2012年1月23日 (月)

百貨店の博物史 海野弘

パリ、ロンドン、ニューヨークの百貨店にまつわるエッセイ集。その創生期からベルエポックを経て、第二次世界大戦前までの時期が主な対象だ。
なるほど、百貨店の文化は女性の文化だ。

・電気照明、大量の板ガラスによるショーウィンドー、エレベータ、エスカレータ。ホテルやレストランとともに、百貨店は新しい時代の都市文化の訪れを告げるものとなった。ウィンドーショッピングも新しい光景だ。
・蒐集と分類。この近代科学の成立を背景に登場した百貨店は、新しい生活文化を提供した。単に商品を売るだけでなく、コンサート、カルチャースクールを主催する等、文化や教養も組織化したことに、従来の小売商店との大きな違いを見いだせる。

・Le Bon Marche ボン・マルシェ。1869年に登場したこのパリのgrando magasin グラン・マガザンが百貨店の始祖とされている。第二帝政期、小売りの規制が緩和されて流通革命が起こるとともに、オスマン男爵によるパリ大改造が大型店の登場を促した。周辺の小規模商店は飲み込まれ、大量の商品を安く販売するスタイルが加速する。
・皇帝ナポレオン三世と皇后ユージェニーがフランス商品の広告塔となり、特に1855年の万博では"芸術の都、パリ"を謳う。流行、特にファッションのそれはパリから発信されるようになる。

・エドワーディアン。1901年に始まるこの時代、喪服をまとったヴィクトリア女王の閉塞感から一気に解放されたロンドン市民は、新世紀の躍動を満喫するかのように浪費と快楽に向かう。Selfridges セルフリッジス、Harrods ハロッズ、Liberty リバティといった大百貨店に新興中流階級の女性が群がってはイケメン店員との会話を楽しみ、化粧品のポスターを眺め、陳列された下着を買い求める。友人と店内レストランのランチを食し、食後は階下アトリエの絵画展を鑑賞し、午後はカフェサロンでティーカップを手に主人たちの愚痴に花を咲かす。なんのことはない、現在のデパートの原型がベル・エポックに登場したわけだ。
面白いことに、ロンドンの男性は百貨店にまだ偏見を持ち、従来の小規模高級店に通い続けたそうな。良い意味で保守的か。

・20世紀初頭に女性運動が勢いを増し、その矛先は百貨店に向けられる。「女性らしいドレスや装飾品を販売している」とのムチャな理由で、1912年にロンドンのフェミニストたちが大百貨店のショーウィンドーを壊してまわる事件が発生したそうな。Liberty リバティも被害に遭ったのだが、対応が実に紳士的だ。(p62)

・日本趣味、中国趣味、アラビア趣味をロンドンに広めるとともに、アール・ヌーヴォースタイルを積極的に輸出した老舗が、いまもリージェント・ストリートに店を構えるLiberty リバティだ。王室の規制により、リージェント・ストリートに面する建物はニュー・クラシック=ルネッサンス様式の外観としたが、経営者はこれに反発し、隣接する建物は英国中世・チューダー様式の外観にしたという。(Libertyには2010年5月に足を運んだが、あまりピンとこなかったなぁ。)
こだわりを持つ経営者、上司に反抗して我流を通す販売員、全商品に関与するデザイナーなど、熱い人々の物語が本書の特色でもある。

・モードの先端はパリにあるとしても、20世紀初頭から大量消費社会を牽引したのはまぎれもなくアメリカだ。メイシーズ、ギンベルズ、ウールワース、アルトマンズ、等々。店舗と流通網の巨大さは英仏の百貨店を凌駕し、通信販売を大規模に取り入れる様もアメリカらしい。

・ベル・エポックの時代には服装が、特に女性のファッションがシンプルになり、腕や足首が露出し、素肌に直接触れるネックレス、ブレスレッドが登場する。かつてヴェールに覆っていた顔面を他人に見せるようになると、自宅外での化粧の必要性が発生し、化粧品を持ち歩くためのハンドバッグを女性は持ち歩くようになる。
女性の社会進出と百貨店の登場は、軌を一にしていたんだな。

ベル・エポックから1920年代ジャズ・エイジにかけて興隆し空前の賑わいをみせた百貨店。世界中の商品を集めて整理分類し、世界中に流通させ、一種の文化のネットワークを形成した。(p249)
現在、これと同様の役割を担っているのは、実はAmazonではないだろうか。ネットショッップ多しといえども、事実上ひとつの経営単位として書籍から電化製品、ファッションまで世界中の商品を扱っているのは驚異的だし、僕も何度か、その恩恵に浴している。
実に良い時代になったものだと思うが、さらにリアル・ショップのように、ファッション面でのアドバイザー的な機能が付加されれば言うことはないな。

百貨店の博物史
著者:海野弘、アーツアンドクラフツ・2003年6月発行
2012年1月22日読了

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2012年1月19日 (木)

メディア都市パリ 山田登世子

ともに19世紀の発明品であるメディア産業とモード産業。その共通点は、常に新しく、すぐに消費され、忘れ去られるモノと情報であることだ。

本書は、ド・ロネー子爵の著した『Courrier de Paris パリ通信』を羅針盤に19世紀前半、七月王政期と第二帝政期のパリ住民の姿を追う。

・時の話題=トピックスを提供する広告入り商業新聞、ブルジョア階級の消費熱を煽るファッション、庶民に溜飲を飲ませる有名人の風刺画、等々。21世紀に生きる現代人にもおなじみの"快楽の装置"は、この時代に創造されたことがわかる。

・バルザック、デュマ、シューなど19世紀ロマン主義文学の成り立ちを、作家のインスピレーションによるものではなく、メディア=新聞の要求する条件によるものとしている。掲載新聞の売り上げ増大を図るため、「続きへの期待」を読者に抱かせることが必須であり、短い章中に活劇、ロマンスの要素が満載となる。また原稿料は行単位での支払いであるから、必然的に短いセリフが多用されることとなった。

・ジャーナリズム。その本質は、語るべき内容を持たず、語るという行為そのものによって存在する言説であると著者は説く。
「言うべき内容をもたない空虚な言説はまさにその空虚さによって無際限の力を持つ」(p76)
ネット空間に氾濫する"書き込み"が大きな影響力を持つ今日、言説とは何かが問われるな。

・鉄道とガス燈。この新テクノロジーがパリの姿を変えてゆく。夜、ライトアップされたdes Italiens デ・ジリアン通りを紳士淑女が最新モードのファッションで闊歩し、地方からの"おのぼりさん"も負けじと最新情報を血眼になって漁る。
ショーウィンドーにディスプレイされる商品は情報となり、新聞広告や壁面ポスターによって人の意識を占有する。
やがて出現するであろう百貨店と電灯の時代を予感させる。
「万博やデパートといった消費文化のスペクタクル空間が生成してゆく世紀末は、文学とインダストリーの公然たるコネクションが加速度的な展開をみせてゆく時代である」(p145)

・イギリスから流入したbluestocking 青鞜派による女性の権利の主張。だが、パリでは"エレガントでない"ため主導権を握ることはない、とド・ロネー子爵=女性であるジラルダン夫人は説く。
政治的主張は男性に任せ、パリジェンヌはあくまでも女性らしさを追求する。ここに、パリがパリたる所以があるように思えた。

メディア都市パリ
著者:山田登世子、青土社・1991年5月発行
2012年1月18日読了

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2012年1月16日 (月)

巴里ひとりある記 高峰秀子

1951年、当時27歳の大女優、高峰秀子によるパリ滞在記。
短いブリュッセル旅行、帰路立ち寄ったニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイの記述もあるが、やはり6ヶ月を一般人として過ごしたパリの記述が中心だ。
高峰秀子さん自身による挿画も素晴らしい。

・彼女は5区の大学町、Pierre Nicoleにある民家に下宿する。民家と言っても日本でいうマンションに相当し、古いエレベータのある5階の一室からは、Tour Eiffelを眺望できたそうだ。

・Etoile エトワール広場(現在のCharles de Gaulle ドゴール広場)からConcorde コンコルド広場を抜けるAvenue des Champs-Elysees シャゼリゼ通りは当時からパリ一番の繁華街だったようで、彼女はここでスーツとコートをつくり、超高級レストランLedoyen ドワイアンで食事し、公園で優雅な時間を過ごしている。

・第二次世界大戦が終わってまだ6年。戦勝国であり、市街地の破壊は免れたとはいえ、生活苦に追われるパリ住民の世相は暗く、"花の都"とは異なる印象を受けている。当時もアメリカ人を中心とする外国人旅行者が多く、彼らに依存していたようだ。

・街と人の細かな観察と、彼女のセンスある描写こそ、本書の醍醐味だ。
「若い学生達が…ツバメのように自転車で飛んで行く」(p35)
「フランスはとてもエンジと金で調子をとったところが多い」(p44)
「猫は黒いのが一番多くて…八百屋のトマトの上に丸くなっているし…」(p93)
「美しい肌から涙といっしょにはずした華族の令嬢のネックレス」(p102)とは、蚤の市を歩いての描写だ。上手い。
「タクシーはたいていくすんだエンジ色で屋根が黒い。…大分くたびれた古物。自家用車はほとんど小型。色も黒か灰色で…」(p35)後にベルギーを走る綺麗な自動車、米国を疾走する大型車との比較がある。
「モンマルトルの坂の上…サクレ・クールは照明されて、ぽっかり星空に浮いている」「ガス燈がぼんやり煙っている」(p128)

・La Rotond、Le Dome、Fouquet's ……高級カフェのギャルソン。高級自家用車で通勤するなど大金持ちで、生き甲斐からギャルソン(の給仕長)を務めている人も実は多いらしい。(p55)

・Comedie Francaise コメディ・フランセーズでThe Winter's Taleを鑑賞し、その衣装と演出の巧妙さに印象を受けるとともに、映画俳優としての血が騒いだらしい。(p74)

・夜のセーヌ河。偶然みつけた小舟の中は粋なレストラン。美男美女が揃い、「甘いお酒の匂いと、誘うような香水の匂い」(p77)に充満した狭い室内の灯りはロウソクのみ。店主の唄うシャンソンに聴き惚れる。
木村尚三郎の著書によると、フランス人は嗅覚で人のセンス(サンティール=匂いを嗅ぐ)を判断するらしく、欧州に日本茶が定着しない理由もここにあるらしい。(逆に薫り高いコーヒーは爆発的に普及した。「世紀末泰西風俗絵巻」p14による。)

・中原淳一、朝吹登水子、石川達三、与謝野秀(外交官、与謝野晶子の次男)らとの交流も描かれる。

・ブラッセルの街を「きれいだ。日本なら神戸あたりか」と書いてくれている。嬉しい。
ブラッセルでは赤い五重塔を発見し驚く。1925年のパリ万国博(現代装飾美術・工業美術国際博覧会:アール・デコ博)の日本の出品物を、ベルギー王が購入したらしい。一度見てみたいなぁ。(p121)

・アメリカ入国の際、旅券の不備から、エリス島に二日も拘留されている。これは貴重な体験だろう。(p157)

ルーブル美術館へも3回訪れたと書かれているが、それよりも本場カソリック教会の宗教芸術に直接触れたことが、彼女にとって意義深いものがあったようだ。(p126、p153)
「私はにげずに知りたい、何でも、どんな小さいことでも」
この精神だな!

