2017年8月20日 (日)

2017年7月 函館の旅 その1 [男ひとり旅の美学・番外編]

函館。神戸とはまた違った雰囲気の港町らしいので、前から気になっていたのだ。
函館山からの眺望も楽しみだ。

【参考データ】
往路便
 2017/7/17月 伊丹空港9時15分発ANA745便、函館空港行き
復路便
 2016/7/19水 函館空港11時25分発ANA746便、伊丹空港行き
宿泊先
 望楼NOGUCHI函館(湯の川温泉・2泊)


■実は、母を連れての親孝行旅なんです。

2017年7月17日(月)

4時50分起床。キャリーバッグを転がして駅まで歩く。散歩している人が結構多い。
母と肩を並べて歩くのは、何十年ぶりだろう。
7時10分、三ノ宮駅より伊丹空港へ向かうバスに乗る。
関空バス便と違って往復割引はないんだな。
7時45分、伊丹空港着。名称が大阪"国際"空港のままなのが哀しい。
時間があるので屋上展望台を試したが、暑いだけだった。
9時10分、搭乗開始。ANA745便はボーイング737-800だし、狭い。

9時25分テイクオフ。機内でガイドブック「ことりっぷ 函館」を読む。
この若い女性向けのガイドブック、実は使いやすくて愛用しています。

10時45分、函館空港に到着。晴れて良かった。
レンタカーを借りて、さぁ出発。……慣れない日本車と函館独特の道路の運転に戸惑う。なにせ、大きな市電が真横を通るものだから、気を抜けないぞ。

今回は旅のテーマを決めていない。のんびりと函館の雰囲気を愉しむのだ。


■五稜郭。幕末ロマンって良いなぁ。

11時30分、五稜郭タワーへ到着。平日だから空いているぞ。展望台の代金900円は高いな。
でも、この景色なら納得か!
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土方歳三。後で写真を拝見したところ、もっと、こう、イケメンでした。
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正面に見えるは函館山だ。
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エレベータの中も工夫されており、本州と異なる「函館に来た」って感じにさせてくれた。
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昼食です。創業80年を超える老舗店、五稜郭タワーすぐ横の「麺厨房あじさい」で塩ラーメンを試す。「おいしさの秘密は道南産昆布ダシのスープ」だそうで、並んだだけあって、実に美味い!
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食事を終えて外へ。外は暑……くない。函館、涼しくて快適だ!

歩いて五稜郭城内へ。もらったポストカードによると、ここは「幕末の見果てぬ夢の象徴」だそうで。
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ここには旧箱舘奉行所が復元されている。リーフレットによると、1854年の日米和親条約によって箱館と下田が開港し、奉行所が置かれたとある。西欧の城塞都市をモデルに日本人技師が設計した城郭が、すなわち五稜郭か。
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72畳の大広間は圧巻だ。
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表座敷。お奉行様の部屋だな。
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函館タワーに戻って休息。ソフトクリームは美味。

■函館山へ!

市街中心部へ移動。元町界隈を散策するつもりだったが、快晴なので一転、山頂を目指すことにした。

駐車場は……ロープウェイ利用者専用の無料駐車場あり。実にありがたい。

ロープウェイの代金は往復1280円。これを超える価値がここにはあった。
なるほど、支柱は無いんだな。
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津軽海峡! 夜景も綺麗かもしれないが、この陽光の下での光景こそ、僕のお気に入りだ。
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向かって左は函館湾だ。
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■想像を超える絶景に満足し、湯の川温泉へ向かいます。

車でわずか15分。津軽海峡沿い(国道278号線・大森海岸)を走って山側へ入ると、そこは湯の川温泉郷だ。今回は奮発して良いホテルにした。
かけ流し温泉付きの部屋だ。
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夕食は18時30分から和洋食のフルコース。部屋ごとに専用の食事室が用意されているのか!
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お腹いっぱいで、続きます。

2017年8月19日 (土)

無差別テロ 金惠京 [読書記]

法の外にある集団、あるいは国家の支援によるテロリズムをどう規制し、対処するべきなのか。
20世紀のテロリズムはわかりやすかった。政治的要求によるハイジャック、シージャック、企業を狙った爆弾テロ等に対し、国際社会は都度、対抗策を練ってきたし、いまでは主要先進国でその種のテロの発生する確率は格段に低いものとなっている。
無差別テロ。21世紀初頭の911同時多発テロを含め、2015年のパリ同時多発テロに至るまで、一般市民を狙う卑怯な国際的犯罪は規模を増すばかりである。

本書は、「国際社会は何を基盤として、テロに対処すべきかの岐路に立っている」(p195)として、安易に国家暴力=軍事力に頼ることなく、これまで人類が積み重ねて来た人道・人権の理念を踏まえつつ、知性と規範(p189)を持ち、国際法を整備して無差別テロに対処するべきであることを示す。

・いったい、テロリズムとは何であろうか。平時における無差別殺人(p43)。政治的目的追求のための、一般市民へ恐怖心と心理的衝撃(p163)を与える手段……。恐怖をもって対象となり組織や政府の方針を変えること(p6)。では、国際的な定義はどうか。著者はテロ資金供与防止条約の第二条第一項が近いとする。長いがここに引用しよう。「文民又はその他の者であって武力紛争の状況における敵対行為に直接に参加しないものの死又は身体の重大な障害を引き起こすことを意図する他の行為。ただし、当該行為の目的が、その性質上又は状況上、住民を威嚇し又は何らかの行為を行うこと若しくは行わないことを政府若しくは国際機関に対して強要すること」(p148)とある。要するに、軍隊が関与せず、刑法犯罪に含まれない政治性を持つ暴力行為(p178)ってことか。

・原発テロ(一部の電気系統に故障を起こさせるだけで良い)、サイバーテロ(技術のイタチごっこ)、バイオテロ・化学テロ。すぐに起こり得る、これらのテロに対し、会議を開く余裕はない。法体制も追いついておらず、現場レベルの判断が重要であると著者は説く(p20)。とすると、非常時の権限の委譲をどうするのか、平常時から決めておかないといけないな。

・オウム真理教(オウムの会、オウム神仙の会)。国内では特異な宗教団体とされがちだが、国際的にはアルカイダなどと同様、多数の高学歴保持者を擁する、政治的意図の高いテロリズム集団として捉えられている(p37)。

・無差別テロは悪であるが、それへの対応は必ずしも善ではない。暴力の連鎖は次なる悲劇を生み、被害者は決まって無辜の市民である。犠牲者の補償をどうするのかも重要であるが、日本では被害者はメディアや政治に利用される面が大きく、欧米に比べて十分な補償が行われていないことが示される(p49、第2章)。

・オサマ・ビンラディン殺害のニュースは衝撃的だった。だが主権国家パキスタンの国土に無断で特殊部隊を送り込み、事後にパキスタン政府へ通達するなど、米国の行動は超法規的であったとされる。「テロ対策」を名目に軍事大国のどんな行動も許容される世界が出現しつつある。法の支配を基盤とする民主主義への打撃(p85)である。

第5章「テロの定義確立を目指す国際社会」が秀逸。1996年にインドより国連総会に提起された「国際テロリズムに関する包括的条約案」は、締結されれば素晴らしい効果を発揮するであろうが、その実現には困難を伴うことが解説される。条約の適用範囲、国家テロと国家支援テロの扱い、民族解放闘争とテロとの相違政治犯の扱いについて先進国と主にイスラム諸国の意見対立が影を落とすが、何より「テロの定義」に関する議論が重要とされている。著者が繰り返し主張するように、なるほど、これを規定しないと、これまでのように「法の継ぎ足し」の繰り返しとなってしまう。
民族解放闘争とテロリズムの区別についても本書p158~161に明記される。権力側による恣意的なテロの定義を防ぐためにも、包括法の成立が望まれる。
ゲリラ(交戦権が認められている)との類似性と本質的な差異も参考になった(p163)。

ただ、本書では国家テロを包括的なテロ対策の範囲から外すことを示しているが、北朝鮮、ロシアの関与が取りざたされている大規模なサイバー攻撃、中共によるウイグル族・チベット族の無差別殺戮、ロシア政府の関与が疑われる核物質による元情報工作員の殺害といった事案こそ、広範囲の無差別テロに含まれると思う。
その意味で、人権条約と絡めての法案の議論が望ましいと、素人的に考える。

無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか
著者:金惠京、岩波書店・2016年1月発行
2017年8月19日読了

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2017年8月14日 (月)

英連邦 小川浩之 [読書記]

加盟国数54、総人口20億人の規模を有する英連邦、(ブリティッシュ)コモンウェルス。それはイギリス国王を首長または象徴として受け入れる国家間の自由な連合体であり、「大使」ではなく相互に「高等弁務官」を派遣しあう、相互に「外国ではない存在」。このような、主権国家からなる近代国際体系から逸脱したシステムが、この21世紀においてもイギリスを中心に存在し続けるという事実は、とても興味深い。

・「諸民族の家族の多様性と統一」(p11)植民地会議にルーツを持ち、20世紀初頭の帝国会議から英連邦首相会議を経て、現在の2年おきに開催される英連邦首脳会議へと引き継がれる。当初、それは自由主義・自由貿易や民主主義の価値観を保ちつつ、イギリスにとって「より持続的かつ安価に帝国の一体性を維持していくための手段」として考案され(p28)、白人定住植民地の自治領が形成されることとなる。

・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと言った白人自治領は、イギリスのパートナーとしての自覚を持ち、帝国の強化・拡大に貢献する(p31)。それは本国よりも厳しい人種差別的な制度を有するものであった(白豪主義 p41)。

・第一次世界大戦は、自治領全体で100万人を超える兵員の供給、イギリスへの食料供給等を通じ、イギリスとのパートナーシップを強化するだけでなく、自治領の独立を促進し、国際的役割を増進させた。ヴェルサイユ条約の発効によって発足した国際連盟にはイギリスだけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの各自治領が、英領インド帝国とともに、原加盟国として加わった(p62)。このとき、帝国の内部だけでなく「世界においても独立である」と表現した南アフリカのスマッツ将軍が、「英連邦」の表現を用いたとされる(p62)。そのスマッツ将軍の像が、マンデラ元大統領とともにロンドンのパーラメント・スクエアに立ち、広場と街を睥睨している(p229)。

・カナダ自治領政府がワシントン(1926年)、パリ(1928年)に続き1929年に東京に公使館を開設たことは興味深い。すでにオタワに日本大使館(1928年)が開設されており、イギリス本国とは別に自治領政府と外交関係を樹立したことになる(p68)

・バルフォア報告書(1926年帝国会議)とウェストミンスター憲章(1931年)にて「王冠への共通の忠誠」「内政・対外政策両面での相互平等性」が確認され、イギリス本国と六つの自治領の対等な地位が法的に承認された(p71、74)。

・ナチス・ドイツに対する悪名高いイギリスの宥和政策。その背景に、イギリス本国の財政難と軍備拡充の遅れ、市民の平和志向、孤立主義を取るアメリカへの不信感に加え、帝国と英連邦を重視する伝統的な戦略思考があったとされる(p92)。日独伊が直接、イギリスの権益を脅さない限り、大規模戦争を回避する、と。なるほど、一国ではなく帝国ブロックで考えると、その「無行動」にも納得できるものがあるな。そして「対日戦争」はその捕虜問題(p110)が根深く尾を引き、戦後、特にオーストラリアとの厳しい関係が続くことになる。

・レスター・ピアソン氏。カナダの外相と首相を務めたこの人物は、国際連合・PKOの分野で名高いが、戦後の英連邦の運営においても特筆すべき実績を残していたとは知らなかった(p125インド共和国の英連邦残留問題、p165スエズ戦争からの撤退)。傑出した人物が世界システムを支える、その実例だな。

・帝国記念日=英連邦記念日が、1977年まで5月24日、すなわちヴィクトリア女王の誕生日に定められ、加盟国各地で記念行事が催されていたことは興味深い(p178、現在は3月の第二月曜日)。

・1965年には英連邦事務局が設立され、英連邦各地出身のSecretary-General事務局長も就任する(p199)。ローデシア問題、ベトナム戦争、スエズ以東からの英軍撤退、南アフリカ問題、インド-パキスタン戦争とバングラディシュ独立、グローバリズムの深化、途上国の経済・社会問題などに当たる英連邦の姿は、まるで活性化したUnited Nations国際連合のようであり、その役割の重複と違いが気になる。

国連他の国際機関と比べた英連邦の特徴も、本書に提示されている。すなわち、歴史や文化、言語、そのほかの様々な法的・社会的制度の共有を背景に相互の協力を推進しようとする、その姿である(p251)。
「白人の植民地帝国を人種の英連邦へと変化させる過程」について、「人類の歴史上、これ以上に崇高な変化は記録されていない」と、英労働党は1964年総選挙のマニフェストに提示した。
ときに機能不全に陥る無力な国連などと異なり、英連邦は国際的な存在感の低下を露呈しつつも、その影響力を駆使してきた。それはイギリスの大国意識と、欧州に限定されない世界的な関与への志向を支え続けている(p259)。この、旧日本帝國との大きな差異には、羨望を禁じ得ない。

英連邦 王冠への忠誠と自由な連合
著者:小川浩之、中央公論新社・2012年7月発行
2017年8月13日読了

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2017年7月23日 (日)

英国諜報員アシェンデン サマセット・モーム[読書記]

第一次世界大戦の最中、イギリスとドイツの間で繰り広げられる諜報戦の日常。主戦場は中立国スイス。
家族や思い人を巻き込み、同胞を敵国に売り、わずかばかりの報酬と満足感を得て、スパイは夜に何を想うのか。
作家であり、英国諜報機関に属するアシェンデンの目線で物語は進む。頭脳戦による命の喰らいあい。派手なスパイアクションを期待する人には不向き。

・スイスやドイツに放った複数のエージェントを統括するアシェンデンでさえ、本国の指令"R"からみれば、一つの手ごまでしかない。「裏切者」の章では、そのことが強く描かれる。
・「その背後で」~「英国大使」の章は秀逸だ。人生の岐路において、その選択は正しいものだったのか。後悔しない人生とは何か。「やりたいことをやって、あとは運に任せる生き方も悪くないと思うがね」(p317)平凡な言葉だが、若き日の恋愛の日々を想う、老大使の人生訓でもある。
・グレート・ウォーは総力戦。アシェンデンの決断ひとつで、多数の民間人を巻き込む爆破作戦が決行される。その重い決断を、コインの裏表にゆだねる弱さ。これもスパイの一面である(p357)。
・ラスト「ハリントンの洗濯」はロシア革命に直面した運命の日が描かれる。彼が命と引き換えに手にしたものを考えると、とてもシュールであり、人の愚かさがここに顕現する。

この作品にストーリーはないが、リアリティは抜群だ。著者がエージェント時代に実体験し、また見聞きしたであろう事物が一個の作品に収斂したものと考えるのが良いと思う。

ASHENDEN OR THE BRITISH AGENT
英国諜報員アシェンデン
著者:William Somerset Maugham、金原瑞人(訳)、新潮社・2017年7月発行
2017年7月23日読了

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2017年7月 1日 (土)

欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く [読書記]

