2010年2月 4日 (木)

ロンドンの二人の女

ロンドン郊外の高級住宅街の住民たちと、同じ地域のフラットを間借りする最底辺の女。
弁護士、開業医、デザイナーに、ギャラリーのオーナー。かたや、年中貧乏な服装を纏い、政府から支給される子供手当すら賭け事に費やす、街の嫌われ者。
スコットランドから友人を訪ねてきた女性弁護士は、その友人=ミズ・ジキルの依頼を聞かされ驚愕する。自分の家を恵まれない女=嫌われ者のミセス・ハイドに譲るための手続きをしろ、と。行き過ぎた個人の慈善行為に賛成できない弁護士は、ミセス・ハイドの素行を調査するが……。

「ポスト・フェミニストの女性が使う手よ。マリリン・モンローの奸智でスターリンの目的を達するってわけね」(p113)

「人間は自由意志を持ち、自分の行動に責任があるとする初期キリスト教徒の立場に戻らない限り、人類に希望はない」(p96)

嵐の夜、高級住宅街を恐怖に陥れた連続暴行魔が殺害され、犯人=ミセス・ハイドであるとその現場を目撃した複数の住民は主張する。それが事実であるにせよ、不可解な謎はミズ・ジキル友人である精神科の医師を狂人に変貌させた。

夫に捨てられ二人の幼子を抱えて生活保護に頼り、周囲に疎んじられ、アパートの家主からも立ち退きを迫られ、精神を病んでいく女性。服用する薬の効果に疑問を持ち、偶然、他の薬を併用したところ……。
華やかな職業を手に自立し、若く闊達で美しく、周囲の受けも良い成功者としての女性。
この境遇の違い、あまりにも惨い近隣住民の仕打ちが、社会的弱者の自分をさらに追い込んでゆく。
最終章に収束する告白は、現代社会における二つの女性の現実をあからさまにする。

幸福に生き続けることの難しさ。
いつか訪れる挫折への心構えを養うには、やはり社会の混濁に身を投じるしかないのだろう。

TWO WOMEN OF LONDON
ロンドンの二人の女 ミズ・ジキルとミセス・ハイドの不思議な事件
著者:エマ・テナント、相原真理子(訳)、白水社・1992年8月発行
2010年2月4日読了

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2010年2月 1日 (月)

漱石 引きこもりの謎 ~100年前のロンドン留学~

風邪なので休暇。夕方に快復したので、録り溜めたTV番組をチェックする。
"ロンドン"と"漱石"でピンときて、録画しておいたNHKの番組を見た。
(放映日は2009年8月13日。)

イギリス支店に転勤した商社勤めの若い日本人女性が「引きこもり」になり、支店長(日本人)に当時の漱石の行動を調査するよう言われ、その足跡を追う話。

当時の文部省の命令により、単身でロンドンに乗り込んだ夏目金之助。
ときは1901年のヴィクトリア時代。フランスをも寄せ付けず、世界覇権をものにしていた大英帝国の全盛期だ。
「どこかアジアの片隅から来た小さな人種」は、当然、イギリス人から理解されるはずもない。背が小さく黄色い自分の姿はコンプレックスとなる。留学期間は2年だが、下宿を転々とし、英国人の先生のところへも顔も出さなくなり、やがてひきこもる。
日記もパタリと書かなくなる。妻、鏡子への手紙の中で「頭がおかしくなりそう」と訴える様は痛切だ。

この小さな下宿の部屋で、これまでの自分は、浮き草のように文学を彷徨うだけの存在であったことに漱石は気付く。英文学の狭い範囲の蔵書を一時封印し、それまでひもとくことの無かった分野の本を読み出すようになる、
そして、自己本位に立ち、著書その他の手段による文学作品の執筆(公開)を自分の生涯の事業とすることを決意する。

ロンドン留学。そこでの引きこもり期間=悩み抜くだけの時間と決意が、偉大な夏目漱石を育んだというのだから、本当、何が起こるか分からない。
「つまり、ヨーロッパのものまねをするのではなく、日本がすごいと思うのでもなく、自分自身が考えたことをかたちにするってことか」
出演女優のつぶやき。結局、これが結論ってことか。

齋藤孝氏、姜尚中氏らの留学時代の経験談も挟み込まれ、若い自分の苦悩が貴重な経験であることを示唆している、

近代の本質を日本人として最初に理解したのが漱石。(姜尚中氏の言葉)
100年後の現在でも読み継がれるのは、西洋近代と日本の関わりの原点が漱石の体験と作品に内包されているから。そう言うことか。

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2010年1月30日 (土)

王たちの行進

20世紀後半の最大の出来事といえば……ベルリンの壁の崩壊! 1989年の東欧大激変を舞台に、エネルギッシュな日本人と新世代ロシア人の活躍を描く。

スピード出世した総合商社を退職し、事業を興す決意に燃える主人公は、イギリス人の自称"ビジネスマン"(MI6)の仕事を請け負い、ハンガリーへ入国する。
オペレーション・スバボーダ。(ロシア語で"自由"。)
時は1988年。鉄のカーテンの倒壊に向けて、時代の勢いは加速する……。

サーシャの親父、ブラスコフ退役少将は「頑迷な保守的ソビエト人」だ。だがその生き方は、明治人に通底するものがある。最後まで矜持を保つ姿が感動的だ。

作中、ハンガリー外務省職員が登場する。ソビエトの頸木から逃れよう、本来持つべき自由を取り戻そうとの強い思いが、カネを目的としない崇高な行為となる。何より「1956年、20万人同胞を殺害された恨み」は強く、国家として共産主義の挑戦状を叩き付けることの動機が、ここにある。
ドプチェク氏の回想録を読んだとき、少なからぬ感動を抱いたことを思い出したぞ。(こちらはチェコスロバキアだが。)

・ヘーゲルの「地平線の彼方に光を見た男、すなわち英雄」
・小さな知識と狭い経験ほど危険なものはない。
・今日一日、今一刻の命
・国や民族を十把一絡げに考えない。あくまでも個人を見る。
・世界はダイナミックに動いている。不可能という言葉など認めてはならない。

まぁ、最終章手前の、男にとって実に都合の良い展開はご愛敬だが、それも神の意志が働いた、とされる。
この描写を読んで思い出したのは、元ソ連外相、エドワルド・シュワルナゼと著者との対談だ。インタビュアーとしての著者の最初の質問が「神の存在を信じるか?」であり、これはシュワルナゼ氏をひとめ見て、突然、啓示を受けたように湧いた質問だという。で、シュワルナゼ氏の回答は「神は信じないが、天空に偉大な何かが存在することを感じている」だったと記憶している。
ゴルバチョフ氏の隣に立ち、実質的にソ連政治の方向性を決めたシュワルナゼ氏。祖国グルジアの大統領に就任するまでは良かったが、エリツィンのロシアに執拗に圧迫され続けた。軍事介入と傀儡政権の擁立には果敢に対抗するも敗れ去り、ひっそりと舞台から消えていった……。
人生とはままならないものだと、つくづく思う。

王たちの行進
著者:落合信彦、集英社・1998年6月発行
2010年1月28日読了

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2010年1月 5日 (火)

21世紀型戦争 LIC (低強度型紛争) とは何か

911同時多発テロ以降、いわゆる「非対称型戦争」に関する記事が雨後の竹の子のように表れたが、これは当該事件の発生前に発表された論文だ。
研究所レベルで警鐘が鳴らされても一般政治レベルで取り上げられる可能性は少ない。その典型的な事例だろう。
ただ、当時の風潮に倣って、北朝鮮に照準が当てられているため、超大国対アルカイダの記述はない。

1986年の米軍によるリビア空爆、1998年の米英軍によるイラク空爆(湾岸戦争以上の爆薬が投入された)がLICの事例として取り上げられ、近代的な軍事力が必ずしも有効に機能しないことが論じられる。
そしてLICの発明者は毛沢東であり「人民の軍隊」、「拠点の自由な移動」、ゲリラ戦術に的を絞った「遊撃軍」がその特徴とされる。1930年代に日本軍を苦しめた中国共産党軍(八路軍)の行動を、当時の参謀本部の記録や将校の回想を通じて改めて見ると、まさにベトナム戦争や、今日のアフガニスタン戦争を先取りした戦術だったことがわかる。
泥沼化した日中戦争の解決の見通しの立たないまま、真珠湾への道を選択したことは、自己の能力を過信した現れだ。
2010年現在の米国がイラク問題に早々に見切りを付け、アフガニスタンとイエメンに注力することを選択したのは、いずれ3桁以上の犠牲者を出すにしても、戦略的に正解かも知れない。

LICに関連して、ネット(1998年にはGoogleはなかったんだなぁ!)やマスコミの活用、迫害されている住民の利用等、国際テロリストに極めて有利な環境が整いつつあり、重装備の正規軍では対処し得なくなるだろうことが述べられる。

その帰結が、あの、911同時多発テロ、か。

「戦争で勝つのは、正しい者ではなく、一番強い者である」
(Hans Kelsen)
国家の上位組織は無いこと、国際テロリストを包囲する統合された国際組織に欠ける現況では、テロは増加する一方だな。さて、どうやって身を護るかな?

