2009年6月30日 (火)

職業としての学問

1919年にミュンヘンで行われた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の著者による講演録だ。

20世紀初頭、徐々にアメリカナイズされたドイツの大学。その研究室を資本主義的にとらえている点が面白い。助手は資本主義に特有の「労働者の生産手段からの分離」を例に、助手が労働者=プロレタリアート、研修所長が資本家に例えられる。その報酬も未熟練労働者に近く、週12時間以上の講義を受け持ち、初級学生から中級までの学生を相手にせねばならない。従来の「講義は週3時間のみ。あとは自分の研究に没頭」できる"ドイツ的私講師(研究助手)"との対比を明快にする。(ただし後者は無給で、受講者からの講義料で生計を立てている。当然、大貧乏。)

さて、この講演には、ただ仕事をこなすのではなく"価値ある仕事"を成し遂げるための心構えがふんだんに盛り込まれている。
・いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値である。
・有意義な結果を出すためには、思いつきを必要とする。その思いつき=霊感こそ、人が精出して仕事をしているときに限って現れるものであり、マニア的な限りないの作業と情熱の合体を必要となる。
・仕事に専念する人のみが、価値を生み出すことができる。自己を滅しておのれの課題に執心すること、専門分野に絞り、脇目もふらずに没頭した人物だけが、後世に残る業績を上げることができる。

過去の時代の学問と、今日のそれとの対比も面白い。手探り状態の盲目な大衆に与える光を探求するのが古代ギリシャ、プラトン時代の学問なら、社会生活の中に真実を見いだすのが20世紀の学問とされる。また、近世(16世紀)には、哲学に代わって神への道を見いだすのが自然科学の使命であったのに対し、現代科学で神の道を探求する者などいない。
ただ、学問(と自然科学)は完成するものではなく、後世の新発見により、より進歩を遂げるものである。一生かけて成し遂げた実績も、次の瞬間には新しい業績に取って代わられる。その宿命に覚悟を持ち、学問に邁進せよ、と著者は説く。

・指導者の体験を求めるのでなく、やり方と選び方を習得することこそ、学問の王道だ。
・神学は学問に非ず。合理主義の外部に奇跡や啓示といったものに頼る宗教者=「知性の犠牲者」と学問は相容れない。(とすると、創価学会って、何だ?)
・弱さとは、時代の宿命をまともに見ることができないことだ。

いたずらに待ちこがれているのでなく(=自分探しに運命を任せるのではなく)、職業に就き、その日々求められる仕事をこなしていこう、と著者は締めくくる。
小冊子として気軽に読み始めたが、なかなかどうして。世に残る書物の力、侮り難し。

Wissenschaft Als Beruf
職業としての学問
著者:マックス・ウェーバー、尾高邦雄(訳)、岩波書店・1993年5月発行
2009年6月30日読了

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2009年6月28日 (日)

ジハード戦士 真実の顔

大英帝国のくびきから逃れ、インドと分かれて独立を果たしたパキスタン・イスラム共和国。1947年8月の独立式典で、建国の父ジンナーは、進歩的で穏健な民主主義国家を目指すことを宣言した。
「いかなる宗教的信条を標榜でき、自由であり」、国家とは無関係に宗教施設へ出向くことができる、と。現実はどうか?
2008年、民主主義国家インドとは対照的に、この国は右派聖職者と軍部の支配するイスラム軍事国家となっている。

マドラサ。その、パキスタンの修学人口の10%が通うとされるイスラムの宗教学校では、いったい何が教えられているのか?
驚いたことに、1977年の軍事政権誕生以来、多くのマドラサでは数学や科学といった世俗的科目が廃止されたそうだ。さらに我々が予想する信仰の柱、すなわち祈り、慈善、巡礼といった教育も廃れ、いまでは「非イスラーム的不純物の排除」、「ジハードの義務」についての教育が柱に据えられているという。(191~193頁)
2002年に当時のムシャラフ政権が明らかにした「経済学、コンピュータ、英語、数学等の近代的教育の導入」は掛け声だけに終わった。政府のも積極的に導入する動きはない。

これでは、成人後に依って立つ手段は宗教だけとなる。そして組織が戦士を必要とするとき、暴力機構の一員となる。そしてジハードに赴き、殉教者となる。
それでも、教育・宿舎・食事が無料であるため、全国1万のマドラサで100万人もの貧しい若者が勉学に励んでいるという。
2007年にイスラマバードで起こったラール・マスジッド=赤いモスクでの立て籠もり事件は記憶に新しい。あの武力による強制排除で、何人の学生が命を落としたか。
教育の歪み、では片付けられない。伝統的宗教と社会構造の問題ではあるが、あんまりだ。

独立以来、対立を宿命付けられてきたインドが、事実上、南アジアを支配する。その現実への対抗上、歴代の文民・軍事政権は西アジアに軸足を置き、隣国アフガニスタンに親パキスタン政権を確立することを絶対使命としてきた。
1989年にアフガン・米ソ代理戦争が集結した。力の空白に据えようとしたパシュトゥン人の軍閥リーダに見切りを付け、パキスタンが後押ししたのが、タリバンであった。1997年のクーデターで権力を掌握したムシャラフ将軍は、イスラーム化された軍部の全面協力を持ってタリバンを支援した。

2001年9月、「従わねばパキスタンを石器時代に戻す」とのアメリカの”恫喝”により、パキスタンは文字通り「一夜にして」タリバンを捨て去った。後に、ムシャラフ大統領が独りで決断したことが明らかにされている。しかし、カシミール紛争と密接に関連したテロ組織を切り捨てることは難しく、下っ端テロリストの逮捕を数百人単位で逮捕する一方、タリバンとアルカイダの幹部を自国内に匿う「二枚舌外交」を、欧米の非難を受けながらも続けてきた。
そして2007年の、赤いモスク事件だ。総選挙に敗れ、国民の不信が増大する中、ムシャラフ大統領は影ながら養護してきた過激派の切り捨てを決意する。
本当の意味での転機。
かわいさ余って憎さ百倍。以降、今日に至るまで、タリバンはパキスタンをも攻撃の対象とした。ラホール、カラチ、ファイサラーバード。そして首都イスラマバードで、今日も自爆テロの犠牲者は後を絶たない。

