人スパイとあらぬ嫌疑をかけられるなど、リスクが高い。よって現地ツアーを事前に申し込んでおいた。

・旅順一日観光コース
 http://www.dlachikochi.com/view.php?id=1015

9時、ホテルのロビーで日本語ガイドのTさんと落ち合う。ドライバーのCさんは日本語も英語もダメのようだ。
想像通り、ツアー代金の先払いを求めてきたが、きっぱりと断った。
快晴の中、旅順へ出発。先にコーヒー代50元×2を渡しておいた。この辺りのチップは重要だ。

車中で旅順の蘊蓄を聞かせてもらった。
・旅順の人口は26万人。
・終戦時の日本人人口は10万人
・冬の気温は-8℃、夏は14℃。
・高新区(工業団地)には日系合弁企業も多い。パナソニック、富士電機等
・自家用車の急増に伴い、12系統あったトラム=路面電車は2系統に激減した。
・9月、10月の大安の日曜は結婚式が多い
  これは、中山広場で何組もの結婚式を挙げたと思われるカップル(ウェディングドレス姿)を見かけたため。納得。
・10月1日から1週間は国慶節であり、国内旅行、国際旅行に向け中国人旅行客の大移動が始まる。
・4月下旬より桜、5月末ごろよりアカシア、6月はさくらんぼが花開く。
・地元のビールはガグンビールだ。
・大連~旅順間の鉄道は通勤用に運行されていたが、廃止となった。

10時5分、東鳩冠山へ到着。

■東鳩冠山北堡塁

1900年より設営されたロシア軍トーチカ要塞。ここを落とさないと、旅順港のロシア海軍を攻撃できないということで、数万人の死傷者を出した日露戦争の激戦地。
この地域を天から見ると鳩の形をしているので、東鳩冠山と称するそうな。
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「旅順口区国防教育基地」って、日本のことを悪しざまに書いた展示室のことだった。
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日清戦争は日本軍の侵略、日露戦争は日本軍による北朝鮮・中国への侵略らしい。初めて知りましたぞ。
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盧溝橋事件のことは「九一八事変」と呼ぶらしい。
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終戦は、中国軍の圧倒的勝利?
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で、たっぷり洗脳教育された後で、ロシア軍トーチカを巡ることになる。
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この後もそうだが、日本統治・日露戦争の跡がことごとく「中国々民高揚」「日本落とし」に利用されているのを知ると、憤慨やるかたないな。

■旅順日露刑務所跡

ロシアが設営し、日本が運営を引き継いだ政治犯の刑務所。
ここは完全に中国人・朝鮮人向けの観光施設。説明文も英中韓のみ。
特別展は「日本軍を叩きのめした八路軍」だし、日本人の行く所ではなかった。
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こんなところにまで共産党のスローガンが。
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伊藤博文を殺害した朝鮮人テロリスト、安某が英雄として立派に祀られていた。
ガイド氏に「安某を知っているか?」と問われ「テロリスト」だと答えると、複雑な表情をしていたな。
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内部はモロに刑務所。
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処刑場。テロリスト、安某もここで生涯を終えた。
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日露戦争にまつわる品々も展示されていた。蒸気自動車なんて珍しいな。
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水雷ってこんなかたちだったんだな。
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乃木希典将軍の碑銘がこんなところに。
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■旅順田舎料理

水師営会見所のすぐ前にある食堂で昼食を摂ることに。

なんて呼ぶのか忘れたが、野菜と味噌をとうもろこしの生地で包んでたべるアレは美味でした。
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■水師営会見所

12時30分頃より、水師営会見所に入場。ここは専任のガイドが担当するようで、若くてきれいな女性だったのが嬉しかった。
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なんと、日本統治時代の満鉄グッズが無造作に置かれ、すべて販売されているとな?
からくり時計は80万円……。
満鉄一般社員に配布された懐中時計と、満鉄幹部に渡されたガラス製のルビーの置時計、それに切子グラスを、値切って、値切って、1,800元(3万円)で購入した。
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なんで販売しているのか? 中国人は支配者であった満鉄のグッズに興味がないとのことで、もっぱら日本人観光客に買ってもらっているとのこと。

本当は会見場の撮影は禁止されているが、満鉄グッズを買ったということで特別に撮影させてもらった。奥に乃木希典将軍が座ったそうな。
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12時55分にここを出る。


■二〇三高地 日露戦争最大の激戦地、そして慰霊の地

13時に到着。
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山頂までは歩くこと15分。以前はバスが運行されていたが廃止されたらしい。タクシーも入れない。年配の方々にはキツイだろうな。
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東鳩冠山からの砲撃では効果がなく、より旅順港に近いこの地から艦隊に向けて砲撃するため、占領の必要に迫られた。
ガイド氏によると、ここを含めて日露戦争の死者は日本軍4万人、ロシア軍6.6万人に上るそうな。南無。

爾霊山(にれいさん)記念碑
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何々? 日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった?
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ここは戦死した日露の兵士の慰霊のための地だ。軍国主義的共産主義国家が勝手なことを書いてくれるな!
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なるほど、旅順港が良く見渡せる。艦隊にとっては急所だな。
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乃木将軍の息子の慰霊碑もあった。こんな山中で戦死したのか。
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13時45分に再出発。これから旅順旧市街へ向かう。

旅の途中ですが、続きます。

2017年10月 3日 (火)

2017年9月 大連と旅順の旅 その1 [男ひとり旅の美学]

いまは失われてしまった大連の日本文化、その跡を見てみたい。また「坂の上の雲」の時代、先祖が勝ち取ったものをこの目で確認しておきたい。
初秋の三連休を利用して行ってきた。

旅のテーマは次の二つだ。
■大連の日本統治時代の姿を垣間見る
■旅順の戦跡をみて、昔日を想う

【参考データ】
往路便
 2017年9月16日(土) 関西国際空港10時10分発NH945便、大連行き
復路便
 2017年9月18日(月) 大連周水子国際空港14時15分発NH946便、関西国際空港行き

香港宿泊先:InterContinental Dalian(大連中遠海運洲際酒店:2泊)


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・風格あるヤマトホテルは素晴らしい!


