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2012年1月14日 (土)

お菓子とビール モーム

1930年、William Somerset Maugham 56歳の長編小説。
著者の分身でもあるロンドン在住作家Ashenden アシェンデンは、友人キアから一本の電話を受け、亡くなった国民的大作家ドリッフィールドの伝記編纂への協力を要請される。かつて少年時代に故郷ブラックスタブルで知り合った無名のドリッフィールドと、医学生時代にロンドンで交誼を重ねた30年前を彼は回想する。そこにはロウジーの姿があった。

ロウジー。ドリッフィールドの最初の妻であり、元女給がゆえに作家を取り巻く紳士淑女から邪険な扱いを受ける彼女こそ、本作のキーパーソンだ。
「にっこりすると、急にそのむっつりした顔がえも言われぬ魅力を帯びるのだった。…彼女は輝いているのだが、淡い光で太陽というより月光なのだ」(p205)
「月光にしか芳香を与えぬ夜の銀の花のようだった」(p214)


ボヘミアン然と生活していたドリッフィールドが再婚した妻に仕切られ、"大作家に相応しい"生活を強いられてきたことが窺える。この老作家にしてみれば、仕事に介入しすぎる後妻は、ある意味鬱陶しく感じているようにも思える。貧しくひもじく社交界から村社会から嫌われてはいても、自由奔放に生きられた"あの頃"を懐かしく思う様子が、アシェンデンにはありありとわかる。

"あの頃"。本書は三つの時代:ヴィクトリア時代最終期、エドワード時代、第一次世界大戦後のロンドンとイングランド地方都市が取り上げられるため、時代ごとに異なる倫理規範と社会風俗が面白い対比をみせる。
・紳士階級と労働者階級の社会的地位の明確な格差。それは子供の意識にも植え付けられる。成上り者の商売人が紳士の屋敷の玄関に現れることも許されない時代だったから、"屋敷管理人の息子ドリッフィールド"や"下卑た飲食店の元女給ロウジー"との親交を、アシェンデン少年はとまどいつつも続ける。
そしてドリッフィールド家の夜逃げ事件は、少年を傷つける。
・5年後のロンドンでドリッフィールド夫妻と再会したアシェンデン青年は、作家のサロンに足繁く集う。青年はロウジーに魅せられ、取り込まれ、夢中になり……。ロウジーの他人との駆け落ちは、作家と青年を強く打ちのめした。
女性批評家の助力で立ち直り、看護婦と再婚する作家。この選択が、後々まで彼に疲労を強いることになるのだが、それを知るよしもない。一方、青年は医学から作家への転向を決意し、成功を収める。
・55歳を越えた有名作家アシェンデン。30年ぶりに戻った故郷はうらびれ、懐かしい顔も少ない。唯一出会った幼なじみが孫を持つことを知った彼は軽い衝撃を受ける。(p267)
やるべき未来の計画と、終着の見えた人生を思う彼の姿は、僕自身にも考えを促すように思えた。


訳者の解説によるとCAKES AND ALEとは"人生の愉悦"を意味するもので、ドリッフィールド、そしてアシェンデンにとっての"ロウジーとの親密な日々"を指すとのこと。なるほど。

・物語中、エネルギッシュで革新的なアメリカと保守的に歩むイギリスとの差異がハッキリ示されるのも興味深い。Henry Jamesを意識したのだろうか。

・『主人に言ってやるんですよ。死んでしまったら笑えないんだから、今のうちに笑っておきなさいってね』(p171)とは、医学生アシェンデンの下宿管理人ミセス・ハドソンの言葉だ

・オルグリッド・ニュートン氏の素晴らしい語り口が気に入った!(p240~p249)


最終章。ニューヨークに滞在するアシェンデンに"ある女性"からの手紙が届けられ……。
そして、彼女の悲しい過去を、知る。

自由奔放で、かつ愛情心あふれ出るロウジーは、実はモーム自身が求愛した実在の女性がモデルだったそうな。彼女の幸福な老後は、愛に破れたモームが、それでも女性の幸福な行く末を願ったことを示すものだと思われ、心地好い読後感を得られた。


疑問が残った。
16章の冒頭に"Haymarket Theatre"との記述があるが、もしかして"Her Majesty's Theatre"(夏目漱石が『十二夜』を観劇した)のことを指すのだろうか?(p213)

CAKES AND ALE
お菓子とビール
著者:ウイリアム・サマセット・モーム、行方昭夫(訳)、岩波書店・2011年7月発行
2012年1月13日読了

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