« 神戸市の不正経理 犯罪者集団の自覚はあるか? | トップページ | 暗夜 »

2010年9月19日 (日)

戦争の悲しみ

ベトナム戦争を生き抜いた北ベトナム軍人による戦争文学だ。

冒頭、凄惨な戦場の回想から引きつけられる。

全滅するとはどういうことなのか?
よく報道では「○○部隊の全滅」と曖昧に表現されるが、当時はネットがなかったから、新聞記者とカメラマンによる間接報道がすべてであったし、遠く離れた超大国の国民にはわかりにくかったろう。

で、全滅するとはどういうことなのか? 当事者だった著者は包み隠さず顕わにする。
物量に勝る米軍に包囲された恐怖。そのナパーム弾に焼かれ、爆撃の破片に身体を裂かれ、飛来する大量の銃弾で血肉と脳漿が飛び散り、人の形を残さない肉片が沼や地表に転がる、そんな戦闘。恐怖の描写は続く。戦闘後、数日間に渡って飛来する烏の大群は何を成したのか。季節が過ぎて雨季に入り、沼の表面に現れるのは"血の膜"だ。再びの乾期では、かつて人だった"物"が動物や植物の残骸と一緒くたになって腐臭を発し、ここに地獄絵図が現れる。

大隊の生き残りであるキエンは、脇腹に銃撃を受け、"運良く"崖下に転がり、殺戮の運命を逃れることができた。流血の止まらない傷口に寄る蛇その他を追い払いながら、戦場跡をはいずり回る。脳裏に、拳銃弾で自殺する大隊長の姿を焼き付けたままで。

抗米戦争が終了し、奇跡的に一命を取り留めたキエンは10年ぶりに故郷、ハノイのアパートに戻る。隣に住む彼女との涙の再開は、だが悲しみの別れの引き金となる。酒浸りの腑抜けた日々は、精神をも蝕む。
思考力の限界をすら超える彼方の国=過去という世界にキエンは生涯を見いだす。戦友の声なき遺言を現世に伝える使命感が、キエンを現実世界へと引き戻す。過去へのこだわり、過去へ遡る人生。意識の地平線の彼方から現れる記憶の大平原。未来はない。過去にこそ自らの人生のすべてが凝縮されている……。
無限の過去への旅を試みるキエンの、小説家としての人生のはじまり。

抗米戦争に備えて兵士を志願したキエンの出発の日。青春を大過なく過ごすはずだった彼と幼なじみのフォンの、この出発の日に駅で出会ったことが、フォンの人生を、キエンの心情を暗転させる。過酷な運命。
「明るい未来? 彼とフォンはそれを逃したのか。そうではあるまい。二人がひとたび夢見た明るい未来は、消え去ったのではなくて永遠に残り、過去へ還りゆく道のかたわらで彼等を待っているに違いない」(495頁)

「あの日々こそは、私たちすべてがまだ若く、純粋な心情を胸に抱いて生きることのできた日々、何のために戦争を受け入れ、また何のために自己を犠牲にしなければならないかを知っていた日々なのだった」(502頁)
これらこそ著者の心情の吐露。ホー・チ・ミンの理想を礼賛しなかったとはいえ、かつて自分たちを支配した欧米諸国の価値観に依らない何かを求めて銃を手に青春を犠牲にし、理想社会を構築するために命さえ捧げた抗米戦争、そして対中・カンボジア戦争のなれの果てが、西側帝国主義を模倣した1990年代の自由化・ドイモイ政策であったことへのシニカルな論評に思える。
これはとりもなおさず、過酷な戦場の体験者を十分に慰安せず、「何でもかんでも平和主義」が崇拝されはじめた戦後日本社会における、復員兵の心情に置換できるのだろう。

自らの体験を元にした、戦場の描写は具体的で緻密だ。頭上で旋回する米軍機の群れ、爆弾の飛来する音、爆風。そこらじゅうに溢れる黒こげの死体。恐怖に慣れると人間としての感覚が麻痺し、一人前の兵士ができあがる、
人の意識を、日常を、これほどまでに変えてしまうのが戦争。その本質は何かを垣間見れたように思う。

THAN PHAN CUA TINH YEU
戦争の悲しみ
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06所収
著者:バオ・ニン、井川一久(訳)、河出書房新社・2008年8月発行
2010年9月18日読了

« 神戸市の不正経理 犯罪者集団の自覚はあるか? | トップページ | 暗夜 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/134563/49493701

この記事へのトラックバック一覧です: 戦争の悲しみ:

« 神戸市の不正経理 犯罪者集団の自覚はあるか? | トップページ | 暗夜 »

フォト

他のアカウント

おすすめ本

見て下さいね!

  • BMW Japan
    愛車の2001年式E46 320i Mスポーツは快調ですが、E90 3シリーズクーペも魅力的です! 335i、誰か買ってくれないかな~~
  • United Nations Peacekeeping
    現代のアメリカ帝国の一方的かつ傲慢な「強者の論理」がまかり通る世の中ですが、国連経済社会理事会はまだまだ機能しています。そしてPKOの理念もまた!
  • 『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版
    日本に存在しないものの一つが「クオリティ・ペーパー」だ。この大陸欧州(コンチネンタル)の知性が、日本語で堪能できるのです! インターネッット様々ですね。
  • BBC NEWS | News Front Page
    英連邦の残滓は資産でもあります。日本のメディアにほとんど現れることのないアフリカ、南アジアの記事が豊富です。
無料ブログはココログ