21世紀型戦争 LIC (低強度型紛争) とは何か
著者:潮匡人
文藝春秋社刊「諸君! 1999年3月号」所収
2010年1月5日読了

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2009年12月31日 (木)

PEN 2008年2月1日号の特集は「ロンドン新世紀」だ。

ロンドンに行きたくなり、PEN誌のバックナンバーを購入した。(Amazonの中古商品)

パリとローマは過去と伝統に縛られて変貌を遂げられず、ニューヨークは偏狭な価値観に凝り固まっているのに対し、ロンドンは常に姿と価値観を変え、これからも世界をリードする都市であり続ける、とのインタビュー記事があった。なるほど。

興味深い記事があった。

日本でも市民権を得て久しく、まるで葵の御紋のように"濫用"される「エコ」だが、ロンドンでは、「エシカル」なる概念が浸透している。ethical、すなわち倫理的な、道徳的な、の意味を拡大解釈し「倫理的に正しいライフスタイル」を指す言葉として定着しているらしい。

どこまで理解できているのか、実はよくわからない「地球環境問題」や「人権・人道問題」に対し、まずは身近に実践できることから関与し、個人レベルで貢献しようというものだ。いわゆるエコな生活だけでなく、チャリティやフェア・トレードをも含むのが特徴だ。
大げさに構えず、まずは第一歩から。

エモーショナルな世論に惑わされることなく、自分の意志で「正しいライフスタイル」を実践することが、エコロジーに貢献することになる。個人主義、民主主義の生まれた西洋社会には、まだまだ学ぶことは多いな。

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2009年12月30日 (水)

「知の衰退」からいかに脱出するか?

長らく世界第二位のGDPを誇り、世界の大国を意識してきた日本。しかし2010年、ついにGDPが中国に追い抜かれ、世界第三位に転落することが確実となった。この先、産業競争力も低下してインドの後背を観ることとなり、人口も減少して活力を失い、没落するのは目に見えてくるようになった。
決して死滅しないが、緩やかに衰退し、世界から見捨てられ、どうでも良い存在に成り下がる。これを著者は「ポルトガル現象」と呼ぶ。国民に危機感がないとどのような状態に陥るか、そのわずかな例が示されているが、恐ろしいことだ。(434頁)

知の衰退が起こっている。
自分で考えることをしない人々が増え、TVなどマスコミを通じて喧伝されるエモーショナルな意見を鵜呑みにし、これを世論であると錯覚する。深く考えずに意見だけは持つこととなり、これが政治までも左右する。自民党の大勝した郵政民営化選挙や、年金問題に翻弄された参議院選挙が、その典型だ。

記憶力を中心とした偏差値教育の弊害は古くから言われているが、著者は「何より大事なこと」として、"自分で考える力"、"考えたことを実行する勇気"、"結果が出るまで続ける執念"の3点を挙げる(258頁)。これってまさに、仕事を成功させるために、そして自己実現のために必要なこととして当てはまるなぁ。

英語を外国語ととらえることが間違いだと著者は説く。それは標準語であり、これをマスターしないことにはビジネスも政治も学問も外交もできない、と。そのためドイツ、韓国、中国では猛烈な英語教育が行われている。小学1年から教えるのはもちろん、一流大学の授業は英語で行われ、入社資格がTOEIC900点以上ときた。2015年には中国の英語人口は米国を凌駕するそうだ。(295頁)

最終章では、「教養」の定義が変化したことが明らかにされる。これは大変なことだ。
昔ながらの哲学、古典文学、クラシック音楽等が顧みられなくなったことは、実は日本国内に限ったことではなく、世界共通の傾向であると指摘される。
で、21世紀の教養は何か? 著者によると、最近、欧州はじめ世界の指導者との会話で二つのテーマがクローズアップされているとのことだ。
ひとつは社会貢献。たとえば、アフリカ・アジアの貧しい人々のために"自分が"何をしたか。もうひとつは地球環境問題への関与。知っているだけでなく、自分がどう貢献しているか、が問題となる。
つまり、哲学やギリシア神話の知識は重要ではない、ということ。

「現在求められている『21世紀の教養』は、サイバー社会も含めた最新の情報に基づいた"考える力"であり、それによって地球市民としてどのように社会に関わっていくかという意識である。そして、そこから導き出されるアイデアこそ、今後の力の源泉である。またそれが世界の中でリーダーシップを発揮できる源泉でもある」(431頁)

つまり「地球市民」としての社会と環境への関わりが問われる時代になったと言うことか。
くだらないテレビやどうでも良い記事ばかりの新聞に頼らず、ネットをこまめに活用して世界が関心を寄せる共通の問題を把握し、自分の見解を持つことが肝要、と。
よし、チャレンジしよう。

Decline of Collective Intelligence
「知の衰退」からいかに脱出するか?
そうだ! 僕はユニークな生き方をしよう!!
著者:大前研一、光文社・2009年1月発行
2009年11月21日読了

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2009年12月28日 (月)

蒼穹の昴 日中合作でTVドラマ化!

Blu-ray レコーダで紅白の録画予約と年始番組のチェックをしていたら、
 日中共同制作ドラマ「蒼穹の昴」への招待
なる番組を発見した!
元旦、1月1日16:15より放映されるらしい。

蒼穹の昴と言えば、"鉄道員"と並ぶ浅田次郎さんの代表作だろう。この作品を読んだ感動は忘れない。(科挙に合格した梁が、亡き母親を思ってとった行為には、正直涙した。)

時の宰相が蠍の毒により暗殺されるシーンは、命のはかなさが際だっている。あっけなく、本当にあっけなく命を落とし、それまで築き上げた全てが水泡に帰すのは胸が痛い。

かと思えば、イギリス人を震え上がらせる李鴻章の超人さも興味深い。後に権力を簒奪する袁世凱も、ここでは人間味溢れ、李を敬愛してやまない軍人としての姿が描かれる。

これらの「隠し味」がどうアレンジされるのか、いまから楽しみだ。

今年2009年は「坂の上の雲」が連続ドラマになり、「沈まぬ太陽」が映画化された。ADの作り笑いが腹立たしく実に内容の下らないバカ番組(バラエティというのか?)は観る気がしないが、こういった大作のドラマ化は大歓迎だ。

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2009年12月27日 (日)

地獄の花

謹厳な養母との二人暮らしからの生活から逃れるように、黒渕家の家庭教師となった園子。東京女学校を出てから出世欲と野心にかられ、数々の求婚者を拒絶して英語学校を卒業するも、虚心にとらわれ無為な日々を過ごすうち、知人の紹介で女学校に職を得てから3年後のことだ。(26歳っても明治30年代のことだから、現在で言う"晩嬢"だな。)