■2017年9月16日(土) 大連行

台風18号の迫る朝7時10分、JR三ノ宮駅より関西国際空港行きバスに乗車。
三連休だけあってほぼ満席だ。

8時10分に空港へ到着。セルフチェックイン機は便利だが、これからはオンラインチェックインでも良いかも。
Wi-Fiモバイルルータの受け取りカウンターはすごい行列。割り込もうとするオバサンもいて、この世界の哀しみを思ったりした。
15分後に無事受領。実は初めてレンタルするのだが、中国旅行にはVPNルータは必須だ。

海外旅行保険はいつもの3千万円・5800円プランに加入。高いけど仕方がない。

85,305円を4,700元へ両替。今回は現金決済が多そうだし、余ったら11月の北京旅行に回せばよい。
丸善で立ち読みして文庫本を買ったら、時間が無くなってしまった。

9時38分に出国、のどあめとドラ焼き購入。
まぁ、ゲート103はすぐそこだし。バスで機体へ向かうが、10分も乗車するとは思わなかった。

雨足が強くなってきた。まぁ、台風はまだ九州だし、国際線には影響ないはずだが。

10時7分にボーディング。B7373-700は満席だし、狭い。
10時27分に離陸。今回は通路側の座席にした。
11時05分に昼食が配膳される。シーフードオムライス+白ワインはまぁまぁ。
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なんだ? 良く揺れるぞ。やはり台風の影響なんだろうな。

2時間のフライトを経て11時37分に大連周水子国際空港へ到着した。日本との時差は1時間だ。
前回の香港と違って入国審査は実にスムーズ。最速の11時50分に入国できた。
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市街中心部までは地下鉄を利用する。代金4元は良いのだが、自販機6台のうち使えるのは2台だけ? 中国らしいや。
空港のようなX線検査機に荷物を通すが、係員はおしゃべりに夢中。
11時58分に発車。
・驚いたことに、発車時の車内アナウンスに日本語が含まれている。
・若者から中年まで、スマホ、携帯ゲーム機に夢中だ。年配に席を譲る気配もなし。この光景、日本以上にひどいかも。
・座席はプラスチックだけでクッションなし。"硬座"とはよく言ったものだ。

12時29分、友好広場へ到着。
エスカレータには左右びっしりと立つのか。どちらかを空けるってことはしないんだな。

12時35分に地上へ出る。インターコンチネンタル・ホテルは目の前だ。
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少し早いが12時50分にチェックイン。19階からの景色は、う~ん、いま一つだ。
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VPNルータの設定をして……おお、西側世界の味方、Googleにつながった。これで一安心。
関西空港で買ったドラ焼きを食べて、さぁ、お散歩開始!


■中山広場を見て、歩く。

14時にホテルを出て中山路を東へ歩くこと10分、大連を代表する観光名所、中山広場に到着した。
銀行、旧大連警察署を通り過ごし、ロータリーを歩むと、おお、見えて来た。

大連賓館、満鉄直営の旧大連ヤマトホテルだ。
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中山広場を挟んで正対するは近代的な中国銀行大連分行、旧横浜正金銀行か。
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そのままロータリーに沿って反時計回りに歩く。

中国工商銀行、旧大連市役所。
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交通銀行、旧東洋拓殖大連支店
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中山広場を半周したところで、地下通路に潜り、中山広場の中心部へ渡ってみた。
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中山広場の中央にはこんなプレートが。
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共産党のスローガン。実態とのかい離に苦笑せざるをえないが、後で大連の至るところに掲げられていると知り、社会主義国家≒全体主義国家の怖さを垣間見る気分となる。
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横断歩道はあって無きが如く。歩行者より自動車の優先される社会のこと。自動車の切れ目を狙って集団で渡るしかない。

郵政局、旧関東通信局
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旧関東銀行が右側に見える
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■旧大連ヤマトホテル

中山広場を一周し、旧ヤマトホテルに戻ってきた。
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うん、美しい。
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細部まで美しい。
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ガイドブックやWEBによると、旧大連ヤマトホテルの内部を有料で見学させてくれるらしいが……。
閑散としたロビーの端にあるホテルのフロントに訊くと「10分から15分待て」とのこと。

しかたがない、待とう。
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大理石の床とシャデリアが見事だ。
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待つこと20分、フロントに尋ねると「ああ」と思い出し、ロビーにたむろしていた係員を呼ぶ。
「今日は団体が多くて忙しい」「本当は予約が必要」と拙い日本語の20代の女性の先導で、ひとりツアーが始まった。代金50元。

見学のメインとなるのは迎賓室。ここはいまでも大連市等の会議室として使われているらしく、かつては日本の首相も中国共産党政府首脳と会談したらしい。シャンデリアは本物の水晶、柱には金箔が塗布され、豪華絢爛。
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見学のもう一つのメインと言えるのが館蔵陳列室(資料室)だ。写真撮影は不可。地図や写真、ヤマトホテル運営時の食器などが展示されていたが、想像よりもショボかった。
旧満鉄時代の切子グラスが展示・5千円で販売されていた。高いが、買っておけばよかったと後悔している。

溥儀氏が満洲国皇帝に就任する前に宿泊した部屋が、当時のまま残されている(写真撮影禁止)。意外と狭い。天井の木組みなどは、なんでも奈良ホテルをモデルに設計された部屋らしく、現存するはこの部屋だけらしい。

15時15分~30分までの15分でツアーは終了。まぁこんなものか。


■旧満鉄調査部

中山広場より南東方面、魯迅路を延々と歩く。地球の歩き方によると世紀街に面して旧満鉄調査部があるはずだが……。
もしかして、この専門学校らしき建物がそうなのか?
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もったいないなぁ。

ところで、世紀街は路面電車201路の通りであり、ひっきりなしに新旧のトラムが走っていた。
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ここ大連で気付いたことのひとつに、「完全電動」と書かれたEVバスと電動バイクの多いことだ。香港では見かけなかったから、この地区特有のものだろうか。

■旧満鉄本部

旧満鉄調査部のまさに近傍に、その建物は廃墟となって残されていた。
旧満州鉄道本部だ。事前連絡すれば内部を見学できるようだが、今回は時間がないな。
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■旧横浜正金銀行

中山広場に戻って、ふたたびロータリーを巡る。旧横浜正金銀行も美麗な建築物だ。
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ところで、どこを探しても「雑誌」がない。日本のコンビニと違うのは、雑誌の類が置かれていないことだ。香港ではそんなことなかったのに。
同康街にある新華書店に入ったが、バッグを預けないといけないのには驚いた。ここにも「雑誌」はなかった。
探し方が悪かったのかな?