今度「二十四の瞳」のDVDを借りてこよう。

巴里ひとりある記
著者:高峰秀子、新潮社・2011年11月発行
2012年1月16日読了

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2012年1月14日 (土)

お菓子とビール モーム

1930年、William Somerset Maugham 56歳の長編小説。
著者の分身でもあるロンドン在住作家Ashenden アシェンデンは、友人キアから一本の電話を受け、亡くなった国民的大作家ドリッフィールドの伝記編纂への協力を要請される。かつて少年時代に故郷ブラックスタブルで知り合った無名のドリッフィールドと、医学生時代にロンドンで交誼を重ねた30年前を彼は回想する。そこにはロウジーの姿があった。

ロウジー。ドリッフィールドの最初の妻であり、元女給がゆえに作家を取り巻く紳士淑女から邪険な扱いを受ける彼女こそ、本作のキーパーソンだ。
「にっこりすると、急にそのむっつりした顔がえも言われぬ魅力を帯びるのだった。…彼女は輝いているのだが、淡い光で太陽というより月光なのだ」(p205)
「月光にしか芳香を与えぬ夜の銀の花のようだった」(p214)


ボヘミアン然と生活していたドリッフィールドが再婚した妻に仕切られ、"大作家に相応しい"生活を強いられてきたことが窺える。この老作家にしてみれば、仕事に介入しすぎる後妻は、ある意味鬱陶しく感じているようにも思える。貧しくひもじく社交界から村社会から嫌われてはいても、自由奔放に生きられた"あの頃"を懐かしく思う様子が、アシェンデンにはありありとわかる。

"あの頃"。本書は三つの時代:ヴィクトリア時代最終期、エドワード時代、第一次世界大戦後のロンドンとイングランド地方都市が取り上げられるため、時代ごとに異なる倫理規範と社会風俗が面白い対比をみせる。
・紳士階級と労働者階級の社会的地位の明確な格差。それは子供の意識にも植え付けられる。成上り者の商売人が紳士の屋敷の玄関に現れることも許されない時代だったから、"屋敷管理人の息子ドリッフィールド"や"下卑た飲食店の元女給ロウジー"との親交を、アシェンデン少年はとまどいつつも続ける。
そしてドリッフィールド家の夜逃げ事件は、少年を傷つける。
・5年後のロンドンでドリッフィールド夫妻と再会したアシェンデン青年は、作家のサロンに足繁く集う。青年はロウジーに魅せられ、取り込まれ、夢中になり……。ロウジーの他人との駆け落ちは、作家と青年を強く打ちのめした。
女性批評家の助力で立ち直り、看護婦と再婚する作家。この選択が、後々まで彼に疲労を強いることになるのだが、それを知るよしもない。一方、青年は医学から作家への転向を決意し、成功を収める。
・55歳を越えた有名作家アシェンデン。30年ぶりに戻った故郷はうらびれ、懐かしい顔も少ない。唯一出会った幼なじみが孫を持つことを知った彼は軽い衝撃を受ける。(p267)
やるべき未来の計画と、終着の見えた人生を思う彼の姿は、僕自身にも考えを促すように思えた。


訳者の解説によるとCAKES AND ALEとは"人生の愉悦"を意味するもので、ドリッフィールド、そしてアシェンデンにとっての"ロウジーとの親密な日々"を指すとのこと。なるほど。

・物語中、エネルギッシュで革新的なアメリカと保守的に歩むイギリスとの差異がハッキリ示されるのも興味深い。Henry Jamesを意識したのだろうか。

・『主人に言ってやるんですよ。死んでしまったら笑えないんだから、今のうちに笑っておきなさいってね』(p171)とは、医学生アシェンデンの下宿管理人ミセス・ハドソンの言葉だ

・オルグリッド・ニュートン氏の素晴らしい語り口が気に入った!(p240~p249)


最終章。ニューヨークに滞在するアシェンデンに"ある女性"からの手紙が届けられ……。
そして、彼女の悲しい過去を、知る。

自由奔放で、かつ愛情心あふれ出るロウジーは、実はモーム自身が求愛した実在の女性がモデルだったそうな。彼女の幸福な老後は、愛に破れたモームが、それでも女性の幸福な行く末を願ったことを示すものだと思われ、心地好い読後感を得られた。


疑問が残った。
16章の冒頭に"Haymarket Theatre"との記述があるが、もしかして"Her Majesty's Theatre"(夏目漱石が『十二夜』を観劇した)のことを指すのだろうか?(p213)

CAKES AND ALE
お菓子とビール
著者:ウイリアム・サマセット・モーム、行方昭夫(訳)、岩波書店・2011年7月発行
2012年1月13日読了

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2012年1月 9日 (月)

昭和モダン 藤島武二と新制作初期会員たち展 神戸市立小磯記念美術館

"昭和モダン"の表記に釣られて、六甲アイランドは小磯記念美術館に出向いてきた。(2012年1月9日)

1936年に「反アカデミックの芸術精神」を掲げて結成された新制作協会と、その展覧会に賛助出品し続けた大御所、藤島武二の作品が展示されていた。

藤島武二「山上の日乃出(碓氷峠)」(1934年)等も良いが、やはり人物画に惹かれるな。
■小磯良平「化粧」(1936年)
全裸になって簡易鏡台に向かう若い女性が背中越しに微笑む。シュミーズもワンピースも市松模様の床に脱ぎ捨て、カーテンを開けたガラス窓からは、鎧戸を通して朝日が部屋に差し込む。スリッパではなくハイヒールを履いた妖艶な姿は、しかし美しい。

■伊勢正義「キャバレー」(1936年)
斜め上からの俯瞰。アコーディオン弾きの躍動感。店内に響き渡るダンス音楽とホステスの囁きが画面から溢れそうだ。
ダンスを踊るペアのうち、青い水玉ワンピースの女は、別のテーブルで噛み煙草を吹かす男を視線に捉えて離さない。このドラマ性に惹かれた。

■内田巌「風」(1946年)
戦後の世相を表す曇り空の下、左方を向く少女に向かい風が吹き付ける。まなこを見開き、まばたきひとつせず、新しい時代を前のめりに歩め!
戦後の作品群から唯一、この作品が気に入った。凜とした表情が実に良い。

"反アカデミック"の芸術精神と謳いつつ、アジア・太平洋戦争の遂行には新制作協会も積極的に協力したようで、1942年第7回展のスローガンは「大東亜建設に捧ぐ」ときた。国策に巻かれ、戦後は掌を返すように平和主義に転じたってわけか。興醒めだな。

小磯良平のポストカードを購入したぞ。
Dscn1955

神戸市立小磯記念美術館
http://www.city.kobe.lg.jp/koisomuseum/

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2012年1月 8日 (日)

エリア随筆抄 チャールズ・ラム

「すべて人間には二度の誕生日がある。…元旦は…私どもすべての人類の誕生日なのだ」(p16「除夜」)

家庭の事情で大学進学をあきらめ、14歳から南海商会に、17歳から51歳まで東インド会社に事務系サラリーマンとして勤務したロンドンの読書家、Charles Lambの随筆集。
本書にはギリシア神話や古代ローマの逸話がわんさか登場する。これら西洋古典や近世英国文学に対する教養が欠如しているせいでサクサク読み進めることはできなかったが、古雅な文体を含め、実に味わい深い一冊だった。

著者は架空の人物、エリアに自己を投影する。

収録される16編どれも捨てがたいが、僕は「現代の女性尊重」を推したい。
ラムの生きた19世紀前半は、まだまだ男尊女卑の風潮の強い時代だから、レディ・ファーストと言っても上流社会、それも表面を繕うだけの話。賤業や過酷な単純労働が女性によって担われていること、さらに不幸にして結婚できなかった女性への蔑視をラムは強く非難する。そしてかつての勤務先、南海商会の上司であった人の女性全般に対する崇高な態度を彼は絶賛する。
その理由はひとえに彼の悲しい境遇にあり、同情を誘う。

ときおり狂気の発作を現出させる姉の行く末を気遣い、ラムは恋人と別れて独身を貫き、姉弟たった二人で老境を迎えることになる。その平凡な一日のお茶の時間を描いた「古陶器」は、冒頭のんびりした陶器趣味の披露から、貧しくとも幸せだった遠い記憶を姉が滔々と語る展開へと一変する。若さが貧しさを補って活気に満ちあふれていた美しい時代、戻ることのできない思い出を語り合う二人は、それでもなお幸せなのだと信じたい気持ちにさせられる。

≪大人の本棚≫
Essays of Elia
エリア随筆抄
著者:チャールズ・ラム、山内義雄(訳)、庄野潤三(解説)、みすず書房・2002年3月発行
2012年1月8日読了

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2012年1月 3日 (火)

昔日の客 関口良雄

昭和30年代、多数の文人・著名人と交流を持った古書店、山王書房主人の随筆集。
先日、野呂邦暢「夕暮れの緑の光」を読んで本書の存在を知ったのだが、復刊書が神戸・元町は海文堂書店に平積みされているのを見て購入した。

宇野千代、尾崎一雄、野呂邦暢、三島由紀夫、室生犀星など戦後著名文学人との交流や、書店経営にまつわるアレコレ、若き日のロマンスなど多彩なエピソードが開陳されるが、やはり書籍に対する愛情が頁の端々からあふれ出てくる。