財産家である黒渕家の出自は潔白なものではない、ゴシップ新聞(現在の大半のジャーナリズムもそうだな。威厳があると勘違いしている大新聞も含む)と社交界(現在ではネットか)の風評により、社会的に抹殺された一家だ。そこの長女、富子も26歳で、バツイチ。財産目当てに結婚した法学士・大学助教授には芸者と隠し子がいて、富子から離縁状を突きつけたそうな。
以降は、世を卓越した観念を持って独り暮らしを続けている。財産あるから気楽な毎日だ。

黒渕家が避暑地へ移る際、園子も同行するよう請われ、小田原海岸の別荘の一室に起伏することになる。7月のある日、宣教師で文学者の笹村が小田原へ宿泊していることを知り、園子は胸をときめかす。接吻を交わした仲だから、両思いのハズなのだが……。
砂浜での逢い引きの翌日から、黒渕家の奥方、縞子の態度が急変する。使用人扱いするだけでなく、露骨に侮辱する態度に腹を立てるが、その理由がだんだん分かって来るにつれ、園子の苦悩は深みを増してゆく。

勤め先の校長からプロポーズされ、しつこくつきまとわれ、嵐の夜に操をを奪われ……。

世間の言い囃す"地獄"の中に、自分の信じる道を見いだした園子は、富子に言い放つ。
「人は此の自由自在なる全く動物と同じき境涯にあって、而して、能く美しき徳を修め得てこそ、始めて不変不朽なる賛美の冠を、其の頭上に戴かしむる価値を生ずるのである。否、始めて人たる名称を緩さるるのである」
(26歳の女性の言葉とは思えないが。)

この作品が発表されたのは明治の世。センセショーションを巻き起こしたことは想像に難くない。
永井荷風って人は、その生活もそうだが、本当に自由人だったんだな。

地獄の花
著者:永井荷風、岩波書店・1986年5月発行
[荷風小説一]所収
2009年12月27日読了

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2009年12月24日 (木)

鉄人28号 神戸・新長田の鉄人プロジェクト

"地域興し"なのかな? 通勤経路のひとつになるJR新長田駅の北側にあった活気のない公園を潰し、横山光輝さん原作の鉄人28号の実物大モデルが据え付けられた。2009年11月のことだ。時間ができたので立ち寄った。(2009年12月21日)

第一の感想は「でかい」だ。いわゆるオタク向けの作品ではないので、多数の一般人がカメラを向け、幼子が喜んでいる。健全な光景だ。
神戸で「らき☆○タ」の聖地巡りみたいなことは避けてほしいものだ。

この新長田、平成7年1月17日(7117)の阪神大震災で甚大な被害が出たところだ。
JRの駅もつぶれ、難儀したことを思い出す。当時の小規模な商店街は燃えてしまい、兵庫県と神戸市が中心になり、街の再構築が行われたが、良かったのか、どうか。
わずかに残った細い路地と、決して豊かでないが情緒ある下町の光景は、残しておいて欲しいと思う。

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2009年12月23日 (水)

新丸の内ビルディング

久しぶりの東京出張だ。昼間の空き時間を利用して丸の内に立ち寄った。(2009年12月22日)
レンガ造りの重厚な東京駅は、外装を中心に改装工事中。近代日本の代表的建築物であり、日本遺産とも言えるだろう。東京ターミナルホテルだっけ。いつか宿泊したいな。

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前から訪れたいと思っていた、新丸の内ビルディングの中を歩いた。7階までは自由に動けるようだ。
昼食休憩にかかる時間帯なので、店頭のランチメニューを覗く。高い! 2千円から4千円のランチが平然と並んでいる。そして、どの店もいっぱいだ。
結局、1,680円の和風とんテキセットにした。ボリュ-ム多いから、まァいいか。
丸の内OL(いまは丸の内レディーって言うのか?)は、みんな美人に見える。幻覚かな? そして外国人が多い。うんうん、丸の内の雰囲気だ。
次回は皇居周辺を散策してみよう。

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2009年12月 5日 (土)

STAR TREK スター・トレック

クリンゴン、スポック、USSエンタープライズの名を知ったのは、すでに廃刊となった電波新聞社の「マイコン」誌のゲームコーナーだ。中学1年だった僕は、近所の商店街の電気店(いまでも頑張っている!)に入り浸り、シャープの"マイコンピュータ"、MZ-80CやMZ-1200の前に座り、スター・トレックのゲームを無料でやっていた。振り返れば実にずうずうしい行為だったが、25年以上前の出来事だから、許してもらおうか。
(あの電気店で、何か買わないと行けないなぁ。)

で、2008年に公開された映画、スター・トレックのブルーレイ・ディスクを購入したので観賞した。
冒頭、いきなりの戦闘シーンは迫力だ。わずか12分間の船長、カークの父親の姿は凛々しい。突然の敵襲から乗組員800人を救った英雄の遺児は、しかし、けんかと女遊びの絶えないトラブルメーカーに成長した。だが、エンタープライズ号を指揮するパイク提督は息子の素質に注目し、鼻血まみれのカークに「宇宙艦隊に志願しろ」と諭す。

さて、エンタープライズ号の処女航海である。ワープアウトした先が、先行した地球戦艦6隻の残骸の漂う中であり、いきなりの敵艦の前だ。スポックの故郷、バルカン星が内側からブラックホールに飲み込まれ、船長は敵に捕らわれる……。

彼我の戦力差をものともしない若き士官候補生、カークの行動力が、論理思考のスポック船長代理を動かす。
そして、母親を目の前でなくしたスポックの、感情の爆発。論理的種族の、あまりにも人間的な行為。

ラストは、まぁいかにもアメリカ的だが、これはこれで良いだろう。
よし。これで、先に買っておいた宇宙大作戦ブルーレイ・ボックスを心おきなく観賞できるぞ!

32インチのアクオスはテレビ放映にはちょうど良いサイズだが、映画鑑賞だと物足りないなぁ。次は40インチを考えるか……。

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2009年11月14日 (土)

変わりゆく国連PKOと紛争解決

従来型PKO、すなわち、異なる国家間の紛争処理を促進する平和維持活動だけでは、「分断化された社会の再統合」には不十分であり、平和構築、平和創造との連携が不可欠である。
では、どのようにすればよいのか。本書は理論構築に続き、キプロスとカンボジアを題材にしたケーススタディーから、紛争"解決"への指針を探究する。

外交努力による平和創造、社会復興・人道支援を中心とする平和構築、それらを支えるべく、紛争当事者間の軍事的分離を行う平和維持。こられ三つの活動を適切に配分し、多様な仲介者の調整役としての国連PKOの可能性が論じられる。英国の大学での博士論文だけあってすらすらと読みにくいが、中身は有益だ。

国連PKOの第一の特徴は、理論や概念に先行して、現場の要請により急遽かたち造られ、その実践の積み重ねが、内容を形成してきたことにある。現場の苦労と試行錯誤が政策に反映され、理論があとから追いついてくる。

国連PKO派遣の第一の原則とされる「紛争当事者の同意」にしても、その危うげな実態が明らかにされる。明確な反対のないことを「同意」と解釈するだけならまだしも、明確に反対された場合には、部分的な強制措置を追加する等、臨機応変な対応が取られてきた。
第二、第三の原則「不偏不党」、「武力の不行使」も、派遣される場所とそのマンデートにより、そのレベルは様々だ。1948年から2003年まで56もの国連PKOが派遣されたが、共通の統一原則を見いだすことができないことが実態と著者は記す。
ガバナンスの原則は大切だ。だが、臨機応変さも必要であり、それが、国連PKOの「強み」でもあると思う。

■国連平和維持活動の理論的分析
それぞれのPKOの機能を分析し、伝統的なPKOから、冷戦終結直後の「第二世代PKO」、ガリ報告を実践して失敗したソマリ後の「ポスト・モガディシュ国連PKO」の特徴が明白にされる。面白いのは、1990年後半以降、伝統的な兵力引き離しや軍事監視機能を持たず、もっぱら紛争処理・紛争解決機能を重視した国連PKOが増加したことだ。
軍事部門はEU、AU、ECOWASのPKOが担い、その他の機能を国連PKOが分担する姿が、これからの主流となるのだろうか。