さて、次へ向かおうか。

■旧ロシア人街

友好広場から北上すると、旧日本橋郵便局が見えてくる。アール・デコの良い雰囲気だ。
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旧日本橋、勝手に名付けられた勝利橋を超えると、旧ロシア人街だ。ここは半ばテーマパーク、半ば土産物売り場。ロシア人の姿は見かけず、完全に中国人にとっての観光地になっている。
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旧東新鉄道汽船の本社ビル。このレプリカが下関に存在する。
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観光地にも共産党のスローガンが満載。たまらないな。
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近隣の日本人街を探すも、少し「それらしき建物」が残っているだけで、廃れてしまったようだ。
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上海路を南下し、ふたたび中山広場へ向かう。途中のローソンで水を2.5元で買う。ここにも雑誌は置かれていない。市の方針なんだろうな。

中山広場のライトアップはなかなかのものだ。
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17時50分、ホテルへ戻る。足が棒のようだ。

この地のインフラはひどい。街のシンボルである中山広場にしたって、8基あるエスカレータのうち、きちんと稼働しているのは2基だけ。あとは長期間放置されているようで、さび付いていた。最初から階段にしておけば良いのに。
駅の券売機も2台しか稼働していないし、歩道もガタガタだ。
愚痴を言っても始まらないか。途上国だし。

夕食はホテル3階の中華レストラン「"魚包"魚王子」で。食べ過ぎ(4品)、飲みすぎ(ビール1L)で400元チップ込みだ。
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それにしても、街中に共産党のスローガンが目についた。バナー、銀行のLED表示、建築物のポスター、等々。ベトナムも似たような感じだったが、より大規模にしたようだ。

明日は旅順だ。早めに就寝(と言っても24時)。

続きます。

2017年10月 1日 (日)

世界一周の誕生 園田英弘 [読書記]

アメリカ東海岸を極西、東アジアを極東とする平面の「世界」から、丸い「地球」へ。本書は、人々の世界観が実質的に変化した19世紀の半ばに焦点を当て、グローバリズムの軌跡とコミュニケーションの変容のプロセスを、鉄道、蒸気船、電信に着目して描写する。

・イギリスによるインド航路・東アジア航路の開設(p80)、アメリカによる大陸横断鉄道+太平洋航路の開発と、これに対抗するカナダ=イギリスの構図(p184)が面白い。結局は英米によって地球の丸さが現実のものとされたことになる。それにしても、イギリスのカリフォルニア領有、あるいはアメリカによるカナダの併合が実現していたら、いまごろの世界はどうなってただろうか。興味深い。

・長崎の石炭がここまで重宝されたとは知らなかった。

・1860年代のアメリカ人コフィン氏の西回りの世界一周の旅は興味深い。瀬戸内海の絶景はこのころから世界的な観光名所になっていたんだな(p134)。

グローバル化において、世界の共通のシステムと異質の文化が、とり少ないコンフリクトで折り合える調和点を模索する必要性(p213)は、その通り。
それにしても『米欧回覧実記』の事実上の著者、久米邦武のリアリストぶりには舌を巻く。世界的な変遷期、すなわち「地球の縮小化」(p17)の余波の中で生じたのが幕末・明治維新期の日本史であることが明確となり、興味深く書を閉じることができた。

世界一周の誕生 グローバリズムの起源
著者:園田英弘、文藝春秋・2003年7月発行
2017年9月30日読了

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2017年9月20日 (水)

世界を旅した女性たち D・ミドルトン [読書記]

淑女は家でおとなしくしていることが美徳とされた時代に、世界の辺境へと勇敢に旅立った7名の女性の軌跡を活写する。

■イザベラ・バード・ビショップ
日本でも著名なヴィクトリアン・レディ・トラベラー。1880年代からカメラを持ち歩き、ペルシャや中国の奥地・揚子江上流地域の写真を残したアグレッシブな女性だ。
ロング・スカートを翻して、コルセットを締め、どのような辺鄙な土地を行くにも「英国レディの装い」を忘れない彼女の気概には感動すら覚える。だが、蝦夷地でのアイヌとの心温まる交流が、彼女の帰国後の講演では"未開の野蛮人との接触"となるあたり、現代のグローバリズムとは一線を画す時代認識の差=帝国意識の顕現がみられるな。
・42歳にしてロッキー山脈の冒険を果たしたバード。男のように馬にまたがり山を駆け、バンガローに泊まり、ウエスタンの荒くれ男たちと邂逅し、「友情と愛をへだてる微妙な、そして喜びに満ちた境界」(p72)に足を踏み入れ、嵐のような熱情さえも超越した思いで、北アメリカの分水嶺に立つ。ダイナミックだ。
・彼女には立派な『日本奥地紀行』があるというのに、本書では日本に関する記述が極端に少ない。また1894年の日清戦争を指して「ソウルに日本軍が侵略してきた」(p123)とあるのはどうなのか。
・晩年のカシミール行。そしてバグダッド、テヘラン、イスファファンへの旅はエネルギッシュな功績だ。

■ファニー・バロック・ワークマン
ロングドレスに身を包み、頭には豪華な花飾りのハットではなく、探検家の被るトビー帽。このユニークなスタイルで自転車に乗り、19世紀末のインドと北アフリカを疾走したアメリカ人女性がいたという。
・アジャンタ、エローラ、タージ・マハル。インドの巨大建築物を写真に撮り、記録し、評価する喜び。そしてカシミール地方ではスリナガルからラダックを抜けてカラコルム峠に達する力量。想像するだけでも満足感の高い旅だっただろう。
・1899年のスルナガル。彼女の記録にこうある。「毎年、雪解けのたびに古代からの作品を自然が新たによみがえらせる。……昔のカシミールのデザイナーの東洋的な想像力をもって見るべきなのだ」(p208) 僕も2007年に訪れたことがあるのでよくわかるぞ。
・1911年にはシアチェン氷河を探検し、専門的な地図の作製に貢献するなど、最大の成功を収める。カラコルム山脈で『女性に参政権を』のプラカードを掲げて写真に納まる姿はファニーだ(p222)。