本当の本好き。

「息つぐ間もない世相の中に生きていると…記憶は永久に…砂丘に埋もれ、…海岸の波間に沈んでしまうかもしれない。…は、眠っていたスワンの娘の記憶を呼び起こしてくれた。それは私の人生に無用なものかも知れない。が無用の中にこそ、言い知れぬ味わいがひそんでいるものだと思う」(p156 スワンの娘)

尾崎一雄と一読者である少女に関する随想。失明の危機から脱した少女が真っ先に実行したことが感慨深い。「情熱というものである」(p142 可愛い愛読者) 本当に。

お寺の本堂で行われた知人の結婚式と披露宴に出席する。「思うに真理の探究というものは、俗の中に身を処していなければ…」(p91 某月某日)
濁世に身を置き、人類遺産である書物を通じて過去の人物と対話する、あるいは時空を超越して歴史上の出来事に身を重ね、自らの処世を考究する。
これぞ読書の楽しみであると、新年を迎えて再認識した次第。

昔日の客
著者:関口良雄、夏葉社・2010年10月発行
2012年1月3日読了

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2011年12月31日 (土)

英国メイド マーガレットの回想 マーガレット・パウエル

1968年にイギリスで出版されたベストセラーであり、本邦初訳のようだ。地元書店の店頭で手にし、労働者階級出身者による数少ない回想記であり、1920年代の記述がメインのようなので即決購入した。森薫さんの挿画も購入を後押しした。

教養と権力を独占する支配層や台頭しつつある中産階級ではなく、人権すら制限されていた労働者階級の生々しい声、そして女性ならではの主張に満ちあふれている。

著者は1907年にHoveに生まれ、貧しい幼年時代を経て、13歳からクリーニング店の下働きとして社会に出る。14歳から女中の道を歩むが、裁縫が不得手のため、キッチンメイドの職を選択することとなる。

メイドさん。この甘美な響きを有する職業の現実は厳しい。労働・生活環境とも劣悪であり、"奥様"や上司の厳しい叱咤に耐えつつ、著者は灰色の青春を送る。
休日は月に6日、それも15時から22時までに制限されるなど、当時=1920年代のメイドは働き詰めであり、若い男と出会う機会もほとんどなかったようだ。しかも深い仲に進展する前に「なんだ、女中ふぜいか」の捨て台詞を浴びせられる。当時の使用人の地位がわかるというもの。

最初の奉公先=牧師の屋敷では、羊の鞍下肉や牛の腰肉を大量に平らげ、大量に捨てる生活を目の当たりにし「食うや食わずの家族のことを思うと胸が張り裂ける思い」(p60)を抱く。キッチンメイドなのに主人たちの靴磨きまでさせられる。靴紐にもアイロンをかけるという「馬鹿馬鹿しい」(p64)仕事にも耐えなければならない。なぜなら、貧しい大家族の暮らす実家に「帰るのは無理だ」(p85)からだ。
"階上"と"階下"のあまりの違い。「人生の不公平について考えずにはいられなかった」(p68)

1年後、より良い待遇を求めてLondonに移る。KnightsbridgeはThurloe Square(Victoria & Albert Museumの南側だな)に邸宅を構えるカトラー氏のキッチンメイドとして新たな一歩を踏み出す。

職を通じて世のなんたるかを知ることは、古今東西変わらない。使用人を劣等人種とみる雇用主、コックと出入り業者の癒着、"虎の威を借る狐"のような執事の行状、プライドのない同僚メイドの行為などを直接見聞きし、人間を見る目を養ってゆく。

さらに3年後、Kensingtonの屋敷で、著者はコックの道を歩み始める。思惑は外れ、十分な食材は使えず、下働きも付かない。主人を"ma'am lady"、令夫人様と呼ばされる等、恵まれた職場環境ではなかったが、それでもキッチンメイドからコックへ変身できたのは大きかった。使用人を経験した人でないと「この地位の違いはわからない。…キッチンメイドなんて、誰でもない人間。なんでもない存在。…ほかの使用人にすらこき使われる、卑しい女中でしかないのだ」(p149)

個人的には1925年のSussex、同僚メイドであるオリーブ嬢の田舎を著者が訪問する描写が新鮮だった。Londonと違って水道も電気もガスもなく、オイルランプに頼る生活。井戸からオタマジャクシの混じった水を汲んで飲み、大小の用を足すのは地面に掘った穴ときた。これが、七つの海を支配した大英帝国の地方の姿なのか。(p160)

その後、数件の屋敷でコックを務め、結婚して専業主婦となる。様々な雇用主の下で働いた彼女は、雇用主の共通点を発見する。それは、使用人は教養を身につけてはならないと考えていることだ。特に読書は"社会主義"へ道を開くことであり、決して許容されない。"労働者は恋愛娯楽小説でも読みふけっていればよい"、これが支配階層の共通認識だったのだろう。(p189,p230)

第一次世界大戦後、わが世の春をひとり謳歌したのがアメリカだ。ロンドンの大通りを闊歩する男性の半数がアメリカ人だという記述が本書にもある。(p124) 上流階級は苦々しい思いを抱いていただろうが、第二次世界大戦後、彼らにはさらに過酷な運命が待ち受けているであろうことが、本書の後半に記されている。(p227)
その頃には労働者の生活水準も向上した。やがて三児の母親となった著者が、昔の知り合いの紹介から臨時料理人として働くことになるが、使用人の労働環境が劇的に改善されたことに驚いている。
あれだけ権勢を誇った"階上"の人々が経済的基盤を失って困窮するようになった様子は、著者をして同情せしめている。

使用人ならではの面白エピソードもふんだんに散りばめられている。フランス女への給仕をさせられた際、小さな新じゃがいもをドレスに大量にぶちまけ、"谷間"に挟まった一つを取り出す場面などは笑みが漏れた。(p198)

それにしても、イケメンでない男を総じて"バスの後ろみたいな顔"と表現するのが多い。やめてくれんかな……。

Below Stairs
英国メイド マーガレットの回想
著者:マーガレット・パウエル、村上リコ(訳)、河出書房新社・2011年12月発行
2011年12月30日読了

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2011年12月24日 (土)

3.11 死に神に突き飛ばされる 加藤典洋

情報の洪水に流されず、自分の頭で考え抜くことの重要さ。それを本書は教えてくれた。

「死に神に突き飛ばされる」と「祈念と国策」の二章から構成される。書き下ろされた後者の内容は圧倒だ。


なぜ、東京電力に対する批判は高まらないのか?
「広告費が足かせとなって、新聞・メディアが自由に批判的な記事が書けないというのは、戦時中に言論統制が足かせとなって、新聞が自由に批判的な記事を載せられなかったというのと同じ構造の問題である」か、これはわかる。
さらに著者は現代ジャーナリズムの根源的な問題を説く。それは新聞とテレビが「読者、視聴者に政治的な課題を『提示』し、己の考えを明示し、議論の展開を促すべきところ、それができ」ずに、代わりに「大震災、原発災害の被災者の…現実、…挿話といった特異な記事で、次から次へと」紙面が埋められ、これが"報道"と称される。それは能力的な問題ではない。「事態を踏み込んで報道しないことが新聞社の意思に基づき、行われて」おり、その理由こそ「社会的に重要な動向(=原発に対する疑念)に対する既得権益の擁護」であり、「この種の情報の遮断」が行われている、と著者は断罪する。(p170)

「いま起こっているのは、これら政官財一勢力による文民の意思の押し込め」であり、「文民統制(シビリアンコントロール)が求められるとしたら、自衛隊に対してというよりも、これら政官財の既得権益共同体に対してであろう」(p55)
よく米国の軍産複合体が問題とされるが、この国の『既得権益共同体』にマスメディアが取り込まれている現実を忘れないようにしよう。


菅首相に対する非難の大合唱も、いま冷静になってみれば、マスコミに誘導されていたんだな。
いずれ、当局の監視の目を逃れるために、表現を曖昧にしたり、××や○○と表記しなければならない時代がやってくるのかもしれないな。
……中共支配下の中国とどこが変わらないんだ?


"原子力の平和利用"に隠された問題点、すなわち「どれだけ予算がかかっても、国家の『技術抑止』維持のために核燃料サイクルを推進するという軍事目的」を含む国家意志が存在し、しかもそれが裏に隠れたままの状態にあることを、原子力研究会の論文を引用しながら、著者は告発する。(p150)

長い時間をかけての脱原発。著者の立場は明快だ。

が……。
原子力は本質的に危険を内包する。それでも、巨大エネルギー源としての魅力からは逃れられないし、昭和の冷戦を経験した世代の一人として、その代価の一つでさえある日本の核"技術抑止"力を放棄することは選択したくない。
この点、本書中で幾度も著者が批判する寺島実郎氏の立場を僕は支持したい。

3.11 死に神に突き飛ばされる
著者:加藤典洋、岩波書店・2011年11月発行
2011年12月23日読了

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2011年12月20日 (火)

プライド 真山仁

「一俵の重み」「医は……」「絹の道」「プライド」「暴言大臣」「ミツバチが消えた夏」の5編を収録する著者初の短編集であり、組織の掟や上層部の思惑、個人の力ではどうにもできない潮流に翻弄されながらも、自己の仕事に誇りと持ち、あるいは疑問を抱きながらも真っ当に生きようとする男女の物語は、どれも骨太い。

「暴言大臣」のラストの展開は少し性急のようだが、人と組織と友情の裏の裏を垣間見るようで面白い。

「ミツバチが消えた夏」に表現される"強者の論理"こそ、いにしえから人類社会を支配してきたものだし、キーワードだと思う。大枠、すなわち、近代に始まった帝国主義はカタチを変えて続くし、これから変わらない。

人生の意義付けは人それぞれだし、どれが正しいわけでもない。信念を持ち続ける、そのことが強さを生み出すと思う。
意識の持ち方ひとつだが、"著者あとがき"にあるように、闘う姿勢と責任は忘れずにいたい。

プライド
著者:真山仁、新潮社・2010年3月発行
2011年12月20日読了

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2011年12月18日 (日)

カインの末裔/クララの出家 有島武郎

■カインの末裔
大正6年の北海道西部、凄まじい吹雪の寒村に、野生むき出しの小作農、広岡仁右衛門とその家族が辿り着くところから物語は始まる。

あてがわれた住居小屋の内部は冷たく、古むしろと藁の布団がすべて。吹雪に遮られるだけマシというもの。赤坊は堅くなりかかった歯茎で、母の枯れた乳房を噛む。泣く。母は3枚の塩煎餅を大事そうに噛み、我が子に口移しを試みる。夫は暴力で塩煎餅を奪い、自分のものにする。家族の食料は尽きる。
闇の中の深い貧しさ!