■紛争解決への障害
平和維持、平和創造、平和構築のバランスの崩れた事例として、キプロスPKO(UNFICYP)の事例が取り上げられる。PKOの何が紛争解決の障害となっているのか?
国連介入の背景から平和維持軍の機能、国連と他の和平努力との関係(相互に干渉しない)等の事例を取り上げ、前章で構築された理論的枠組みに沿って、その原因が検証される。

1963年に国連PKOが投入されたにもかかわらず、いっこうにキプロス和平が達成されない原因として、国連の官僚的な体質、平和創造への取り組みと、平和維持活動の目標の乖離があげられる。
当初の目標こそギリシャ系住民とトルコ系住民の和解による統一国家の熟成であり、そのために派遣されたUNFICYPは、暫定的に武力衝突を回避させることが目的であった。1974年のクーデターとトルコ軍の大介入(ギリシャ系からみて侵略であり、トルコ系から見て平和的解決)により、国連緩衝地帯を事実上の国境として、キプロスは南北に分断された。そして1983年のトルコ系住民の独立宣言を経て、UNIFCYPの任務は、国家間の兵力引き離しの様相を呈する(平和維持)。この激変した状況にも関わらず、国連は従来の目標=国家統一を前提に活動を続け(平和創造)、二つの目標が互いに足を引っ張る事態に陥った……。

原因は国連の体質にあるとされる。紛争に関与する国家(ギリシャ系が支配する政府)しか相手にせず、非政府主体(トルコ系住民の意志)は無視された。普遍不党の大原則によらないUNIFCYPは、信頼性を喪失した状態で開始された。

介在機能は成功したが、政府組織へのトルコ系住民の参画、兵力動員の解除等の移行支援機能は成果を上げることはできず、分裂が続いた状態でクーデターと外国軍の介入を招くこととなった。
とはいえ、当初の目標を達成した平和維持維持任務に続き、平和構築支援任務こそが必要であったが、現場を重視しないニューヨーク本部は、任務の追加を行うことはなかった。
(現場の状況より、原理原則を貫いた。国連の官僚的な体質か。)
現場判断による住民の意思疎通・信頼性熟成の努力、国連以外の第三者による仲裁努力も、水泡に帰した。

この章は、実に興味深く読めた。
私見だが、事実上の分断国家が安定して続き、まがりなりにも平和が達成された現在、あらためて統一国家を論じる必要性は無いように思う。

■紛争解決の踏み台
20年以上に渡り戦乱の常態化したカンボジア社会。それを平和的なものへ転換したものは何か。冷戦時代の超大国、米国とソビエト連邦の代理戦争でもあり、中国、ベトナム、タイによる周縁から干渉が入った、主要四派による終わり無き戦争状態は、確実に国と人々を疲弊させた。だが、主要四派は交渉の舞台すら持たず、すべてが行き詰まる中で転換をもたらしたのが、1989年の冷戦の終結だった。
米ソによるアジア地域での代理戦争の必要性が低下した結果、中国によるポルポト派、ベトナムによるプノンペン政権への支援を見直す動きが表面化する。自力での内戦継続は難しい。そして交渉のテーブルに就くことにより、プノンペン政権には「国際社会かの承認」が期待され、反政府側にとっては軍事力では得られない、政権参加の可能性が表れると、疑心暗鬼の中、特典目当ての和平交渉が開始された。
一方、ポルポト派にはメリットが少なく、そのことが和平プロセスからの離脱の一要素であったとも言える。

1992年当時、史上最大のPKOと言われたUNTACは、平和構築、平和創造のための人員と言える大規模な民事部門を内包していた。

内戦当事者の引き離し、武装解除を担う軍事部門も、後半は選挙支援任務に就いた。これは当初のマンデートになかった任務ではあるが、従来の紛争処理に留まらず、紛争解決の橋渡しともなった。これが、UNTAC成功の鍵となったとされる。

カンボジアでも「不偏不党性」の問題が発生した。国連平和維持軍は国連憲章6章と7章の間を、常に綱渡りで歩いてきた。和平プロセスに敵対的な勢力=ポルポト派に控えめでいると、その妨害活動に拍車をかける。一方で武力を行使すれば「不偏ではない」と見なされ、PKO部隊とポルポト派の交戦状態が出現し、和平プロセスは崩壊していた。
同時期に展開したUNPROFORがクロアチア側と見なされ、セルビア側と交戦状態に陥ったことと比べると、その綱渡りの見事さは印象的だ。

UNTACの実績が示すところによれば、「たとえPKOの活動が完璧ではなかったとしても、戦乱で疲弊した社会をより平和なものへ変えていく手だてが、PKOの包括的な機能の中に位置づけられていれば、そのPKOは紛争解決に向けた踏み台としての機能を果たすことは十分可能である」。(255頁)
また、平和維持と平和創造の関係では、明石特別代表の活動が特筆される。すべてのSNC本会合(30回)に出席し、当事者の声を直に聞き、UNTACの活動に反映させた。また、国連P5への支援要請も積極的に働きかけた。

国連史上最高の成功と言われるUNTACの活動。その概要を本書で一読できたが、周辺環境の変化を最大限に活かし、関与する人と組織の熱意が、成功へ導いたと思えた。

■意志の力
ところで、カンボジア和平プロセスでは、シハヌーク殿下がクローズアップされた。確かに、SNC設立の立役者であり「国民統合の象徴」とも言える人物であるが、僕は、その息子のラナリッド氏の行動に感銘を受けた。本書によると、選挙活動において、ポルポト派による妨害から100名以上の死者を出し、和平プロセスからの脱退を説く党幹部も出現する中、あくまでも和平プロセスに留まる決意を示したと言う。これがすべてではないだろうが、この決意こそ、カンボジア和平プロセスの最終段階を支えたことになる。
まさに「個人の強い意志」が和平を支えた好例だと言える。

The United Nations Peacekeeping and the Nexus between Conflict Settlement and Conflict Resolution - A Comparative Case Study of UN Peacekeepingin Cyprus and Cambodia
変わりゆく国連PKOと紛争解決 平和創造と平和構築をつなぐ
(オンデマンド版。印刷は問題ないが、製本はいまひとつだぞ!)
著者:上杉勇司、明石書店・2004年6月発行
2009年11月10日読了

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2009年11月 9日 (月)

ロンドン・ペストの恐怖

1665年にロンドンで猛威を振るったペストを題材に、ロビンソン・クルーソーの作者によって1722年に発表された作品だ。

「オランダでペストが流行っているらしい」との噂話から時を置かず、ウェストミンスターやシティー内部で急激に拡大した、黒死病=ペストの災い。
原因も感染経路もわからず、もちろん対策手段もない。感染したら、神に祈るか、あきらめるか。絶望的な二者選択の運命。

最初は丁重に葬られていたペストの犠牲者だが、その数が急増すると、貴族も貧乏人も身分も関係なく、巨大な墓穴に裸体で放り投げられる有様。それでも墓地は不足し、ロンドンの街は一変する。

それでも、知恵を絞って街を抜け、野原の集団生活で命を長らえた者もいれば、水上生活に耐久した者もいる。
そして真に賞賛されるべきは、死臭漂うロンドンに居残り、懸命に病人の看病と死者の埋葬に従事する者と、逃げ出さずに使命を全うした医療関係者と、市長をはじめとする行政担当者たちだろう。彼らにも多くの被害者が出た。
それでも、命をかけて職務を成し遂げたのは、誇り、に支えられたからに他ならない。

当時の大都市、ロンドンの人口は50万人。死者、実に8万人。
戦慄するべき記録である。当時まだ一般的でなかった新聞記事の作風にしたのも、手法ではある。
しかし、文学作品としては面白みを欠くのではないだろうか。カミュの「ペスト」には、闘う医師と周囲の人物の敢闘と"感動"を余すことなく満ちあふれているだけに、その差が目立ってしまう。