本書は、特に戦間期に著された膨大な量の旅行記を「海洋文学」として捉え、欧州航路が形成した「心理的な世界像」をシンガポール、ペナン、コロンボ、スエズなど寄港地の順に評価するとともに、和辻哲郎の洋行が生み出した『風土』の意味づけが試みられる。また、欧州航路のオール・レッド・ルート、すなわち英国植民地の"赤"に色取られたアジア寄港地で和辻哲郎ら日本人の見たもの、あるいは見なかったものが論じられる。

・航空機による移動が一般化する以前、日本からの渡欧に際しては安価なシベリア鉄道経由、北米経由の東回り航路も選択肢とされたが、圧倒的に西回りの欧州航路が選ばれたという。この横浜を起点に神戸、上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ運河を経由して南仏マルセイユへと至る日本郵船の渡航ルートは、そもそもイギリスP&Oの東洋ルートの遡行に他ならず、上海を除くすべてのポイントがイギリスの支配下に置かれていたことには、あらためて驚愕させられた。(横浜や神戸の旧居留地ですら、ある意味、イギリス租界だったとも言える。)

・戦間期、日本発の欧州航路への道を拓いた日本郵船。「日本の延長」と言える自前の航路と船員を有するまでの過程は、想像もできない苦難の連続だったことがわかる。現代日本でも保険業やISO審査などの分野で存在を示すロイドは、明治の世から力をほしいままにしており、「制度」を運用する英国人の才には一目置かざるを得ない(p30)。

・「漱石の劣勢コンプレックス」についても「過度の使命感や、世紀末ロンドンという目的地の重圧」によるものではなく、西回り航路での渡欧が、欧米の慣習への違和感や疎外感を育んだという説明は面白い(p187)。もし東回り航路(米国経由)だったなら、文豪・夏目漱石は誕生していなかったのかもしれない。

・日本人の渡欧の目的の変化。幕末の遣欧使節団、明治初期の国家エリートの留学生の持つ使命感に比べ、1910年代の渡欧者は新聞社主催の海外観光ツアーや、与謝野寛「文明人の生活に親しむため」(p170)にみられるように、目的が多様化したことがわかる。1920年代の留学生の記録からも、日本と西欧の文明を相対化しては比較するなど、なるほど、余裕が生まれている。

「序章:欧州航路の文学」から「第6章:日本人のマルセイユ体験」まではスムーズに読み進められたのだが、「第7章:和辻哲郎『風土』成立の時空と欧州航路」は幾分、哲学的な記述が目立ち、自分には合わなかったみたいだ。


欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く
編著者:橋本順光、鈴木禎宏、青弓社・2017年1月発行
2017年6月25日読了

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2017年6月24日 (土)

20世紀イギリス短篇選(上) [読書記]

人生のある瞬間。それが晴れ舞台なら喜ばしいが、慟哭の側面かもしれず、平凡な退屈もある。どれも色と音の付いた記憶となり、彼あるいは彼女の未来へとつながってゆく。優れた短篇には、そんな一局面を切り取った面白さが込められている。


個人的にはウドハウスの『The Man Upatairs 上の部屋の男』(1936年)を推したい。
自由主義と階級制度に裏打ちされた英国独特のユーモア感覚を知るには原著を理解する必要があるらしいが、その一端が垣間見えるような作品だ。
「誰だってみんな必死でがんばりながら努力しているのに、……」(p95)気に入らない人物をやり込めたアネットの後悔に満ちた心情吐露は切なく、それだからこそ、その後のエピソードにあるヒト付き合いの困難さは、やるせない。
終盤に電話と手紙で明らかになる「とてつもないこと」。それこそが、英国流の愛情にあふれた宏大なユーモアということだ。


ラドヤード・キップリングの『At the End of the Passage 船路の果て』は力作。首都シムラから遠く離れ、気温40℃の中に土埃が舞い上がる辺境に働く鉄道技術者。週に一度、自宅に三人の友人が集い、ゲームに興じるのが唯一の慰めの日々。現地藩王に対峙する高等文官、コレラ治療に奮闘する鉄道会社の勤務医、インド政府測量部の技術者の会話の中に、インド統治の実態が語られる。
鉄道技術者の"仕事への献身"ぶりは、80年代の日本の24時間闘うビジネスマンを想起させるし、ストレスが心身を蝕む様子は他人事ではない。同僚を気遣っての過労、不眠症、幻覚の果てに待つものは何か。
本作に示される白人の責務と犠牲は、"植民地でふんぞり返るイギリス人と、支配されて悲惨なインド人"のイメージを吹き消す存在でもある。日本を含む過去の植民地政策の別の側面として、これはもっと語られても良いだろう。


『A Painful Case 痛ましい事件』はジェイムズ・ジョイスのダブリンが舞台となる。単調な人生に慣れ切った中年銀行員と人妻のささやかな恋心。触れ合う瞬間を恐れ、男は人妻を捨て、そして……。
「闇の中だと彼女がそばにいるような気がした」(p136)
4年後の「痛ましい事件」により再確認される男の孤独意識こそ、真に痛ましい。


ベイツの『The Simple Life 単純な生活』も印象深い一篇だ。うんざりする別荘生活に突如現れた若い男子。雪解けの楽しさ。夫に隠れての火遊びのつもりが……。「海から吹いてくる肌を刺すような冷たい風に」本当に「ざわざわとなびいていた」(p300)のは、彼女ではなく、夫の心だったわけか。。。

磨き上げられた12種類の宝石をかいつまんで手に取り、その特徴に触れて楽しむような読書感覚を味わえた。

20世紀イギリス短篇選(上)
編訳者:小野寺健、岩波書店・1987年7月発行
2017年6月20日読了

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2017年6月 8日 (木)

フィリグリー街の時計師 ナターシャ・プーリー [読書記]

ピアノをあきらめた内務省の電信オペレーターに届けられた懐中時計。精密すぎる仕掛けのそれは、スコットランドヤード爆弾テロの渦中から孤独な彼、サニエル青年の命を救う。知古の刑事からの依頼で、日本人の時計技師に接触した彼は、完璧な英国英語を話す金髪の"男爵"、そのモウリこそ時計の製作者であり、まるでぜんまい仕掛けのような彼の不思議な能力に惹かれつつ、爆弾魔の犯人としての可能性を探ってゆく。そして、伯爵令嬢にして"奇抜な"科学者であるグレイスとの邂逅……。
1880年代のロンドン・ウエストエンドと明治日本を舞台に、サイバーな冒険劇が繰り広げられる。
それにしても、ぜんまい仕掛けのたこ、"カツ"は愛らしいなぁ。

・ハイドパークの片隅に実在した日本人村、ギルバート&サリヴァンの「ミカド」、1860年代の日本のレボリューション、廃城令、華族の訪欧、伊藤博文など、著者日本留学中に執筆された、まるで日本の読者に向けて書かれたと思えるような嬉しい逸話が満載だ。でもオペレッタ「ミカド」が本作のように制作されたのなら、それはそれで哀しいなぁ。

・瓦斯燈、電信機だけでなく、人感センサ付き電気照明、数十の"ぜんまい"軸受けによるハイテク鳥ロボット、光を媒介するエーテルの実験など、当時の技術水準を超える要素の数々が、本作にスチームパンクの要素を添えている。

・後半はサニエルとモウリの親密さがヒートアップする。世紀末の物語とはいえ、こうまで親密すぎるのはいかがなものかと思う。少なくとも僕には気に入らない。

・爆弾魔の正体が見え見えなのは愛嬌。あと、グレイスの幸せな生活を願わずにいられない。

いくつか気に障る点があるものの、階級差別・人種差別が当たり前に存在した世界観の中、蒸気機関車の地下鉄、ケンジントンの街並み、少数の民族主義者の活動など、1880年代のロンドンのパースペクティブがこれでもか、と思うほどに凝縮された本作は、実に魅力的だ。続編、続々編も企画されているとのことで、いまから楽しみだ。


THE WATCHMAKER OF FILIGREE STREET
フィリグリー街の時計師
著者:Natasha Pulley、中西和美(訳)、ハーパーBOOKS・2017年4月発行
2017年6月7日読了
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2017年5月27日 (土)

倫敦!倫敦? 長谷川如是閑 [読書記]

1910年夏のロンドン滞在記。全編ウィットに富んだ文章が嬉しい。
良く見て、良く歩き、好奇心の塊となって「なんでも見てやる」姿勢が、3か月の滞在で500ページ弱の記録を育んだ。

漱石がヴィクトリア女王の大葬を目撃したのは有名だが、その息子エドワード7世の大葬に新聞記者として臨んだ如是閑は、より詳細な記録を残している。

・1910年に開催されたJapan-British Exhibition(日英博覧会)のことがところどころで触れられる。エドワード7世崩御のために開催が危ぶまれるなど、あまり記録が残っていないだけに貴重な記録だろう。

・ウェストミンスター橋を往来する路面電車。牧野義雄の1907年の作品「ウエストミンスター橋:春もや」には現れていないが、1910年の写真にはおびただしい数が現れている。この間の発展著しいってことか。

・omnibus、乗合馬車が姿を消すことに如是閑は失望を隠さない。
「やはり文明の風は何処を吹くという超時代の顔をしたデクデク肥った御者」を乗せた乗合馬車のほうが乗合自動車に勝ると言う。
「極端に走る進歩主義と、頑として動かぬ保守主義と、撞着しつつ旋回しつつあるのが、英国の空気であるとともに倫敦の色彩である」とし、1911年8月に乗合馬車の営業が終了することに対しては「倫敦の凡化である」と厳しい。(p221)

・日露戦争を勝ち抜いて国威揚々たる祖国と大英帝国。その彼我の文明観の差異が浮き彫りにされる様は、重心低く研ぎ澄まされた観察眼と独特のみずみずしい感性との成せる技と言えよう。

・カフェと「街の女」の英、仏、独の比較が面白い。ロンドンとパリを決定的に差異つけているものがカフェの有無であり、すこぶるその色彩を異にするとある(p249)。

・神戸の市電と舗装道路が比較対象とあげられるのは個人的に嬉しいところ。

・大英帝国最盛期とはいえ、その繁栄を驚かすドイツ人やアメリカ人に向けるイギリス人の敵意の強さを特筆している。


日本への帰路は日本海軍の軍艦とP&O客船、日本郵船客船を乗り継ぎ、インド洋航路を渡って帰国の途に就く。
軍艦"生駒"に乗艦してプリマス港を発し、ビスケー湾を経てジブラルタルへ。地中海の入口を制する英国の力量を嘆賞し、ナポリへ往く。快速たる最新軍艦の機関室でウヨウヨと火夫の立ち働く様を見て如是閑は記す。
「大いなる文明の底には大いなる野蛮がある。堂々たる軍艦の底にはこの地獄がある」(p434)

ジブラルタル、ポート・サイード、スエズ、紅海、アデン、コロンボ、マラッカ海峡、シンガポール、そして香港。ナポリを除く停泊地と航路のすべてが英国支配下にあることに言及して後、「平和というものが強者に依って保たるる事は有史以前の社会も今日の社会も変りはない」(p472)のだから、欧州の英国、南北アメリカにおける合衆国のごとく、東洋で覇権を握り、平和を確立することこそ日本の使命である、と如是閑は説く。
1910年の新聞記者の意見からしてこれだ。そりゃあ世論も力を信奉するベクトルが働くわけだ。

外交に安定をもたらすのは力の不均衡であり、それは強者の意思によって維持される。これは帝国主義時代を経て、現代においても変わらない究極の事実ではあるが、それをあからさまに肯定するのはどうだろうな。

倫敦!倫敦?
著者:長谷川如是閑、岩波書店・1996年5月発行
2017年5月27日三度読了

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2017年5月16日 (火)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その6 [男ひとり旅の美学]

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タワー・ブリッジ


2017年5月3日(水)曇り

8時起床。午後は雨みたいだ。
朝食はサンドイッチ+クロワッサン+ジュース+ホットコーヒー。
9時45分出発。外気温は9℃。パーカーにして正解だ。

のどがムズムズするので、溝に少量のXXを吐いたところ、周りの白人からエラい剣幕で睨まれ、何か早口で言われた。
以降、気を付けます。

15系統のバスに乗り、ストランドを北東へ向かう。ここはバス街道だな。
10時34分、キャノンストリートで下車。(実はひとつ乗り過ごした。)

マンション・ハウス、ローヤル・エクスチェンジ、イングランド銀行の位置する「三角地」に立つ。なるほど、昔から交通の要所といわれるだけある。
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マンション・ハウス(ロンドン市長公邸)
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ローヤル・エクスチェンジ(王立取引所)の前庭にはウェリントンの騎馬像が。
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次は、あそこへ向かうのだ。

なんということか。
キャノン・ストーリート駅前の向かい側、かつての「ロンドン・ストーン」を保管・展示していたスペースが、大工事によって取り払われてしまった。
でも、将来の展示に向けての希望は、まだあるな。


■閑話休題その3

他の大都市と違って、旅行者にとても優しいロンドンの特徴は、このような地図があちこちに設けられていることだ。それもよくある「お役所仕事」ではなく、現在地You are Hereを中心に記載された、その地に一枚しか存在しない地図が、200m間隔くらいで据えられているのは、本当に助かる。
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■Monument 大火記念塔

大火記念塔はどこだろう? 地図によるとこの辺のはずなんだが……。
ビルの間から突然、姿を現したのには驚いた。
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大火記念塔を離れ、ロンドン橋を渡る。タワー・ブリッジと巡洋艦が良く見える。

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■The Shard シャード

ロンドン・ブリッジ駅を超えて、西ヨーロッパで一番高いビル、シャードの展望台受付を探す……あった。まずは地下へ潜るんだな。
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受付で「The View from The Shard」の当日券を購入。30.95GBPは高いか、リーズナブルか……ヘリコプター遊覧(200GBP)に比べたら、安い!
「いますぐ登ることが可能」とのことで、長い行列を予想していただけに嬉しい。
で、別の案内係員に道を尋ねたところ、Do you speak English? と一蹴されて凹む。発音下手なアジア人とはいえ、いちおうお客様なんですけど。

それはともかく、専用エレベータでまずは33階へ。乗り換えて68階へ到着。
すぐに階段で、72階へ!

あいにくの天気とはいえ、テームズ川が、タワーブリッジが良く見える。
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手前から、ロンドン橋、サザーク橋、ミレニアム・ブリッジ、ブラック・フライアーズ橋。小さくウォータールー(ワーテルロー)橋、ハンガーフォード橋。
遠くにロンドン・アイも見える。
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セント・ポール寺院
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エリザベス・タワー(ビッグ・ベン)
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シティの高層ビル群
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展望台の一角はオープン・スペースとなっている。
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この展望台でのどに流し込むビール(5GBP)は美味だった。
ところで、展望室へ行く前に写真撮影されたが、記念写真として販売するようだ。お値段25GBP。買う輩がいるのか?

The View from The Shard! 30ポンドの価値ありと断言する。日本語ガイドもあり。13時5分まで長居した。
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■Tower Bridge タワー・ブリッジ

昼食はロンドン・ブリッジ駅近くのカフェで、モカとクロワッサン(4GBP)。

Hay's Galleriaを超える。
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テームズ川南岸を東へ歩き、タワー・ブリッジの精巧さに感嘆する。
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ウエストミンスター橋に続き、ここでも韓国人新婚カップルがウェディングドレス姿で撮影会をしていた。邪魔はしないから、さっさとやってくれ。
(これまでもスイス、アムステルダム、キンデルダイク、パリで見かけた。風習なのかな?)