■メアリ・キングズリ
著名な家族と医師を父に持つレディ・トラベラー、メアリ・キングズリ。帝国主義の先兵である軍人や宣教師ですら未踏の西アフリカの奥地へ足を踏み入れ、学術的にも重要な役割を果たし、その旅行記『西アフリカの旅』で著名人となった女性だ。
・厚いロングスカート、ハイネックのブラウス、頭にはボンネットのスタイルでジャングルを歩き、大河をカヌーで上る。この「良質の分厚い生地のスカート」が、獣捕獲用の杭穴に落下した際に一命をとりとめる要因となるのだから、何が幸いするかわからない(p392)。
・4人のアジュンバ族と共にカヌーでランブエ川を溯り、人食い族として恐れられたファン族の村を訪れ、現地の粗末な小屋に熟睡する。異臭に気づき「頭の上からぶら下がっている袋」の中身を自分の帽子の中に開けると、「足のつま先と目と耳が数個」……(p394)。知的好奇心がすべての感情に打ち克つことを実証する彼女には、部族民も敬意を隠さない。
・危険と困難がもはや挑戦ではなく、一種の中毒(p412)となる。これは冒険者の宿命なのだろうか。
・イギリスにもどってからの彼女は学会で活躍した後、ボーア戦争に看護師として従軍する。戦地で腸チフスにかかって37歳でこの世を去り、水葬されたとある。太く、満足度の高い人生だったろう。

東アフリカを旅したメイ・フレンチ・シェルドンが出立の際に、チャリング・クロス駅である男性から贈られた言葉が印象に残った(235)。
「たとえどんな犠牲を払わねばならないにしても、その仕事にのめりこまないかぎり、何もなしとげられない」
「一生懸命やって失敗しても、それでおしまいになるわけではない」
ん、勇気づけられたぞ。


Victorian Lady Travellers
世界を旅した女性たち ヴィクトリア朝レディ・トラベラー物語
著者:Dorothy MIDDLETON、佐藤知津子(訳)、八坂書房・2002年10月発行
2017年9月15日読了

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2017年9月 3日 (日)

BMW 330e Celebration Edition 法定1年点検

早いもので、購入してもう1年か。特に悪いところもなく快調だが、オイルとワイパーは交換した。
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エンジンフードのカバーを外したところ。4本のプラグが見える。
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ステアリングコントロール。昔と違って電動なんだな。
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これがPHEV車のバッテリーとモーターを接続する電源ケーブル。最大電圧400V。
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シャーシ後方左に制御装置があるとは知らなかった。「防水なので冠水しても大丈夫」らしいが、ぶつけないように気を付けないとね。
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19インチホイールはBMW Individual Vスポーク・スタイリング、255/35R19。交換費用のことは、いまは考えないでおこう。
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カーナビのデータも更新したし、さぁ、また乗るぞ!

2017年9月 1日 (金)

2017年8月 世界遺産・五箇山合掌造り集落と城端の旅 その2 [男ひとり旅の美学]

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・城端 今町通り、旧野村家の土蔵群


■2017年8月27日(日) さようなら、五箇山集落

5時30分起床。朝食は質素だが山の風味あり。こごみの胡麻和えが美味だった。

7時20分チェックアウト。また来たいです。

早朝の集落の光景はすがすがしい。
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7時48分、世界遺産バスに乗って、昨日と逆のルートを進む(730円)。
8時10分、JR城端駅前に到着。
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コインロッカーにキャリーケースを預ける(500円)。
慌てなくて良いよう、金沢までの切符を買っておこう。自販機はなく窓口購入か。1,400円なり。

■城端の街をおさんぽ

許可を得て、ホームの光景を撮影させてもらった。
(サクラクエスト1話の場面ね。)
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8時20分、観光開始。
城端橋を超えて、市街中心部へ向かう。

四方を山に囲まれた土地。冬は冠雪で綺麗なんだろうなぁ。
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あれれ? どのカフェも喫茶店も開いていないぞ。観光地じゃないのか?

旧野村家の土蔵群は絵になる。
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善徳寺。この寺を中心に町が出来上がっていったそうな。
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川島地区の機織り工場。良い雰囲気です。
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こういった土蔵が数か所存在し、地区ごとの「曳山」が保存されているらしい。
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■曳山会館

9時オープンなので入場(JAF割引410円)。
曳山の展示が圧巻だ。
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会館内の土蔵には城端地区の歴史・文化が収れんされている
・1500年代に寺を誘致して村が拡大し、その後、一向一揆の拠点となる。
・「城の鼻」→「城の端」→「城端」か。なるほど。

55分間の鑑賞は終了。お茶のサービスが嬉しいな(3杯もすみません)。

井波屋でどらやき(車輪焼き)1個を求める。お茶もサービスしていただいた。

■じょうはな織館

織機や実演を見たかったんだが、日曜はやっていないみたい。いま一つ。
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まぁこれを見られたから良いか。
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駅へ向かう途中、カフェANGOでシュークリームとコーヒーで一服。


■桜ヶ池へ

11時7分、城端駅前より城端さくら線「なんバス」に乗車。
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11時20分に桜ヶ池クアガーデンバス停に到着。ここは城端サービスエリアに隣接し、人出も多い。

南砺市クリエイタープラザ・桜クリエ内のカフェ・トリアンで「間の山観光協会出張PR」「サクラクエスト月替わり原画展」が開催されていた。
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よろこぶそうめん(納豆入り)。味はまぁまぁ。
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桜ヶ池を散策。兵庫県立明石公園の「剛ノ池」とは印象がずいぶん異なる。四方を山に囲まれているからかな?
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桜ヶ池神社
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「ヨッテカーレ城端」でお土産を購入。城端ビール(エール)は変わった味だった。

■旅の締めは寿司でしょう。

13時18分、バスで街中(善徳寺前)へ戻る。公共交通機関の便の少なさには困ったものだな。

井波屋でお土産を購入し、今町通りを散策。
寿司屋「寿司惠」に入店。ビールと蟹、雲丹、烏賊などを愉しむ。
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14時22分、JR城端線で高岡へ。このディーゼルさんは各駅停車か……しかも単線だから駅での対向車待ちもあり、時間がかかった。55分後に高岡駅到着。
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あいの風とやま鉄道/IRいしかわ鉄道に乗る。15:32高岡駅発~16:10金沢駅到着。
金沢駅でお土産とお弁当を買う。

時計を見ると……16時25分?
特急サンダーバード36号大阪行きは16時29分に出発です。改札口へダッシュ!!

