映画 『聲の形』 鑑賞記
先天性聴覚障がいという衝撃は、小学生クラスにとって大きい。人と違うことへの興味と、排斥への変節。いじめの連鎖と、それが破壊するもの。時が癒してくれること。そして、取り返しのつかないこと……。
母親の"耳から引きちぎられたイヤリング"は、いじめ少年に社会の残酷な現実を突きつける。
京都アニメーションの映画『聲の形』を観てきた。主人公、石田将也(イシダショウヤ)と"転校せざるをえなかった"少女、西宮硝子(ニシミヤショウコ)の手話教室での再会は、5年分のわだかまりを思い出させる。嬉しさ半分、胸奥深いところの古傷もうずく。それでも、硝子は友達になることを受け入れた。
将也。ガキ大将転じて小6からの孤立。人を見ず聞かず友人もなく5年、硝子との再会が転機になれば……。
少しの勇気。仲間も8人に増え、中盤は幸せな高校生活が続く。西宮一家にも暖かなだんらんがある。
だが、二つの断絶は突然引き起こされるのだ。
ラスト前の花火のシーンは幸福に満ち満ちている。それが直後の悲劇の前触れであるにせよ。
愛想笑いが癖になった人生? 哀しいことだ。
人を見ず、話を聞かず、殻に閉じこもった人生? 打破すべきだ。
THE SHAPE OF VOICE――。その意味が込められたラストシーンをスクリーンいっぱいに目の当たりにしたとき、思わず目頭が熱くなった。
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