で、気が付けば、タワー・ブリッジが開いているぞ!
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慌てて下へ降りて撮影を試みたが、すぐに閉まったみたい。残念!
しかたがないので、開口部を撮影しておこう。ここが開くんだな。
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それにしても、タワーブリッジの美しさときたら……2014年12月に内部を見学したが、まさに至高の芸術と呼べる。
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■Tower of London ロンドン塔

この血なまぐさい中世の城壁と最新建築のガーキンが共存するところがロンドンの魅力でもある。
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さて、もう時間がないな。
帝国戦争博物館へ行きかけたが中止。大英博物館を最後の訪問先とした。


■British Museum 大英博物館

地下鉄Northern線を乗り継いでトーテナム・コートロードへ付いたは良いが、迷ってしまった。
ジョージアン様式は良いな。
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15時45分、大英博物館へ到着。あれ、前回と違って荷物チェックが厳しくなっているぞ。
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ロゼッタ・ストーン
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古代エジプトで猫は神聖な動物とされていたんだな。
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やはりエジプトのコーナーは見ごたえあり。
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ウルのスタンダード。思ってたよりも小さかった。
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アウグストス帝
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よくわからない文字だな
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人類の至高の宝の数々を、しかと拝んできた。17時35分、外は大雨だ。
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■パブ「シャーロック・ホームズ」

地下鉄でチャリング・クロス駅へ。
17時58分、パブ「シャーロック・ホームズ」へ入店。かつてシリーズに登場したノーザンバーランド・ホテルの跡地で営業する「ホームズ」パブとあっては観光客のごった返すイメージなのだが、平日は予想に反して地元のビジネスマンの姿が多いことがわかった。
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ビールと、サンデーローストと呼ばれる「Dr.Watson's Traditional」を注文。12.95GBP。
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味のほうは……。
でも高給レストランと違って気軽に入ることができる点で、パブはひとり旅観光客にとって重宝だ。


■Les Miserables

ホテルで小休止。この点、チャリング・クロス~トラファルガー広場に近いホテルは地理的に有利だ。
おや、もう時間がないぞ。チャリング・クロス駅前からタクシーに乗り込み、Queens Theatreへ向かう。
19時15分、劇場に到着。
ニューヨーク、ロンドンと通算4度目の『Les Miserables』鑑賞となる。
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土間席は前から4番目のD4。迫力ある席だった。
幕間の白ワインは6GBP。開演前と幕間の写真撮影もOK。
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なんと終演は22時30分だ。幕間含めて3時間か。

22時50分にホテルへ戻る。いつものコンビニでサンドイッチ他を購入(3.2GBP)。

■帰国です。

2017年5月4日(木)曇り

5時30分起床、6時40分チェックアウト。
スーツケースをごろごろ転がしてチャリング・クロス駅へ。6時51分、地下鉄Heathrow Terminal4行きに乗る。ベーカールー線、ピカデリー線と乗り換える。
・ピカデリー線はEarl's courtを超えると、地上に出るんだな。
・手荷物を置く網棚がない。不便と思っていたら、背中側にスペースがあり、そこに置くのだと知った。でもほとんどの人が足元に置いている。そりゃそうだ。
・駅に到着し、ドアが開いてから「ここは○○駅。次の駅は△△です」とのアナウンス。不親切だな。

7時50分、ヒースロー空港ターミナル4駅に到着。
8時13分カウンターでチェックイン。「どうしてセルフチェックインしないの?」と嫌味を言われた。
8時32分、セキュリティをパス。スペイン、モロッコなどと異なり、ここはしっかりしている、

家族、会社の同僚へのお土産を漁る。
まだ時間があるので行き交う人を観察。
・イスラム女性。全身、いや、顔半分から下を黒い布で覆い、敬虔なムスリムなのだろうが、ナイキを履き、スマートフォンをせわしなく操作し、ハロッズのショッピング・バッグを掲げる姿は、なるほど、グローバル・スタンダードだな。

9時20分になって、やっとアムステルダム行きの搭乗口が提示された。55分にボーディング。
席の隣は、ドバイへホリディに行く若いイギリス人男性だ。毎年、日本の鈴鹿でガイドをして働いているという。

10時35分に離陸、ケーキとコーヒーが出る。
11時25分(オランダ時間12時25分)にランディング。
12時35分、アムステルダムに到着。

帰りはゆったりと過ごしたいので、ビジネスクラスにアップグレードすることにした。
KLMのカウンターで訊くと、40,000マイル+342ユーロをオファーされ、受諾。

14時5分、関西国際空港行きKL867便にボーディング。
あれ? 新鋭機787-9じゃなくて、旧型777-200ERなのか。まぁいいや。
シャンパンでのどを潤す。ビジネスクラスだからスリッパが提供される。

隣の中年女性は、なんと来日20回越えのオランダ人。九州を友人と2週間かけて廻るのだそうで。
彼女は日本語を話すので、会話が楽だった。

15時10分に離陸。7分で雲の上に上昇するが、横揺れがきつい。安全フライトで頼みます。
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チーズと白ワインが出た。
機体はバルト海上空。往復で航路が異なるのだな。
ラトビアに入る辺り、海岸線がくっきり。
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16時40分に夕食。コーン・スープが美味い。「スープは食べるもの」であることを認識させてくれる一品だ。
メインはアイリッシュビーフシチューを選んだ。赤ワインも○。
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ケーキもうまく、前回(2016年8月)と違って、今回のディナーは合格点だ。

機内販売で紳士物を購入した。170Euro。

夜モードに入った長いフライト。機内ではウォークマンを聞いて過ごす。

24時45分、朝食の時間だ。いつものロールエッグが美味い。もう日本海上空だ。
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8時25分、降下開始。
8時40分、無事にランディング成功。

9時5分に入国できた。
両替は155Euro(ユーロ)を18,445円と、105GBP(ポンド)を14,178円へ。
ほっとして小休止。ドーナツ+コーヒー(519円)
10時に三ノ宮行きバスに駆け込み乗車し、すぐに出発。11時5分でJR三ノ宮駅前到着、JRで戻る。
タクシーで12時過ぎに自宅へ無事戻る。
こっちは初夏の陽気に包まれて、ロンドンとは違った活気に満ち溢れている。

次は7月の旅行の準備だ!

最後まで拙文にお付き合いくださり、Thank you very much!

< The END >

2017年5月15日 (月)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その5 [男ひとり旅の美学]

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ナショナル・ギャラリーの「いいね!」


■London Transport Museum ロンドン交通博物館

初めての入館となる。え? 入場料17GBP(2,500円)って高すぎるだろう。
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でも、それだけの価値は十分にあった。

地下鉄道(蒸気、電気)の発達。
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そりゃぁ、地下鉄で蒸気機関車って、煙が大変だっただろうに。

で、電気機関車の登場です。
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オムニバス(転じて、バスになる)は馬車、トラム、自動車。交通需要に合せて2階建て馬車が登場し、それが現代に引き継がれているんだな。
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ダブルデッカー(2階建てバス)は1919年のものと1936年のものが興味深かった。
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シフト・レバーは右側にあるんだな。
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ここから新しいタイプ。
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タクシーは、かたちは違えど、その機能はまったく現代のものに同じ(客席は5名、助手席が荷物置き場)だとわかる。
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カフェでガス水(1.7GBP)を飲み、土産物を買う(Tシャツなど25GBP)。
ここは実に良かった。15時10分まで長居した。

ストランドを東へ歩く。トワイニングに入り、お土産(紅茶)を買う(17GBP)。
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■Temple Church テンプル教会

『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで気になっていたんだ。
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■ヴィクトリア・エンバンクメントを歩く

このタイプの古いバスが好きだ。
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クレオパトラ・ニードルが見えて来た。
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■ナショナル・ギャラリー

トラファルガー広場の一隅に、その時々によって置かれるものが変わる台座が一基、存在する。
前回(2014年12月)は真っ青なオブジェだったが、今回はでっかい「いいね!」か。これも時代の趨勢かね……。
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ここは上品な絵画が多くてお気に入りだ。
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Canalettoの『Venice』(1740年)
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ゴッホ『ひまわり』『蟹』
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ピサロの息子なんです。
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内装もお気に入りです。
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今回もルノワール『雨傘』が展示されていない……。
係員に尋ねると、今年の5月には戻ってくるらしい。期待、大。


■The Phantom of the Opera

Her Majesty's Theatreで『オペラ座の怪人』を鑑賞。
これがロンドンで3度目の鑑賞となるが、やはり迫力あり。セリフはさっぱりだったが。
座席は土間席、前から5番目のF9。結構良い席だった。観客は半分がアジア系のようだ。
幕間に白ワインを求めるが、7.5GBPもした。
以前は開演前や幕間の写真撮影は黙認されていたが、今回は「No Photo! No Photo!」と規制が厳しかった。
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22時10分に公演終了、明日の朝食を買い(7GBP)、22時25分にホテルへ戻る。グランド・ホテルはウエストエンド中心からも近く、とても便利だ。

明日は観光最終日。続きます。

2017年5月14日 (日)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その4 [男ひとり旅の美学]

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エリザベス・タワー(ビッグ・ベン)と国会議事堂


2017年5月2日(火) 晴のち曇り

8時15分起床。街中のホテルはやはり周りがうるさく、なかなか寝付けなかった。
朝食はチキンサンドとBLTサンドとジュースとホットコーヒー。これで十分だ。

9時25分出発。おや、ジブラルタルと違って寒いぞ。いったんホテルの部屋へ戻り、ジャケットを羽織って再出発。

■Trafalgar Square トラファルガー広場

僕は、ここがロンドンの中心だと勝手に思っている。ネルソン提督のトラファルガー海戦勝利記念柱と、チャールズⅠ世の像が印象的。その奥にナショナルギャラリー。ダブルデッカー(二階建てバス)はひっきりなしにやって来る。
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この高みから、英雄ネルソン提督は何を想う?
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■White Hall ホワイト・ホール

官庁街。このみすぼらしい建物がダウニング街10番地の首相官邸。
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日本国のように省庁の大仰な看板はなく、片隅に「○○省」と彫り込まれているだけ。
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■House of Parliament エリザベス・タワー(ビッグ・ベン)と国会議事堂

ああ、ロンドンで最も好きな光景だ。ビッグ・ベンが朝の陽光に照らされて綺麗だ。
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ロンドンタクシーのかたちが好きです。ロンドン・アイとロンドン水族館を背景に。
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国会議事堂の内部を見学できる日は限られている。この日はダメだった。
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ウェストミンスター橋と茶色に濁ったテームズ川。
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■Tate Britain テート・ブリテン

ここは2010年3月に訪問して以来となる。
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この絵画を観に来たんです。
夏目漱石の『三四郎』に出てくるJohn Everett Millaisの『Ophellia オフィーリア』(1852年)。
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個人的にはこの絵に心惹かれた。
John Everett Millais『Mariana』(1851年)。
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エクスチェンジ前の花売りか。
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他にもお気に入りを何枚か。というか有名どころだな。
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タクシーでホース・ガーズへ向かう。8GBP。

■Horse Guards ホース・ガーズ 近衛騎兵隊の交替式

近衛騎兵隊は、赤い軍服のライフ・ガーズと青い軍服のブルー&ロイヤルの2種類から編成され、毎朝11時に任務交替式が行われる。せっかくなので観ることにした。

11時と11時30分に交替式。バッキンガム宮殿の衛兵交替式のように、もっと派手かと思っていた。こんなもんか。
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今夜の劇場の下見を兼ねてウエスト・エンドをうろうろ。
12時にCaffe' Concertoで昼食。
ラムシャンクとビールとケーキとカフェ・ラテ。実に美味だったが38.2GBPも請求された。
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コベントガーデンでは、特に買いたい物はなかった。2010年には古雑誌の掘り出し物を買えたのになぁ。
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まだお散歩の途中ですが、続きます。

2017年5月13日 (土)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その3 [男ひとり旅の美学]

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THE ROCK OF GIBRALTAR


2017年5月1日(月) 晴、今日はメーデーか
7時35分起床、晴れて良かった。
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朝食はまた腹八分目を守れず、反省。
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9時20分にホテルをチェックアウト。荷物を預けてジブタルタル最後の観光に出発。

ケーブルカーは9時30分からの運転だが、5分前で30人の行列だ。バスツアーの売り込みが喧しい。これを除けば、リゾート地らしく静かで気持ちの良い朝だ。


■ザ・ロックに登る!

9時35分に開場。チケットはケーブルカー往復とネーチャーリザーブを含む22GBPのものを選択した。が、復路ケーブルカーの代金が無駄になることを後で知る。
トータルで考えると、ツアーに参加する方が良かったのかもしれない。

15人くらいケーブルカーに乗り込み、いざ、頂上へ。
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面白い船が見える。何かの実験船かな?
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まずは北側の展望台から、ジブラルタルの街を見下ろす。
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そして、ザ・ロック!
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頂上はこんな感じ。
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東側、朝日に輝く地中海
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眼下の空港には着陸したばかりの民間航空機も見える。
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この人間ばかりの展望台に、猿がやってきた。
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そう、ここ、ザ・ロック=ターリク山は、実はイギリス軍に保護された猿たちの楽園でもあるのです。
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ST.MICHAEL'S ROADを南へ歩く。
3匹の子猿が走り回り、キーキーとじゃれあっていた。かわいいもんだ。
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きちんとお座り。
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で、この急峻な岩山は、現役のイギリス軍の要塞でもあります。
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O'HARA'S BATTERY。海峡を睥睨する旧式の要塞砲(複数ある)は、観光資源と化している。
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坂を下ると、ST.MAICHAEL'S CAVEに行き着いた。
カフェでビール(3GBP)を飲み干し、洞窟に入ってみる。
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う~ん。面白くなかった。やっぱり猿の方が良いや。
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次はQUEEN'S ROADをひたすら北上するが、ここは何もなく、ただ歩き疲れる。
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ジブラルタル空港を見下ろす。航空機の離発着の際は、こうやって人も車も待たされるわけだな。
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ここは軍民両用空港。戦闘機も24時間待機ってわけか
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やっと、THE GREAT SIEGE TUNNELSにたどり着いた……。
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スペインからこの地を奪取したイギリスが掘削し、1779年に要塞化したとある。
中は大砲でいっぱいだ。
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岩山の中だから、天井から水がひたひたと落ちてくる。中は水浸し。
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要塞砲口から覗くと、こんな感じ。スペイン国境、ラ・リネアの街が良く見える。
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中は博物館のようになっている。
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ジブラルタル空港の滑走路は1942年に整備されたとある。
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THE GREAT SIEGE TUNNNELSを出る。もう歩けないぞ。。。
WILLIS'S RDを下って街へ向かうことにした。
ケーブルカーの復路分の切符が無駄となった。
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EU旗、ジブラルタル旗、ユニオン・ジャック。この地の位置づけが良く分かる。
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途中、CASTLE RDの階段(これも急)を下り、GOVERNOR'S STに出られた。そのままMAIN STREETへ出る。
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■ジブラルタルの休日
中央広場は土日とうって変わって、大変な賑わいだ。
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メインストリートもこの通り。ここでフィッシュ&チップスとビールの昼食を摂る(12.5GBP)。
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■ロンドンへ移動です。

