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2013年8月12日 (月)

グローブトロッター 中野明 [読書記]

1872年、ジュール・ベルヌ『八十日間世界一周』が新聞紙上に連載されてセンセーションを巻き起こしたその年に、トーマス・クック主催の世界一周旅行が敢行された。
スエズ運河が完成し、北米大陸横断鉄道が全開通するなど、1870年代に急速に世界の距離が縮まり、上層中流階級の旅行意欲を刺激した。かつて貴族の若様だけが享受した"グランド・ツアー"の時代は終焉し、旅行者が世界中を闊歩する時代が到来した。
グローブトロッターの時代である。

本書は、明治時代の日本を訪れた数多くの旅行者の記録を基に、彼らの旅がどのようなものであったかを、様々な旅行者のタイプを含めて解き明かす。
また、異邦人の彼らの目に映った明治日本の姿を探究することで、現代日本人への追体験:excursion エクスカーションを提供する。

・維新直後の「未踏の地」「妖精の住む」ミカドの国が、明治20年頃には「普通の観光地」ニッポンへと変容する様子が面白い。

・なるほど、明治初期の"エド"で描写された画図からは、全身に彫り物を入れた人足など、どこかの異民族にしか見えない(p31)。西洋人の目には「極東の未開の現地人」は、アジア=インド・アフリカの原住民と同様に映る。これが現実か。

・大正期から戦前昭和期に拡がったグローバリズム一歩手前の面白い時代を駆け抜けたグローブトロッター。著者は世界漫遊者とするが、"世界旅行者"のほうがなじみ深いように思う。


鉄道、電信、人力車、箱根の駕籠、馬車鉄道。交通を巡る明治初期から明治20年代の変化はめまぐるしい。明治40年代には自動車旅行が実現するに至る。

・人力車。明治3年に営業開始後、爆発的に普及した日本人の発明品だ。これを来日したトーマス・クックが目の当たりにし、帰国後に注文し、ロンドンで展示した(p50)。これが時を置かず大英帝国領インド、香港、上海へと拡がるのだから、歴史は面白い。

・遊歩区域、外国人旅行免状(p59)、築地ホテル、自由亭ホテル(p66)、旅館奈良屋、富士屋ホテル。初期のシステムの整備に苦心が窺えるが、"異人さん"の移動を制限する官庁と、一方で歓待に工夫を凝らした民間資本の様子は好対照を成す。

・ハソネの法則って……なんのことはない、要はインフラ整備のことだ。わざわざ言い替える必要は無いように思う。


本書のところどころに旅行代金が示されている。明治7年「クックの世界一周ツアー」の代金は現在価値で約4千万円か(p52)。2013年の感覚では、豪華客船による世界周遊ツアーや宇宙=成層圏体験旅行が該当するな。まさに富裕層だけに許された世界。


これまで広く紹介されてこなかった明治ニッポン外国人旅行者の多彩な姿は、本書の魅力のひとつだ。

・東海道を人力車で旅した旅行作家シドモア嬢、現地人式の旅を敢行したエドモン・コトー氏(p110)、冬の中山道を踏破したキャンベル氏。まだ交通・宿泊地の整備されない明治初期に人力に頼って京都・東京間を旅した原動力は、やはり好奇心だったのだろうか。

・金満家の旅は"旅行"の想像を超えている。明治4年に米国外交官を従えて東北・蝦夷を周遊したロングフェロー氏(p75)。自家用船舶で世界周遊したトーマス・ブラッセイ一家(p84)。この両名は民間人旅行者でありながら、英米公使を動かして明治天皇に謁見しているのは驚きだ。

・明治6年に来日した英国下院議員の御曹司、エガートン・レアード氏が横浜のHSBC 香港上海銀行、ジャーディン・マセソン商会に旅行のアレンジを依頼するエピソード(p56)は、同銀行が日本国内でいかに勢力圏を確保していたかに興味が沸く。

・金満家と対極なのがバックパッカーだ。英国マレー社のガイドブックを片手に、小荷物ひとつで東海道の僻地をうろついたアルバート・トレーシー・レフィンウェル氏は、好奇心に満ちあふれた人物だったんだな(p122)。

・『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バード。彼女の業績は認めつつ、ガイド兼通訳の"伊藤鶴吉氏"に負うところ大であったことが明確にされる(p163)。英雄視された彼女の姿はいずれ修正されるのかもしれない。

・蝦夷地冒険を剛胆に成し遂げたヘンリー・サベッジ・ランド-氏(p170)はもっと著名となって良いだろう。146日間で道内をくまなく廻り、千島列島にも足を延ばし、骨折しても旅を優先したという強者。通訳もガイドも付けず、食糧も現地調達の"男ひとり旅"だから圧倒される。ぜひ旅行記を読みたいものだ。和訳でね。


レディー・トラベラー。本書では"化石ハンター"としてのマリー・ストーブス嬢の冒険譚に興味をそそられる。目的のためには快適性に目もくれない27歳の英国女性のたくましさ!(p312)
観光地はあくまでもおまけ。目的地での探究が本分。旅はかくありたいな。


「快適な旅を追求するか、冒険的な旅を求めるか」(p120) あるいは旅の快適さか、満足さか。古今東西の旅行者の悩みどころではあるが、著者は一定の解を示す。それが「旅それ自体とは異なる目的」を持ち、それを完遂することを追求することだ(p299,330)。まったく同意する。

面白くてどんどん読み進められる本書だが、惜しむらくは誤記誤用が目に付いたことだな。
p41 ×遭難 → ○遭遇
p44 ×進水 → ○就航
p210 ×ペニシュラン → ○ペニンシュラ(P&O汽船会社)

個人的には第8章、ラドヤード・キップリングと神戸オリエンタルホテルの件が嬉しかった。

グローブトロッター 世界漫遊家が歩いた明治ニッポン
著者:中野明、朝日新聞出版・2013年6月発行
2013年8月10日読了

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