滑り込みで乗車できた。あぶないなぁ。
サンダーバード号のG車は、復路は5番、7番などの座席が良いようだ(窓が大きい)。

夕方の琵琶湖は、朝とはまた違った姿を愉しませてくれる(ような気がする)。
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この「おこめキッチン・あんやと弁当」は美味だ。
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19時:16分、新大阪駅に到着。新快速で家路へ。今回の旅は乗車時間多し。疲れました。

最後まで拙文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

2017年8月31日 (木)

2017年8月 世界遺産・五箇山合掌造り集落と城端の旅 その1 [男ひとり旅の美学]

世界遺産・五箇山の合掌造り集落。前々から気になっていたので、思いきって出向くことにした。
そして「サクラクエスト」と「true tears」の舞台である城端(ジョウハナ)を歩くのだ。

【参考データ】
2017/8/26土
特急サンダーバード9号 大阪8:40発~金沢11:14着
IRいしかわ鉄道/あいの風とやま鉄道 金沢12:07発~高岡12:47着
ベル・モンターニュ・エ・メール53号 高岡13:08発~城端13:55着
世界遺産バス 城端14:15発~相倉口14:38着

2017/8/27日
世界遺産バス 相倉口7:45発~城端8:15着
JR城端14:22~高岡15:17着
あいの風とやま鉄道/IRいしかわ鉄道 高岡15:32発~金沢16:10着
特急サンダーバード36号 金沢16:29発~新大阪19:16着

宿泊先:民宿 長ヨ門(五箇山、1泊)


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・世界遺産・五箇山 相倉合掌造り集落


■2017年8月26日(土) 倶利伽羅峠を超えて

8時の大阪駅は、やはり人が多い。時間があるので駅中カフェでコーヒーを一杯。
特急サンダーバードに車内販売はないので、サンドウィッチとJAVAティー、カフェラテを買っておく。
8時40分、サンダーバード9号はスムーズに発車。2時間30分の列車旅が始まる。
グリーン車は広々として快適だ。スマホも充電できるし。
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車内販売は無いくせに、検札はしっかりやるんだ。
寝不足で体がだるくて足も痛いが、何のその。

9時30分頃、近江舞子駅を通過。車窓より琵琶湖の眺望を愉しむ。晴れて良かった。
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10時に北陸へ入った。敦賀駅だ。しばらくすると長いトンネルを超えて、福井に停車。

11時14分、金沢駅へ到着。
昼食は駅構内の蕎麦屋「白山そば」のざるそば(520円)を。この店は金沢駅構内で60年以上も営業しているそうな。

金沢駅のシンボル、鼓門は良いな。
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次の列車の切符を買う。第三セクター線なので、JR西日本では購入できなかったのだ。
倶利伽羅峠を経由して、高岡駅まで820円か。

12時7分、IRいしかわ鉄道の電車は金沢駅を出発。なんと二両編成だ。立ち客も結構多い。早めに並んで正解だったかな。

だんだん山深くなる単線を走るは楽し。倶利伽羅峠を超えるのは初めてだ。

12時47分、高岡駅に到着。大きな駅だな。


■べるもんた53号

城端線のホームに移り、観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール53号」を待つ。JR西日本の窓口で満席と言われて、その夜のe5489でなんとか座席を確保できたのだ。

12時55分頃、べるもんた号がホームに滑り込んできた。
なるほど、絵になるな。
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13時8分、ほとんど空席のまま高岡駅を出発。僕はボックス席に着座。
……新高岡駅でドッと乗り込んできて、ほぼ満席となった。

たった一両に運転手、車掌、寿司職人と販売員、井波法被を着用の2名の女性解説員の総勢6人のクルーだ。
このべるもんた号、数年前に期間限定で試行運用したところ好評なので、継続運用になったとのこと。

砺波市の光景。心和むな。
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立山連峰は……う~ん、雲でかすんで良く見えないや。

13時55分、城端駅へ到着。楽しい解説と唄のおかげで、あっという間の40分だった。


■世界遺産バス

JR城端駅は良い雰囲気だ。
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高岡駅~五箇山~白川郷を結ぶ世界遺産バスを待つ間、駅構内の観光案内所へ。
true tearsのサイン入りパネルや台本、関連書籍が置かれている。

南砺市営「なんバス」。明石市営「たこバス」みたいな地域密着型バスかな。これには明日乗車することになる。
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そして1台の大型バスがやってきた。料金後払いの730円。
14時15分、世界遺産バスは城端駅を後にした。

延々と山道を行き、眼下には遥かな山間の光景が拡がる。本当に山の集落へ行くことを実感させてくれる。
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■世界遺産・五箇山 相倉合掌造り集落

山道をゆっくり進むこと35分、14時40分に五箇山・相倉口(アイノクラクチ)バス停に到着した。
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さて、どうやって行けば良いのだ?

第2駐車場を超えると歩道が現われる。森林浴をしつつ、キャリーケースを転がして歩くこと5~6分で、集落の入り口に到着した。
これ、わかりにくいぞ。特に外国人には。
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暑いので、たまらずソフトクリームを求めてしまった(相倉屋)。美味い。

観光案内所(無人)の外側のケースに、案内地図が置かれていた。これは助かる。

そのまま歩むと、合掌造りの建物が現われる。
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うん、良い感じだ。
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宿にチェックインして荷物を置き、お茶と菓子でとりあえず一服。
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15時10分、お散歩開始。集落は想像以上に小さかった。
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・相倉民俗館
合掌造りとはどのようなものかを把握できる小博物館。
アマ(2F)、ソラアマ(3F)へも上ることができ、伝統的な生活道具、農機具などが展示されていた。
そうか、縄は囲炉裏の煙によって強化されるのか。
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・相倉伝統産業館
昭和に入っての生活道具、電化製品、養蚕、製紙道具などが展示されていた。
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これはお盆に祖先の霊を呼ぶ「きりこ」
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相倉集落の全景撮影スポットへ。集落を見渡すとこんな感じ。
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暗黙の了解なのか、17時には観光終了となるみたいだ。


■民宿 長ヨ門

民宿への宿泊なんて数十年ぶりだ。それが合掌造りなんだからたまらない。
近年では、外国人観光客が日本人を上回るとのこと。
僕もBooking.comで予約した身だし、さもありなん。
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寝室は畳敷き。
お風呂場は、民家のものを広くしたような感じ。
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夕食は18時30分から。同宿の日本人ファミリーと囲炉裏を囲みます。こういうのも悪くない。
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イワナの塩焼きが実に美味。鯉の刺身は濃厚な味。豆の天ぷらも良し。

この合掌造り、天井の太く曲がったはりが特徴だ。チョンナバリというらしい。
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外は真っ暗。そう言えば電灯もなかったような気がする、

夜は、せっかくなので虫の声色に耳を澄ませて、自然のままに寝入ります(まだ21時だ)。

ZZZ……(続きます。)