ホテルへ戻り、タクシーを呼んでもらう。今度はすぐに来た(14時40分)。
14時50分にジブラルタル空港に到着(12GBP)。
あれ? まだチェックインできないぞ。15時20分から? それはないだろう。
スプライト(3.8GBP)を飲んで時間を潰す。ヒースロー空港もジブラルタル空港も無料Wi-Fiが充実していて良い。

15時25分にチェックイン。
フライトまであと1時間ある。
ジブラルタル旅行の締めは、ジブラルタルビールとドーナツにした。……おかしなチョイスだったか。
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テラスで飛行機を待つ。風が心地良い。これが「ジブラルタルの風」か。

そうこうするうちにBA機が到着した。あぁ、ぼけっとしていて着陸の瞬間を撮影することができなかった。。。
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16時47分、ボーディング。機内はいっぱいだ。17時10分に離陸。
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さて、機内販売、と。水500mlが1.8GBPだと? ひどい値段だな。
ロンドンまでの3時間のフライトはひたすらウォークマンの音楽で過ごした。葉加瀬太郎は良いなぁ。

19時42分、降下開始。イギリス時間18時53分にランディング。
うおぉ、入国審査の行列が長い。19時35分にやっと入国できた。

日本から持参したオイスターカードに10GBPをチャージし、19時58分に地下鉄ピカデリー線に乗車。
休日(メーデー)の夜とあって、大声で騒ぐ酔っ払いが多いぞ。

20時50分、チャリング・クロス駅に到着(運賃3.10GBP)。
21時15分、うろうろしてホテルを探し当て、無事にチェックイン。

この「The Grand at Trafalgar Square」は、すなわち1880年の出版物にも掲載された「The Grand Hotel」であり、前々から宿泊したいと思っていたのだ。
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夕食がまだだった。おや、小雨が降っているぞ。
近くのパブ「シャーロック・ホームズ」に出向くと「キッチンはclosed」とのことで、ビール1パイント(3.5GBP)を注文。ホテルからほど近いこのパブには、毎晩通うようになる。

近くのレストラン「GARFUNKEL'S RESTAURANT」でフィッシュ&チップスとビールを注文。17.5GBPは高いだろう。
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コンビニ(なんでも屋?)で朝食のパンを購入(6.5GBP)し、22時40分にホテルへ戻る。

それにしてもよく歩いて、よくビールを飲んだ一日だった。
「自分の足でザ・ロックを歩く」目的は果たせたが、1km近いQUEEN'S RDの散策は無駄だった。
ザ・ロックに限っては、ツアーがベストだと断言できるな。

で、地中海の入り口を制するこのジブラルタル要塞をイギリスが手放さない理由は何か。冷酷な地政学上の理由によるもの? 帝国意識の残留によるもの? いや、猿がかわいいからに違いない!
……との、現地を歩いての確信を得たところで、続きます。

2017年5月12日 (金)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その2 [男ひとり旅の美学]

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メディナは細い路地が延々と続く。


2017年4月30日(日) 晴
5時起床。朝食はルームサービスを頼んでおいた。
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6時25分出発。外はまだ暗いぞ。
フロントでタクシーを呼んでもらい、じっと待つ。土日はタクシー予約すらできず、直接呼ぶしかないらしい。
7時6分になってやっと来た。「スペイン・ボーダー」まで12GBP。

で、ジブラルタル出国~スペイン入国を果たし、先日確認したタクシー乗り場を覗くと……1台もなし。昨日の話と違うじゃないか。

しばらく待っても来る気配なし。呆然とする、そして焦る。

ラッキーなことに、7時20分になって、ジブラルタルへやってきた客を降ろしたタクシーを捉まえることができた。
さぁ、出発!


■モロッコ・タンジェへ! ヤラ、ヤラ!(モロッコ語のLet's Go!)

アルヘシラスからはフェリーの本数も多く、こちらが主流ではあるのだが、いかんせん、到着するのはタンジェ新港。そこからはタンジェ旧市街からバスで1時間の移動をしなければならない。どうせなら旧来の「アルヘシラス~タリファ~タンジェ旧港」のルートを取りたい。アルヘシラス~タリファ間はシャトルバスが30分で運行されているし。

タリファ~タンジェ旧港のフェリーをWEBで調べると、適当なのがあった。往復70ユーロか。
そして迷いに迷い、ツアーにすることに。一般的な土産物屋巡りなし、ラクダ鑑賞あり、昼食付きの少し高い商品を選んだ。それでも63ユーロ。フェリー往復より安いし、お奨めです。
どうせ個人で渡航しても「自称ガイド」が付きまとって、ゆっくり観光できないだろうし。
Tangier Cultural 1 day
http://www.frs.es/en/tours-to-morocco/tours-to-morocco/excursions-1-day/tangier-cultural-1-day/

上記ツアーは本当に土産物屋へ寄らないので、買い物する時間が必要な人はこっちかな。
http://www.frs.es/en/tours-to-morocco/tours-to-morocco/excursions-1-day/tanger-basic-1-dia/


タクシーは飛ばす、飛ばす。20分足らずの7時40分にアルヘシラス・フェリーターミナルへ到着。料金は35ユーロだったが、奮発して40ユーロを支払った。

フェリーターミナルのFRS社ブースを訪ねると「バスを待て。Eチケットをドライバーに見せて乗車しろ」とのこと。
7時55分、無事にタリファ港行きのFRS社シャトルバスに乗車することができた。
おや、シートベルトがないぞ。
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8時に出発。乗客の半分はイスラームのフード(ヒジャブ)を被った女性で、アジア人は僕ひとり。
車窓からスペイン・アンダルシア地方の光景を愉しむ。晴れてきて良かった……あぁ、タクシーに帽子を忘れて来た。1週間前に3,000円で買ったばかりなのに……。
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タリファに近づくと巨大な発電用風車が見えて来た。実に壮観だが、半分くらいは稼働していないぞ。
左手にアフリカ大陸(のはず)も見えて来た。
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8時30分、タリファ港へ到着。フェリーも待機している。イスラムの城塞が残る町だ。
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窓口でEチケットを乗車券に交換したまでは良いが、セキュリティチェックの列が異様に長かった。

セキュリティチェックを受けてスペイン出国審査を終了すると、9時25分。フェリー出発時刻(9時)を大幅に過ぎているが、他の全乗客の審査が終わるまで待ってくれるみたいだ。

フェリー乗り場でツアーアシスタントが接触してきた。「必ず、船中でモロッコの入国スタンプを受領すること。重要」とのこと。もとよりそのつもりだ。

乗船後、船内のモロッコ入国審査の待ち行列の最後尾へ。10時40分出航。
結局、航海中の景色を楽しむことはできず、1時間ものあいだ、立ちんぼのままとなった。
そうこうするうちに船はタンジェ旧港へ入港。で、まだ、入国審査の列は続く。
結局、僕の審査が終了したのは9時55分(モロッコ時間10時55分)、下船は11時00分となった。

下船して入国係員がパスポートを調べるのに並ぶ。スタンプを探す……あれ、ない……なんと、パスポートの見開き最終ページに押されていた。なんてことするんだ!

街はいかにもモロッコっていう感じだ。そして地中海の風が心地良い!
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10時15分、観光バスに乗車。
ツアー客は28人。あとから12人が追加(ピックアップし忘れたみたい)され、総勢40人のツアーとなった。
僕を除き、ヨーロッパ人とアメリカ人だ。
ポーランド人は「祖国は平地ばかりなので、起伏のあるこの地はとても興味深い」と言っていた。

陽射しがキツイ。帽子を失くしたのは痛いが、サングラス(メガネくん用のオーバーサングラス)は正解だった。


■タンジェの街を巡る、巡る

ツアーは最初に海岸線を走り、やがて起伏のある丘を登る。途中、大西洋~ジブラルタル海峡~地中海を望む展望台で小休止。
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ラクダとの楽しい撮影会。感染症が怖いので乗らず。
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Kasbah カスバ
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旧王宮はモロッコ博物館になっている
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メディナと呼ばれる旧市街は、細い路地が延々と続く。
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スーク(市場)
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レストラン シシカバブが美味かった。ビール2本で5ユーロはリーズナブル。
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ミントティーはまぁまぁ。
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14時10分にバスに乗り込み、ツアーは終了。アラブとスペイン文化の融合を感じさせてくれる面白いツアーだった。

急いで出国審査を受け、14時30分にフェリー乗船。
このフェリー、本来は14時発なのだが、フェリー会社主催のツアーでもあり、待っていてもらったみたいだ。
40分に出航。2階席に座っていたら「ここはプレミアムクラス」ということで、追い出されてしまった。
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15時30分(スペイン時間16時30分)にスペイン・タリファに到着。35分に入国完了。
まじめに入国審査しているのかね?

アルヘシラス行きのシャトルバスはすぐにやってきた。
17時7分にタリファを出発し、17時35分にアルヘシラス港に到着。
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インフォメーション窓口で、ラ・リネア行きのバス・ステーションの位置を問い合わせると、簡単な地図をくれた。
ついでだから、アルヘシラス~ラ・リネア間バスの時刻表も掲載しよう。
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次の便は18時30分だ。2階のカフェテリアでカフェ・ラテとタルトを食す。5ユーロ。
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歩いて15分、バス・ステーションに到着。ここアルヘシラスはお世辞にも美麗な街とは言えない。
カウンターで「チケットは直接、バス運転手から買え」と言われ、1番乗り場へ。すでに乗車が始まっている。
代金2.45ユーロを支払う。往路のタクシー35ユーロとはえらい違いだ。

ここのバスは手荷物しか座席に持ち込めないようで、大きめのリュックですら、車体下部へのの持つ預けとなっていた。出し入れも自分で行うみたい。

定刻18時30分に出発。車窓から見るアルヘシラスは、やはり全体的にみすぼらしい印象をぬぐえない。
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ザ・ロックが見えて来た、
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19時2分、ラ・リネアのバス・ステーションへ到着。


■閑話休題その2

タリファの入国審査場でのこと。
入り口で、モロッコ人のおばあさんが転倒した。すると、審査に並んでいた二人の別々の白人男性が、間髪入れずに駆け寄り、おばあさんを助け起こした。自分の荷物をほったらかしてのことだ。
このシーンが、本日のモロッコ小旅行で一番の鮮烈な印象として残った。


■ヨーロッパ・ポイント、絶景かな!

徒歩でジブラルタルへ入国。
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タクシーを捉まえて行き先「ヨーロッパ・ポイント」と告げる。
EUROPA ROADではなく、東側のSIR HERBERT MILES RDを走ってくれた。違った光景が見られて良い。
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DUOLEY WARD TUNNELでは水浸しになった。
EUROPA ADVANCE RDは下り坂。運ちゃん「あれがヨーロッパ・ポイントだ」とのことで、期待、大。

灯台のそばで降ろしてもらう。12GBP。

ヨーロッパ・ポイント! ジブラルタル海峡を望んで絶景なり。ザ・ロックを背景に、ユニオンジャックと大砲とがジブラルタルの位置付けを象徴する。
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地中海、ジブラルタル海峡、大西洋を一望できる。
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HARDING'S BATTERY
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TRINITY LIGHTHOUSE
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SIKORSKI MEMORIAL
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20時10分、ジブラルタル最果てのバス乗り場から2系統のバスに乗り(1.5GBP)、街の中央広場へ。
パブでビール(2.5GBP)を注文。のどを潤した後、メインストリートを歩いてホテルへ向かう。途中、別のパブでフィッシュ&チップスとビールを注文(12.4GBP)。美味い!
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おおっ、郵便もイギリスのローヤルメールなんだな!
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徒歩でホテルへ。やはりEUROPA ROADの上り坂はキツイなぁ。
21時25分にホテル到着。
思いきってタリファからタンジェに向かうルートを選択して良かったと思う。
スークの雰囲気を回想しながら、就寝です。

明日はいよいよ、ザ・ロックへ上るぞ。
期待に胸を弾ませて、続きます。

2017年5月11日 (木)

2017年4月 英領ジブラルタルとモロッコ・タンジェとロンドンの旅 その1 [男ひとり旅の美学]

昔の日本人の欧州旅行記を読むと、必ずと言ってよいほど地中海の西端に位置するイギリス領、ジブラルタル要塞に関する記述が多く出てくる。どんなところなのか知りたくなり、近郊の北アフリカ・モロッコのタンジェと組み合わせて出向くことにした。
ジブラルタルへの飛行機はイギリスからしか出ていないので、久しぶりにロンドンへも訪れることにした。
6泊8日の男子ひとり旅です。いざ!

旅のテーマは次の三つ。
■英領ジブラルタル。今後もイギリス本国と同調するのか、かつての自治国カナダやニュージーランドなどと同様、独自の世界観を築き、発信する立場をとるのか。よく見る。
■最近興味を抱いた1920年代の街を想像しつつ、最先端のロンドンを歩く。
■モロッコの風を感じ、異文化に自分をさらけ出してみる。何がみえてくるか?