巻末。訳者による解説に記された、元駐パキスタン大使である小林俊二大使のコメントが興味深い。大使曰く(2008年より政権の座にある)PPP=パキスタン人民党は、封建的地主の利益を代表する政党であり、零細・土地無し農民をはじめとする庶民の代表政党が存在しないことこそ、パキスタン政治の最大の問題である。
なるほど。軍部によるクーデターが支持され続ける理由が、ここにある、か。
暗殺されたブット氏の夫である現大統領、ザルダーリー氏も汚職の噂が絶えない。欧米諸国から絶大な信頼を誇る現在の陸軍参謀総長、キヤニ将軍の動向が注目されるな。

2009年6月現在、アフガニスタンに隣接する連邦直轄部族地域と北西辺境州を「タリバンの巣窟」と見なし、米軍とパキスタン軍による大規模な対テロ作戦が進められている。市民を含む死傷者、避難民の数は統計すら出されておらず、長い間、治外法権であったパシュトゥン民族の牙城も、瓦解しようとしている。
で、追い落とされたタリバンは、どこへ向かうのか? アフリカのスーダン、ソマリア、騒乱状態にあるケニアあたりだろうか。一部は東南アジアへ流れ、「アメリカの同盟国」日本へのテロ活動も視野に入れることだろう。
目が離せないな。

The True Face of Jehadis
ジハード戦士 真実の顔
パキスタン発 = 国際テロネットワークの内側
著者:アミール・ミール、津守滋、津守京子(訳)、作品社・2008年7月発行
2009年6月28日読了

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2009年6月27日 (土)

時が滲む朝

1989年。ベルリンの壁が崩れた、この記憶に残る年に発生した天安門事件は衝撃的だった。
北京の天安門広場に独裁共産党の機甲部隊が突入し、幾多の学生、市民を殺害した事件は、党の中国では「無かったこと」として片づけられている。大陸の赤いGoogleでは検索の対象外であり、資本主義が中国共産党に屈服した現実を顕現している。

さて、話題の中国人の芥川賞受賞作を読んだ。

前半の舞台は秦漢大学。勉学に励んできた田舎出身の二人が大学生が、テレサ・テンの甘い歌声に胸をときめかし、学生運動のリーダーに連なる「小柄なおかっぱ頭の女学生」に密かな恋心を仄めかす。青春のみずみずしさが見事に表現されている。
北京に呼応して活発化する民主活動。一方で迷惑、「商売の邪魔」との本音も存在し、現実は厳しい。そしてある事件が厳しい人生を二人に突きつける。

そして、亡命中国人たちが煩悶する90年代の日本が後半の舞台だ。日本語の話せない彼らに生活苦が遅う。香港返還を声高に叫ぶ民主活動家は「祝香港返還」を恥ずかしげも無く表明する商売人に変貌した。かつての民主活動は日に日に勢力が衰え、いかにアルバイト賃を上げてもらうか、妻への不満をぶつける等の愚痴を言い合う場に変貌し……。

すべてに絶望し、父親に電話するエピソードは、思わず涙ぐんだ。

随所に散りばめられた伏線が、ラストシーンへと繋がる構成は見事だ。

何度も何度も涙を飲み込み、無念さを乗り越え、現実に立ち向かって生きる姿。「狼の孤高」を限界まで耐え抜き、時を経て、家族愛に満ちた「自らの居場所」を発見するに至る。

政治問題を扱った文学は数多いが、家族愛に満ちた本作の読後感はひとしおだ。

時が滲む朝
著者:楊逸、文藝春秋・2008年7月発行
2009年6月27日読了

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2009年5月30日 (土)

脱植民地国家の現在

過酷な代償を支払い、自ら勝ち得た独立国家=植民地時代の終焉。それは原住民を市民に、かつての現地語=自国語を自由に行使し、労働の正当な成果と独自の文化を実らせ、旧宗主国と並び、国際社会の主役の一員となるはずであった。
現実は厳しい。貧困と腐敗と暴力が蔓延する国土には、「国の富」を収奪する支配層が君臨する。政治・行政システムは彼ら=暴君のためのものとして確立され、唯一、クーデターのみが政権交代の手段となった。

本書は、著者の出身地チュニジアと、アルジェリアとモロッコを含むマグレブ・アフリカを中心に、1960年代に相次いで独立を遂げたアジア・アフリカの旧植民地の問題点を暴き出す。

腐敗。国を牛耳る為政者と背後で操る経済界。彼らだけでなく、警察官から入国管理官、果ては一般市民に至るまでの「共犯的犠牲者」の腐敗。企業を設立するより、架空取引や国際援助を利用したリベートを取る方が利益を上げられる。粉飾決算や賄賂が計画的に行われ、「儲け」先進国の銀行口座に送金される。先進国と第三世界の腐敗との密接な関係がここにある。
腐敗が大がかりになるほど貧しさは極端になる。アフリカで最も豊かな資源を誇るナイジェリアは腐敗が甚だしく、国民の貧しさでは世界で一二を争う。

投資される資本がなければ産業は発展しない。40%もの失業率。流出する有能な人材。溢れる若者の力は騒乱に向かう。デモと鎮圧。繰り返される光景。
産業が育成しないなら、G8=先進国の援助に頼らざるを得ない。そして国庫収入の三分の一を占めるのが観光であり、ここでも先進国への依存が顕わになる。独立した意味はどこにあったのか?