2017年8月30日 (水)

ラ・ジャポネーズ キク・ヤマタの一生 矢島翆[読書記]

フランス・リヨンに生を受けた日本人外交官の娘にしてフランス語の作家、山田菊。晩年にフランスの国家勲章、レジヨン・ドヌールを叙勲されたにも関わらず、日本ではほとんど知名度がなく、その作品の邦訳もなされていない悲運の女性だ。
本書は、戦間期パリ文壇サロンで"ラ・ジャポネーズ"と呼ばれた若き日の活躍、第二次世界大戦中の日本での苦難の日々、戦後フランスでの二度目の開花と、その栄冠と比べてあまりにも暗い晩年までを丹念に掘り下げた、ある日本人女性の記録である。

・フランス語で思考して話して暮らし、父の影響を受けてカソリックに帰依せずに"個人の生き方"を貫いて育ったキクにとって、帰朝したその目に映った祖国日本の姿は「異星」のようであった。フランス人の母の意志により、群れることに幸福を見出す大衆とは一線を画し、山田一家とその娘はあくまでもフランス流の生活を続ける。
・家庭の事情。16歳からAP通信社にアシスタントとして勤務したキクは、文筆の魅力にひかれる。フランスの通信誌に自分の文章が掲載された喜びはいかほどのものだっただろう。
・早すぎる父の死。1923年のパリへの出発。2年後の著書『Masako』が評判を呼び、キクは一躍文壇サロンの華となる。作家としての講演、日本舞踊の披露、生け花教室の師匠として「ラ・ジャポネーズ」はフランス各地を駆け巡る。
・戦争は個人の人生を破壊する。中国における日本の振る舞いは彼女を「戦争キク」と呼ばせる。失意のうちの帰国は、さらに彼女を打ちのめす。フランス語しか話せない敵性人物。戦前の著作物からスパイ容疑で収監される日々。変わるスイス人の夫……。日本の敗戦こそ、彼女にとって朗報だったに違いない。
・戦後のフランスは、ふたたび彼女を受け入れる。売れたのは大衆向けの『三人のゲイシャ』だったにせよ、亡き母をモデルにした『神無月』の完成度の高さはフランス出版界を唸らせた。そして日本婦人初のレジヨン・ドヌールの叙勲。
・国際交流の発展、特に日本とフランスのそれは、かつて日本文化を媒介したキクの役割に終わりを告げる。過去の作家となったキクと売れない画家である夫の二人に、生活苦がのしかかる。そして、痴呆の発症……。

日本人の生活の細やかな肌ざわりを知り、それをフランス的なものの考え方でで紹介し、「フランス人にとっての日本」を体現したといっても過言ではないキクの人生。晩年はあまりにも辛いが、その華やかな名声こそ、広範囲に日本に伝えられてしかるべきである。

ラ・ジャポネーズ キク・ヤマタの一生
著者:矢島翆、筑摩書房・1990年12月発行
2017年8月29日読了

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2017年8月21日 (月)

2017年7月 函館の旅 その2 [男ひとり旅の美学・番外編]

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旧函館区公会堂


2017年7月18日(火)

ホテル「望楼NOGUCHI函館」の部屋からの眺望はこんな感じ。函館山が見える。
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朝食。トマトジュースが絶品でした。
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ホテルの庭園とロビーはこんな感じ。実に居心地が良い。
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■大沼公園へ

9時45分出発。自動車専用道路を突っ走り、10時55分に大沼国定公園に到着した。
駐車場400円。

まずは15分コースを小手調べ。(大島の路)
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名曲『千の風になって』誕生モニュメント
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遊覧船に乗って小島を巡ります(990円)。大沼湖、波高し。
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ここにある126もの島は、元は駒ヶ岳の噴火による溶岩。冷えて草木が密生したらしい。
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鴨がかわいいぞ。冬は彼らの滑る姿が見られるそうな。
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少し歩いた場所にあるWALDでランチ。
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午後は50分コースにチャレンジ。(島巡りの路)
天候の回復による駒ヶ岳の眺望を期待したが、雲が邪魔して見られずじまい。おまけに時間が押してしまい、夕方の元町散策時間が圧迫されることに。トホホ……。
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15時25分、大沼公園を出発。すっかり遅くなってしまった。。。

■哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」

国道278号線・大森海岸沿いにある。昨日、通りすがりに目にして、気になっていたのだ。
1階は土方歳三と幕末関連資料、2階は石川啄木と明治~昭和初期の函館に関する資料を展示している。
特に良かったのは1階。新選組、西洋との邂逅、刀剣、土方歳三最期の鎧、戊辰戦争、開陽丸……幕末浪漫に満ち満ちていた。
1時間もいてしまった……。
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■元町を巡ります。

すっかり遅くなってしまった。摩周丸の雄姿を眺めて、ベイエリアをスキップして元町へ向かう。

旧函館区公会堂
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元町公園~旧イギリス領事館
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八幡坂
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18時40分、観光終了。
やはり、神戸に似ているなぁ。

ホテルに戻ります。グルメもまた楽し。
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2017年7月19日(水)

この光景も見納めか……。
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ホテルからは、函館空港も見えるんです。
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■神戸へ戻ります。

レンタカーを返却。ちょうど100km走ったことになる。
函館空港でお土産を買い込む。
政府の偉い人が出発したのか、背広と20人以上の自衛官が敬礼していた。

で、プレミアムクラス専用のラウンジを探すが……ない! 函館空港にはANAラウンジがないのか、ぬかったぞ。
しかたがないから、ロビーで時間を潰す。

11時35分に搭乗。白ワインと昼食をいただく。
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このプレミアムシートは快適だし、窓外の北海道的な景色も実に良い。
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13時22分に伊丹空港へ到着。大阪城が良く見えた。
少しは親孝行になったかな?