A JOURNAL OF THE PLAGUE YEAR
地球人ライブラリー
ロンドン・ペストの恐怖
著者:ダニエル・デフォー、栗本慎一郎(訳)、小学館・1994年7月発行
2009年11月9日読了

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2009年11月 8日 (日)

20世紀フランス絵画の精髄 明石市立文化博物館

今日が最終日なので観賞してきた。(2009年11月8日)
Marc Chagall シャガールの「花束を持つ少女」と「花嫁の回想」、Pablo Ruiz Picasso パブロ・ピカソの「剣を持つ男」と「青い背景の婦人像」を含め、60点の作品が展示されていた。
1階に特別展示されていた10作品は、有名どころなのだろう。、

個人的には、"巨匠"の作品より、次の3点が気に入った。

・Maurice Utrillo モーリス・ユトリロの「アトリエ座」
10歳から飲み始め、17歳で立派なアル中。酒を断つため母親に"強制されて"始めた絵描き行為が、有名な美術作品を生み出したってわけか。

・マルタン・ディーテールの「父エリック・ディーテールの肖像」
ダイニング・チェアーに浅く座る父親の背景には、巨大な女性の頭部と胸部。そして前方の池に映る抽象物は思想を顕現させたものだろうか? この手の作品は大好きだ。

・Jean Jansem ジャン・ジャンセンの「マリオネット祭」
長野県に「安曇野ジャンセン美術館」があるらしい。オリジナリティ溢れる繊細な作風は秀逸だ。

う~ん……。正直なところ「いまひとつ」な感想だ。
"20世紀フランス絵画の精髄"ということで期待していたんだが、なんか物足りないぞ。
つまり、「フランス絵画の精髄=ルノワール、ミレー、モネを観たければ、山形美術館へ来いっ!」ってことか!

明石市立文化博物館
山形美術館 服部コレクション
美のプロムナード 20世紀フランス絵画の精髄
http://www.akashibunpaku.com/

山形美術館
http://www.yamagata-art-museum.or.jp/ja/index.html

ところで、ピカソのフルネームって、Pablo, Diego, Jose, Francisco de Paula, Juan Nepomuceno, Maria de los Remedios, Crispin, Cripriano, de la Santisima Trinidad Ruiz y Picasso だそうですね。これもすごいのですが、彼が「剣を持つ男」を描いたのが、実に88歳。実に恐るべし!

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2009年10月31日 (土)

パリ・ロンドン 戦争と平和の旅

揺るぎない文化と歴史を誇るフランス帝国と大英帝国。多数の観光客が訪れる名所旧跡には、例外なく戦争の記憶が宿っており、これが「恵まれた島国」日本との最大の違いである。
本書は、欧州で繰り広げられた戦争を軸に、世界を代表する二大都市、パリとロンドンの魅力と、人生を全力で生きた人物の魅力を披露する。

古くはローマ時代の遺跡、城塞都市であるパリとロンドンの拡張に継ぐ拡張。百年戦争とジャンヌ・ダルク。ヴェルサイユ宮殿とルイ14世。フランス革命と全欧州を敵に回しての革命戦争。ナポレオン。エッフェル塔、凱旋門、普仏戦争に始まるフランス国民のドイツへの憎悪の連鎖、その反動としてのヒトラー、ド・ゴール。
蝋人形館のマダム・タッソー、マウントバッテン卿、ウェリントン、ワーテルロー(ウォータールー)、クリミア戦争とナイチンゲール、ノーベル平和賞第一号のアンリ・デュナン、第二次大戦下のジョージ六世、チャーチル。
そして、ユーロスターがイギリスとフランスの歴史を大きく変える。

圧巻は、やはり二人の英雄だ。
ナポレオン。一砲兵少佐からフランス革命を利用し、三階級特進で少将の地位を得た後は、水を得た魚のごとく、勝利を重ねる。陣頭指揮を執るナポレオンの姿は、兵の士気を高め、忠誠心を植え付ける。
凱旋門はただならぬ歴史の場所であることが分かる。
アウステルリッツの勝利、前例を嘲笑うようなノートルダム大聖堂での戴冠式、スペイン・ポルトガル侵略と敗退。
そして、セント・ヘレナ。満足な人生だったろうな。

もう一人はネルソンだ。自らの命と引き替えにイギリスを護った英雄だが、奥さんをほっといて"貴族の愛人"を自分の愛人にして子供を産ませ、その貴族の最後を二人で看取るという、すごい人物だったんだなぁ。(英雄、色を好むってヤツか。)
私生活はさておき、軍歴は華々しい。12歳で海軍に入り、20歳で大佐! フランス、オランダ、スペインを相手に戦い、20代で艦隊司令官の地位に就くのだが、その引き替えに右目と右腕を失っていたとは知らなかった。
トラファルガーの海戦に臨んでは、次の言葉で部下を奮い立たせる。
England expects that every man will do his duty.

そして、フランス軍艦の攻撃で重傷を負い、人生の最後に残した言葉は達観だ。
Now I am satisfied. Thanks God, I have done my duty.

……死ぬ間際に、このような言葉を遺せる人生を送りたいものだ!

で、ネルソンの旗艦、ヴィクトリー号はポーツマスに展示保存されているが、なんと、まだ現役扱いでイギリス海軍に所属し、正式な艦長もいるらしい。
ロンドンとポーツマスに行きたくなってきたぞ。(冬のロンドンは厳寒だろうな……。)

パリ・ロンドン 戦争と平和の旅
著者:辻野功、創元社・1996年6月発行
2009年10月30日読了

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2009年10月21日 (水)

鉄の時代

アパルトヘイト政策が続く1986年の南アフリカ。ケープタウンの自宅に戻ったミセス・カレンは、ガレージに居着く一人の浮浪者を発見する。
「よりによって、こんな日に……」
こんな日。すなわち、70歳のカレンが"末期ガン"を宣告された日に、だ。

「こんな国」からアメリカに移住させた一人娘は結婚した。一度も会ったことはなく、永遠に逢うことのないであろう二人の孫たちもいる。日常を共有するのは黒人の家政婦とその幼い娘たち。戻ってきた家政婦の長男は「黒人の闘志」と自覚している。その友人の冷たい目。
歓迎せざる者たちが集うようになった我が家。しかし、ミセス・カレンの頼りにするのは、一人の浮浪者のみ。その異臭のする中年男へ、娘への長い手紙=遺書を託す。

白人と黒人の絶望的な隔絶。本名を明かさない黒人。躊躇無く発砲する白人警官。黒人を分裂させて支配する"アフリカーナー"。ラテン語も幅広い教養も役に立たない。"ただ善良"なだけでは生きてはいけない、この国の悲しい現実。

弱り切った白人老女を蹴り、口に棒きれを突っ込み傷を負わせるのは、10歳にも満たない黒人の子供。銃と爆発物を扱うのは、15歳の黒人少年。けしかけるのは黒人の指導者たち。
「アパルトヘイトの終焉」や「人種の融和」等の言葉が寒々しい。きれい事ではすまされない南アフリカの闇が、赤裸々にされる。

大人の黒人に闘争の無意味さを説いても、価値観の違い、と一蹴される。それだけならまだしも、黒人少年に、闘争への参加を止めるよう説き、それが聞き入れられず、自宅に踏み込んできた警官隊に射殺されるのを目の当たりにしたことは、ミセス・カレンにとって大きな悲劇だろう。

一方で、白人が黒人を支配、虐待している事実へ自分が荷担していることも意識している。
「白人は灰に、黒人は塊のまま地面に埋まり、その上を白人が踏みつけて歩く」

ブッカー賞を2回、そしてノーベル文学賞。著者のJ.M.クッツェーのテーマは「恥」にある。
抗ガン剤の副作用による幻覚との戦い。女としての弱さ。遠く会えない肉親ではなく、素性の知れない男へ気を許すことの"罪"の意識。いまわの際の描写は、悲しく、はかなく、美しい。

AGE OF IRON
鉄の時代
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-11
著者:J.M.クッツェー、くぼたのぞみ(訳)、河出書房新社・2008年9月発行
2009年10月21日読了