けんか腰の仁右衛門の巨躯-身長180センチ-は虚弱な他の小作人を圧倒し、ののしりと暴力で文句を言わせない。常態化したドメスティック・ヴァイオレンスは目を背けたくなる。

仕事熱心だがルールを破り、自分勝手に生きる仁右衛門は、やがて孤立する。
農場主の妾が暴行される事件は決定的だ。

長雨と日照りは不作をもたらす。
「自然に抵抗し切れない失望の声が、黙りこくった農夫の姿から叫ばれた」(p49)

赤ん坊も死ぬ。仁右衛門と妻は吹雪の中、追い出されるように村を出る……。

■クララの出家
1212年3月18日、イタリア半島中部の自治都市Assisi アッシジにて18歳の貴族令嬢クララが出家、修道女になる夜明けから夜更けまでの一日を描く。
黄金色の美しい髪を持つ麗しい彼女こそ、Ordo Fratrum Minorum フランシスコ修道会を創立した聖フランシスコの最初の女弟子であり、後にClala Assisiensis アッシジのクララと尊称され、サン・ダミアーノ修道院の院長となる人だ。

人であることを捨て去る決意の後、だがしかし「瀕死者がこの世に最後の執着を感ずるようにきびしく烈しく父母や妹を思い」、親しんだ"この世界"への未練に涙を潤ませるシーンは、あまりにも人間的で、暖かいものがある。

これも昭和6年の作品。詳細な13世紀カソリック都市の情景描写と宗教観は、自身キリスト教に帰依した著者ならではのものだろう。


それにしても有島武郎の表現力豊かなこと。発表当時にセンセーションを巻き起こしたらしいが、さもありなん。女性編集者との心中を含め、常に世間の話題の中心にいたことも窺えるし、内容の濃い人生だったろうと思う。

カインの末裔/クララの出家
著者:有島武郎、岩波書店・1940年5月発行
2011年12月18日読了

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2011年12月15日 (木)

おもしろ図像で楽しむ近代日本の小学教科書 樹下龍児

寺子屋から全国統一の学校へ。列強国の知識を国民に浸透させるべく、文明開化は教育現場の光景を一変させる。
教科書も変わる。幼い学徒の理解を助けるべく、木版技術の粋を凝らした図版が多用され、いま観ても素晴らしい出来だ。

・明治初頭より小学生にしつこく教えられたことの一つが、地球は丸いということだ。江戸期の須弥山の概念で育った祖父や親の世代は、パラダイムの急激な変化をどう受け止めただろうか。

・第4章、鉄道に関する逸話が興味深い。
明治5年の新橋~横浜間の鉄道開業に始まり、神戸~京都間、上野~青森間、新橋~神戸間、明治30年代には北九州にも鉄道が開通する。(熊本・八代、大分・宇佐まで。南九州は軌道敷設もまだだったらしい。)
明治中頃の教科書では、日本各地の鉄道旅行の様子が描写される。鉄道と汽船のネットワークが全国に拡がり、庶民でも名所旧跡を旅行することが可能となった喜びは、今日の世界航空旅行の楽しさに通じるものだと思う。

・ガス灯と電灯、特に後者は昭和4年(1929年)の時点で、不便な山間にも普及したとある。実際には石油ランプが頼りにされたのだろうが。

・前島密。明治初頭に内国郵便制度を実現した彼の先見の明と偉大さには感服させられる。貯金にいそしむ国民性を創り上げたのも、江戸期の飛脚便との業務連携を実現したのも彼の功績だ。
「利益を優先せず、全国同一料金で郵便を届ける」理念は偉大だ。残念なことに、どの組織も年月を経ると当初の理念が失われ、自己保存に意義を見いだす。この御時世に"ゆうちょ"や"年賀ハガキ"に執着する現在の姿には、前島密も失笑するに違いない。

・電信・電話技術も旺盛に移入された明治2年には電信が開始され、2年後には外国との直接交信も開始。エレキトルと言う"気の力"により音信を遠方に伝える仕掛け、と教育される。
明治23年に開通した電話の一般家庭への普及は昭和を待つことになるが、明治後期には公衆電話が設置される。当時の「自働電話」にまつわる逸話も面白い。

・農作物の収穫を終え、東京見物に出かける農民の一行(明治20年、p147)。蝙蝠傘を除き、江戸時代の人物と風景にみえるその図は、文明開化とはほど遠い。明治中期においても、東京都心部との隔たりの大きさがわかる。
文化風俗情報が瞬時に共有される現代社会とその基盤である技術発展は、地方にこそ恩恵があると思う。


「向学心と好奇心と想像力」のちからにより、明治期以前には想像もできなかった広い視野を得た小学生が大人になり、やがて明治後期、大正へと続く日本の力強い基盤を築き上げた(p196)。あらためて教育の大切さがわかるし、その意味でも、橋下氏(大阪新市長)には期待を寄せたい。

おもしろ図像で楽しむ近代日本の小学教科書
著者:樹下龍児、中央公論新社・2011年7月発行
2011年12月13日読了

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2011年12月 5日 (月)

半島を出よ 村上龍

最初に手に取ったのは出版された2005年の7月。北朝鮮の動向が取り沙汰されていたこともあり、詳細に記された北朝鮮軍兵士の姿に興味を抱いた。
今回は、政治も経済も社会も崩壊した日本に観点を据えて読んだ。

2011年末の日本は、何もかも本書出版時より悪化した。経済収縮はますます進み、歴代政権が連呼する"景気対策"も空しく響くばかりだ。国債暴落に端を発する"日本経済の破綻"が語られて久しいが、最近の経済誌でも再びクローズアップされ、明日にも現実となりそうな気配だ。
いつまでも狼少年でいられるはずがない。


経済が崩壊すると、何が起こりうるのか。
円が売られ、国債と株が暴落し、銀行が閉鎖される。国民生活より国家財政が優先されるから、預金封鎖は必然となる。外貨と円の換金も制限され、海外資産も凍結される。消費税率も大幅にアップし、国民の生活は破綻に追いやられる。
優良企業が海外に逃げ出し、大都市を中心に浮浪者が爆発的に増える。犯罪も増える。政治家と官僚に向けられる憎悪は凄まじく、霞ヶ関でテロが頻発する。

「経済が衰退した国は国際的な発言力を失う。…戦後一貫して経済力をバックに外交を進めてきたから、破綻同様の国家財政と産業の衰退は外交面で手持ちのカードをすべて失うに等しかった」(上p281)

世界中の厄介者になりつつある日本。「アメリカと離反し、東アジアで孤立し、中国と敵対して、日本は平和と繁栄を守ることができるだろうか」(上p283)

その最中、北朝鮮による北九州侵攻計画が実行に移される……。


問題が発生する、あるいはその兆候に気づかず、突如その事態に襲われる。対処せずに放置すれば問題は悪化するのが世の常だが、これが国政の中枢で平然と行われるのだ。

物語中、ある閣僚が罷免される。突如部外者となった彼は、かえって冷静に物事を見ることができる。「内部にいては、何もわからない」のだ。
「典型的な日本的集団といえる円卓の意思決定の過程の異様さがよくわかる」し、「もっとも重要なことから逃げているようにも見える」。(上p288,p290,p309)

最優先事項を決めずに場当たり的に、しかし一所懸命に対処する物語中の政府の姿は滑稽だし、現実の政府もそうであることは容易に想像が付く。そして、これが僕を含む日本全体の日常的な姿かと思うと恐ろしくもなる。


責任と権限を明確にすることの重要性を、著者は大阪府警SAT部隊の北朝鮮テロリスト襲撃作戦を題材に明示する。
「決定権と責任の所在が曖昧なまま、すでに意味を失っている計画が実行に移される」(上p360)
部隊派遣、作戦立案、実行に至る過程を「把握して、決定を下す責任者がどこにも存在しなかった。…誰が作戦の実行や中止を決めるのか…決められていなかった。…前の戦争のインパールやガダルカナルと同じじゃないか」(下p106,p107)


福岡占領の是認。国際的な暗黙が、日本をますます孤立へと追いやる。。
「国際法で侵略が禁じられてるっていったって、要は国際社会の平和を乱さなければいいわけで」(下p114)

「この世の中には二種類の人間しかいない」(下p283)
こつこつと作る人間と、旧来のシステムと悪の砦を破壊する人間。マジョリティに属さない後者が、本格的な北朝鮮侵攻作戦を防止するのだが、その作戦は実に大胆だ。

著者の凄まじい想像力に圧倒されながら一気読みし、深い余韻を胸に書棚に戻した。

半島を出よ(上巻、下巻)
著者:村上龍、幻冬舎・2005年3月発行
2011年12月5日再読了

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2011年11月29日 (火)

ポヨポヨ観察日記 楽しみ!