次は登別温泉か、トマムへ行ってみたいなぁ。

駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

2017年8月20日 (日)

2017年7月 函館の旅 その1 [男ひとり旅の美学・番外編]

函館。神戸とはまた違った雰囲気の港町らしいので、前から気になっていたのだ。
函館山からの眺望も楽しみだ。

【参考データ】
往路便
 2017/7/17月 伊丹空港9時15分発ANA745便、函館空港行き
復路便
 2016/7/19水 函館空港11時25分発ANA746便、伊丹空港行き
宿泊先
 望楼NOGUCHI函館(湯の川温泉・2泊)


■実は、母を連れての親孝行旅なんです。

2017年7月17日(月)

4時50分起床。キャリーバッグを転がして駅まで歩く。散歩している人が結構多い。
母と肩を並べて歩くのは、何十年ぶりだろう。
7時10分、三ノ宮駅より伊丹空港へ向かうバスに乗る。
関空バス便と違って往復割引はないんだな。
7時45分、伊丹空港着。名称が大阪"国際"空港のままなのが哀しい。
時間があるので屋上展望台を試したが、暑いだけだった。
9時10分、搭乗開始。ANA745便はボーイング737-800だし、狭い。

9時25分テイクオフ。機内でガイドブック「ことりっぷ 函館」を読む。
この若い女性向けのガイドブック、実は使いやすくて愛用しています。

10時45分、函館空港に到着。晴れて良かった。
レンタカーを借りて、さぁ出発。……慣れない日本車と函館独特の道路の運転に戸惑う。なにせ、大きな市電が真横を通るものだから、気を抜けないぞ。

今回は旅のテーマを決めていない。のんびりと函館の雰囲気を愉しむのだ。


■五稜郭。幕末ロマンって良いなぁ。

11時30分、五稜郭タワーへ到着。平日だから空いているぞ。展望台の代金900円は高いな。
でも、この景色なら納得か!
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土方歳三。後で写真を拝見したところ、もっと、こう、イケメンでした。
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正面に見えるは函館山だ。
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エレベータの中も工夫されており、本州と異なる「函館に来た」って感じにさせてくれた。
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昼食です。創業80年を超える老舗店、五稜郭タワーすぐ横の「麺厨房あじさい」で塩ラーメンを試す。「おいしさの秘密は道南産昆布ダシのスープ」だそうで、並んだだけあって、実に美味い!
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食事を終えて外へ。外は暑……くない。函館、涼しくて快適だ!

歩いて五稜郭城内へ。もらったポストカードによると、ここは「幕末の見果てぬ夢の象徴」だそうで。
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ここには旧箱舘奉行所が復元されている。リーフレットによると、1854年の日米和親条約によって箱館と下田が開港し、奉行所が置かれたとある。西欧の城塞都市をモデルに日本人技師が設計した城郭が、すなわち五稜郭か。
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72畳の大広間は圧巻だ。
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表座敷。お奉行様の部屋だな。
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函館タワーに戻って休息。ソフトクリームは美味。

■函館山へ!

市街中心部へ移動。元町界隈を散策するつもりだったが、快晴なので一転、山頂を目指すことにした。

駐車場は……ロープウェイ利用者専用の無料駐車場あり。実にありがたい。

ロープウェイの代金は往復1280円。これを超える価値がここにはあった。
なるほど、支柱は無いんだな。
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津軽海峡! 夜景も綺麗かもしれないが、この陽光の下での光景こそ、僕のお気に入りだ。
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向かって左は函館湾だ。
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■想像を超える絶景に満足し、湯の川温泉へ向かいます。

車でわずか15分。津軽海峡沿い(国道278号線・大森海岸)を走って山側へ入ると、そこは湯の川温泉郷だ。今回は奮発して良いホテルにした。
かけ流し温泉付きの部屋だ。
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夕食は18時30分から和洋食のフルコース。部屋ごとに専用の食事室が用意されているのか!
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お腹いっぱいで、続きます。

2017年8月19日 (土)

無差別テロ 金惠京 [読書記]

法の外にある集団、あるいは国家の支援によるテロリズムをどう規制し、対処するべきなのか。
20世紀のテロリズムはわかりやすかった。政治的要求によるハイジャック、シージャック、企業を狙った爆弾テロ等に対し、国際社会は都度、対抗策を練ってきたし、いまでは主要先進国でその種のテロの発生する確率は格段に低いものとなっている。
無差別テロ。21世紀初頭の911同時多発テロを含め、2015年のパリ同時多発テロに至るまで、一般市民を狙う卑怯な国際的犯罪は規模を増すばかりである。

本書は、「国際社会は何を基盤として、テロに対処すべきかの岐路に立っている」(p195)として、安易に国家暴力=軍事力に頼ることなく、これまで人類が積み重ねて来た人道・人権の理念を踏まえつつ、知性と規範(p189)を持ち、国際法を整備して無差別テロに対処するべきであることを示す。

・いったい、テロリズムとは何であろうか。平時における無差別殺人(p43)。政治的目的追求のための、一般市民へ恐怖心と心理的衝撃(p163)を与える手段……。恐怖をもって対象となり組織や政府の方針を変えること(p6)。では、国際的な定義はどうか。著者はテロ資金供与防止条約の第二条第一項が近いとする。長いがここに引用しよう。「文民又はその他の者であって武力紛争の状況における敵対行為に直接に参加しないものの死又は身体の重大な障害を引き起こすことを意図する他の行為。ただし、当該行為の目的が、その性質上又は状況上、住民を威嚇し又は何らかの行為を行うこと若しくは行わないことを政府若しくは国際機関に対して強要すること」(p148)とある。要するに、軍隊が関与せず、刑法犯罪に含まれない政治性を持つ暴力行為(p178)ってことか。

・原発テロ(一部の電気系統に故障を起こさせるだけで良い)、サイバーテロ(技術のイタチごっこ)、バイオテロ・化学テロ。すぐに起こり得る、これらのテロに対し、会議を開く余裕はない。法体制も追いついておらず、現場レベルの判断が重要であると著者は説く(p20)。とすると、非常時の権限の委譲をどうするのか、平常時から決めておかないといけないな。

・オウム真理教(オウムの会、オウム神仙の会)。国内では特異な宗教団体とされがちだが、国際的にはアルカイダなどと同様、多数の高学歴保持者を擁する、政治的意図の高いテロリズム集団として捉えられている(p37)。

・無差別テロは悪であるが、それへの対応は必ずしも善ではない。暴力の連鎖は次なる悲劇を生み、被害者は決まって無辜の市民である。犠牲者の補償をどうするのかも重要であるが、日本では被害者はメディアや政治に利用される面が大きく、欧米に比べて十分な補償が行われていないことが示される(p49、第2章)。

・オサマ・ビンラディン殺害のニュースは衝撃的だった。だが主権国家パキスタンの国土に無断で特殊部隊を送り込み、事後にパキスタン政府へ通達するなど、米国の行動は超法規的であったとされる。「テロ対策」を名目に軍事大国のどんな行動も許容される世界が出現しつつある。法の支配を基盤とする民主主義への打撃(p85)である。

