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2015年11月14日 (土)

女三人のシベリア鉄道 森まゆみ [読書記]

与謝野晶子、中條百合子、林芙美子。日本近代文学を代表する三人の女性作家が敢行したパリまで12,000キロの鉄道の旅。本書は、彼女たちのシベリア鉄道経由ヨーロッパ行きを実際に追跡しつつ、旧社会主義諸国の現地で出会った市井の人々の姿を活写する、素晴らしい鉄道紀行文となっている。
第五章で満州の東清鉄道を取り上げている点も興味深い。

第一章と第二章は与謝野晶子と夫、与謝野寛に関する記述が中心となる。
・実に13人もの子を産み、文筆に家事に精力的に働いた与謝野晶子のエネルギーには圧倒される。『みだれ髪』で著名人となった彼女は、かつての師であり売れない詩人となった夫に対し、パリ遊行による気分転換を薦める。
・「世界の遊民」(p41)としてパリに遊ぶ夫からの書簡には、晶子を誘う文句が満載だ。結婚10年にして熱烈なメッセージを幾度も受け取ったからか、1912年5月「浦潮」より、晶子はシベリア鉄道にてパリへ旅立つ。
・2006年8月30日発のシベリア鉄道、ロシア号は15両編成。欧米人の旅客は多いのに、日本人は著者ひとり(p62)。ヴィザや旅行時間だけではなく、やはりロシア旅行には心理的な壁が存在すると思う。
・「鉄旅」好きの著者による列車内部の描写、それにウラジオストクの街、ハバロフスク、バイカル湖の様子が晶子の記録と相まって描写され、とても興味深い。林芙美子と同様、物価まできちんと記録されている。
・著者に同行したロシア人学生の掲げる「いい男の条件」が気に入ったぞ(p69)。

第三章と第四章は『道標』の中條百合子についての記述と、エカテリンブルクの民家とモスクワ滞在の記となる。
・上層中流階級インテリゲンチアの家庭に生まれ、ローティーンでありながら大正の都市文化を十分に享受(p111)した百合子。幼少から社会的名士と接し、使用人との階級差を当然のものとし、好きなことを堪能した。莫大なエネルギーと好奇心の持ち主が『貧しき人々の群れ』で華々しく文壇にデビューしたのは、なんと十七の歳だ。そしてこの多感な時期にトルストイとドストエフスキーの作品に触れたことが、彼女の一生を決定づける。
・湯浅芳子との共同生活(Y・Yカンパニー)は双方に影響を及ぼしあう。「社会主義同盟」ソビエトの理想への共感。1927年11月に二人はモスクワへ向けて旅立つ。
・イルクーツク発モスクワ行き寝台列車「バイカル号」での著者のエピソード。北京大学留学中のフランス人青年が中国における日本人の行為について議論をふっかけてきたという。限定的かつ愛国的教育を受けた中国人の若者から聞いたままの話が「事実」となって定着してゆく。欧米エリート層への親中意識の浸透はともかく、日本国および日本人への歪んだイメージが形成されるのは面白くない(p120)。
・著者の見たロシアでは、秘密警察に惨殺されたニコライ皇帝一家が神のように崇拝されているという(p147)。なにかに縋りつく民衆の姿は、素朴でもあり畏怖の対象でもある。
・モスクワ探索中に、百合子に縁のある「全ソ対外文化協会」の建物を著者が発見する件(p170)や、百合子がモスクワで会った後藤新平(70歳!)に関する論評は興味深いものがある(p174)。

第五章は長春とハルビン。1927年(中條百合子)と1931年(林芙美子)による長春駅の描写の比較が面白い(p213)。
・著者が市民と会って肌で感じた「中国にいまだ言論の自由はなく」、当局の目を気にして、文化大革命などの過去をストレートには語れない事実は参考になった(p243)。

第六章は旧ソ連邦共和国および東欧圏であるミンスク、ワルシャワ、ベルリン滞在記。
・パリと比べての、与謝野晶子の率直なベルリン評は辛らつだ(p285)。

第七章は三者三様のパリ。同じシベリア鉄道経由パリ滞在でも、プチブルインテリゲンチアである中條百合子の「大名旅行」と、ルンペンプロレタリア林芙美子のつましい「三等車生活」とでは、その金銭の費消の仕方には大きな隔たりがあるな。
・1929年に中條百合子はパリ-ロンドン間を船ではなく飛行機で横断している(p313)。ブルジョワ、おそるべし。
・一方で林芙美子は質素な生活をしつつも、劇場やコンサート、美術館には精力的に出かける。生活者目線での観察が秀でている。

気になる点がひとつ。第二次世界大戦中のソビエト連邦の死者数(2千万人)と日本の死者数(3百万人)を比べ、だから……式の記述はどうなのか(p263,265)。人の命は数ではない。著者のバックボーンが社会主義にあり、ソ連・中国共産党に理解を示す傾向はしかたないにしても、これだけはいただけないな。

当時の旅は死の恐れを伴うが、「それでも世界をこの目で見たいという欲望」(p344)は、よくわかるな。
実に充実した内容の本書。巻末の参照図書も参考になるし、素晴らしい読書体験をさせてくれた。


女三人のシベリア鉄道 
著者:森まゆみ、集英社・2009年4月発行
2015年11月8日読了

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