【旅程】
4/28金 日本を出発、ロンドンLHR空港近傍に宿泊
4/29土 AIRでジブラルタルへ移動、ジブラルタル観光、ジブラルタル泊
4/30日 早朝、ラ・リネアからアルヘシラスへ。シャトルバスでタリファへ、船でモロッコ・タンジェへ、タンジェ観光。逆ルートで戻り、ジブラルタル泊
5/1月 ジブラルタル観光、AIRでロンドンへ、ロンドン泊
5/2火 ロンドン観光、ロンドン泊
5/3水 ロンドン観光、ロンドン泊
5/4木 帰国へ
5/5/金 日本へ到着

【参考データ】
往路便
 2017年4月28日 関西空港10時20分発KL868便、アムステルダム行き
 2017年4月28日 スキポール空港17時35分発KL1031便、ロンドン行き
移動便
 2017年4月29日 ヒースロー空港10時40分発BA492便、ジブラルタル行き
 2017年5月1日 ジブラルタル空港17時10分発BA491便、ロンドン行き
復路便
 2017年5月4日 ヒースロー空港9時55分発KL1008便、アムステルダム行き
 2017年5月4日 スキポール空港14時40分発KL867便、関西空港行き

ロンドン・ヒースロー空港宿泊先:Renaissance London Heathrow Hotel(1泊)
ジブラルタル宿泊先:Rock Hotel(2泊)
ロンドン宿泊先:The Grand at Trafalgar Square(3泊)

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ジブラルタル・ロック


■2017年4月28日(金) ヒースロー空港で一泊、ひたすら飛行機を観察

5時起床。JR三ノ宮駅前より7時の空港行きバスに乗車。7時55分に関西国際空港へ到着。55分は最速記録じゃなかろうか。
チェックイン後、いつもの海外旅行保険を申し込んだ。死亡5千万円で10,480円なり。
両替は29,793円を240EUROと69,883円を460GBP(ポンド)へ。ユーロはほとんど使わなかったな。

9時20分に出国。GWだけあってセキュリティ審査の行列も長い。出国審査場では「搭乗まで時間がない」との理由から最前列に割り込み、出国カードを書かずに出国しようとする夫婦がいた。当然出国を拒絶され、カードを書き直しにフェードアウト。なんて間抜けな。

シャトルバスも満員で一本見送って乗り込んだのは良いが、信じられんことに、車内で座り込んで缶チューハイを飲む女がいた。何でもありだな。

10時6分、新鋭航空機787-9にボーディング開始。エコノミーコンフォートの12Kは窓側でエンジンの真横だ。
隣は空席、その隣は感じの良いフランス・ブルターニュ人の男性B氏。来日6回は嬉しいですぞ。
で、この12K席、暖機の間中、天井から水がぽたぽたとしたたり落ちてきた。設計の欠陥なのか、製造上のミスなのか……。害は無いが嬉しくない。
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10時30分に離陸。上空から神戸空港、明石海峡大橋を見下ろす。
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Boeing 787-9 Dreamlinerは、窓が電子ブラインド。ボタン操作によって、段階的にグレースクリーンになるのだ。明度の調整もできる。またエコノミーコンフォート席は777型機よりリクライニング角が大きい。ACコンセントも各席に装備され、スマホ充電が可能だ。

11時50分に昼食。ハンバーグに赤ワイン。まぁまぁだが量的に少し物足りないなぁ。
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長野の山がきれいに見えるぞ。
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メガネがすぐに汚れるのは、機内がほこりっぽい証拠と言える。その意味でも機内でマスクは必須だ。

13時30分に照明が暗くなるなか、ロンドン旅行の大凡の計画を立てた。大英博物館はやはり外せない。

16時30分までハイレゾ・ウォークマンで音楽を楽しみ、その後は映画『四月は君の嘘』を鑑賞。
「違うよ、音楽が自由なの」「AGAIN」「どこまでできるかわからないけど、前に進む」
宮園かをりと有馬公正の役もぴったりだ。実に良かったぞ。

18時40分、バレンツ海に到達。あと3時間。機内のJAZZを聴く。「Vivaldi Avi Avital」が良い。

19時30分、スウェーデン上空。池も河もみな凍っている。シベリアもそうだが、こんなところでどうやって暮らしてゆくのだか。
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20時15分(現地時間13時15分)に昼食が出る。チキンパスタ+白ワイン。
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14時38分、降下開始。雲のなかへ突入する瞬間はいつ見ても良い。『ラピュタ』の一シーンを思い出す。

14時52分にランディング。今回はブレーキがキツくて大きく前のめり。もっと上手く操縦してほしいなぁ。
B氏と別れの挨拶を交わす。「パリに停めた自家用車で『たった300km』を運転してブルターニュの自宅へ向かう」そうな。Bon Voyage!

トランスファーへ。15時35分にセキュリティをパス。1時間以上あるのでカフェオレ2杯とケーキ2個を平らげる。……こんなことしているから痩せないんだな。22ユーロは高い。隣のテーブルでは姉妹4人がかまびすしくおしゃべり。古今東西、この光景は変わらないか。
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17時10分、ロンドン行き737-700にボーディング。787-9に比べるとやはり狭い。
軽食はチーズサンドイッチとクッキー。昔より美味くなっている。

18時20分、イギリスに入国完了。僕の入国審査官(黒人女性)は面と向かって審査中、2回もデッカイあくびをした。あのなぁ。

スーツケースを回収して、さて、どうやってホテルへ向かうかな? 「空港から近い」から歩く? ないな。タクシー乗り場へ。当たり前だが「鉄道駅から近い」と「空港から近い」とでは訳が違う。10分近く乗車し、14.5ポンドもした。

ホテルのロビーは航空関係者でごった返している。19時にチェックイン。
部屋の窓の外は……おぉ、滑走路が目の前だ!
とりあえず写真を。
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これも当たり前だが、近くにコンビニなどあろうはずがなく、夕食はルームサービス。ハンバーガーと白ワインと水で30GBP(ポンド)もした!
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良くワインを飲んだ日だったな。


2017年4月29日(土) 曇り
6時起床。良く寝付けず何度も起きた。生活リズムが狂うと良くない。

なるほど、飛行機の発着は6時からなんだな。(24時間空港ではない。)

6時30分に朝食。イングリッシュ・フル・ブレックファストは久しぶりだが、これで10GBPならリーズナブルだと思う。
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あぁ、中国人の中年団体客がペチャクチャとうるさい。朝からげんなり。旅情が削がれるというもの。
この巨大ホテル(360部屋)に日本人は3人しか見ていない。

朝日に輝く機体が次々と滑走路へ降りてくる。関空では見られないA380も数種類を見ることができた。
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8時前にチェックアウト後、シャトルバス(5GBP)で空港ターミナル3へ。8時15分着。45分にセキュリティをパス、時間が余って仕方がない。早いが免税店でロンドン土産を購入。

10時10分、初のBA機にボーディング。A320は満席に近いが隣が空席なのはラッキーだ。
アジア人の乗客は僕ひとりみたいだ。

11時8分に離陸。ANA国内線と同じように、この路線の飲食サービスは有料で、ビーフサンドイッチとビールが8.7GBPもした。
欧州系の機体路線らしく、ICカードチップ付きのクレジットカードしか受け付けてくれない。
僕のメインカード(磁気ストライプ)はダメで、サブカードで支払いるハメに。

■閑話休題その1

アムステルダムからロンドン行きの機内でもそうだったが、この地のエコノミークラスでは、誰もシートをリクライニングさせない。暗黙の了解事項なんだろうか。数年前は狭い座席でのリクライニング賛否が話題となったが、こうやって決着? こういった点では、ヨーロッパは洗練されていると思う。

■ジブラルタルへ!

せっかく、空からジブラルタル・ロックを撮影しようと思っていたのに、ジブラルタル全域が深い霧でおおわれている。
機体は降下して着陸を試みるも、再噴射して急加速上昇。機長アナウンスによると、もう一度着陸を試みるとのこと。
14時、無事にランディングに成功。機内は一斉に拍手。僕も拍手。
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滑走路を横断する車と人の列
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機体を下り、歩いてターミナルビルへ。
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審査はチョチョイと終わり、14時10分に入国完了。
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スーツケースがなかなか出てこない。サーフボードが多いな、
やはりアジア人は僕ひとりだ。

で、タクシーが全然こないぞ。10人待ち。土曜日曜休日のジブラルタルではタクシーを捕まえるのが大変だと、後でホテルマンから知らされた。

時計を一時間遅らせる(イギリスから1時間遅れ。スペインに同じ)。
15時30分にタクシーに乗車。おお、英領なのに左ハンドル・右側通行なんだな。
40分に有名な「ロック・ホテル」に到着、坂道の途中にある。
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フロント周りは昔のホテルといった感じ。ロビー前の階段は、年配の客には厳しそう。

部屋は綺麗し眺望も良いが、金庫が壊れているぞ。
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現存するヨーロッパ最後の植民地、スペイン南端の英領ジブラルタル。ジブラルタル国旗に並んでホテルに掲揚されるはユニオン・ジャックだ。
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16時20分にお散歩へ出発。ロビー横のカフェ・バー兼カジュアルレストランでビール1パイントを注文。美味しいぞ。
50分にホテルを出発。長い坂道を下りて「ザ・ロック」へのケーブルカー乗り場へ。
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なんと、「強風のため運行停止」とのこと。残念!
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しかたがない、スペインへ向けてメインストリートを歩く。
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ジブラルタル政庁
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ジブラルタル総督の邸宅
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教会
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土日はどこの店も休業で、閑散としている。やる気あんのか。
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まぁ、海辺の街にイギリス風味が加わって、なんか良い感じだが。
ロンドンと同じ赤いダブルデッカーが右側通行なのも、新鮮。

寿司とカレー? 無いな。
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CASEMATES SQUARE中央広場を抜けて、スペイン国境方面へ。
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■ジブラルタル空港を歩く。
一度歩いてみたかったジブラルタル空港。ここって世界で唯一、滑走路を人や一般車両が横断できる場所として有名だ。狭い領地に無理やり空港をねじ込んだ結果とはいえ、面白い。
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■スペイン国境越え
徒歩で国境に到着。写真撮影は控えて、しずしずと審査場に入室。出国と入国合せても1分? 拍子抜け。

国境を超えるとスペインの地方都市、ラ・リネアだ。ジブラルタルと違って、見るからに寂れた感じは否めない。
国境を超えてすぐ右手にタクシー乗り場があり、客引きに忙しい様子だが、ここはまた後で。

で、少し歩いてアルヘシラス行きのバス・ステーションを探し当てる。
窓口でアルヘシラスまでの料金を訪ねると、2.45ユーロ。さて、バスのチケットを購入しようかなって、ユーロを忘れた! 財布の中にはポンドのみ! われながら阿呆だ……。
しかたないので、時刻表をもらう。

え? アルヘシラスのバス・ステーションへ30分で行ける7時発の直行バスは平日だけ? 土日のバスは45分もかかる?
アルヘシラスではバス・ステーションから港まで歩き、8時のフェリーに乗らなければならない。間に合わないぞ。

しかたない、さっきのタクシーステーションを訪問し、料金と時間を問い合わせる。
20分で35ユーロとのこと。タクシー運ちゃんたち「See you tomorrow」と期待させてくれる。こっちで良いか。


そして翌朝、この期待は 見 事 に 裏 切 ら れ る こととなる……。


18時30分、再入国
よく歩いた。ジブラルタルでは、本当にタクシーを捉まえられない。タクシー乗り場も少ないし。
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20時15分、パブ「ピカデリー」で夕食。ビーフステーキ(量多すぎ)とビール1パイントで25GBP。
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この地ではジブラルタル政府発行のポンドだけでなく、イギリス中欧銀行発行のポンドがそのまま使える。
上がジブラルタル政府発行のポンド。気のせいか、女王の顔が若い。
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外はまだ明るい。QUEENWAYを散歩。
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明日は5時起きなので、24時に就寝するところで続きます。

2017年4月23日 (日)

イギリス帝国と帝国主義 [読書記]

その昔、毎日新聞社の週間エコノミスト2008年5月13日号の記事「学者が斬る 南部スーダンの復興に学ぶ」を興味深く読んだ。ダルフール問題とは別に、2001年に長い内戦を抜けて包括平和に至った南スーダンの復興の様子がレポートされ、日本をはじめ国連加盟国による復興援助とPKO活動が行われる地で、世界中どこでもガメツク商売する中国人だけでなく、ウガンダとケニアの商売人のエネルギッシュな姿が書かれていた。漠然と「隣国だから」と思ったが、かつての「大英帝国仲間」であることを知り、目から鱗が落ちた。

さて、大英帝国に関する歴史書はあまた存在するが、本書は、現代の先進工業国に住む我々の顕在的、かつ、潜在的な「帝国意識」に焦点を当てる。

・帝国と帝国主義に関する明確な定義はありがたい。「帝国とは、広大な支配領域のなかに多様な民族集団などを含み、しばしばその支配圏を拡大しようとする政治体である」(p10)「帝国体制が、国民国家という新たな形をとってきた複数の『中心』によって同時に推進されて世界を覆うという帝国主義の時代を経て、現代の世界は生まれてきたのである」(p19)

・イラク戦争後に盛り上がったアメリカ帝国論に関する著者の立場は明快だ(p25,28)。現代世界に帝国の概念は当てはまらない。アメリカは帝国に非ず、それはグローバルな世界強国であり、他の国民国家の対外政策に影響を及ぼし得る唯一のヘゲモニー国家である。

・帝国意識とは何か。それは肌の色に代表される「民族・人種差別意識」、他国支配を当然視する「大国主義的ナショナリズム」を軸とするものであり、帝国を意識することで「イギリス人意識」を強めていったといえよう(p55)。「民族・人種差別意識」は第二次世界大戦を経て弛緩したとはいえ、1997年の世論調査においても30%ものイギリス人の若者が「白人と他人種は平等ではない」との意識を抱いていることには驚愕させられた(p69)。そして帝国の変節であるコモンウェルスの盟主であり続けるイギリスにとって、2016年の「EU脱退」投票の結果は当然のことであったのかもしれない。「大国主義的ナショナリズム」は健在なり。
・日本の場合も対アジアに関して同様であるとともに、「一等国」の地位を経てナショナル・アイデンティティを強化していったことがわかる。そして帝国主義時代のイギリスの「帝国教育」が、現代日本の「愛国教育」に通底するものがあるように思えてならない(p66)。
・王室の安定と国民の帝国意識の拡大とがともに支えあう構図(p82)。それは1887年のゴールデン・ジュビリー、1897年のダイヤモンド・ジュビリーの時代に最高潮を迎える。帝国主義を鼓舞する新聞『デイリー・メール』の記事は、イギリス大衆の優越感に心地よく響いたことだろう(p90)。

・本書ではしばしば、英国のインド統治と日本の朝鮮統治が比較される。インド独立時の識字率はなんと15%、就学児童の割合は35%でしかなかったのに対し、1944年の朝鮮の就学児童の割合は71%(p125)。インド人少数エリートの育成に力を入れた英帝国と、初等教育に力点を置いた日本帝國の差異はあれど、いずれも、植民地支配体制に順化させてゆく手段であった。
・英帝国と日本帝國の支配は民族自決の認識が高揚する1930年代が分水嶺となる。英連邦の発足に対し、日本は皇民化政策を推し進める。そして第一次世界大戦後、帝国主義体制の解体に向かう流れ(p169)に反し、日本は帝国の拡大に邁進する。そして敗戦によって、最終的に大日本帝国の解体を迎える。
・この強制的な大日本帝国の解体は、英仏が体験した「脱植民地化の苦しみの過程」を経ることなく、日本を現代世界の一構成国となした。日本における帝国意識は潜在的に保持され、これが帝国主義世界から現代世界への変化に対する「歴史認識の欠如」の要因であることが指摘される(p188,225)。

「帝国主義への自己批判の眼」(p226)
本書で示すところの帝国意識の類とは一線を画する、健全なナショナリズムとは何か。その答えを見つけ出さない限り、第三世界諸国との真のパートナーシップを得て、近隣諸国との歴史的な和解には至らないと思い知らされた次第。


イギリス帝国と帝国主義 比較と関係の視座
著者:木畑洋一、有志舎・2008年4月発行
2008年5月25日読了、2017年4月18日再読了

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2017年4月18日 (火)

今和次郎見聞野帖 絵葉書通信 欧州紳士淑女以外 [読書記]

1930年、世界見聞旅行に出発した今和次郎の珍しい旅行記。現地で調達した絵葉書を新婚3年目の細君に投函したとあるが、その数、10か月間になんと370枚。その通信文と絵葉書を掲載した本書からは著者の生の声が聞こえてくるようで、実に感慨深い1冊となっている。イラストも満載。

・昔の上海、香港の様子は現在とずいぶん違っていたとわかる。

・パリの豪華絢爛さに目を奪われ、ルーブル美術館へ毎日のように通い、カフェで道行く人を観察する。これは現代も変わらぬ贅沢かつ有意義な時間の遣い方だろう。1937年に壊されたトロカデロ宮の絵はがきは貴重だな(p43)。パリの公園を賛美。毛虫が少ないとも(p53)。

・ロンドンでは劇場を賞美。『ハムレット』と『十二夜』を観たとある。セント・ポール寺院は十数年にわたる大修理が行われ、1930年6月25日から一般公開されたばかりとある(p58)。ウエストミンスター寺院にはあまり良くない印象を抱いたようだ。ウインザー城の観光客の描写も面白い。何十年か前のスタイルのおばさんたちって……(p61)。