著者の非難は、沈黙する知識人に収斂される。エドワード・サイードを除けば、国の指導者に対する非難の声を上げることはない。指導者に「遠慮」してか、自国の体面が傷つくことを畏れてか。はたまた、自らの保身のためか。(ならば、サイードのように国外から声を上げれば良い。)

独裁体制の強化に効果的な道具は軍である。文民も軍人のマネをする。スターリン、チトー、ウガンダのアミンも軍服を着用した。
しかし、軍事政権は新たな暴力=クーデターによって容易に倒される。一方、民主体制で権力が安定するのは、国民の委託によって正当化されているからであり、民主主義の優位性がここにある。

パレスチナ問題。アラブ諸国の為政者が、国民による自分たちへの非難の矛先を、イスラエルへ向けるための絶好の手段である。彼らの身の上に比べたら、自国の停滞など微々たるもの。そう思わせるのに好都合な、パレスチナの悲劇
だから、いつまでたっても解決するはずがない。

イスラムは宗教だけでなく、個人の生き方の規範から社会生活、共同体の法規まで網羅したシステム=体系である。モノの本ではそう解説されるが、著者は異論を唱える。
キリスト教も従来、今日のイスラム教と同じく政治・生活・文化のすべてであった。2000年もの歳月をかけて現在の姿=一部の熱狂的な信徒による信仰の対象となった。生まれて800年の若いイスラム教も、やがて政教分離が実現し、現在のキリスト教のようになるであろう、と著者は説く。
イスラムは特別な宗教ではない、と。

今日まで漠然と思っていた"常識"は必然ではない、と本書が新たな視点を提供してくれた。

最後に。著者は声を大にして説く。(「移民」もう一つの世界へ)
マネーロンダリングで利益を得るのはギャングだけか? 銀行であり、先進国である。民主主義のリーダー、米国。労働者の祖国、ロシア。人権の伝道師、フランス。これら揃って武器を世界に供給する三大国であり、この武器が死をまき散らし、途上国の暴政に力を貸す。国際会議の場での美辞麗句など偽善であり、武器を購入して自国民を飢餓に追いやる旧植民地の政権にモラルなど無い。

Portrait du Decolonise
arabo-musulman et de quelques autres
脱植民地国家の現在 ムスリム・アラブ圏を中心に
著者:アルベール・メンミ、菊地昌実、白井成雄(訳)、法政大学出版局・2007年5月発行
2009年5月10日読了

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2009年5月13日 (水)

カンディード

1759年だから、フランス革命が欧州を席巻する前の作品。ドイツの城内で純粋無垢に育てられた若者=カンディードが、王女に恋したことで城主から追放され、様々な冒険と艱難辛苦に出会う物語。

当時のルイ15世による統治を含め、権力者=王侯貴族と僧侶に支配される体制をあからさまに批判する。
さらには、プロイセン対フランスによる7年戦争が民衆にまき散らした惨劇、特に女性の弱い立場が繰り返し描かれる。盛者必衰と女性蔑視の同居する似非騎士道精神、といったところか。

ドイツからオランダ、スペイン、ポルトガルを経てアルゼンチン、パラグアイ、ペルー、エルドラド、スリナム、フランス、イタリア、トルコ、と冒険は続く。

表面は聖人気取りな司祭が、裏では「無類の女好き」であったり、宗教裁判官の傍若無人な狼藉ぶり(気に入らない演説をした男を火あぶりの刑に)等、カソリックに与する人間を容赦なく批判する。
南米エルドラドでは
「へぇ! それじゃお坊さんはいないのですか。教えたり、議論したり、支配したり、陰謀をたくらんだり、意見の違う人間を焼き殺したりする……」
「狂人(ATOKに無いぞ!)にでもならぬ限りそんなことはできないよ」
実に面白かった。

当時のフランスの"教養人"が愛読していた書物を片っ端からこきおろす件が興味深い。決して面白くはないが、教養を保つために後世に残すと主張する常識人対し、「役に立たないから読まない」とバッサリ。実に本質をついている。

数カ所で日本のことが言及されているのは意外だった。18世紀中葉でも、江戸日本が世界に組み込まれていたと思うと、感慨深いものがある。

人生は苦難と退屈に満ちあふれている。それでも悲観せず、働き続けるのが人の道。これが作品に通底するテーマだろう。

Candide
カンディード
著者:ヴォルテール、吉村正一郎(訳)、岩波書店・1956年7月発行
2009年5月13日読了

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2009年4月26日 (日)

アデン、アラビア

小ブルジョワの家庭で何不自由なく育ち、それが故に祖国、フランスを構成する「大人たちの欺瞞」への行き場の無い怒りを内心たぎらせ、20歳の主人公はひとり、アラブの地へ旅立つ。
ジブラルタルを抜け、地中海を東へ。スエズ運河を渡り、紅海を越えて上陸したのは、イエメン南端のアデンだ。

楽園への期待は不安に、現実は失望をより強くさせる。
漂流者さながら日々流され、無気力なイギリス人とフランス人たち。旅に価値を見いだしながらも、惰性に生きたなれの果て。自らもあのようになりはしないか?
「自由は、現実的な力であり、自分自身であろうとする現実的な意志である。何かを打ち立て、……喜びを生む人間のあらゆる可能性を満足させてくれる力なのだ」(45頁)

気分を変えるために渡ったジブチで見たものは、中世欧州のように、イスラム君主にひれ伏す現地住民たち。忍耐と眠りを何百年と繰り返す、退屈な土地。
「この無力感の上に、宿命というものに対する信仰が打ち立てられるわけだ」(111頁)
宿命を乗り越え、自らの力で運命を切り開くヨーロッパ人の長所が見えてくる。

やがて彼は理解する。この地上に理想郷など無く、濁世の中で強く生き抜くしかないことを。

「ようやく平穏で遠く離れた場所に来ることができたと思っていたときに、この恐怖がアラビアにいる僕にまで達したのだ。逃げても無駄だ。……戦えば、恐怖は消える。
……僕たちの行動のどれひとつにも怒りがこめられていますように」(128~130頁)
資本主義社会の支配者たちと戦い抜く決意がここにある。

著者ポール・ニザンの生き方が活写されたような青春小説。そのニザンは若き日に共産党入りし、ソヴィエトとも親交深く生きるも、独ソ不可侵条約に衝撃を受ける。脱党した後、ナチス・ドイツによる電撃戦への抵抗の中、ダンケルクで銃弾に倒されたという。
壮絶な最期の瞬間、自ら信仰する価値の変転に苦悩した日々を思いだしたのかもしれない。

