19世紀パリに花開いた日本趣味とジャポニスム。国立西洋美術館長の著す本書は、日本の文物ではなく、舞台芸術で表象された「日本人」を対象に、現代まで続くイメージの系譜を探求する。
10枚のカラー口絵を含め、ヴィジュアルイメージとしての舞台資料満載。
・オペラ座で公演された『イエッダ(江戸)』をはじめ、『黄色い姫君』『美しきサイナラ』『コジキ』など、これが日本か? と思わせる1870年代パリ舞台芸術の数々。1871年初演の『青龍の尼寺』で想像の日本イメージが形成され、それが継承されたことが理由として示される(p76,90)。1890年になっても、白いチュチュの上に着物を羽織ったフランス人ダンサーが、日本髪のかつらをかぶってオペラ座のステージを舞い踊る『夢』が、日本的! として持てはやされるとは、なんとも複雑な気分(口絵6、p135)。
・ロティの傑作小説『マダム・クリザンテーム(お菊さん)』のルネサンス座における舞台についての論評は厳しい。西洋人男性にとっての現地妻、理解しがたい日本文化とお菊さんに対する主人公の心理は小説ならではのものであり、単純化された脚本には現われない。かつてないレベルで衣装・日本文化・社会風俗の再現されたものであっても、かくも舞台芸術は難しいものなのか。
・1900年パリ万国博覧会、ロイ・フラー座での川上音二郎と貞奴、すなわち「本物の日本人」によるパリ公演『武士と芸者』『袈裟』は何をもたらしたのか。乱れ髪を振りかざして踊る貞奴や、武士の切腹シーンは見ものだろうし、フランス人の心に寄り添った=つくられた日本イメージを踏襲した演出は見事(p222)。何しろ、本物の日本人による演技である。この誇張されたイメージが、今日まで日本人像として定着しているとしたら、皮肉である。
・着物、侍と切腹、浮世絵に描かれた富士山と大波、西洋で大流行した扇と団扇に関する考察も興味深いが、日本を表彰する人物像としては、やはり芸者となるのだな(第4章)。
・ジャポニスム礼賛から黄禍論へ。世紀末にはエキゾティックな東洋の島国から、危険な新興国へと日本のイメージは転換する。以降、カリカチュアとして蔑視される日本人のイメージは、21世紀になっても出歯小男とゲイシャガールのままである(p213)。実に歯がゆい。
・第6章「ジャポニスムの終焉」の意味するところは大きい。現代の西洋における日本アニメ・マンガ文化等の流行は、かつてのジャポニスムとは似て異なるものであることが示される。
パリを席巻した(と思い込む)ジャポニスム。われらは感情として浮かれがちであるが、著者は手放しで喜ぶことは慎むべきことを説く。
「オリエンタリズム的日本イメージは姿かたちを変えて脈々と続いているのだ」(p245)
ジャポニスムとはすなわち、遠い未知の、魅力に富んだ発展途上国への眼差しが生んだ現象(p263)であったのか。
舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>
著者:馬渕明子、NHK出版・2017年9月発行
2017年11月25日読了