・ライカを手に入れたベルリンでは男女の姿を観察。英仏に比べて装飾少なく、腕を出して歩くなど合理的だと断を下している。断髪女性の影響を受けてか男の頭髪が奇異であること、「頂上にトンボがとまったかのように」残してバリカンで刈ってしまい、それを丁寧に分けるという(p86)。いわゆるモヒカン刈りか

・下宿の鍵の比較が面白い。イギリスでは簡単な鍵1本を持ち歩き、フランスでは部屋の鍵1本を門番に預けると。ドイツでは鍵束を渡され、ドア1枚に4つの鍵穴。小さな子供まで鍵束を持ち歩く様子にドイツ人の性格が現われていると(p88)。

・中央公園の比較が面白い。「英国の公園が徒に草地なのに対して、独逸のはいたずらに森です。フランスのはいたずらに花園です」(p92)

・ベルリンの舞台と映画。アメリカものと違って最後は悲劇になるのが「独逸的」だそうで、現実離れした「どこまでも理想主義的な哲学を背負込んでいるらしいのです」との感想を漏らす(p95)。

・プラハ。芸術的なカレル橋を評して「月夜の晩のさまよい歩き」には、きっと大変な効果だろうと想像しました、か。わかる気がする(p100)。

・信州や甲州を超える「スイスの美しい景色」(p131)に酔う。これは僕も体験したのでわかる。うまく文章に残せることができればよいのだが。

・チューリッヒに滞在する日本人は、なんと5人のみ。機械工学を専攻する彼らとの昼食で、この地は長期滞在に向かない「きちんとしすぎた都市」であると知らされる(p132)。

・イタリーの客車を牽引するは蒸気機関車ではなく、当時は「石炭汽罐車」と呼んでいたんだな。電気機関車と架線路が普及していたとわかる(p144)。

・中南欧を旅してのパリへの帰路。イタリー国境からパリ行き急行に乗車するも、途中で各駅停車に変わる。乗り換えれば良いものをタイミングを逸し、そのまま余分な数時間をかけてのんびりとパリに戻る(p147)。旅情があって良い。

・「ニューヨークのビルディング街を一人で散歩してみたら、エジプトのピラミッド以来の壮大さです」(p150)。早稲田の留学生が非常に多いとのことだが、いまでもそうなのだろうか。欧州と違って「至るところ、日本めしあり支那めしあり、日本人ありで不自由がありません」(p151)は、長かった欧州旅行の帰路にしてみれば、嬉しかったことだろうと思う。

・ワシントンD.C.のホテルの部屋の見取り図が面白い。欧州のクラシックホテルと違って何もかも機能的にできていることがわかる。オートマト(コインを入れて好みの飲食物を取り出す)のイラストも面白い(p153)。

・欧州旅行も長くなると心情も変化するのだ。「此の頃は西欧人の方が普通に見えて、日本人の顔を見ると、妙に恐ろしい表情に見えます。西欧の子供は、日本人や支那人を見るとこわがると云いますが、尤もな事だと体験するようになりました」とあるが(p98)、僕も似たような経験があるのでわかるぞ。


ナチズム、ファシズムの勃興し始めた戦間期の時代と、ボーイング777がひっきりなしに世界中の空を覆い尽くす現代とでは違いがあるだろうが、いたずらに高みを求めるでなく、地に足の着いた視点でのフィールドワークの楽しさは変わらない。本書を一読し、好奇心を忘れずに旅をしたいとあらためて思うようになった。

今和次郎見聞野帖 絵葉書通信 欧州紳士淑女以外
編者:荻原正三、柏書房・1990年12月発行
2017年4月18日読了

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2017年4月11日 (火)

青列車の秘密 アガサ・クリスティー [読書記]

移動する密室空間である豪華寝台列車、ブルートレインで引き起こされた殺人事件に、エルキュール・ポアロの頭脳が谺する。
戦間期の英米関係を象徴するイギリス貴族とアメリカ富豪の娘の結婚とその性格、世界一のルビー、ギリシャのユダヤ人商人、サヴォイ・ホテル、ホテル・リッツ、社交界、ニース、モンテカルロのカジノ、ピカデリー街のトーマス・クック&サンズ旅行社、豪華国際寝台列車の食堂車など、時代を象徴する華やかな舞台装置の数々と流れるようなストーリー。濃厚なボルドー・ワインを味わうような時間を楽しめた。

・食事、仕事、娯楽。イギリス人、アメリカ人、フランス人のそれぞれに対する異なりようが面白い。アメリカ的「すばやい行動」(p172)は魅力的ではあるが、フランス的人生の愉しみも捨てがたい。
・「鏡は真実を映しますが、人はそれぞれ違った場所に立って鏡をのぞいています」(p405)いいなぁ。
・何気ない第三者のひと言が、事件解決のヒントになる(p440)。注意力をいつも磨いておくことの重要さが伝わってくる。

ラスト近くのキャサリン・グレーとミス・ヴァイナーの会話が魅力的だ。フランス社交界を経験したことで、かえって英国の田舎にヴィクトリア時代的良心と安寧とを見出せた33歳のグレー嬢が、「彼」と遅咲きでも幸せな人生を送れることを願ってやまない。

THE MYSTERY OF THE BLUE TRAIN
青列車の秘密
著者:Agatha Christie、青木久惠(訳)、早川書房・2004年7月発行
2017年4月9日読了

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2017年4月10日 (月)

四都市物語 海野弘 [読書記]

1920年代におけるパリ、ベルリン、モスクワ、ロンドンを扱った本書は、著者独自の空間への視線、特にアンダーグラウンドの面から都市を俯瞰する内容となっている。

・フランス第二帝政期のパリ・オスマン大通りが、1920年代になってやっと完成したとは知らなかった(p17)。

・ディアギレフのバレエ・リュス。彼らがパリを席巻した背景に、革命により故郷を追われた多数のロシア人亡命者が深く浸透させたロシア文化(レストラン、エンターテインメント)がある。そのパリの亡命ロシア人の身分はジュネーヴ、すなわち「国際連盟の発行したパスポート」によって保証されていたそうな(p42)。

・キャバレー、地下世界、デカダンス、ダダ。敗戦後の混乱とと狂乱物価に翻弄された1920年代のベルリンをを濃く特徴づける要素たちも興味深い(p120)。

・ティー・ダンシング、フォックス・トロットにタンゴ(p238)。ジャズを「かなりいろいろなものを含む、ジャジイなもの」とのしての解釈が、すなわち1920年代のジャズ・エイジである(p235)。

・豪華ホテル、国際豪華寝台列車、オーシャン・ライナー。グローバル化の進む1920年代、「エジプトのプリンスとパリジェンヌがロンドンのホテルで最高のフランス料理を食べ、最新のアメリカのジャズを聞きながら、東と西の、夫と妻の終わることのない葛藤を繰り広げているのだ」(p260)。実に面白い時代だったんだな。また、ホテルや汽車にステノグラファー(速記者)がいて、口述筆記させることが可能だったという(p262)。

「二〇年代はこんなふうに、馬鹿げているほど途方もないことが好きな時代であった」(p276)
温故知新。戦間期にあって現代都市生活の原型が形成されつつあった時代を振り返ることは、あらためて現代社会を観ることでもある。
本書に数多く示された文学・芸術作品とあいまって、都市と人、その関係を深く掘り下げる楽しみを知ることができた。

四都市物語 ヨーロッパ・一九二〇年代
著者:海野弘、冬樹社・1979年11月発行
2017年4月4日読了

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2017年4月 9日 (日)

2017年3月 香港・マカオの旅 その3 [男ひとり旅の美学]

■2017年3月20日(月) 

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・文武廟にて

Time is Moneyなのに寝坊してしまった。
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インターコンチネンタル・グランド・スタンフォード香港。まぁ良いホテルだった。
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荷物をホテルに預けて香港散歩へ出発。
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タクシーで尖沙咀站へ。30HKD。
一昨日とは変えて、今回はメトロで香港島・中環へ向かう。旅の風情はないが早い。

ビクトリア・ロードを東へ、東へ。
今度は迷わずに「文武廟」へ到着。

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このお寺は、天井より吊り下げられた釣鐘状の渦巻き線香が有名なのだ。
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文武帝と関羽が祀られている。

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ん、何やら説明書きが置いてある。どうやら、釣鐘状の渦巻き線香を上げることができるみたいだ。
7日間燃え続ける細塔火しか上げられないみたいだが、トライしてみる。
願い事を日本語で書いて、掲げてもらって、火をつけてもらって、130HKDなり。やった!

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旅の終わりは、トラムに乗って、東方188商場へ。まだ12時前だから、ほとんどの店が閉まっている。。。
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地下鉄で尖沙咀站へ戻り、タクシーでホテルへ。トラベル・ケースをピックアップし、タクシでエアポートエクスプレス九龍站へ。60HKD。
エアポートエクスプレスはオクトパスも使えるんだな。
65分の乗車で12時50分に香港空港へ到着。

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13時20分にチェックイン。

2階のレストラン「美心 翆園」で昼食。
ビールに豚肉の皮? 牛肉料理? 何かのヌードル 結構、満腹になりました。382HKD。
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■帰国です
土産を買うのに時間がかかり、搭乗口まで早歩き!
15時にボーディングゲートへ、もう搭乗は最終段階。危ないなぁ。
B767-300は満席だし、隣席は大きな西洋人……困る……。

15時47分、出発!

■映画『この世界の片隅に』鑑賞
「みんなが笑うて暮らせればええのにね」
日常を楽しく暮らせる。それこそ最高の幸せってことか。
「お前だけは、この世界で最後まで普通で、まともでおってくれ」
「どこがどう良かったんか、うちにはさっぱり分からん」
実に良かったぞ!

19時55分に関西国際空港に到着。
23時に無事に帰宅すると、姪っ子が第一志望校に合格したという嬉しいニュースが。

幸先良いところで、弾丸旅行は終了です。
最後まで拙文にお付き合いくださり、唔該!

< 結束 >

2017年4月 8日 (土)

2017年3月 香港・マカオの旅 その2 [男ひとり旅の美学]

■2017年3月19日(日) マカオへ

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・聖ポール天主堂跡

7時45分にタクシーでチャイナ・フェリーターミナル 中港客運埠頭へ。チップ込み40HKD。
ここ九龍・尖沙咀からマカオへと向かうフェリーの唯一の乗り場には、乗船券売り場、出入国審査場、セキュリティゲートが備えられ、そう広くないエリアだが、香港の"国境"といえよう。

フェリーの二等チケットは往復で400HKD。8時30分のマカオ行きだ。このとき、戻りの時間を適当に22時としてしまったために、チケット変更代金をとられるハメとなった。

スムーズに出国し、8時10分にパースへ到着、発着場の椅子に座っておとなしく待つ。
個人、団体の日本人も結構いるなぁ。

8時30分に乗船。座席は26Rで、右の窓側だ。二等席だけど悪くないぞ。
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香港は今日も曇り。周りのC国人がすごくうるさい。
海は結構荒れている。霧で対岸は見えないな。
風邪は完治せず、まだ頭がズキズキする。
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1時間強の船旅は終わり、9時45分にマカオ入境。おや、雨じゃないか。

やむをえず、2階のコンビニ(というより雑貨店)で長傘を購入。50HKD。
マカオでの最初の買い物が傘とはなぁ。

マカオ側のフェリー乗り場はこんな感じ。
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さて、市街への交通をどうしようか。タクシーでも良いが、せっかくなのでマカオらしく、カジノホテルのシャトルバスに乗ることにした。その数、20台近くに上るが、市街にほど近いホテルグランド・リスボア・マカオのバスに乗車した。

雨足が強くなってきたぞ。観光そこそこにカジノとレストランに出向くか。

■人生初カジノ

で、地下のカジノ専用降車場へ。ここは有無を言わせずバスの乗客をカジノへ入場させる構造となっている。まぁ、そうなるわな……。
傘を預けて、人生初カジノといこう。

ルーレットは閉鎖中。スロットは興味なし。で他者のプレイを見物し、バカラが面白そうだったので、空きテーブルに着座。

無知とは恐ろしいもので、最低賭け金を知らずに着座してしまったのだ。

とりあえず200HKDをディーラーにわたすと、最低賭け金は500HKD(7,000円)とな?

結局、最初と次は勝って1,500HKDに増やし、負けて、負けて、また勝ってを繰り返し、最終的に2,000HKD(30,000円)の状態でゲームを終えることにした。
せこいけど、一回の取引額を500HKDに抑えたのが勝因だろうな。ただのビギナーズ・ラックかもしれないが。

バカラ、はまりそうで怖いぞ。
「フィニッシュ・ザ・ゲーム」の発音がなかなか通じないので、焦った。

カジノホテルの外観。ひたすら豪華さを求めるとこうなるんだな。
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では、観光と昼食だ。
少しセドナ広場を覗いて、近傍のレストラン「Solmer」へ。
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マカオビールは、少し甘口かな?
メインは迷いに迷って、日本語メニューに掲載されていた「ポルトガル・チキン、カレー風味」と「大えびのチリソース」にした。ポルトガル白ワインとの相性は……よくわかんないや。
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マンゴープリンも美味。地球の歩き方に掲載されていたためか、客の1/3が日本人だった。
610HKDなり。

■セナド広場
ヨーロッパの雰囲気が色濃く残る場所だ。
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で、一歩足を踏み込むと、こんな雑然とした街並みが現われる。これぞアジア的混沌か。
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よくわからないゴチャゴチャした道を歩き、急な坂を登り切ると、砦が現われる。

■モンテ砦
17世紀初頭に「イエスズ会」信者によって築かれた22門の大砲を持つ砦だそうで、いかに宗教勢力が武力的だったかがわかる。
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■マカオ博物館
入場料15HKD。
船、薬、絹。なるほど、東西の文化の交流はやはり興味深い。仏像とマリア像が併存するのも、このマカオならではか。

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当時の交易アジア地図。日本は地の果てか。
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ポルトガル人住居も面白い。
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14時に見学終わり。博物館のカフェでエッグタルトを試す。48HKDなり。
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■聖ポール天主堂跡
ここは絵になる。

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外壁に描かれた龍と漢字と横文字と……混沌。

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ここから見下ろすと、こんな感じ。
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アクシデント!
カメラのレンズカバーをポロリと落としてしまい、それがころころと、世界遺産の建物の溝の中へ……。申し訳ありません……。

適当に、足の向くままに散歩する。

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さて、もどろうか。15時53分に外港客運埠頭行き10系統バスに乗る。マカオコインがないので、10HKD紙幣で支払う。お釣りなしは仕方がない、
16時10分にフェリーターミナルに到着。
復路チケットを22時発から17時30分発に変更したら、料金30HKDを取られた。

で、早く出国しすぎたため、1時間近くを出国ロビーでたむろする羽目に陥った。失敗。
なんと、だだっぴろいロビーに椅子はなく、立つか、床に座るしかない。
嫌なので、平面エスカレータの端に座って待つこと50分、やっとチェックインできた。