ADEN ARABIE
アデン、アラビア
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-10所収
著者:ポール・ニザン、小野正嗣(訳)、河出書房新社・2008年11月発行
2009年4月26日読了

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2009年4月 4日 (土)

悩む力

自由主義が浸透し、次々と起こる科学技術革新と思想の新潮流。価値観が移ろう20世紀初頭、真摯に世の中を見つめ、悩み抜く生涯を全うした100年前の二人の偉人がいた。夏目漱石とマックス・ウェーバーだ。その人物と作品を引用しつつ、現在を生きるわれわれが、まじめに考え、悩み抜くことの大切さを説く。

文明が進むほどに深刻さを増す、人の孤独感。漱石「こころ」に登場する先生は、世の中から距離を取り、自分の内に築いた城の中で一生を過ごす。死の直前に出会った「私」への手紙には、その寂寞がにじみ出ていた。現代社会の中で孤独を感じる現代人にも共通した感情。
中途半端ではなにも解決しない。真面目に悩み、真面目に他者と向かい合うことで、ひとつの突破口が開ける、か。

共同体の生き方から解放されると、羅針盤を持たない個人は、かえって自由から逃げたがる。大きなモノによりかかる。全体主義、似非宗教、胡散臭いスピリチュアルな世界。
何を拠り所にするのか? 心のストレスが増した時代だ。

世の中の流れには乗っても流されず、ぎりぎり持ちこたえ、時代を見抜いてやろうとする気概。すなわち「時代を引き受ける覚悟」を持て、いうことか。

悩む力
著者:姜尚中、集英社・2008年5月発行
2009年4月3日読了

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2009年3月20日 (金)

最期の旅、きみへの道

原因不明の不治の病。余命1ヶ月を宣告された50歳のアンブロウズ。
アルファベットの特別の想いのある彼は、AからZまで、思い出の地を巡る旅を始める。
Amsterdam アムステルダム、Berlin ベルリン、Chartres シャルトル……。
除々に変調をきたす体。まとまらなくなる思考。

途中、退屈さを感じた場面の直後は、一気読みだ。
親友、思い入れのある人たち、そして我が家。
男の親友同士の別れの場面には、グッときたゾ。

Kを過ぎるとハンカチ必携。

そして、Z。
妻の愛読書「嵐が丘」。その古本に挟まれた紙切れ。旅の最終目的地だったZanzibar ザンジバルを棒線で消し、その上に力強い筆跡で書き加えられた、ただ一つの言葉。
妻へ遺した、最後の言葉。それは、アンブロウズがたどり着いた最終目的地……。

自宅で静かに読むのに最適な一冊。涙腺が決壊しました。

The End of the Alphabet
最期の旅、きみへの道
著者:C・S・リチャードソン、青木千鶴(訳)、早川書房・2008年8月発行
2009年3月20日読了

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2009年3月15日 (日)

玄鶴山房

ときは1922年。ゴム印の特許を皮切りに、それまでの日本社会の常識だった借家から持ち家志向の萌芽に上手く乗り、土地売買で一財産を築いた玄鶴はすでに老い、肺結核に伏せる日々だ。知事を務めた政治家の次男を娘婿に迎え、その跡継ぎも生まれ、お家はひとまず安泰だ。

5年前から囲っている妾とその息子=庶子を呼び寄せたことで、家に波風が立つ。

玄鶴の専属看護婦、甲野。彼女の屈折した性格ー自分の幸には興味が無く、人の不幸に喜びを見いだし、決して顔に出さない面従腹背の権化ーが混乱に拍車をかける。
医者だけでなく患者からも関係を強要された過去を持つ彼女にとり、"雄"は憎むべき存在だ。婿養子に色目を使い、その義母にヒステリーを起こさせ、彼女を意識しだした婿養子を嘲笑する。
お嬢様育ちで世間知らずの"若奥様"を人知れず小馬鹿にする日々が、甲野の気分を爽快にさせる。

玄鶴の葬式。多くの弔問客が棺を前に彼を想い、門を出ると彼を忘れ、旧友は生前の彼の我儘をからかう……。
ただひとり、焼き場の門の外にひっそりと佇む妾-お芳の姿が婿養子の目に入り、煙のように消えて……。

家、身分、そして性別。桎梏に縛られた短い人生劇場。読み終えた後。儚い余韻だけが残った。

玄鶴山房 芥川龍之介全集第十四巻所収
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年12月発行
2009年3月15日読了

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2009年3月14日 (土)

ヨーロッパ思索紀行

著者の若き日のフランス留学に始まり、フランス各地とスペイン旅行記の体裁をとる本書は、実は、多文化共存の生き方が文化を豊かにし、異文化に扉を閉ざした文明の衰退を語る。そして、近代以前の江戸日本や近世の西欧、中世のイスラム・スペインまで歴史的視野を広げることで、技術文明の停滞した21世紀で日本と世界が生きる道を探る。

・歴史の意味。それは違った時代や地域に旅をし、その時空の人になり、生きる知恵や経験を汲み取ること。

・必要なのはITスキルではない。自分自身が足で稼いだ経験に裏打ちされた「判断力」だ。
人の行く裏に道あり、花の山。

・独自の島国文化が存在するのは日本だけではない。大陸欧州から見たイギリスもそうだし、海洋国家アメリカもそうだ。文化のとぎれが外交的能力を乏しくし、軍事力とカネの力に頼る。3国に共通する悲しい特性だ。
フランスに代表される大陸欧州と中国大陸は様相が異なり、古来の多民族間の調和をとる感覚が働いている。

・1972年の世界遺産条約は画期的だ。人と自然の関わりと同時に、人同士の関わりを重視し、人生を楽しく送る趨勢はますます強くなるだろう。

・旅は徒歩に限る。散策、従容、遊歩、ペリパトス。これらぶらぶら歩きこそ、いい考えの浮かぶ源泉であり、車に邪魔されず歩ける道を有する都市が、21世紀に成功する。

・フランスは総人口より外国人旅行客のほうが多い国、観光立国を目指す日本に学ぶ点は多い。
・前近代の日本文化と「生きる喜び」を実感できるしかけが必要。
・良い食事こそより良い人生を送る秘訣となる。