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2009年10月13日 (火)

日の名残り

第二次世界大戦が終結して10年後のロンドン近郊、旧イギリス貴族の由緒ある屋敷。新しいアメリカ人の主人から短期間の休暇を与えられた執事、スティーブンスは、西へ向けてのドライブ旅行に出かける。過去に屋敷を去ったミス・ケントンの消息を訪ねると言う目的を持って。

展開されるイングランドの田舎の素晴らしい光景。諸外国の派手さではなく、落ち着き、慎ましさこそ、イギリスの持つ真の美しさである、と思う。
道中に出会うさまざまな人々との会話を通じ、執事としての栄光の日々が思い起こされる。
自らの職業的あり方を貫き、それに耐える能力こそ、品格の有無を決定するとの思いは揺るがない。
そして、品格を体現したという自負心。誇り。
自ら仕えたダーリントン卿こそ、真の紳士。
しかし、過ぎ行く大英帝国の残照が、影を指す。

そして、ミス・ケントンとの再会。過ちの人生がはっきりと姿を現す。

旅を終えて気づくのは、過ぎ去った執事としての栄光の人生。些細なミスの多さが、体力・知力の衰えをはっきり示す。
パックス・ブリタニカの権勢はとうに過ぎ、米ソ超大国に挟まれ、1960年代に植民地の独立が相次ぎ、衰退するばかりの祖国。
そして、もしかしたら歩めたかもしれない、ミス・ケントンとの結婚生活……。
それらが夕焼けの光景に重なり、スティーブンスは静かに涙を流す……。
「日の名残」
タイトルが見事な、美しすぎる物語。
英国最高のブッカー賞受賞作。納得だ。

THE REMAINS OF THE DAY
日の名残り
著者:カズオ・イシグロ(石黒一雄)、土屋政雄訳、早川書房・2001年5月発行
2009年10月13日読了

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2009年10月 7日 (水)

巌窟王

Alexandre Dumas デュマのCOMTE DE MONTE-CRISTO モンテ・クリスト伯をベースに、西暦5953年(60世紀!)のパリと宇宙を舞台にした2005年の野心作。
数日かけて全24話を観賞した。英語帝国主義にどっぷり浸かっているせいか、フランス語「ボンソワール」が新鮮だ。

恒星間航行を実現して時間がたち、外宇宙で"帝國"と覇権を競っている地球。その中心はロンドンでもニューヨークでもなく、パリだ。大統領制ではあるが、昔ながらの貴族が政治経済を牛耳っている。凱旋門とシャンゼリゼ、18世紀の価値観に、東洋趣味が随所に顔を覗かせる。そんな世界の月面都市で、15歳のモンデール子爵は、東方宇宙からやってきた"伯爵"と出会う……。

独特の世界観に加え、デジタルアニメ特有のエフェクトが"SF悲劇"を効果的に盛り上げる。
恨みを晴らすために悪魔的なものと契約する行為は、ゲーテのファウストを彷彿させてくれる。
そして、幼なじみのモンデール子爵を心配するフランツ男爵の思い切った"行動"は、やはり賞賛されるべきものなんだろうか。

Jean Jacques BurnelのOPテーマ、EDテーマも良い。フランス語じゃなく英語だが。
MONSTERと並ぶ良作だと思うのだが、あまり売れていないのかな?

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2009年10月 4日 (日)

犬夜叉完結編 関西より先に北米で放映される!

待望の「犬夜叉 完結編」の放映が始まった。
原作単行本36巻から最終56巻の内容が半年間(全26話)で放映される。
で、この作品。まるで前例のないかたちで世界公開されるそうな。

「犬夜叉 完結編」 日本テレビ放映直後に全米でネット配信
http://animeanime.jp/news/archives/2009/09/post_949.html

日本テレビでの放映後、数時間以内に北米でのライセンスを有するVISインターナショナル社によりインターネット配信されるというもの。日本テレビ=東京地区での放映は土曜日深夜。一方、読売テレビ=関西での放映は月曜日深夜だから、東京ー>北米ー>関西の順に放映されるわけだ。
さらにアジア各国でも、日本放映後5日以内に配信されるそうで、これも、九州地区の放映と同じタイミングになる。
高橋留美子作品のグローバルな展開はうれしいが……。著作権侵害から護るため、必死ってことか。コンテンツビジネスも大変だ。

この試みは重要も知れない。将来のテレビ放映が先細りし、世界インターネット同時配信の先駆けとなるか?

そのうち、新番組はインターネット配信が当たり前になるかもしれない。テレビの前に座るのはじいさん、ばあさんばかり。スポンサーも激減し、番組は時代劇や1980年代トレンディドラマの再放送ばかり。局アナウンサー=テレビタレントとなり、安定経営(?)のNHKだけがやりたいほうだい、か。

『犬夜叉 完結編』
http://www.ytv.co.jp/inuyasha/#

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2009年10月 3日 (土)

252 生存者あり

2008年12月公開作品をDVDで観賞した。
小笠原地震がきっかけで海底のメタンハイドレードが融解し、海面温度上昇による突発性巨大台風が東京都心部を襲う。台風よりも、冒頭の津波の恐ろしさが圧巻だ。

あれだけの大津波なんだから、品川駅周辺だけに被害が集中するはずがないし、元隊員を助けるために、数十人規模のハイパーレスキュー隊員が一生懸命になる。「他の地区の一般住民の救助は?」と訊きたくなるが、まぁ、そっとしておこう。

香椎由宇が良いなぁ。でも、気象庁職員が職場ほったらかしで消防庁現場本部に詰めるのは、ありなのか?

CGの出来は良かったが、人情これみよがし、性善説に依った作品で「普通」だな。
もっとこう、脳天に"ガツン"とくる作品はないのかな。

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となり町戦争

法律に則り、地方自治体どうしが互いに敵と見なし、計画的に戦争「事業」を遂行する。この突拍子のないアイデアを純文学スタイルに仕立てたのはスゴイ。
最初の方は違和感を憶えながらも読み進む。
知らぬ間にはじまり、終わる戦争「事業」。地元住民への形だけの説明会、役場の序列、お役人体質、条例、議会決議、役所独特の文書。

中盤の「査察」は圧巻だ。たった一夜の逃避行が、長く感じられる。恐怖と開放感。日常と紙一重の戦死。
後半は、定めた者たちの人生が随所ににじみ出る。会社の主任、香西さん、そして山道の地蔵。

第17回小説すばる新人賞受賞作か。映画化もされた。
"香西さん"の公務と私情の狭間で揺れる心情が、鎮守の森で、砂浜で、偵察分室で垣間見える描写には、何度もうならされた。

となり町戦争
著者:三崎亜記、集英社・2005年1月発行
2009年10月3日読了

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2009年9月23日 (水)

ALWAYS 三丁目の夕日

2005年11月公開作品。恥ずかしながら、いまになって観賞した。
茶川竜之介、古行淳之介、星野六子、鈴木オート……。青森からの集団就職、東京都電(広島市電は現役ですね!)、透明の指輪、オート三輪(ダイハツ・ミゼット)、そしてゴールデン座(笑)。
懐かしくも遠くなってしまった、高度成長期初期の日本の風景。
1958年(昭和33年)、焼け野原から復興しつつある東京庶民の生活。東京タワーだけが突出して聳える背景に、鮮やかな夕焼け。

ラスト付近の淳之介との再会はベタと言うか、興ざめだったが、ラストはまぁ、よかったんじゃないだろうか。
……小雪、いいなぁ。

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2009年9月21日 (月)

日本孤立

2003年、ブッシュ政権のネオコン最盛期から、米国世論に厭戦気分が蔓延し、英国軍など「有志同盟」が解体しはじめた時期に朝日新聞系のメディアに発表された論評集。

中国に配慮しすぎではないの? と余計な口を挟みたくなるが、熟練の筆だけあって、安心して読める。

米国衰退、朝鮮核半島、中国標準、文明衝突、強制戦略。
400頁にもおよぶ本編のテーマは多岐に渡り、どれも読み応えがある。だが中核は「日本孤立」に関する危機感だ。
そして全篇に通底するのは、多様な意見を聞き、議論し、妥協を探ることの価値を説いていることだ。

■民主主義の活力の弱体化
小泉政権が登場し、孤立化、右傾化、そして何より、他者への非寛容さが加速した。著者の親日派の友人-米国人、韓国人が懸念し、非難し、半ばあきらめ顔で語るのを、著者は苦い思いでいたに違いない。
歴史問題では、靖国神社参拝反対者への言論テロ、そして暴力が放置されてきた。
拉致問題では、あろうことか東京都知事が、外務審議官に対する脅迫を"擁護"し、"あおる"ような発言をしたにもかかわらず、非難する者はいない。
民主主義が云々の問題ではなく、道徳の問題とも言える。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれる日本社会の特質か?