17時30分に乗船、35分に出航。雨は小降りになったみたいだ。

船内でコーヒーを注文。25HKD。

皮財布の側面が破れて小銭がぽろぽろと落ちる。20年以上使用したから、そろそろ買い替えろってことかな。

18時38分、九龍・尖沙咀に到着。50分に入国(入境)。

尖沙咀站から地下鉄で油麻地站へ。
信和中心へ到着。この「ミニ秋葉原」ビルは、ごちゃごちゃして、香港らしさが溢れている。
日本のものが多くて感心したが、お目当ての香港雑誌・雑貨がなくてがっかりした。

女人街をうろうろ、日曜夜だけって賑やかだ。パフォーマンスも多し。
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地下鉄で尖沙咀站へ戻る。夕食は軽いものを、ということで点心にした。
えび餃子と牛肉玉、焼きそばで79HKD。ここはアルコールなしか。
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マカオは面白かった。香港の雑然とした側面も見られたし、良し。

続きます。

2017年4月 7日 (金)

2017年3月 香港・マカオの旅 その1 [男ひとり旅の美学]

まがまがしい九龍城が失われて久しく、より洗練されたとは言え、香港にはまだ猥雑な雰囲気が残っているのではないか?
また、ポルトガル領として独特の文化を育んだマカオで、カジノも経験したい。
弾丸旅行にぴったりの三連休を利用して行ってきた。

旅のテーマは次の二つだ。
■香港の新旧入り混じった街のエネルギーを直に知る
■イギリス、ポルトガル統治の足跡を視る

【参考データ】
往路便
 2017年3月18日 関西国際空港10時20分発NH873便、香港行き
復路便
 2017年3月20日 香港國際機場15時25分発NH874便、関西国際空港行き

香港宿泊先:InterContinental Grand Stanford Hong Kong(海景嘉福洲際飯店:2泊)

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二階建てトラムが気に入った。


■2017年3月18日(土) 香港行

頭痛少々、風邪っぽいぞ。でも出発。
朝7時20分、JR三ノ宮駅より関西空港行きバスに乗車。
バス内トイレで頭をぶつけて、泣きっ面に蜂。気を付けないとね。
ガイドブックを読み、概ねの行き先を決めた。

8時30分に空港へ到着。早々にチェックインし、無事に通路側の座席を確保できた。
海外旅行保険は迷ったが、やはり加入した。5800円なり。

40,033円を2,450HKD(香港ドル)へ両替。レート非常に悪し。

9時12分に出国、カフェラテとケーキ2個で940円か。

10時10分にボーディング開始。まぁ、エコノミーシートらしい座席だ。
B767-300なんて、まだ運用されているんだな。
でも、2-4-2の座席配置なので、最新の787などに比べて通路に余裕がある。

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満席となって10時25分に離陸、主翼の真横の座席なので、景色がまるで見えないや。ビールでも飲もう。
11時30分に昼食が配膳される。グラタン+白ワインはまぁまぁか。

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時差1時間。13時38分に香港國際機場へ到着した。
で、入国審査の行列がすごい。どこの空港もそうだが、なんとかならないのか。

入国が15時10分になってしまった。

Kowloon九龍行きのエアポート・エクスプレス片道切符は90HKD、万能交通カードであるオクトパスカードは150HKD。
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それにしても暑い。Tシャツ1枚の人もいるくらいだ。

14時26分、エアポート・エクスプレスは機場站をスムーズに出発。50分に九龍站着。外気温20℃。暑いはずだ。
エアポート・エクスプレスはシャトルバスが付いてくる。九龍・尖沙咀行きの乗り場K3(Tsim Sha Tsui Mody Road行き)で待つこと15分、15時10分にやっと出発してくれた。ぼろいマイクロバスだが、タクシー利用を考えるとありがたいくらいだ。

香港の車って右ハンドルだったのか! 高層ビルの間を縫うように走る多数のダブルデッカー(二階建てバス)と相まって、イギリス統治の名残りを感じるな。
曇り空の中でもワクワクしてきたぞ。
高層ビルの上層部は、霧に隠れている。

高級車の多いこと。BMWやアウディのみならず、ポルシェが普通に走っているぞ。
セブンイレブンの多いことは心強いな。

6か所のホテルを経由して15時44分、ホテルに到着。長かった。チェックインしたら16時になってしまった。
デラックスルームからプレミアルームにアップグレードしてくれたらしいが、5階の眺めはいま一つ。いちおうハーバービューではあるが、この曇り空ではなぁ。

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■お散歩開始!

16時40分、観光に出発。Mody Rd.を西へ進み、Nathan Rd.ネイザンロードへ出る。

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いつか泊まりたいペニンシュラ。

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1898年に運行が開始されたスターフェリーに乗船し、向かいの香港島へ渡る。
代金はオクトパスカードで楽ちん支払い。

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10分弱の船旅は楽し。

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17時18分、Central 中環埠頭に到着。人の流れに飲まれて歩きだす。

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中環は香港島の繁華街だ。二階建てトラムとバスが気に入った。

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HSBC、香港上海銀行メインビル。赤化により影響力を失った上海と違って、ここ香港ではその金融・経済を牛耳る存在とされる。香港ドル紙幣もこの銀行の発行による。
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このライオンに触れると金運が舞い込むらしいが……。
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で、ここで気まぐれにトラムに乗る……。
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……景色の良いのに気を取られ、どこを走っているかわからなくなってしまった。とりあえず上環らしきところで降車した。

どこだ、ここ?
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結局、地下鉄「西營盤」站の近くだとわかる。Victoria Rd.皇后大道を西へ延々と歩くことにした。

古い商店と新しいカフェ・バーの入り混じったNohoノーホーを超えると、急に起伏の多い道になる。こんな坂道なのにブティックの多いこと。

やった。目的地、ピークトラム駅へ到着した。
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さぁ頂上へ、と思ったのも束の間、乗車待ちの恐ろしい行列を目の当たりにしてショゲる。タクシーで登ろうか? いや、ピークトラムに乗ること自体が目的なのだから、おとなしく並ぶことにした。

待つこと64分! やっと乗車できることとなった。
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停車場にはピークトラムの歴史や貴重そうな資料が多数展示されていたが、この行列では閲覧できない。別に展示館を作るべきだろう。

で、この1888年開業のピークトラム、予想を超える傾斜で登る、登る。
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これは良い! 思うのだが、明るい昼間に乗車してこそ、この感動をより味わえるのではないだろうか。

しかし……、しかし。
山頂に近づくにつれて霧が増し、濃霧となってイヤな予感が胸をよぎる。

10分足らずでヴィクトリア・ピークに到着。「香港の100万ドルの夜景を愉しめる」「言わずとしれた絶景スポット」らしいのだが……。

ピークタワーの屋上展望台へ。
Oh, foggy! 濃霧でまったく何も見えないぞ! 展望台料金48HKDがパァだ。ガックシ。

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濃霧はやがて霧雨となり、下りのピークトラムに並ぶ僕を濡らしてくれる……。
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下界から見上げる香港島は、うん、きれいだ。

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バスで中環埠頭へ。15HKD。
21時18分にスターフェリーに乗船し、九龍・尖沙咀へ向かう。オクトパスの残額がないので、トークンを購入。2.8HKD。
尖沙咀站でオクトパスをチャージ。100HKD単位なんだな。

セブンイレブンへ。内部は日本のそれとずいぶん異なるな。ロンドンの"なんでも売店"と日本のコンビニを足して割ったような雰囲気が感じられる。

夕食はホテルの広東料理店へ。青島ビール、蟹スープ、シーフードライスはともかく、肉料理が最高に美味だった。
お値段もそれなりに高価だが(737HKD)。

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コンビニで買った朝食(パンと紅茶)は74HKD。夕食の10分の1か。

カメラの充電器を忘れて来た。信じられん失態だが、予備バッテリーでなんとかしのごう。

明日はマカオだ。期待に胸を膨らませて就寝。

続きます。

2017年3月30日 (木)

樽 F.W.クロフツ [読書記]

1910年のロンドン埠頭で発見された、樽に詰められた女性の死体。金貨、謎めいた手紙、深夜の探索、"消える"樽。次々と判明する事実は混迷の度を増し、ロンドンとパリをまたがる捜査網は行き詰まるが、鉄の意志を持った刑事たちの執念がひとつずつ結実する……はずであった。

スコットランドヤード、パリ警視庁、弁護士、私立探偵へと担い手が変遷し、少しずつトリックが解き明かされてゆく様は、やはりミステリーの王道だ。

・トロカデロ宮、オルセー河岸駅、繁栄するフォリー・ベルジェール、荷馬車と自動車が混在するオスマン大通り。いまでは失われたパリの光景は実に魅力的だ。

・「そこにいるのはわたしではなく、自分自身ではない誰かを見ているような妙な感覚」(p411)、犯罪に身を染めるとき、自身に悪魔が乗り移る感覚がここに顕れている。

・ラスト付近のスピーディーな展開は、急転する舞台と相まって、読書の快感を感じさせてくれた。

1910年の古き良きパリと霧の大都市ロンドンにわが身を置き、雑踏の中で謎を解き明かす感覚を存分に愉しめた。これを傑作というのだろう。

THE CASK

著者:Freeman Wills Crofts、霜島義明(訳)、東京創元社・2013年11月発行
2017年3月28日読了

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2017年3月12日 (日)

ミュシャ展 鑑賞記(国立新美術館)

「たどり着いたのは、故郷への思い」
ミュシャ晩年の壮大な『スラヴ叙事詩』20点全そろいのチェコ国外展示は世界初とのことで、神戸から東京まで出向いてきた。
(2017年3月11日)
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銀座に前泊して9時40分に国立新美術館に到着。チケット売り場は大行列(200人~)。前売り券を買っておいて正解だった。
コインロッカーにコートを預け、2階の特別展示室へ。すでに300人近い行列が……。
10時を待たずに開場してくれた。

・スラヴ叙事詩は、三つの部屋に展示される。最奥の部屋では、なんと写真撮影が可能だ。日本の美術館では珍しい試みだ。
・音声ガイド(520円)は必須。檀れいさんの優しくもハッキリした声はとても聴きやすかった。

■いきなりの巨大絵画に圧倒される!
これは第一作目の『原故郷のスラヴ民族』だ。背景に攻め寄せるは異民族、焼かれた村。手前の草叢に隠れておびえるは素朴な村人、すなわちスラヴのアダムとイブだ。その光る目の印象は強烈だ。おびえなのか、何かへの決意なのか、はたまた祈りなのか……。
天空には無数星々。空中に浮かぶ巨大なスラヴの神は、「平和」と「戦士」を従え、何を願うのか。

『スラヴ式典礼の導入』
スラヴ語での布教を認める布告を読み上げるローマ教皇の使節を迎えるモラヴィア国王。人間世界の典礼を天空から見守るは、天空に浮かぶ先代の国王とロシアとブルガリアの皇帝たち。
まるで舞台を彷彿させる構図。手前の逆光で活写された青年の力強さ!彼の右手に握る輪は「団結こそ力である」を意味するそうだ。

『フス派の王、ボジェブラディとクンシュタートのイジー』
場所は華麗なプラハ王宮。中央の豪奢な赤い法服・ローマ教皇の使節が30年前の協定を破棄し、スラヴに服従を迫る。議会によって民主的に選出されたボヘミア王イジーが椅子を蹴り倒し、ローマに公然と対峙する構図。
民主政v.s.神政の決定的な瞬間をとらえた、個人的にベストの一枚。

『イヴァンチツェの兄妹団学校』はミュシャの夢見た理想郷。手前左の盲目の老人に聖書を読み上げる青年こそ、若き日のミュシャ。画家の想いが存分に現れた一枚だ。
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『スラヴィ民族の讃歌』
クライマックス。
米国旗の目立つのは、チェコ独立を支援してくれたアメリカ人への御愛嬌か。
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展示室はこんな感じ。
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■パリ時代の傑作は永遠だ。
三つの大部屋を過ぎると一転、アール・ヌーヴォー全盛期の華やかなパリ時代のミュシャ作品が現われる。

四つの花『カーネーション』『ユリ』『バラ』『アイリス』、四芸術『詩』『ダンス』『絵画』『音楽』に続き、サラ・ベルナールのポスター5点。『ハムレット』こそ傑作だと思う。ウミロフ・ミラーも面白い。このコーナーは堺市のものだ。

■世紀末の司祭
1900年パリ万博。ベル・エポックの最盛期の祭典で、ミュシャは故郷ボヘミアをイメージしつつ、オーストリア=ハンガリー帝国政府の要請による作品を提供する。ここでは、ボスニア・ヘルツェゴヴィア館とオーストリア館の装飾の一端が垣間見られる。

意想外の収穫は、プラハ市民会館のイメージスケッチと下絵だ。歴史上の偉人を描いた絵画は構図・描写・背景ともどもミュシャらしさに溢れ、どれも一見の価値がある。個人的には『闘う魂-ヤン・ジェシカ』『警護-ホットの人々』が気に入った。

他に
■独立のための闘い
■習作と出版物
のコーナーがあり、チェコ独立後の作品、ミュシャデザインによるチェコ切手・紙幣の現物が展示されていた。


こうして画家の一生を通じての作品を目にする機会はあまりないだけに、大きな感動を得られた展示であった。2時間なんてあっという間。
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■ポール・ボキュール・ミュゼ
リヨン郊外の本店は敷居が高すぎて断念したが、国立新美術館3階のはブラッスリーということで、入ってみた。
10人待ち。一人客もいたので安心した。
ランチとチェコワイン(グラスワイン)は美味。見た目も良し。
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今度は誰かと、また来よう。

芸術に触れるのは小さな非日常。空間とともに楽しむのが吉だな。

ミュシャ展
2017年6月5日まで開催
国立新美術館
http://www.mucha2017.jp/

2017年3月 8日 (水)

サロメ 原田マハ [読書記]

ヴィクトリア&アルバート博物館の客員学芸員にしてビアズリーの研究者、甲斐祐也。ロンドン大学のジェーン博士より彼に提示された100年前のそれは、<サロメ>に掲載されなかった1枚の挿画、幻のクライマックス・シーン。凍り付くサヴォイ・ホテルのティー・サロンで、オスカー・ワイルドの研究に長けたジェーン嬢は口にするのだ。<サロメ>の本当の作者は誰なのか……。

序盤からグイグイと引き込まれる展開だ。
稀代のパフォーマー、オスカー・ワイルドと天才画家ビアズリー。そして……。三人の暗い愛憎劇がパリとロンドンを駆け巡る。

・装丁は世紀末ロンドンの文芸誌The Yellow Bookを彷彿させ、手触りを含めて実に味わい深い。表紙はビアズリーの問題の挿画だ。また、ところどころに挿入される黒紙=幕が、演劇ライクな効果を生み出している。

・序盤ではワイルドとビアズリーの立ち位置と、1890年代パリとロンドンの芸術界の背景を愉しめた。

・ビアズリーとその姉メイベルが、バーン=ジョーンズ邸でオスカー・ワイルドと邂逅するシーンはとても印象的だ(p92)。そして、<サロメ>の挿絵を依頼される「火花」のシーンも(p125)。

・サラ・ベルナールの<ハムレット>(コメディ・フランセーズ)とジェニー・リーの<ジョー>(パブリック・シアター)。終演後の空気感がそのまま伝わってくるような描写は素晴らしい(p126)。「人生のすべてを変えてしまうほどの力」(p118)はわかる気がする。