・よそ者と接することのないところで文化は磨かれない。日本文化もよそ者と日常的に接することで、世界中に知られる普遍性を持つことができる。

日本人のきめ細かな感覚と美意識は健在であり、江戸時代に当たり前に存在した寛容と共生のコミュニケーション感覚を取り戻せば、21世紀に主流となるEUと中国のユーラシア大陸文化に上手く溶け込み、同じ島国文化を持つアメリカとの橋渡し役にもなれる、と総括される。

ヨーロッパ思索紀行
著者:木村尚三郎、日本放送出版協会・2004年2月発行
2009年3月13日読了

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2009年3月 8日 (日)

ハワーズ・エンド

1904年のロンドン。第一次世界大戦には少し遠く、アフリカ白地図の塗りつぶしをフランスと競いつつ、新生ドイツ帝国に目を向けながらも、それでも大英帝国が世界覇権を謳歌していた時代の物語。

上流中産階級に属する女主人公、マーガレットは三十路を控えてロンドン近郊の一軒家に妹と弟と暮らす知識人だ。帝国主義的な価値観を静かに否定し、人類の営みが蓄積された文化・芸術に生きる価値を見いだす一方で、商業利益を求める実業家の働きがイギリスに富をもたらし、自分たちの金利生活を支えている現実を理解している。かたや妹のヘレンは活発で、恋愛に熱しやすく冷めやすいと言ったところか。彼らドイツ移民二世のシュレーゲル家と、生粋のイングランド人であり、ブルジョア企業経営者であるウィルコックス家のあいだに引き起こされる紆余曲折した交流を軸に話は展開される。

ロンドンを離れた農村部、ウィルコックス家の所有するハワーズ・エンド邸で物語の舞台は幕を開け、人の縁と理解、人が暮らす家の意味、価値観の異なる人間の愛憎、運命の変遷を経て、ハワーズ・エンド邸で最終章を迎える。

印象に残ったのがレオナード・バスト氏だ。下層中産階級=事務系サラリーマンである彼は努めて文化的な生活を志すも、生活費に追われる現実はあまりにも厳しい。平日は昼休みとヘトヘトになった帰宅後だけが自分の時間であり、本を読み熟考する時間すら確保できない。そして思うままにならない低収入。低俗で退屈で嫉妬深い年上の妻。まるで21世紀初頭の日本人サラリーマンそのものじゃないか。
その最期は上流中産階級の男に暴力を振るわれて……何かもの悲しい現実だなぁ。

「……その国の美徳を海外まで持って行くこの人種を超自由農民と呼びたい気もする。しかしこの帝国主義者というのは自分が思っているようなものとは違って、破壊者であり、やがては国際主義を招き、その望みがかなえられるようなことがもしあっても、この人種のものになる世界は灰色をした世界なのである」(457ページ)

1910年の作品だが、キップリングに代表される帝国主義文学とは一線を画す精神が、ここに顕現する。グローバリズムが浸透した現代に本作品を読むと、この時代の価値観が現在も形を変えて残っており、アメリカが大英帝国の正統な後継者であることがハッキリする。そしてアメリカ式資本主義が破綻の色を濃厚にしたいま、グローバル化が地域の独自性=ローカリズムの正しさを際だたせ、個性が力となりうることを示しつつあるのだろう。
100年前の世界文学を手にする意味が、ここにある。

HOWARDS END
ハワーズ・エンド
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-07
著者:E・M・フォースター、吉田健一(訳)、河出書房新社・2008年5月発行
2009年3月1日読了

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2009年2月22日 (日)

インドのヒンドゥーとムスリム

一部の政治家や外国勢力がナショナリズムを扇動し、平穏な少数派民族と多数派民族の共存する社会を混乱に追いやる。これは旧ユーゴスラビアと旧ザイールで起こり、現在に生きるわれわれが目撃したことである。
本書は、1947年の分離独立に至るまでのインドとパキスタンの地で起きた"外来文明"がもたらした、"中世インド文化の解体"の歴史を明らかにする。

古いインド世界。そこでのヒンドゥーとムスリムの長く融け合った生活は、他でみられない独特の文化、たとえばムスリムのバラモン、イスラムの礼拝を欠かさないヒンドゥー教徒などを編み出した。

イギリスが持ち込んだ近代思想。その実、恣意的な"科学的"国勢調査や文明的改革に触発され、インド社会内部の自発的な宗教・社会改革は宗教ナショナリズムへと発展した。イスラム教徒とヒンドゥー教徒は純化し、分離独立したインドとパキスタンはいまなお、戦禍を絶やさずにいる、

宗教に関係なく北インドの民衆が使っていたヒンドゥースターニー語から発祥したウルドゥー語とヒンディー語は、19世紀以降、それぞれムスリム、ヒンドゥーの言葉として定着してしまった。

ヒンドゥーの枠組みにとらわれない合理主義を取り入れた初期の改革運動は上流階層に受け入れられ、ヒンドゥー教徒の内部へと浸透していく。出版物と集会を媒介に中間層を取り込み、やがてナショナリズムへと変貌した。
一方で、ムガール帝国解体の衝撃を受けたムスリムは、イギリスへの抵抗の無意味さを悟るとともに、擡頭するヒンドゥー勢力を意識しながら、積極的に大英帝国インドの現地支配層に変貌していった。
つまり、ヒンドゥー勢力への対抗心が、インド・ムスリムの観念を醸成させたのだ。
ここに、現地二大勢力への分割と対抗意識を通じた支配が実現し、イギリスの思うままとなった。

ヒンドゥー穏健派は国民会議派に収斂し、それに飽き足らない者はヒンドゥー大協会(現在のインド人民党の前身)を結成した。大衆相手に和解を説いて回ったガンディーの想いは実を結ぶことなく、ヒンドゥー大協会の青年に暗殺されるに至った。

このような概観を示した上で著者は説く。民族主義に限定されない地域主義が、宗教ナショナリズムを抑制する要素となり、さらに宗教ナショナリズムを煽る政治エリートとは別の価値観を有する大衆の自立性と叡智が、かつての共生の世界観の良き点を復活させる切り札になるであろう、と。