"まんまる猫"のポヨと飼主の佐藤萌、家族と友人たちのファミリー・ギャク&猫萌コミックが、ついにアニメ化される。

樹るうさんの原作が面白い上、監督が大地丙太郎さん!
特上の作品になること間違いなし!
(こどちゃ、十兵衛ちゃん、フルーツバスケットをまた観たくなった。)

キャストも○
・ポヨ……大谷育江さん
・佐藤萌 姉さんは……三森すずこさん
・父さんは……神谷明さん

楽しみ!
で、なんでテレビ東京だけの放送なんだ?
……"DVDを買え"ってことだな。もちろんそうするけど。
(森田さんは無口。も楽天ブックスで買ったし。)

公式HP
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/poyo/index.html

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2011年11月19日 (土)

月と六ペンス サマセット・モーム

ポスト印象派の大家、Gauguin ゴーギャンの生涯に暗示を受け、1919年に発表されたモームの代表作。
文化的な社会生活どころか、健康も顧みずに芸術を追究した男、チャールズ・ストリックランド。欲望をひた隠し、一般家庭人の生活を送るロンドン時代。家族も富もすべてをうち捨て、40歳から画家としてスタートするパリ極貧時代。放浪の末、"地球の裏側"で理想郷を見いだしたタヒチ時代。そのすべてで、周囲の人々の人生を破滅させ、自分勝手で壮絶な人生を送る。

ハンセン病に冒され失明しても、芸術への渇望は止まない。死の間際に神との接点を発見し、死とともに、その完成された作品を炎に葬り去る。

ストリックランド氏の剛胆な人生には脅威を感じるが、ストルーフェ氏の性格にも驚かされる。最愛の妻を寝取られ、その妻も最後は自殺に追い込まれる。それでも、彼の絵を"最高の芸術"と讃えることを止めない小心なオランダ人は、完全な道化だ。彼も芸術の狂気に取り憑かれたうちの一人にすぎない。

やはり恐ろしいのは、ストリックランド氏の妻だろう。捨て去られた自分たち家族が生きるためとはいえ、夫失踪のあらぬ噂を立て、職を確保する。亡き夫が世界的に有名になった後は、その貞淑な妻として、彼への理解をインタビュワーに顕わにする。
生き残った人間のしたたかさこそ、本物の強さなのだ。

The Moon and Sixpence
地球人ライブラリー
月と六ペンス
著者:ウイリアム・サマセット・モーム、大岡玲(訳)、小学館・1995年9月発行
2011年11月19日読了

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2011年11月17日 (木)

大正ロマン・昭和モダン展 竹久夢二、高畠華宵とその時代 姫路市書写の里・美術工芸館

大正から昭和初期にかけての時代、特にその文化に興味が沸いたので出向いてきた。(2011年11月16日)

姫路・書写山の麓にある美術工芸館。ここを訪れるのは初めてだ。建物の外観は庭園と相まって、竹藪に囲まれた日本家屋を想わせる。
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会場は大きく三つだが第1会場へのアクセスは階段のみ。当日は車いすの観客が多かったようで、階段昇りを手伝う警備員はご苦労さんでした。
……バカでかい太陽光パネルの予算で、リフトを設置すれば良かったのに。(せめてスロープ)

■竹久夢二
まずは夢二。肉筆画やスケッチも良いのだが、やはり雑誌の表紙画と挿絵、ポスター等の印刷物こそ素晴らしい。ひとの愛憎、郷愁を描く抒情画の第一人者として絶大な人気を得たのも肯ける。
・版画「港屋絵草紙店」が良い。バーバリーコート着用の夢二(本人)、タマキ(妻)、彦乃(19歳の愛人)を描くこの絵、後日の波乱を予感させる雰囲気……ではないな。
・雑誌"婦人グラフ"の表紙画はよく見る。挿絵は本文と相まって、これも良い雰囲気だ。「星合」が気に入った。
大正13年創刊の"婦人グラフ"は15年まで夢二人気にあやかり、昭和3年に廃刊、とある。看板作家を失ったらそうなるな。
・「少女十二ヶ月双六」(昭和3年) 12月の花の日會の装画が好みだ。
・SenoW セノウ楽譜の表紙を250種も描いたのか。版画「サラオーりょう歌」「ボガボガ・ベルラ」が良い。
・若き日の写真。すごくダンディじゃないか! 県立神戸第一中学校に入学したとは知らなかった。オリエンタルホテル(神戸の外国人専用ホテル)、北野異人館街、メリケン波止場の夜霧と汽笛、すずらん街灯といった風物が彼の作品に影響を及ぼしたのなら、何か嬉しい気分だ。
・恋愛、結婚、別離を繰り返し、49歳で孤独死か。寂しい最後だ。

■高畠華宵
大正から昭和にかけて夢二と人気を二分した。自らの理想とする男女を作品に具現化したが、理想の女性には巡り会えなかったようで、78年の生涯を独身で終えたそうな。
・「娘二十まで」 雑誌"婦女会"の挿絵だが、8枚でストーリーがわかるような秀品だ。その中のメガネ青年にピン、ときた。現在でも通用しそうな男性のファッションは見本になる。
・「七転八起開運出世双六」 雑誌"講談倶楽部"の附録だ。振り出しは店員、学生、女性事務員から、上がりは華族と富豪と実にわかりやすい。

■蕗谷虹児
・昭和9年の雑誌"令女界"の表紙画も良いが、"少女倶楽部"の挿絵に魅せられた。薄く紅づく自然な頬と傘を並べてのポーズが、実に可憐だ。
・大正12年の関東大震災。その災厄と復興への歩みを描いた絵はがき集には瞠目させられた。「夜に迷ひし鳥の如(バラック屋への帰途)」に遺族の癒されない悲しみと不安感がありありと描かれている。

■多数の魅力的な作品からお気に入りをピックアップ
・川西英「サロメ」 黒布に金文字で"SALOME"、ビアズリーをオマージュした人物像も○。
・川西英「短冊 四図」 第一次世界大戦前に深く根付いた"国際化"が感じられる。当時は日米戦争に突入するとは信じられなかったに違いない。
・山村耕花「踊り」 日本国内とは思えない1924年の舞踏場に、ドレス女性の華やかさが踊る。
・瀧秋方「近代麗人画譜・港町の日本娘」 異国の港町で笑みを浮かべる日本女性。碧い着物、断髪にパーマ。外国慣れした表情。洋行モダンガールだな。
・小早川清「近代時世ノ粧内六 口紅」 モダンガールを描いたシリーズ。見ようによっては"ケバイ"が、最先端を行く女性たちだ。この絵は入念に化粧する女性が題材。高級懐鏡に映る自らの唇に紅い紅を塗る。短い髪。カールさせたもみあげ。モダニズムな和装美を纏い、華やぐ色香をかもし出す。

http://www.city.himeji.lg.jp/kougei/
姫路市書写の里・美術工芸館
大正ロマン・昭和モダン展 竹久夢二、高畠華宵とその時代
2011年11月20日まで開催

蕗谷虹児「キューピッドを飼ふ人」の一筆箋、高畠華宵「薔薇の夢」等のポストカード、展覧会図録を購入した。

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2011年11月15日 (火)

BMW E46-320i +ミシュラン Pilot Sport 3 その2

先日注文したタイヤが入荷したので、交換作業に出向いてきた。(2011年11月14日)

嬉しいので記念写真を。
・MICHELIN Pilot Sport 3
Fは225/45ZR17 41W、Rは245/40ZR17 91Y
新品はいいな。
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・交換前のミシュランPS2
ひび割れ、縁石擦り傷、小亀裂……
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・交換作業中
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・左フロントタイヤハウスを後方から見る。
フロントダクトからのエアーをブレーキ冷却に利用する仕組みだな。
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・交換作業完了。エアーはフロント、リアとも2.3に設定。
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愛車E46、まだまだ乗るぞ。

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2011年11月13日 (日)

世紀末泰西風俗絵巻 木村尚三郎

主に19世紀末ヨーロッパの名画を題材に、社会と人の意識の変遷、現代文明への連なりを解説し、新しい社会の転換期に生きるわれわれの在り方を問う。

"現代アート"なるものに僕はなじめない。壁面に石ころや機械部品を配置したりラインを引いた床面が"芸術作品"だと言われてもサッパリだし、二色のパステルで区切られた正方形が"○○賞を受賞した大作"だとしても、まるで理解できない。
ドガ、ロートレック、ルノワール、モネ、ゴヤ、ゴーギャン、等々。やはり西欧文明に育まれた中世絵画および近代美術に魅力を感じる。

・積極的に生きる意志を持った者とは、何よりも自分の足でしゃんと立つ者のことである。近代のブルジョワが市民革命を実現し、世紀末には労働者が立ち上がろうとしていた。人間としての誇りと自信の根拠がそこに現れる。(電気文明のダイナミズム)

・マネの「オランピア」は1863年の社会にあっては衝撃的だったと想像がつく。フランス帝国の栄光と勝利を暗示しているのは、その通りだろう。(白の交響曲)

・「グランド・ジャット島での、ある午後の日曜日」の二人の若い士官については、著者と見解が異なる。軍人だから、同時代をハッキリ見つめているとの解釈が成り立つのではないか。また、左中央のラッパ吹きが右向きであるのは、時代の先を照らす芸術家として、皆を鼓舞しているのではないだろうか。(p52)

個人的には、モネの「ラ・ジャポネーズ」に魅せられた。
違うな。衝撃を受けた。
カミーユ・モネ。夫の趣向に合わせるため、生来のブロンド髪を金髪かつらで覆い、妖艶かつ不敵な笑みを僕に向ける。誘う眼差し? 否、狩る目だ。(p85)

帝国主義時代をすぐそこに控え、未知の異国に楽しみと興奮を求める気持ち(p90)が、富の争奪戦へのフランスの参入を促す。アジア・アフリカへ向けられる探求心は悲劇をもたらすのだが、あとの祭り。

世紀末泰西風俗絵巻
著者:木村尚三郎、文藝春秋・1989年5月発行
2011年11月13日読了

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2011年11月 9日 (水)

ジュディ・オング倩玉 木版画の世界展 明石市立文化博物館

女は海~♪
ジュディ・オング。200万枚のセールスを記録した"魅せられて"が衣装とともに印象に残っている。
その彼女が女優業、歌手業のかたわら、25歳から始めた木版画の展覧会が開催されているので出向いてきた。(2011年11月9日)

10時頃に到着し、駐車場もギリギリ空いていた。
ふと気づくと、10時30分頃には入場行列が出来ていた。……12日と13日はとんでもない混雑になりそうだ。

1階展示場では"花"をテーマにした版画作品と、スケッチ下絵、版木等を展示。
目玉作品は2階に集められている。
力強く、繊細な60点もの版画はどれも魅力的だが、特に次の4点が気に入った。
・夏の涼夢:庭園の緑と屋内の朱。バランスと陰影が素晴らしい。
・銀閣瑞雪:雪の中であらたになる人の意志の強さと、大地との調和を感じ取った。
("瑞雪 ずいせつ"とは幸運の雪を意味するらしい。)
・桂林水遊:切り立つ岩肌の表現が見事。小さき人の遊ぶ河、赤い御堂。すべてを見下ろす構図はまさに絶景なり。
・鳳凰迎祥:灰色の空が青い池に映え、中央には金色の大佛が神々しい。

旅先でのスケッチをイメージングし、独自の感性で作品を昇華させる。
日展特選が1点、日展入選も多数。感服だ。

明石市立文化博物館
http://www.akashibunpaku.com/
2011年11月13日まで!