本作は、メイベルの物語でもある。「体内でどす黒い嗤い」が沸きたち(p264)、がらんどうの体の中で弟の言葉が谺する(p270)後半には、ワイルドに執着する者が誰であるのかがみえてくる。

ああ、口づけのもたらすもの。その意味を知り、重いページを閉じた。


サロメ
著者:原田マハ、文藝春秋・2017年1月発行
2017年3月8日読了
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2017年3月 5日 (日)

ロンドン散策 フロラ・トリスタン [読書記]

1839年のロンドンを活写するフィールドワークと民衆思想の成果がここにある。
「人間の生命が金と引き換えられているのだ」(p112)として、著者が奴隷制よりも過酷だと述べる工場労働の現場、貧民街、売春宿、悪と不幸が混同される監獄、国会、チャーティスト集会などを渡り歩くのは、画家ゴーギャンの祖母にして訪英4回目のフローラ・トリスタンである。
フランス人の視点から多少のバイアスがかかっているとはいえ、基本的人権すら踏みにじられた下層階級の悲惨な姿、特に女性のそれが黒く、赤くあぶり出される。

・チャーティスト運動への共感を示し、共産党が存在しない時代に税の平等、平等な市民権、政治的権利を要求し、「所有は強奪してしまえばそれで正当化できる」とする貴族階級とトーリー、ブルジョアを支持するホイッグを非難する(p85)。特権的地方公務員を含む政治権力が独占的利益と高給、高額な年金、閑職を享楽する姿は、現代日本でも変わらない。

・ビッグベンを擁する国会議事堂は女人禁制。憤慨したフローラはトルコ外交団の協力を得て(p94)、男装して傍聴席へ歩を進めるが、下院ではあからさまな罵詈雑言を吐かれて非難され、上院では冷ややかな軽蔑の眼差しにさらされる。よって彼女の国会描写は、ウェリントン公爵の演説の講評を含めて、実に辛辣である。

・「イギリス的唯物主義がその神のために建てた寺院」(p121)とは、何のことか? ロンドンを訪れた外国人がみな一様に驚く、公然と整備された豪華な売春宿のことである。社会観察家として、フローラ・トリスタンは二人の護衛をつけて夜のロンドンを歩く。下層階級の醜態が繰り広げられるウォータールー(ワーテルロー)通りだけではない。上流人士の集まるそこは、著者に際立つ嫌悪感を、読んだ僕に怒りすら覚えさせる醜悪な光景が繰り広げられるのだ。絶世の美女がドレスを泥だらけにして地面に這いつくばり、酒をかけられ給仕に蹴られ…(p122,p346)。その遠因として、財産の使用権も相続権が男に集中するとともに、貞操観念のダブルスタンダートが横溢する状況を著者は告発する(p116)。しかし結婚のことを奴隷化とは言いすぎかと(p117)。

・宗教に関する著者の見解は興味深い。「狂信的でも盲目的でもない人間」(p158)にとって、宗教的な教えはただ外面を変えるだけであり、ヨーロッパの民衆にとって、宗教はもはや一種のアクセサリーにすぎず、社会機構は宗教内で機能している(p160)とし、死刑囚の刑の執行に付き添う司祭や牧師の無用性を説く(p157)。

・「どんなに錯乱した想像力が見る夢も、このすさまじい現実の醜悪さには、とても及ばないだろう」(p183)とは、アイルランド移民の多く住むセント=ジャイルズ地区の描写である。犬とジャガイモの皮を奪い合う貧しさ。イギリス人が恥じて案内を拒む場所。著者は「自分に課した責務にふさわしいエネルギー」がこみ上げてくるのを感じながら、貧しいこの地と、ユダヤ人地区、盗品のスカーフを売る通りに入り込む。

・1833年にイギリスが奴隷貿易廃止法を成立させた理由は人道的なものか。否、と著者は強調する。ヨーロッパ市場でインド生産物の有利な状況を確保するために、西インド諸島の生産量を抑制すべく、奴隷売買は禁止されたのだ。そして解放された黒人奴隷に私有権はなく、納税義務と搾取的労働を強いられていると(p187)。歴史を表面的に見てはいけないってことか。

・ナポレオンをアンチ・ヒーロー=専制君主の権化と捉え、ワーテルローの戦いを民衆革命の側から捉えなおした14章は面白い。すなわち、決してフランスの敗北ではなく自由の勝利であり、民主主義を真の意味で前進させたターニング・ポイントであるとフローラは説く。

バルガス=リョサ『楽園への道』(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集)を読んで、フローラ・トリスタンの存在を知った。マルクスと同時代に生きて別ルートから社会主義の意義を深く追究するとともに、性差の解消を強く主張した彼女の功績は、もっと知られて良いだろう。

あと、当時のフランス人の特性からか、イギリス的なものごとに対する辛辣な批判が随所にみられるが、これらは割り引いて理解するべきだろうと思う。

Promenades dans Londres ou L'aristocratie et les proletaires angles
ロンドン散策 イギリスの貴族階級とプロレタリア
著者:Flora Trintan、小杉隆芳/浜本正文(訳)、法政大学出版局・1987年3月発行
2017年3月5日読了

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2017年3月 4日 (土)

ギャスケル短篇集 [読書記]

1847年~1858年にかけてディケンズが編集長を務めるHousehold Words誌などに発表された短篇8編を収録。
CRANFORD(クランフォード、女だけの町)に劣らぬ傑作ぞろいだ。

『The Sexton's Hero 墓掘り男が見た英雄』
老人の語る、ギルバート・ドーソンの英雄的行為。キリスト教的価値観。夜の干潟でのライバルの危機に際しての究極かつ壮絶な選択。心を打たれた一篇だ。

『Bessy's Troubles at Home 家庭の苦労』
入院した母に代わって家庭の一切を取り仕切ることにした15歳のベッシーは、はりきって理想の家庭を作ろうと奮闘する。工場勤めの二人の兄、学校通いの二人の兄妹、幼い妹。思うように事は運ばず、ある事件が発生し……。
気まぐれな思い付きに惑わされず、割り当てられた仕事をおろそかにしない。このプロテスタント流の教えこそ、人生の教訓か。

『The Well of Pen-Morfa ペン・モーファの泉』
小町娘と呼ばれ、婚約も決まって幸せな日々から一転、泉での怪我により半身不随となったネスト。
突如訪れた不幸。それでも人が境遇に打ち克ち、力あるうちにその生涯を閉じる。ウェールズ地方を舞台に、キリスト教的兄弟愛の壮大さに彩られたこの物語こそ、本短篇集の第一の力作だと感じた。

他に
『The Heart of John Middleton ジョン・ミドルトンの心』
『The Old Nurse's Story 婆やの話』
『The Harf-Brothers 異父兄弟』
『Lizzie Leigh リジー・リー』
『The Sins of a Father/Right at Last 終わりよければ』
を収録。

ギャスケル短篇集
著者:Elizabeth Gaskell、松岡光治(編訳)、岩波書店・2000年5月発行
2017年3月4日読了

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2017年2月24日 (金)

西欧紀行 祖国を顧みて [読書記]

本書は、1914年に国費留学生としてブリュッセル、パリ、ベルリン、ロンドンを1年間渡り歩いた著者の欧州滞在記と、そこから導かれた東西文明論が展開される。すこぶる愉しい読書体験を味わえた。

・自然をあるがまま、ひとまとめに圧縮したものが日本文化、細部に分解し、その結果を再統合したものが西洋文化とある(p23)。わかりやすい。あと、彼の地では平等思想が勢いを増しつつあるにもかかわらず「驚くべきほどの階級の思想がある」ことを著者は特徴としてあげる。

・個人主義と権利の主張。カフェでの釣銭とチップ問題(p32)。文明国で"家"を有するは日本のみであり、西洋のそれは鍵付き"部屋"である(p43)、犬の茶碗と人間の茶碗(p64)、トイレ問題(p66)など文明比較は多岐に渡る。

・整頓、秩序、組織という文化(p184)と、自由の気風の差異。独逸式と英国風の比較論が興味深い(第3章)。

・パリでは下宿探しに骨を折り、カルナヴァレ博物館の展示物にアントワネットはじめギロチンに斃れた人物の啾々(シュウシュウ)たる鬼哭を聞き、自動車の車掌や荷馬車の馭者に革命の血潮の流れるを感じる(p215)。女権拡張論者のデモに期待して出向くも、期待外れに終わり……と実に面白い。

・ベルリン滞在中にグレート・ウォー=第一次世界大戦が勃発。日本がロシアに宣戦布告したとの偽情報が街に広まり、日本人が大歓迎される様子は面白いが、後に敵国に回ったことが知れると日本人は次々に拘留される。著者はその二日前にベルリンを脱出し、手荷物ひとつでロンドンへと赴くことになる。その逃避行の切羽詰まった様子がリアルに上述される(p137)。

・独逸の興隆を脅威に感じていた英国にとって、ドイツとフランス・ロシアの開戦は好機であり、むしろ好んで対独戦争を遂行したとある(p158)。なるほど、外交も戦争も、イギリスはしたたかだ。

・ロンドンでは、寄席「エンパイヤ」で出し物を観る。1シリングの平土間でコント、女性ヴォーカル、道化師梅など7~8種のヴァラエティを愉しめたとある(p235)。いまは廃れたミュージック・ホールの全盛期を堪能したってことか。日本人出演者、小天一の水芸とは何だろう、気になる。

・最期はロンドンの物価高に音をあげて、ハンプシャー州のチリガミもろくに無いような小農村に家を借りることになる。地主富裕層と労農者のあまりの格差に憤る一方、日英同盟の影響もあって、彼の地でも日本の文物の知れ渡っていることに著者は嬉しさを感じ取る(p244)。

彼の地で遠く日本を顧みて、彼が結論付けたもの。それは日本文化の独自性であり、日本民族の優れた特性である。狭隘な愛国主義に陥ることなく、異国の地で彼我の文明比較を行い、あらためて自らを識ることの意義を知らしめてくれる一冊と言えよう。

西欧紀行 祖国を顧みて
著者:河上肇、岩波書店・2002年9月発行
2017年2月13日読了

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2017年2月18日 (土)

『ファッション都市神戸』展&『パリに生きる パリを描く』展鑑賞記

1920年代の服飾が気になり、六甲アイランドへ出向いてきた。
(2017年2月18日)

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神戸開港1868年1月1日から1990年代までのモードの変遷が一望できる展示。洋菓子、木工、清酒、コーヒー、アパレルなどの地場産業の紹介も。
個人的には、1920~1930のものとされるライトブラウン・シルクの「ワンピースドレス」が気に入った。
ビデオ展示では、まさか昭和5年の神戸港大観艦式(潜水艦を含む艦艇160隻、航空機70機)の映像を見ることができるとは思わなかった。

神戸ファッション美術館
http://www.fashionmuseum.or.jp/
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併せて、小磯記念美術館で開催中の特別展『パリに生きる パリを描く』も観てきた。

お気に入りを何点か。

■梅原龍三郎「Paris Landscape 巴里風景」(1965年)
大胆な筆のタッチに街の活気が漲るよう。

■大橋了介「In Paris パリにて」(1929年)
灰色の空から、おそらく冬の午前中の裏路地を描いたと思われる。路地右手を行くは花売り車だろうか。
街の色彩の豊かさが心地良い。

■里見勝蔵「Cafe In Nesles-la-Vallee ネル・ラ・ヴァレのキャフェ」(1924年)
手前左の赤いカフェのみならず、低い空の存在感が特筆される。

■荻須高徳「"Aveille", Montmattre モンマルトル”アベーユ”」(1973年)
もう一度、あの高台に行きたくなる。

神戸市立小磯記念美術館
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/

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芸術に触れるのは小さな非日常。空間とともに楽しむのが吉だな。

2017年2月16日 (木)

砂漠の影絵 石井光太 [読書記]

社会的使命、個人的事情、興味と自己満足。理由はどうあれ戦地に赴き、ファルージャの地でイスラム過激派の人質となった5人の日本人の運命を、囚われた男女、イスラム戦士、日本人ジャーナリスト、家族、社会の側面から描き出す。
それにしても「自己責任」、あまりにも政府に都合の良い言葉の暴力にさらされるとは。

・イラク人のためのNGOで働き、囚われの身になってからも他人を気遣い、隣人愛を説いてきた静香の最期は壮絶だ(p189)。励ましあいの『蛍の光』が哀しみの唱歌と化して……。クリスチャンとムスリムの反目は、かように一個人の運命を歪めてしまうのか。

・人質ひとりの殺害に対し、街全体の破壊をもって報復する米軍の恐ろしさもさることながら、作中のイラク聖戦旅団の「人質を殺害する理由」には疑念が生じる。無作為に他人の命を交渉の手段とするは聖戦士に非ず、犯罪そのものであろうに。その意味で、彼らは自らがテロリストであることを自覚しなければならない。

ラスト近く、優樹と海男の運命の分かれ道。その理由の残酷さには、うなだれるしかない。
それにしても、政府は国民を護らない。彼らは彼ら自身を守るための存在でしかない。そんな当たり前のことを再認識させてくれた。

パレスチナ、アフガニスタン、イラク、シリア。戦火と怨嗟の連鎖の続く中で他人の命を想う。それは光明へとつながる生き方となりうるだろうか?


砂漠の影絵
著者:石井光太、光文社・2016年12月発行
2017年2月17日読了

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2017年2月12日 (日)

モダンガールの誘惑(モダン都市文学Ⅱ) [読書記]

「後世の歴史家は、一九二六年、モダーン・ガールの言葉が新聞雑誌に現れた時を一紀元として、その日本の男女社会を論ずる筆を新しくするであろう」(p403)とある通り、1980年代の日本における男女雇用機会均等法などが整備された遠景に、1920年代のモダン・ガールのセンセーショナルな登場があるように思われる。
本書は16編の小説、9編の論評・座談会と、小コラムから構成され、大正末期から昭和初期にかけて都市に活躍し、悩み、恋して生きたモダン・ガールと周囲の人物の醸し出す雰囲気を堪能することができた。

■堀辰雄『不器用な天使』
都会生活を満喫する若者と女、その揺れる心。スピーディな文章が時代の躍動を感じさせる。

■丸岡明『霧』
別荘地を舞台に女学校出の女子の一ページが描かれる。若い大学講師と会うどぎまぎ感が伝わってくる。モダンな文体をとことん楽しめた。
「こんな神経須弱のニヒリストは、ジャズを聞いて気が狂うといい」(p47)

■吉屋信子『ヒヤシンス』
「おお糧のためには愛する人をも裏ぎる恐ろしい屈辱――」(p146)
没落した中流家庭の子女の運命に、「独立した職業婦人」であるタイピストの置かれた弱い立場。泪の文字が似合う、胸の痛む一篇。

他に、冒頭の少女堕胎手術が衝撃的な龍胆寺雄『魔子』、48歳独身女性の恋愛観を描く深尾須磨子『マダム・Xの春』、ダンサーの悲しい恋を描く村山知義『スパイと踊子』、ステッキ・ガールと円タク・ガールの妖艶さが光る久野豊彦『あの花! この花』、モダンガールを超越した大陸の少女の印象的な久生十蘭『心理の谷』等を収録。

モダン都市文学Ⅱ モダンガールの誘惑
編者:鈴木貞美、平凡社・1989年12月発行
2017年2月12日読了

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