中国と共に、荒々しい人々のエネルギーと可能性に満ちあふれたインド。その人類文明に占める重要性は増すばかりだ。隣国パキスタンとの敵対性は薄れることはないだろうが、紛争をコントロールしつつ、その目指すところを今後も探ることとしたい、

世界史リブレット71
インドのヒンドゥーとムスリム
著者:中里成章、山川出版社・2008年3月発行
2009年2月19日読了

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2009年2月10日 (火)

世界金融危機

もはや、日々マスコミで報じられる暗い経済ニュースは食傷気味であるし、米国発の金融危機を頭で理解できても、自分の身の回りに影響が及ばないと実感できないものだ。
でも、正視しなくてはならない。

本書は、長い長い不況の入り口に立ち、これから数年の間に起こり得る"経済津波"と日本への影響が検証される。
政府規制の及ばない影の銀行システム。その構造と崩壊、これまでの経済不況との決定的な差異とインパクト、無責任に米国政府のグローバル化要求に従い続けた結果、無惨に崩壊した日本の雇用と社会保障、それに"倫理"。

米国債を買い支え、影から米国消費社会を支えているのは80~90年代と異なり、中国、ロシア、南米と言った決して親米ではない国という事実。ドル暴落のリスクは高まる一方か。

著者は説く。これから本格化するであろう日本社会の崩壊(経済ではなく社会)に備えよ、と。資産デフレと資源インフレが同時進行し、それがもたらす"惨状"は知りたくもない未来図だ。

薄いが中身の濃い1冊だ。細かな経済指標については一定の知識がないと理解しづらいが、あえて精緻なデータを掲げたのは、この金融市場の崩壊がもたらず影響の巨大さを示す意図なのかもしれない。

岩波ブックレットNo.740
世界金融危機
著者:金子勝、アンドリュー・デウィット、岩波書店・2008年10月発行
2009年2月5日読了

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2009年2月 1日 (日)

近代都市とアソシエイション

本書は19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリスの労働者クラブを題材に、都市部における新しい共同体の形成とその文化(アソシエイション文化)を論じる。

産業革命が引き起こした工業化は、急速な都市の発達を即した。従来の鉄道網に加え、都市部での地下鉄の発達は、上流・中流階級の住居の郊外への移転を即した。代わりに都市住民の主役に躍り出たのが工場労働者とその家族だ。

給与所得と余暇(9時間労働と土曜半ドン)の増大が、労働者の週末を充実させる。会費を支払えばメンバーになれるクラブは、村落社会から離れ孤独になりがちな労働者のアイデンティティー形成の場となった。

当初、上流・中流階級の篤志によって「労働者の正しい教化」を目的に発足したクラブも、アルコール提供を皮切りに労働者自身による自主経営が可能となり、夜と週末の娯楽を主体に大規模化していった。

都市社会の住民として、好きなクラブイヴェントに参加できる自由。これは農村社会での「村の掟」や「全員参加」に縛られることの大きな違いだ。また、個人ではなしえない地方自治への参加も、クラブとその動員力を通じて可能になった。

伝統的な上流・中流階級を基盤にしたトーリー(保守党)とホイッグ(自由党)の政治世界に、19世紀後半以降の度重なる選挙法の改正により、労働党の発足と都市労働者の国政への参画を可能にした。

グローバリズム。この聞こえの良い言葉が氾濫する。実態が分からなくてもの分かったふりをすれば、時代に流されなくて済む。そして、新自由主義の蔓延による地域社会と人々の紐帯に緩みが生じ、その間隙を衝いて浸透するナショナリズムが、意図的なマスコミ報道によって徐々にわれわれの生活に馴染んでくる。
こんな構図を想像してしまった。

世界史リブレット119
近代都市とアソシエイション
著者:小関隆、山川出版社・2008年12月発行
2009年1月29日読了

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2009年1月24日 (土)

「大恐慌」以降の世界

2008年9月15日、米国リーマンブラザーズの破綻が報じられたとき、現在のような経済・社会状況になるとは予想もしなかった。(トヨタ、ソニーが大赤字に陥るなんて。)
アメリカ発の大経済危機。本書はその犯人を明確にし、今後の世界を予想する。

"新興国経済の力強い成長"、"BRIC's投資の薔薇色の未来"! ゴールドマン・サックスの宣伝に騙された一人として(その損失額50万円以上!)、欧米金融の闇の部分を興味深く読んだ。

そう、ゴールドマン・サックスこそ当事者。そこの出身にしてブッシュ政権末期、絶大な権力を縦横無尽に駆使したポールソン財務長官こそ第一の戦犯だ。
ブッシュJr.率いるチームこそ諸悪の根源だ。思えばイラク戦争、金融危機と、世界中に災いを振りまいた最悪の政権として記憶されるんだろうな。

福田前総理の辞任劇の裏事情。米国の圧力に屈した政府を統制し、国民には言い訳せず。これが真実なら、潔いことだ。

それにしても、だ。"失われた10年"を言い訳に変革を先送りし、ヌクヌクと現状維持を続けたきた"われわれ"。その間に冷戦終結期に辛酸を舐めたロシアと中共(ATOKで変換されないぞ!)が着実に国力を上げ、2010年代に日本を軽く追い抜き、アメリカをも凌駕しようかという現実に、ただ茫然自失するしかないのか。

カナダ、メキシコと一体化した米国(北米連合国!)が、ロシア、中国、インド、EUと水面下で覇権を争う時代がすぐそこにきている、か。(その通貨もWEBで公開され、中国に運び込まれ、ロシアが抗議した?)
第一次世界大戦前夜の"Balance of Power"ふたたび。

岩倉使節団がドイツ訪問の際にビスマルクが語ったとされる言葉を思い出した。
「国際社会においては、大国は自らに都合の良いときは国際法を遵守し、そうでないときは軍事力に訴える。主要国(?うろおぼえ)が拮抗する軍事力を保持してこそ、国際法が護られる」
結局はこうなるのか。理想を持ちつつ"次の現実"を予想し、それに備えることの重要さ。で、日本国をアテにできるのか? そうでないとしたら……?