自由と民主主義と市場経済は、日本一国主義ではなく、国際社会で生きる大前提だ。少数の尊重と多様性の保障(保証ではなく、暴力からの"保障")、透明性と言論の自由の確立が、あらためて問われる。

■早期英語教育無用論
「小学校は日本語優先。英語教育など不要」(伊吹文相:当時)
この国際化社会にあって、英語教育は早いに超したことがない、これは海外旅行で苦労した僕の経験からも言える。なにせ、話せないと、相手にされない。
著者は力説する。英語は世界に生きるための糧である、と。
「言葉は社交のために学ぶ。社交とは人間が社会でよりよく、より豊かに生きていく術である」(395頁)
「英語が事実上の国際共通語である以上、それをよりよく使いこなすことが国際社会で自らの機会を追求し、自らの可能性を発見し、自らの志や夢を表現する上で決め手になる」(396頁)

■日本外交レインボー・ブランド
21世紀、日本文明は米国文明と中国文明の狭間に位置する。これを危機ととらえるのではなく、持ち前の融合力で調合することで、新たな発展が期待できる。その力の源泉として著者は七つの力を提唱する。
経済力と技術力(モノづくり)、民生力(民主主義に基づき国際ルールを築き使命を果たす力)、地域安定力(日米同盟と東アジア諸国の地域協力を結びつける力)、文化力(文明の"与え方")、海洋・森林力(土建国家からの脱却)、共感力(途上国の境遇と挑戦への想像力)、そして融合力(新しい日本文明。そして普遍的な世界文明)。

■それにしても……。
2000年代以降のプチ国粋主義とでも言おうか。戦後政治、戦後教育の全否定。国連の否定。日本国中心主義。"勇ましい"右傾化。この風潮には不快さを感じていた。
昔は愛読していたSAPIO誌はその流れに乗ったから、とっくに読むのを止めたし。
グローバリズム経済にはくらいついているが、政治・社会交流、文化交流の面ではどうだろう。日本中心主義、「日本人、サイコー!」と陶酔している間に、世界中から見放された。そんな感じ? 

思えば、小泉(アメリカべったり、他国の心情無視の靖国神社参拝)、安倍(美しい国。その実、アメリカ賛美と戦前日本の美化)、福田(よくわからない)、麻生(ローゼンメイデンを愛読? 国民生活の破綻を尻目にアニメの殿堂?)と、それこそ、とんでもない時代だったな。
で、この4人って世襲政治家なんだな。まぁ鳩山政権もそうだけれど。

民主党政権になって、この流れが大きく変わる予感がする。矢継ぎ早の新政策の発表と、国連総会での地球温暖化防止策。米中が沈黙する中、EUには歓迎されたし。
日本政治だけでなく、日本社会も変わるかな。これまで期待していなかった分、刮目しようか。

日本孤立
著者:船橋洋一、岩波書店・2007年7月発行
2009年9月19日読了

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2009年9月14日 (月)

袋小路の男

「袋小路の男」
芥川賞受賞作の前作に当たるのかな? 川端康成文学賞受賞作だ。
女主人公は高校生時代から酒とタバコに溺れ、大学でそれなりの経験を積んでいるんだが、こと、高校の一学年先輩「袋小路の男」とは、指一本触れない関係が12年も続く。

「小田切孝の言い分」は続編だ。
知り合って18年間の二人の関係。純愛は続く。友情を越えてはいるが結婚の意思なし。男女の関係を抜きにした恋愛の姿。

この二編を通じて、純愛のひとつの姿が、それも人生の姿が突きつけられる。

若いうちに好き勝手やっておいて、言い寄る女を手元に残し、定職にも就かず夢を追う男。浮気しながらも、決して報われることのない愛に生きる女。順調に家庭を築く周りの友人とは違った人生を歩むこと。それはもう、辛辣だ。

「アーリオ オーリオ」
30代理系独身男と、姪っ子中学生の手紙のやりとりが微笑ましい。ケータイメールではなく、手紙。片道3日間の距離は姪っ子の想像力をかき立てる、安心して読めた。

袋小路の男
著者:絲山秋子、講談社・2004年10月発行
2009年9月14日読了

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2009年9月12日 (土)

キプリング短編集

19世紀末から第一次世界大戦にかけ、まさにイギリスの世紀に、時代の寵児として名声を獲得した、ラドヤード・キップリング。日本ではジャングル・ブックの著者として知られるが、他の著作は、意外にも多く出版されていないのが実情だ。

本書は、インド、インドネシア、南アフリカ……。首都、ロンドンを遠く離れ、大英帝国の辺境で働く男たちの物語を中心にした短編集だ。キップリング="帝国主義文学の第一人者"としての作品を気軽に味わえた。

「領分を越えて」(印度の窓)Beyond the Pale(1888年)
19世紀の大英帝国インド植民地。統治する白人は租界地に住み、現地人社会とは隔絶した社会を形成している。その"領分"を侵した若いイギリス人男子とインド女性の逢い引きが社会に知れることとなり……。伝統的な、その実、残酷な現地社会の掟。女性のあまりにも悲しい運命が、辛い読後感をひきずる。

「めえー、めえー、黒い羊さん」Baa, Baa, Black Sheep(1888年)
自伝的小説。若くして才能を開花させた秘密が、本作から垣間見える。インドでの小皇帝の生活から一変、イギリスで親戚の家に預けられた幼いキップリングは、厳格な宗教的規範と、除け者にされる毎日に絶望する。読書こそ唯一の避難所であり、文学的才能を培ってゆく。

「交通の妨害者」The Disturber of Traffic(1891年)
オランダ領インドネシア、の海峡で、イギリス人の灯台守は孤独に堪え忍ぶ。徐々に精神は蝕まれ、静かな海峡に"無粋な横筋"を付ける船舶に対し、実力行使に出る。油を燃やしたブイを浮かべ、船舶の通過を妨害する事件は、オランダ海軍とイギリス海軍を巻き込む国際的事件となる。
強力な帝國と、その先兵の弱さが対照をなす。

「橋を造る者たち」The Bridge Builders(1893年)
インダス川に新設計の橋を建築する二人のイギリス人技師。協力的な現地人パートナーは建築者のうちには入らない。
「命より大切な名誉と信頼のために働く」(146ページ)
完成直前の橋を突然の洪水から必死に護る白人とインド人の姿には引きつけられるが、後半のヒンドゥーの神々が登場するくだりは興ざめだ。

「ブラッッシュウッド・ボーイ」The Brushwood Boy(1895年)
富裕な家に生まれてパブリックスクールで育ち、陸軍士官学校を卒業し、インド植民地軍で若くして中佐に出世した、典型的な帝國男子のジョージ。「人のやらないこと」を率先して行う彼に対する同僚と女性たちの評価は極めて高い。成功した現実世界とは別に、幼い頃から住み続ける夢の中の世界。そこで出会う女性こそ……。最後はファンタジーか?