第5章「テロの定義確立を目指す国際社会」が秀逸。1996年にインドより国連総会に提起された「国際テロリズムに関する包括的条約案」は、締結されれば素晴らしい効果を発揮するであろうが、その実現には困難を伴うことが解説される。条約の適用範囲、国家テロと国家支援テロの扱い、民族解放闘争とテロとの相違政治犯の扱いについて先進国と主にイスラム諸国の意見対立が影を落とすが、何より「テロの定義」に関する議論が重要とされている。著者が繰り返し主張するように、なるほど、これを規定しないと、これまでのように「法の継ぎ足し」の繰り返しとなってしまう。
民族解放闘争とテロリズムの区別についても本書p158~161に明記される。権力側による恣意的なテロの定義を防ぐためにも、包括法の成立が望まれる。
ゲリラ(交戦権が認められている)との類似性と本質的な差異も参考になった(p163)。

ただ、本書では国家テロを包括的なテロ対策の範囲から外すことを示しているが、北朝鮮、ロシアの関与が取りざたされている大規模なサイバー攻撃、中共によるウイグル族・チベット族の無差別殺戮、ロシア政府の関与が疑われる核物質による元情報工作員の殺害といった事案こそ、広範囲の無差別テロに含まれると思う。
その意味で、人権条約と絡めての法案の議論が望ましいと、素人的に考える。

無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか
著者:金惠京、岩波書店・2016年1月発行
2017年8月19日読了

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2017年8月14日 (月)

英連邦 小川浩之 [読書記]

加盟国数54、総人口20億人の規模を有する英連邦、(ブリティッシュ)コモンウェルス。それはイギリス国王を首長または象徴として受け入れる国家間の自由な連合体であり、「大使」ではなく相互に「高等弁務官」を派遣しあう、相互に「外国ではない存在」。このような、主権国家からなる近代国際体系から逸脱したシステムが、この21世紀においてもイギリスを中心に存在し続けるという事実は、とても興味深い。

・「諸民族の家族の多様性と統一」(p11)植民地会議にルーツを持ち、20世紀初頭の帝国会議から英連邦首相会議を経て、現在の2年おきに開催される英連邦首脳会議へと引き継がれる。当初、それは自由主義・自由貿易や民主主義の価値観を保ちつつ、イギリスにとって「より持続的かつ安価に帝国の一体性を維持していくための手段」として考案され(p28)、白人定住植民地の自治領が形成されることとなる。

・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと言った白人自治領は、イギリスのパートナーとしての自覚を持ち、帝国の強化・拡大に貢献する(p31)。それは本国よりも厳しい人種差別的な制度を有するものであった(白豪主義 p41)。

・第一次世界大戦は、自治領全体で100万人を超える兵員の供給、イギリスへの食料供給等を通じ、イギリスとのパートナーシップを強化するだけでなく、自治領の独立を促進し、国際的役割を増進させた。ヴェルサイユ条約の発効によって発足した国際連盟にはイギリスだけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの各自治領が、英領インド帝国とともに、原加盟国として加わった(p62)。このとき、帝国の内部だけでなく「世界においても独立である」と表現した南アフリカのスマッツ将軍が、「英連邦」の表現を用いたとされる(p62)。そのスマッツ将軍の像が、マンデラ元大統領とともにロンドンのパーラメント・スクエアに立ち、広場と街を睥睨している(p229)。

・カナダ自治領政府がワシントン(1926年)、パリ(1928年)に続き1929年に東京に公使館を開設たことは興味深い。すでにオタワに日本大使館(1928年)が開設されており、イギリス本国とは別に自治領政府と外交関係を樹立したことになる(p68)

・バルフォア報告書(1926年帝国会議)とウェストミンスター憲章(1931年)にて「王冠への共通の忠誠」「内政・対外政策両面での相互平等性」が確認され、イギリス本国と六つの自治領の対等な地位が法的に承認された(p71、74)。

・ナチス・ドイツに対する悪名高いイギリスの宥和政策。その背景に、イギリス本国の財政難と軍備拡充の遅れ、市民の平和志向、孤立主義を取るアメリカへの不信感に加え、帝国と英連邦を重視する伝統的な戦略思考があったとされる(p92)。日独伊が直接、イギリスの権益を脅さない限り、大規模戦争を回避する、と。なるほど、一国ではなく帝国ブロックで考えると、その「無行動」にも納得できるものがあるな。そして「対日戦争」はその捕虜問題(p110)が根深く尾を引き、戦後、特にオーストラリアとの厳しい関係が続くことになる。

・レスター・ピアソン氏。カナダの外相と首相を務めたこの人物は、国際連合・PKOの分野で名高いが、戦後の英連邦の運営においても特筆すべき実績を残していたとは知らなかった(p125インド共和国の英連邦残留問題、p165スエズ戦争からの撤退)。傑出した人物が世界システムを支える、その実例だな。

・帝国記念日=英連邦記念日が、1977年まで5月24日、すなわちヴィクトリア女王の誕生日に定められ、加盟国各地で記念行事が催されていたことは興味深い(p178、現在は3月の第二月曜日)。

・1965年には英連邦事務局が設立され、英連邦各地出身のSecretary-General事務局長も就任する(p199)。ローデシア問題、ベトナム戦争、スエズ以東からの英軍撤退、南アフリカ問題、インド-パキスタン戦争とバングラディシュ独立、グローバリズムの深化、途上国の経済・社会問題などに当たる英連邦の姿は、まるで活性化したUnited Nations国際連合のようであり、その役割の重複と違いが気になる。

国連他の国際機関と比べた英連邦の特徴も、本書に提示されている。すなわち、歴史や文化、言語、そのほかの様々な法的・社会的制度の共有を背景に相互の協力を推進しようとする、その姿である(p251)。
「白人の植民地帝国を人種の英連邦へと変化させる過程」について、「人類の歴史上、これ以上に崇高な変化は記録されていない」と、英労働党は1964年総選挙のマニフェストに提示した。
ときに機能不全に陥る無力な国連などと異なり、英連邦は国際的な存在感の低下を露呈しつつも、その影響力を駆使してきた。それはイギリスの大国意識と、欧州に限定されない世界的な関与への志向を支え続けている(p259)。この、旧日本帝國との大きな差異には、羨望を禁じ得ない。

英連邦 王冠への忠誠と自由な連合
著者:小川浩之、中央公論新社・2012年7月発行
2017年8月13日読了

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