The Next World Order
「大恐慌」以降の世界 多極化かアメリカの復活か
著者:浜田和幸、光文社・2008年11月発行
2009年1月23日読了

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2009年1月 9日 (金)

黒い警官

1922年に立憲王国として1882年以来の大英帝国の支配を脱したはずのエジプト。その実、傀儡政権を背後から操り、第二次世界大戦後もスエズ周辺の直接占領を続けるイギリス軍に対し、首都カイロで反英運動に身を投じたのが医学生のリーダー、シャウキーだ。逮捕の数ヶ月後に釈放され"わたし"の前へ姿を現した彼はしかし、別の人格に変わっていた。
数年後、驚異的な能力で医局の中心的な職務をこなす彼の元に、病気休暇中の公務員に関するファイルが送られてくる。医学的見知を下すべく彼の家へ向かったシャウキーと"わたし"が見て"聞いた"こととは……。

アラブ・エジプト文学である。著者YUSUF IDRISもエジプト人医師であり、革命の闘志であった。大英帝国からの真の独立を果たしたナセル革命の直前に書かれた本書は、実際の事件に着想を得て完成したとされる。

職務への忠実かつ献身的奉仕が表彰された警察官。時の首相(パシャでもある)の寵愛すらその一身に受ける。その創意工夫を活かした任務とは政治警察に逮捕された"容疑者"をひたすら殴ることだ。
彼の家で"咆哮する"シャウキー、吠え声を上げる"黒い警官"、叫ぶ警官の妻……。

他人を傷つける者は、知らずに自らを傷つけてしまう。
遠大な将来の目的。使命感を持つ若者の目の輝き。
殴打の哲学。精神の崩壊。
そして"人間の肉"。

苦痛それ以上に激烈な痛みを与えるのは、"沈黙の強制"……。
想像し得ないラストには目を背けたくなった。

AL-'ASKARY AL-ASWAD
黒い警官
著者:ユースフ・イドリース、集英社・1991年6月発行
集英社ギャラリー[世界の文学20]中国・アジア・アフリカ所収
2009年1月9日読了

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2008年12月31日 (水)

見知らぬ場所

著者はインド系アメリカ人。2000年に「停電の夜に」で華々しくデビューし、長編「その名にちなんで」は映画化された。この短編集も、アイルランドはフランク・オコナー国際短篇賞を受賞と言う、注目の作家だ。
表題作のインド移民2世の娘と父の物語をはじめ、ジワっと胸に残る中・短編が詰められている。

文化のまるで異なる新天地で無口な夫と過ごす日々。遠い故郷であるインド・ベンガルに思いを馳せる何もない日々。突如現れた年下の同郷人との楽しい日々は、新たな恋人の出現によって終焉を迎える。落胆する母を横目に、7歳の"私"と血縁のない叔父さんとアメリカ人の"おばさん"との刺激的な毎日はそれでも楽しくて……。(Hell-Heaven)

特筆するべきは、やはりヘーマとカウシクだろう。30年の時から切り取った三つの時間の、二人の物語。"Once in a Lifetime"は少年と少女の邂逅と、少年から打ち明けられた秘密がヘーマの口から語られる。語り先は現在のカウシクだ。"Year's End"では成長したカウシクが語る。大学の寮にかかってきた"父親の再婚"を告げる電話。新しい母と二人の妹への接触。必然的に起こった衝撃的な事件。ヘーマを思い出しながら語る彼は、それでも冷静だ。
"Going Ashore"は39歳の報道カメラマン=独身のカウシクと、37歳の女性博士=ローマ研究者であり、見合い結婚に踏み切るヘーマの物語。ローマでの出会いは必然か、偶然か。
タイでの津波が、すべてに終止符を打つ。

本書に収められた作品に通底する概念、それはアイデンティティだろう。
アメリカで生まれ育ったインド系米国人。親の世代とは異なり、彼あるいは彼女の自我はアメリカ人そのものだ。祖父や母親からはインド人の風習を教えられ、"はしたない"米国人と付き合うことを咎められる。移民の宿命として、成功なき者は日陰者として生きるしかない。そして一歩でも外の世界へ踏み出すと周りからは「インド人」として扱われる現実……。イギリスに生まれ育った著者の体験が生きていると思う。

神戸新聞の書評欄で知り、しばらくして明石のジュンク堂で買ってきたんだが、納得の出来だ!

Unaccustomed Earth
見知らぬ場所
著者:ジュンパ・ラヒリ、小川高義(訳)、新潮社・2008年8月発行
2008年12月31日読了

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2008年12月 7日 (日)

イスラムのテロリスト

アメリカ同時多発テロにより、その存在がクローズアップされた「イスラム過激派」。本書は、20世紀初期からの複数の水脈から、60年代から80年代にかけて中東、中央アジア、アフリカ、東南アジアに拡散し、90年代に大きく変貌したたイスラム・テロ・コネクションの姿を明らかにする。

イスラム・テロリズムの起源として、血の復讐の掟を持つエジプト・上ナイル地方の、英国植民地支配に対抗する中で勢力を伸ばしたモスレム同胞団、殉教思想を持ち、イラン・イスラム革命によって力を得たシーア派イスラム、インド亜大陸で日常的にヒンドゥー教徒と対立したムスリム聖職者集団が上げられる。

モスレム同胞団は、元々互助会のような組織であるのだが、一部の強硬派がそれまでの「イスラムの敵を殺せ!」から「イスラム回帰を邪魔する者は皆殺しにせよ!」へと思想を進化(?)させ、現在のイスラム過激派の思想の拠り所となった。政教分離国家の元首をも暗殺の標的にし、イスラム原理主義国家のサウジアラビア、革命後のイラン、スーダンがこれを経済面で支援し、移動等の面で便宜を図っている。