「メアリ・ポストゲイト」Mary Postgate(1915年)
第一次世界大戦期のロンドンが舞台だ。空軍に志願した中流階級の"ぼっちゃん"の死。それを淡々と受け入れる家族。墜落して負傷したドイツ兵に対峙した、メイドである女主人公の意志の強さ。そこに、古き良きイギリスの姿が浮かぶ。

その他、初期のインド植民地を舞台にしたファンタジー「モウロビー・ジュークスの不思議な旅」、旧友への復讐と和解をテーマにした「損なわれた青春」が収録されている。
ボーア戦争期の鉄道マンと海軍水兵が語る完璧な未亡人「ミセス・パサースト」は実に魅力的だ。

キップリングの代表作とされる本格的長編「キム」や「グレートゲーム」を読んでみたいなぁ。

キプリング短編集
著者:橋本槇矩(編訳)、岩波書店・1995年11月発行
2009年9月12日読了

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2009年9月 6日 (日)

BMW E92型3シリーズツーリングワゴン 快適だぞ!

今日は愛車E46型320i Mスポーツ(2001年型)の1年点検だ。
乗り出して8年目か。
で、代車はいつものマーチ(レンタカー)かと思いきや、現行型3シリーズツーリングワゴンだ!
走行1万キロでキズひとつ無し。ほとんど新車のMスポーツ。HYOGO BMWさん、気が利くねぇ。

最初は、気を遣って静かに運転していたが、慣れると高回転域のエンジン音を愉しんだ。
4気筒2000ccだから愛車(6気筒2200cc)より非力なハズなのだが、どうして、どうして! よくブン回ること! これは、次の車検前に買い替えろってことか???
電子制御ウインカーに慣れるのに手間取ったが、そこはマン=マシン・インタフェースに優れたBMW車。数回の操作で馴染んだ。
エンジン・スタートボタンは最近のトレンドか。国産車、外国車に限らず、電子化が進んでいるなぁ。

エアコンは……4席独立で温度設定できるのか!
ボディが大きいのには慣れが必要だが、まぁなんとかなるだろう。

カーナビは、リモコンで直接操作するのに慣れているから、Iドライブには馴染めなかったなぁ。

次のBMWは1シリーズと考えていたが……実用上、クーペは無理にしても、セダンなら考えてもイイかもなぁ。

イヤイヤ、3シリーズ・ハイブリッドかなぁ。
BMWは7シリーズ水素エンジン車を開発していたのだが、いかんせん、コストがかさみ、とても市販できるレベルではないとのこと。だから、2010年にハイブリッド車を市販することとなったらしい。

う~ん、迷うなぁ……。

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2009年8月30日 (日)

アフガニスタン大統領選挙 その先にある国家の分裂?

サンデーモーニングでアフガニスタン大統領選挙が取り上げられていた。(2009年8月30日) 現職のハーミド・カルザイ氏が得票率41%、対抗馬のアブドゥッラー(アブドラ)氏は39%。大規模かつ組織的な不正が次々と報告される中、決選投票が行われる見通しだ。

問題は何か?
番組によると、カルザイ氏はパシュトゥーン人で国の南部が支持基盤。対するアブドゥラ氏はタジク人で、母体政党は統一国民戦線=旧北部同盟だから、北部が基盤だ。

伊勢崎賢治氏=昨日読んだ「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」の著者が出演していた。彼によると、
「最悪、国家が南北に分断される可能性もある」
いっそ、そっちの方がうまくいくのでは? パシュトゥーン側は、パキスタンに併合されたりして。

で、アブドゥラ氏は2002年の暫定政権時の外務大臣。と言うことは、旧軍閥とつながりがある? 悪名高い腐敗の源? カルザイ政権そのものも腐敗が糾弾されているし。

表面的な統一国家を保つか、分裂するのか。どっちに転んでも、腐敗した極貧国家のままか。アメリカが出て行き、他の先進国も手を引き、残るは発展途上国ならぬ「絶望途上国」。世界が見捨てるであろう破綻国家寸前の石油の出ないこの国に日本が介入し、公平な民主国家に仕立て直すのか?
もしかして、ババを引かされる?

【ウイークリーワールド】不正と暴力に悩まされたアフガン大統領選 3日に暫定結果
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090829-00000539-san-int

<アフガン大統領選>米が第2回投票を要請 カルザイ氏激怒
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000118-mai-int

そうそう、日本では今日、衆議院選挙か。こっちは"絶望先進国"だが、投票権だけ行使しておこう。

日英凋落 戦略描けず影響力喪失
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090829-00000039-san-int

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2009年8月29日 (土)

自衛隊の国際貢献は憲法九条で

膠着した紛争の出口を求めるのは容易ではない。
どこまでも正義を追求するのか。それとも、平和を求めるのか。

戦争被害を被った者から見て、妥協による平和はありえないし、戦争犯罪人の"恩赦"などとんでもないことだ。一方で、この先、数十年の紛争と混乱に耐えられるほど、人間社会は盤石ではない。

破綻国家に陥る恐怖が、大国主導による和平を受け入れる土壌を育む。平和と新生国家の演出。そこでは、数十人を虐殺した戦争犯罪人でさえ許されるという、とんでもない代償がバーターされる。いったい、戦争被害者の人権はどうするのか。

戦後60年。形骸化した憲法九条だが、しかし、その前文と九条こそ、現代日本人の精神の骨格となった。諸外国が見た「日本人の姿」も、英米のように武力を振りかざすことのない、中立した、信頼できる経済大国の人々、と映る。

シエラレオネ、東ティモール、アフガニスタンで紛争処理、武装解除を指揮した著者は、この「美しい誤解」こそ、日本の資産であり、外交上の最大の武器であると説く。

焦燥となっているアフガニスタン。出口の見えない対テロ戦争。2003年には考えられもしなかった「タリバンとの和解」が真剣に議論されている。それも和解の是非ではなく、いつ実行に移すか、が議論の中心だという。中立イメージを持つ日本のイニシアチブ、か。なるほど、イラクへの自衛隊派遣より、よほど世のためになりそうだ。

自衛隊の国際貢献は憲法九条で
国連平和維持軍を統括した男の結論
著者:伊勢崎賢治、かもがわ出版・2008年3月発行
2009年8月29日読了

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2009年8月23日 (日)

BMW E46-320故障 窓の動きがおかしいぞ!

6月頃から、運転席側(開閉率高し)の窓の動きがおかしい。モーターに負荷がかかっているようで、すんなりと開閉しない。ギリギリギリ、と動き、途中で止まることもある。「バキッ」ってデカイ音を立てることも。ビックリするじゃないか!

ネット検索すると、ウィンドウレギュレータなる部品を交換しなければならないようだ。
E46型で頻発しているらしい。
修理に出そう、出そうと思いつつ、2ヶ月経過。そろそろヤバそうだ。で、ディーラー工場へ電話し、愛車を持ち込んだ。
(2009年8月8日の話。)

「ウィンドウレギュレータの在庫がありますので、即日、修理できます」って、やはりそうなのか。
「リコールじゃないの?」と言いたいところだが、大人なので、グッとガマンだ。

作業は60分で終了。VISAカードで25,410円。嬉しくないなぁ。

店内のBMWマガジンをパラパラめくっていたら、7シリーズのハイブリッド車が販売されるらしい。ハイブリッドの3シリーズが発表されたら、考えよう。
ハイブリッド車か。猫も杓子もプリウス。乗る気がせんなぁ。
インサイトの実車を見たが、これはこれで良い。ハイブリッド車の機能・性能としては、プリウスに劣るようだが。

で、わが愛車。あらためてフロントマスクを眺めると、ウン、いい顔をしている!
まだまだ乗り続けるぞ!
(来年9月は9年目の車検だ。また20万円超の出費か……。)

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2009年8月19日 (水)

きみが住む星

池澤夏樹さんの紡ぎ出す、ことばの力。
生きている実感を切り取ったハース氏の風景写真からは、鼓動が伝わってくる。

一級の美しい文章と写真のコラボレーションは、気持ちを穏やかにさせてくれた。
「蛍の木」と「フラミンゴたち」が良かったな。

きみが住む星
著者:池澤夏樹、エルンスト・ハース、文化出版局・1992年10月発行
2009年8月19日読了

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