"夏の涼夢"、"銀閣瑞雪"、"花しょうぶ・その2"のポストカードを購入した。

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2011年11月 7日 (月)

教養のすすめ 岡崎久彦

"明治への憧れ"と戦前昭和の見直しが数年前に流行った。現代と対比しての国家論を巡り様々な主張・議論が飛び交ったが、結局どうなったんだろう。
著者は江戸から戦前日本と、戦後日本の断絶こそが、現代日本の凋落を招いた要因であり、教養の変節がその背景にあると説く。

西郷隆盛。江戸無血開場を実現し、日本の近代化を導き、繁栄の礎を築いた第一人者だ。
恥ずかしながら、彼は武将であるだけでなく、道を究めた漢学者であったことを本書で知った。その鹿児島時代の勤勉刻苦の様相には驚かされる。

他に本書で取り上げられる勝海舟、福沢諭吉、陸奥宗光、安岡正篤も、現代では考えられない教養と実績の持ち主だ。そのルーツは江戸260年の平和が培った教養主義であり、旧制高校につながる。

「国家が存亡の危機に立つようなときに、国家利益に代わるような価値観とはなりえない」(p216)として、昨今の"地球市民"、"地球環境が云々"のきれい事が"平和な時代のあだ花"であると論破する。その通りだろう。
「日本民族を国際競争のなかで生き延びさせるシステム」(p212)の存在しない現在、思えば1990年代初頭の自民党総裁まで、エリート主義の良い点が日本政治を牽引してきたとわかる。

旧制高等学校に代表される充実した教養。均質的な義務教育とその延長線上の高等公教育のみ受けてきた僕としては憧れるな。

教養のすすめ 明治の知の巨人に学ぶ
著者:岡崎久彦、青春出版社・2005年7月発行
2011年11月7日読了

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2011年11月 5日 (土)

1920年代旅行記 海野弘

1920年代のヨーロッパおよびアメリカ旅行の様相を、小説、紀行文から紹介する。

第一次世界大戦が世界の姿を変えた。初めて旧大陸の地を踏んだ若い米兵は、戦後は恋と文化の香りを求める観光客となり、大挙して欧州を訪れる。アメリカ式と異なるパリやロンドンの伝統あるホテルの"マナー"に、とまどいつつ楽しむ姿が面白い。

リッツ、サヴォイなどの豪華ホテルにはリフト(エレベータ)とレストランが整備され、貴族の館に変わるパーティ会場として毎夜の賑わいを見せる。
オリエント急行に代表される豪華鉄道には、レストランに匹敵する食堂車が備えられる。1900年のフランスにわずか3,500台しかなかった自動車も、1920年代のモーターブームにより、スポーツ・カーで縦横無尽に駆ける若者が現れる。
欧州各地とアメリカ、アジアを結ぶ大洋航路船には中間層だけでなく、従来、旅行と無縁だった大衆の群れが見られるようになる。旅客機も営業を始めた。

新しい観光地、スイス、地中海、エジプト、北欧へフランス人やイギリス人が旅立つ。

従来は考えられなかった、"女性のひとり旅"が一般化する。新たなロマンスも生まれる。

サマセット・モームの言葉が気に入った。
「私は一つの場所から他の場所へと動くのが好きなので旅行し、旅行が与えてくれる自由感を楽しみ、…未知のものを私は愛好するのである。…」(p109)

本書で紹介された作品は絶版されたものが多いが、気長に探してみようと思う。

1920年代旅行記
著者:海野弘、冬樹社・1984年8月発行
2011年11月4日読了

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2011年10月31日 (月)

BMW E46-320i +ミシュラン Pilot Sport 3

愛車BMW 320i Mスポーツ・E46型2001年式は絶好調……のはずが、雨の日は加速が弱いし、信号青ダッシュで猛烈にASC+Tが働く。
ミシュランPS2もすでに7年目(2005年9月に装着)……よく見るとフロントタイヤの側面がひび割れている。

交換しないといけないなぁ、と思ってはいた。

日曜日、どしゃぶりの雨の中で垂水の一般道を走っていたら、第二神明道路須磨IC付近で国産FF乗用車に追い抜かれた。タイヤが空回りするイヤな感触! 追いつけない!

で、MICHELIN Pilot Sport 3を注文した。(2011年10月31日)
225/45ZR17 41W、245/40ZR17 91Y各2本、工賃・処分費用含めて総額106,000円。

Pilot Sport 3はPS2の後継ではなく、ワンランク下のPilot Precedeのグレードアップ版のようだが、ウェットグリップは安心できそうだ。価格も予算以下だし。

245/40ZR17は国内在庫無し。タイからお取り寄せだそうで、タイヤ交換は来週だな。
愛車E46、あと3年は乗るぞ。

日本ミシュランタイヤ株式会社
http://www.michelin.co.jp/
タイ工場製……在庫が切れたら価格上がりそう。

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モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語

鉄道網、国際航路、ホテル等が急速に整備された1920年代、第一次世界大戦による好景気に沸く日本人は、大挙して海外に出向くこととなった。
本書は、世界三大モダン都市、パリ、ニューヨーク、上海を舞台とした小説、紀行文、エッセイを収録する。

■林芙美子 下駄で歩いたパリー
"放浪記"のパリ版。生活の細部まで実に活き活きと描写されている。

・セーヌ川左岸の台所付き安ホテルに宿泊し、メトロや自動車に乗らず、自分の足でめっちゃくちゃに街を歩いた。
・11月下旬に訪問したものだから時期が悪い。正午には夕焼けが始まる、暗い夜から夜の街。第一印象は悪い。

・黒い塗下駄でポクポクと商店街を闊歩する"ジャポネーズ"は、すぐに下町の有名人だ。
米と野菜、三匹の生鰯をバスケットに入れる。イタリア人店主との軽快な会話がはずむ。
贅沢はせずともエトランゼの楽しみを満喫する。

・「下さい、私に、黒いカフェ」「下さい、鉄釜」拙いフランス語と手真似で買い物にトライ。隣室の医科大学生や、夜更けに戻るマガザン(デパート)販売員の美しい娘の話。既製服の充実ぶりに感嘆。オランピアのショー鑑賞。インターナショナルな街に感動し、充実の毎日だ。
・バルビゾンへ足を延ばしては、ミレーのアトリエに感動する。
・若くない女の厚化粧に囲まれ、日本人の健康さを思う。「パリーは華やかに荒み過ぎている」(p17)

・高い汽車賃を払ってモンモランシイへ向かう。片言言葉で田舎を旅すると、必ずと言って良いほどハプニングが待ち受ける。僕も同じような経験があるので、この辺り、楽しく読めた。

・結局、パリでも金に困窮するに至った芙美子は、おそらくパリ史上初めて、絹の日本着物を質屋に持参する。質屋の主人は「これはまさに歴史的だ」と言い、芙美子は"断食"から解放される。面白い。

パリ一般家庭のレストラン利用頻度の高さに目を見張る。女性の家事労働の軽減! そして17歳の娘の理想は「自分の働いた金でをおまえの国(日本)へ行くこと」ときた。結婚と家事に縛られる日本女性を哀れむ芙美子。この旅行は、彼女の意識とその後の作品に影響を及ぼしたに違いない。

■横光利一 欧洲紀行
林芙美子の紀行文に比べるとずいぶん味気ない"日記"だ。
「大きな旅行は一人に限ると思う。万事万端、自分ですると云う事が、何物にも換え難く良いのだ」(p55)には同意する。

■石黒敬七 袋小路ジャポン隊
モンパルナスに集う日本人芸術家の武勇伝をコメディに描く。実に面白かった!
「…殊に巴里が何となく感じがよさそうだ。…マア行きさえしたら男一匹何とかなろう」(p74)この感性、同感だ!
・石黒敬七は柔道家で、十数年間も欧州、エジプト、トルコで柔道の普及に努めた功労者だそうな。
・パリのアメリカ人ならぬ「パリの日本人」も多数滞在していたようで、画家だけで300人を数えたという。
藤田嗣治、長谷川昇、山本鼎、戸田海笛などの大物が服を着回す、食費に窮し○○(^^;)を食す、モンパルナスを裸足で歩く、アトリエで日本刀をブン回す、フランス人モデル=人妻に"病気"をうつし、その亭主に金槌で追いかけられる……。うん、武勇伝だ。

・最後の臼田氏のエピソードは……読んで体が震えたぞ、怖くて。わかる気もするが、やはり男はバカだな。

■石黒敬七 カイロ沙漠の月
スエズからカイロに到着した自動車から降り立った貴顕日本紳士たちの生々しい一夜を描く。
・埃の及ぶと書いてエジプトと読ます、か。なるほど
・花も羞じらう埃及美人が嬌態の限りを尽くして、腰の柔軟……。
・数百件の吉原区に吸い込まれる日本人。英仏独、バルカン諸国、アフリカ各国の娘子が袖を引く。世界人種博覧会場の観があり、か。
・さすがに色事だけでは顰蹙を買うのか、最後は大ピラミッド鑑賞の功徳を説く。上手い。

■藤森成吉 ベルリンの春
産業機械化。第一次世界大戦で負傷し、戦後も失業した一農夫の苦境と次の大戦への予感を描く。若干の資本主義への批判も含まれるようだ。

■中条百合子 モスクワ印象記
「ロシア民族の持つ深さは、下へ向かって底無しの深さだ」(p197)
「(ドストエフスキーの)作品中から最も異常な一人の存在を見つけて来ても、ロシアにならば其のような人物は実在し得る」(p198)
夥しい哲学者とカール・マルクスを生育させた独逸人と比較し、道徳的見地や公共秩序の欠落したロシア人を辛辣に批判する。

「半年冬籠もりをしなければならぬCCCPの魂が」新文化を創造するアメリカに対抗しうるのか、中条百合子の考察は鋭い。(p219)

■谷譲次 みぞれの街-めりけんじゃっぷ商売往来 六
昭和2年のロスアンゼルス、落ちぶれた留学生や無職男たちが集う日本人街の怠惰の日々を描く。働き口はあるが「それは支那人の仕事」、「日本人の沽券にかかわる」等の口実を設け、今日も仲間内の博奕に一日を過ごすのだ。
露西亜料理店の皿洗いの急募の口。働いていた黒人が逃げだし、その後釜に納まる日本人の流れ者。
本作に表れる「日本人だけで固まって安心し、他を排す」性行は、現代でも残っていると思う。

■雅川滉 ハリウッドまで
昭和5年、女優を夢見る日系アメリカ人の悲劇。この時分には日本人が積極的に排斥されるようになっていたことがわかる……。

■前田河広一郎 上海の宿
無惨な非衛生的な節操の切り売り、最も商品的に取引される人命、単純な無識から来る雷同性、と著者の支那人に対する見方は厳しい。これが当時の日本人の一般認識だったのだろうか。
まぁ、後半部を読めば、納得せざるをえないが。

他に、竹久夢二「滞欧画信」、深尾須磨子「巴里地下鉄物語」、吉行エイスケ「Filipino 瑪麗の愛」等
戦間期にこぞって世界進出した日本の勢いと、内包される憧れと野望、そして文化摩擦の様相が思い浮かぶ。ソビエト連邦の成立により自我に目覚めた労働者と、対する既存支配勢力の軋轢も物語の端々に表れる。民衆の力への追従と反目、その実、自己満足意識は、そのまま現代に伝承されているのかもしれない。

モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語
編者:海野弘、平凡社・1991年2月発行
2011年10月1日読了

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2011年10月25日 (火)

林芙美子 女のひとり旅/角田光代、橋本由起子

放浪記を読んだばかりなので、林芙美子の遺した紀行文の抜粋と、彼女の"旅"と"放浪"にまつわる角田光代と橋本由起子のエッセイを収録した本書を手に取った。

・1931年のパリ旅行が芙美子にとっていかに重要であったか、冒頭の角田光代氏のエッセイ≪旅という覚醒≫が明確に示してくれる。
足の裏で旅をする醍醐味! うん、旅は"ひとり旅"に限る。
(観光旅行は複数が楽しいが。特に食事。)

・幼少の九州極貧時代を経て、尾道では恩師に才能を見いだされ、文学の世界を目指す芙美子。初恋相手を追って女学校卒業後に上京するも、待っていたのは破綻の悲しみ。そして男と職の放浪が始まる。
生きることへの執念が極貧と絶望を超越し、経験と才能が幸運をたぐり寄せる。

・流行作家になると"遠い親戚"や"友達"がわらわらと登場する。「仕事のゆきづまりとか云った、そんな生やさしいものではなく、妙に目にみえない色々のわずらわしさ」からの解放を求めて1934年、芙美子は北海道と樺太へ逃避する。
「彼女がひとりで遠い北海道を目指したのは、そうした、追い詰められた自身の気持ちから逃れたかったからでした」(p79)
この心境、僕自身の事情もあって、痛いほど良くわかる……。
ところで、樺太の南半分は日本領だったんだなぁ。豊原(Yuzhno-Sakhalinsk)、大泊(Korsakov)、敷香(Poronaisk)……いまでは気軽に訪問することの叶わない土地なので、先人の紀行文を鑑賞するしかない。

・北京では、小さな泥の家に住む民の貧しさを放置し、巨大な宮殿と豪壮な祭壇造りに注力した歴代支那王朝を非難する。あくまでも下層民の視点を捨てない態度には共感する。僕も2000年7月に旅したマレーシアでは、首都クアラルンプール中枢の近代ビル群の麓にバラック小屋が"住宅街"を成す光景に絶望的な未来を感じた。典型的な途上国の都市の姿とはいえ、辛い思いをしたことを憶えている。当時(若かった)はバラック小屋の住宅街に立ち入ってうろうろしたが、いま思えば迷惑な話だ。

・古里を持たない芙美子だったが、著名人となって下落合の高級住宅街に住まう。300坪の敷地か……。川端康成が葬儀委員長を務めた告別式には近所の住民が多数参列し、関係者を驚かせた。「地元」に死す。48歳の早すぎる急死であったが、最後の"旅立ち"は幸せなものだったに違いない。

林芙美子 女のひとり旅
著者:角田光代、橋本由起子、新潮社・2010年11月発行
2011年10月24日読了

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2011年10月22日 (土)

放浪記 林芙美子/森まゆみ

1930年に発売された改造社版を底本とした本書、戦後に発売された文庫版よりも著者の瑞々しく生々しい文章が味わえた(ような気がした。何せ初めて読むのだ)。

"格差"が社会問題となっているが、大正・昭和初期のそれは想像を絶する。
行商人の子に生まれ、幼い日は一家で木賃宿を転々とした林芙美子。小学校も途中で止め、モノ売りに専念。上京後は貧しさの中で職と男と住居を転々とする。まさに放浪の記録。
「腹がへっても、ひもじゆうないとかぶりを振つてゐる時ぢやないんだ、明日から、今から飢えて行く私達なのだ」(p44)

・小説家の邸宅に住み込みで子守。2週間で馘首され、わずか2円の給金に震える。(現在の1万円程度か。)
・セルロイド玩具工場。9時間から11時間の労働の毎日。日給60銭から75銭だから二畳間の下宿暮らし。布団を斜めに敷き、茶碗に飯と魚を盛るだけの夕食。生活苦がヒシヒシと伝わる。
・朝4時の新宿で酔客相手に給仕する。暴力事件や犯罪と隣り合わせの日常。チップが収入のすべてだ。
「いつたい革命とは、どこを吹いてゐる風なんだ……日本のインテリゲンチヤ、社会主義者は、お伽噺を空想してゐるのか!」(p53)

カフェ勤めは辛い。樺太は豊春の地下室で生まれ、カフェを転々とする肌の白いお計さん。大学生にチヤホヤされる19歳の処女、実は子持ちで亭主も病気持ちの秋ちゃん……。

貧しさの下には下がある。青島へ売られる15歳の少女、ボロ長屋に十家族も住む朝鮮人の子供は、筵の上で裸になって遊ぶ。稼ぎはすべて男に取られるインバイ女。
貧乏から逃れるために42歳のボウフラのような男に処女と自由を売った18歳の"時ちゃん"を思う。涙がむせるも金がない。駄菓子で空腹を満たすことは出来ない。白いご飯の舌触りを空想しつつ、押し入れの片隅に見つけた白菜の残りを食す。
「何もない。……涙がにじんで来る」(p229)

「テヘ! 一人の酔ひどれ女でござんす。」(p154)
苦しくなると、誇りと引き替えに女が売るモノはひとつだ。
「15銭で接吻しておくれよ!」
夜の新宿で自暴自棄になって叫ぶ芙美子の姿は痛々しい。

「やっぱり旅はいい。あの濁った都会の片隅でへこたれてゐるより、こんなにさっぱりした気持ちになって……」(p163)
東海道線と内海航路を幾度も行き来する描写が興味深い。
金が入ると飲んで遊ぶのはともかく、思いのままに旅立つ行動力は分かる気がする。

いつも一人ぼっちのくせに、他人の優しい言葉をほしがってゐる空想家(p204)、林芙美子の世界に俄然、興味が沸いた。

≪大人の本棚≫
林芙美子 放浪記
著者:林芙美子、森まゆみ(解説)、みすず書房・2004年1月発行
2011年10月22日読了

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2011年10月18日 (火)

NHKあさイチ なんなんだ、この番組は!

快晴の朝だが、不愉快な気分にさせられた。
カーネーションの次に8時15分からはじまる、あさイチ。
朝の連続テレビ小説の後、間髪入れずに番組を開始。民放へチャンネルを回させない工夫が光る。そりゃ"人気番組"になるだろうさ。
19時のニュースの前には、しつこいほどBSの宣伝をするくせに!

で、内容がひどい。たとえば10月18日は"メガ合コン"。わざわざ朝8時台のNHKで取り上げる内容か?
軽快トークを売りにしているようだが、これが実に鬱陶しい。
「28歳でーす」「だね~」等のしゃべり方。
訪問インタビューにしても、相手方に礼を欠いた姿勢もみられ、民放の視聴率稼ぎ突撃番組と変わりない。

実に不愉快だ。公共放送を前面に掲げながら、こんな番組を流して平気なのか?
はなまるマーケットのパクリ、と陰口を言われてもしかたないな。

ついでに言えば、Bizスポはワールドビジネスサテライトを模倣ではないのか。
深夜番組に至っては……下卑た二流お笑いが"公共放送"? 痛々しい。

東日本大震災発生当時の、他局を引き離すモラルの利いた質の高い報道が、影に隠れて薄れてしまう……。
素晴らしい特集番組とキャスターを誇るNHKなんだから、矜持を正して欲しいぞ。

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2011年10月16日 (日)

大正文化 帝国のユートピア 竹村民郎

著者は、国内でしか通用しない"明治・大正・昭和の時代区分"にこだわらず、1910年代、1920年代、1930年代それぞれの政治的・経済的特徴を把握し、戦前文化を考察することを提言する。
なるほど、都市部では華麗なモダニズムが花開き、グローバリズムの先駆けとも言える海外貿易・文化交流が盛り上がった"大正デモクラシー"が消沈し、「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンの下、国民服を着用し天皇陛下万歳を連呼し、一億玉砕が叫ばれるに至る構図がみえてくる。

・明治維新後、西洋文明が急速に導入されたが、それは産業面と上流社会でのこと。大正10年頃においても和式住居に和服で住まうのが一般的。特に女性の洋装は"変わり者"扱いされていた。カフェの女給も着物にエプロン姿だ。
都市部のサラリーマンはグレースーツが定着していたが、家では和装に戻る。
関東大震災を機に洋式化が一挙に進んだ。

・1920年代になるとデパート、銀座のウィンドウショッピング、キネマと舞台観劇の後、カフェでコゥヒィやソーダを味わう等、夜と休日の娯楽は充実していた。
一方で、家事労働の過酷さは想像以上。炊事洗濯掃除に子守。特に着物の洗濯は、縫い目をほどいて洗い、一枚板に天日干し、非電気アイロンがけときた。まったく気が遠くなる。
大衆の憧れ洋食の三大メニューがライスカレー(肉少し)、コロッケ(申し訳程度の肉)、トンカツ(薄く引き延ばした肉)。現在以上に国産牛は高価だったことがわかる。

・第一次世界大戦は欧州に多大な災禍をもたらしたが、日本でも輸入が途絶えるなどの影響を被った。逆説的にこの事態が各種のイノベーションをもたらし、神戸の造船・機械産業の発展等、重化学工業の顕著な発展につながった。
電気機関車の国産化、工事技術の開発による鉄道路線の飛躍的な延長をはじめ、社会変革と市場需要を掌握した企業家とヒット商品の誕生(カルピスなど)、国産ミシンの開発・普及、松下幸之助の電気ランプ、等々。
やがて巨大財閥と"成金文化"が幅を利かし、やがてインフレと米騒動を引き起こすこととなる。

・大量生産と大量消費による、1920年代の華やかな日本。ホワイトカラー族=サラリーマンの間では舶来の万年筆、懐中時計、カメラが人気を呼ぶ。

・阪神モダニズム。本書を読んで嬉しく思ったことは、意外に京阪神地区、特に神戸に関する記述の多いことだ。旧居留地、ユーハイム、モロゾフ、オリエンタル・ホテル、トア・ホテル、阪神電気鉄道、阪神急行鉄道、郊外住宅地としての阪神地区=芦屋、香櫨園、御影の開発、宝塚大劇場、甲子園球場、六甲山リゾート、海水浴、阪急百貨店、有限責任灘購買組合(コープこうべ)……。
工業地帯であった大阪と神戸が、同時に対中国向け綿糸布の輸出港、内外海運の中心であったこともあり、大衆的な大量消費市場とレジャーによる充実した市民生活のスタイルを形成したことが示される。

・デパートの"土足入場"が可能になったのは、1926年の大阪三越と大阪大丸かららしい。それまではスリッパに履き替え……文字通り、大衆には敷居が高かったんだな。

・ジャーナリズムの発展は競争を即す。過酷な販売競争の結果、時事、報知、国民等の旧来の新聞は廃刊に追い込まれる。そして性格は変化する。
中立性を掲げ、その実、権力追随の姿勢が大新聞の基調となった。現在の朝日、読売、毎日、日経、産経の系譜。大本営発表=記者クラブ会見発表の追随と、上から目線の購読者への態度は、このころから形成されてきたんだな。

・結局、大正文化とは何か。都市の市民の自由な生活感覚と孤独感を基調としつつ、アメリカの大衆文化と伝統的社会のモラルが接木されたものと著者は示す。政治的成熟は道遠く、極端な一派(サンディカリスト、アナーキスト、共産党)を除き、リベラリズムは皇室中心主義との衝突を回避し、取り込まれ、サンディカリストの思想を転用したファシズム、そして軍部中心の世界観へと日本社会は引きずり込まれてゆく。

・"実務"が"政党"を制圧した。行政サンディカリズム。1920年代、国民の政治への関心の低下がこの事態を招いたのだ。そして、国家総動員態勢へ!(p208)
内閣単位で交替する大臣と異なり、上層に君臨するキャリア官僚の権力が増大するのは当然。この点、局長クラスまで交替させられる米国の政治制度は合理的かつ賢明だ。


今日、自画自賛的な響きを持つ"クール・ジャパン"と呼ばれるそれは、流行に左右される表面的なエンターテイメントでしかない。「娯楽であると同時に、知的な挑戦」(p13)のない限り、それは廃れるし、その兆しは見えつつある。
二大政党の泥沼化が定着して久しい。民主党は期待外れだけでなく、むしろ害悪をもたらしたと言える。自民党も力の所在が感じられないし、政治離れは止まらないだろう。

今日、強力な指導力を持つ軍部はない。天皇中心史観も表面化していない。だが、アメリカ政財界と、財務省や経産省のキャリア中枢部の意向に、政治はたやすく左右される。

「大戦期以後政党政治にたいして国民が不満をもっているのに乗じて、軍部は天皇を中心としたユートピア国家をつくるようなイメージを描きながら国民の同意を組織しつつ、しだいに独裁体制をつくりあげていった」(p156)

「震災復興という国民的合意の下で異端を排除し、人々は天皇を中心とする新しい国づくりというユートピアに熱中し、一方で現実肯定的で楽天的なアメリカニズムを追いかけた。」(p197)

周りを見ずに、上を見る。流されることなく生きてゆきたい。

大正文化 帝国のユートピア 世界史の転換期と大衆消費社会の形成
著者:竹村民郎、三元社・2004年2月発行
2011年10月12日読了

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2011年10月15日 (土)

日本脱出記 大杉栄

関東大震災の直後、伊藤野枝と共に東京憲兵隊に殺害された無政府主義者、大杉栄(オオスギエイ)。その1923年のフランス滞在記だ。面白い。

本来はベルリンで開催予定の"無政府主義者国際会議"出席のための洋行だったが、パリでのドイツ入国許可取得に手間取り、パリ北郊外はサン・ドニのメーデー集会で演説したために逮捕され、日本へ強制送還されることになる。
第一次世界大戦後、フランスがルール地方を占領したばかり。ドイツに関係する物事はことごとく敵視・警戒されていたのが祟ったのだな。

・東京と神戸での監視をすり抜け出国するも、船内と上海でも官憲はつきまとう。パリでも制服警官が監視する。その目をかいくぐって活動し続けると、なるほど、慣れてくるのだろう。一度や二度の逮捕・拘束もへっちゃら、らしい。

・当時の上海はアジア最大の政治都市だ。共同租界やフランス租界では共産主義者、社会民主主義者、無政府主義者の会合と反目が演じられ、モスクワ、パリ、ベルリン、東京との連絡拠点となっていた。ここで大杉は朝鮮反日勢力、支那抗日勢力のアジトを訪問する。
・すでに1920年の段階で「抵制日貨」が始まり、朝鮮人街では日本人の排斥運動が盛んになっていたことがわかる。

・パリでは、フランス無政府主義同盟機関『ル・リベリテール』(自由人)社を訪問する。
・カルト・ディダンティエ。パリでは外国人、内国人に限らず警察署発行の身分証を携帯しなければならない。所持しない外国人は即刻追放だ。これは現代日本でも取り入れるべき正しい政策だろう。

・パリの衛生事情は日本人には耐えられないものだ。最高級ホテルでない限り宿にトイレはなく、シャワー室すらない。大杉の宿泊した労働者街の"高級ホテル"では、2階の階段下に傾斜したタタキと穴があり、それがホテル唯一のトイレだと言う。閉口した彼の自衛策もとんでも無いが、他に方法は無い。パリジャン、パリジェンヌの入浴は2~8週間に一度、街中の風呂屋に通うのみと言う。"花の都"の名折れか。
・安ホテルでは部屋に電灯すらない。昔ながらの石油ランプ。
・街中でタクシーに乗るも渋滞、渋滞で歩く方が早い。1920年代からそうなのか。

・パリの赤裸々な風俗事情! キャフェで飲食すると、若い女が色目を流してくる。街を歩けば、目を奪われるような白人女や混血女が声を掛けてくる。近くの劇場へ隠れると、ぼったくりキャバレーだったりする。慌てて出る。"街の女"の多いこと!
・貧しい女店員や女工(ミディネット)の生活事情。週給60フランでは生活は成り立たず、年間に不足する2千フランをどうやって捻出するのか? 昼休みや夜間に本業以外のアルバイトをし、食費を削り、被服を削り、遊興をあきらめ……。ある者は「お友達の男」と会う。涙ぐましい努力。そして日常化する堕胎……。当時の他の日本人洋行者=ブルジョア階級出身者の作品には決して表れてはこないだろう。

・監獄(未決囚監獄)の独房の様子が細かい。案外とノンビリした印象を受ける。八畳間の半地下窓付き独房には、ベッドだけでなく机と椅子付き。特段の監視もなく、昼間から白ワインをチビリ、チビリとやる。気楽と言うか、監獄慣れしているな。
もっとも、外部のレストランからディナーを"お取り寄せ"できたのは金のある最初のうちで、後はミジメな監獄食に頼ることになる。3週間後の公判で禁固3週間の刑罰が下り、即日釈放=国外強制退去となった。

・「外遊雑話」では往路の船旅の様子が記される。日本人には良く理解できない欧州人の"ユダヤ人差別"が船上でも繰り広げられ、ベトナムで威張り腐る水兵の正体は職にあぶれた貧しく粗雑なフランス人だし、サイゴンで必要以上に白人にへりくだるベトナム人の姿に、大杉は辟易する。
支那人学生の集団が「安南(ベトナム)をフランスから取り返さなければ」と息巻く姿もある。まだ民族自決の概念が習熟していない時代の、半植民地人の喜劇的な勘違いか。大杉も「救いはこんな愛国者からはこない」と的確な評価を下す。(p189)

・余談。同棲者である伊藤野枝との間に生まれた長女の名は"魔子"って、思い切ったなことをしたんだな。(さすがの猿飛を思い出したぞ。)

日本脱出記
著者:大杉栄、土曜社・2011年3月発行
2011年10月15日読了

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2011年10月 1日 (土)

東京現代貧窮問答歌 影山くう鳥(くうは"空鳥")

「私みたいなのは税金納め続けて孤独な貧乏人でいつづけろってこと?」
小さな宴席で両目から幾粒もの涙を流す登場人物のセリフだ。不況は生活困窮者を追撃する。恋愛運に恵まれない女性だとなおさらのことか。

冒頭に示される、持たざる者の選択肢。最後のページまで行き着けば、
「現実を受け入れ、つましく生きることが現実的」
と読める。

登場人物のセリフだ。
「一生手に入らない富と栄光を追い求めて嘆くより、身の丈に合った楽しみを満喫する方が、いい人生なんじゃない?」

そうだろうか?
嘆くのではない。上を見て、努力するところに人生の価値があると思うのだが。

余談。著者の"空鳥"の文字は、JISに割り当てられていないんだな……。

東京現代貧窮問答歌
著者:影山くう鳥(くうは"空鳥")、東京図書出版会・2009年5月発行
2011年9月30日読了

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2011年9月26日 (月)

太陽の涙 赤坂真理

群島王国を構成する"ぼくらの島"。
僕らを併合した大きな国が戦に敗れ、もっともっと大きな"西の鷲"と呼ばれる国の軍隊を、かつての王朝があったいちばん大きな島に駐留させる。それは、大きな国が"東の龍"と呼ばれる大国に近いから。……かつての琉球王国を彷彿させる。

"ぼくらの島"は神秘の島。"移りの儀式"による覚醒。
生き残るため、島民が大国に明かした秘密。明かしてはならなかった秘密。"その施設"は建設され、島民をより苦しめる。

そして太陽の穴へ。
終盤近くは予想どおりの展開。現代の神話。

太陽の涙 岩波書店Coffee Books
著者:赤坂真理、装画:大島梢、岩波書店・2009年12月発行
2011年9月25日読了

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