イラン・イスラム革命の熱波はレバノンに飛び火し、そこで結成されたのが神の党=ヒズボラだ。殉教思想を武器に自爆攻撃を繰り返す「狂信者集団性」と、外国人誘拐等の「犯罪者集団性」の融合したテロリスト集団であり、その活動はイスラエルやアラブ諸国にとどまらず、南米にまで及ぶ。

インド・カシミール地方のゲリラ組織。彼らは、反インド活動を目的にパキスタン軍統合情報局が設立されたとされる。インドからの分離独立当時から政治、軍事、経済に強い影響を持つパキスタンのイスラム協会を背景とするISIは、決して表面に出ることなく、彼らを指揮し、カシミールとインド国内に争乱を引き起こしてきた。

これらの系譜が、ソ連の崩壊後、アフガニスタンとパキスタンを舞台に融合、再編成され、アルカイダを中心とする強力なテロ・ネットワークへと発展した。

エジプトの最強硬組織「ジハード」の首魁、アイマン・ザワヒリと、アサマ・ビン・ラディンが手を結び、前者は事実上、アルカイダのナンバー2となった。パキスタン、バングラディシュ、カシミール、フィリピン等のイスラム組織が加わった強大な組織は、90年代後半になり、いよいよアメリカに牙を剥いた。アフリカでの大使館爆破事件、駆逐艦爆破事件……。
その流れの延長に、世界貿易センタービルへの攻撃が行われたのだ。
警告はあった。イエメンの米軍艦艇は沖合に避難したし、中東各国、東南アジア各国、そして日本にもテロへの警戒が呼びかけられた。しかし、まさか米国本土で大規模なテロが実行されるとは、思いも寄らなかったのかも知れない。

さて、2008年11月にムンバイ同時多発テロを引き起こしたのは、ラシュカレトイバ(Lashkar-e-Taiba ラシュカル・エ・タイイバ=純粋な軍隊)とされている。カシミール地方でヒンドゥー教徒を殺戮してきたこのテロ集団も、活動拠点はパキスタンにあるとされる。アルカイダの関わりも取り沙汰され、インドとパキスタンの軍部の動きも穏やかでは無い様子。ほんの数十人のテロ集団が国際政治に及ぼす影響は計り知れないものがある。

イスラムのテロリスト
著者:黒井文太郎、講談社・2001年10月発行
2008年12月7日読了

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2008年11月30日 (日)

テロ・マネー

時は2001年9月。アメリカ同時多発テロと、第二、第三のテロの恐怖に脅えるアメリカ本土から遠く離れ、取材相手と昼食を採ったある日のこと、相手のささいな質問から、すべてが始まった。
「ヒズボラって何だい?」

著者はワシントン・ポスト氏の西アフリカ支局長。欧米社会にインパクトを与えるニュースの何もないような地域で、ダイヤモンド取引を取材する。
悪名高いリベリアの独裁者、チャールズ・テーラー。彼と手を組んだのが、シエラレオネの非人道的な反政府ゲリラ組織、革命統一戦線(RUF)だ。川床にダイアモンド鉱山が露出した、世界でも珍しい採掘場を支配するRUF。暴力で地域住民を支配・酷使し、リベリア経由で密輸したダイヤモンド原石を、内戦に勝利するための兵器類に変え、シエラレオネの支配を目指す。
そんな彼らの元に、あるアラブ人バイヤーが現れ、それまでの取引とは比べものにならない高価でダイヤを買い漁るようになる。部屋にはオサマ・ビンラーディンの肖像が掲げられ、自爆ビデオを観賞し、アフリカ人に組織への加入を勧める彼らこそ、そう、アルカイダの幹部であった。

かつてのシーア派、スンニ派の壁を越え、世界中で手を携えて西洋世界に挑戦するイスラム系テロ組織。その多様な資金の調達から、グローバリズムを逆手に取ったマネーロンダリングまで、その実態はベールに包まれてきた。

本書は、同時多発テロ後、アメリカ当局の裏をかき、莫大な現金をアフリカでダイヤモンド等の貴金属に、ドバイ等で金に換えるマネーロンダリングの手口を明らかにする。また、西洋の銀行システムと異質な、中東世界古来の送金システムであるハワラを、果ては世界各地に拡がる慈善団体の寄付金がテロ組織に流れるまでの動きを追い、テロ組織の資金のルーツを暴露した。それが故に、著者と家族はリベリア情報機関に狙われ、米国本土への脱出を余儀なくされることになる。

一方で、世界最強と信じられている米国情報機関の、お粗末な縄張り争いと、「断じて自らの過失を認めない」お役所体質をも浮き彫りにし、同胞からも責め苦を受けるハメになる。
これまた互いにいがみ合うFBI職員と財務省職員。その彼らが口を揃えて言うのだ。
「イラク戦争が、対テロ戦争の足を引っ張った」と。

そう。イラク戦争は完全な無駄であり、多くの人命を道連れにしたブッシュ大統領の失策だ。
この戦争が無ければ、必要な人材と資金をアフガニスタンとパキスタン北西辺境州に投入でき、対テロ戦争は効果を上げていたかも知れない。

対テロ戦争が効果を上げていたら?

2008年11月26日に発生したムンバイ同時テロ事件。アルカイダ構成組織に名を連ねるラシュカレトイバが中心となり、インドの若いイスラム過激派が参加したと言われている。対テロ戦争が効果を上げていたら、少なくともその芽は摘み取られていたはずであり、190人以上もの死者を出すことはなかったかも知れない。

で、そのラシュカレトイバは、カシミール地方のインド占領地域での武装闘争を目的に、パキスタン軍事情報部が結成を後押ししたテロ組織と言われている。インドのシン首相は外国、すなわちパキスタンを非難し、これにパキスタン軍部は反発している。2009年初頭から予想される世界経済の大規模な低迷=恐慌が、インド、パキスタン両国の軍事指導者を穏やかでない行動へ誘うのかも知れない。核戦力の使用が無いとは言えない。

米国のミスリードが次の混乱を招くことになる。先進国の自分勝手は許されない時代だ。日本=われわれも他人事ではなく、気をつけないと。

BLOOD FROM STONES
テロ・マネー アルカイダの資金ネットワークを追って
著者:ダグラス・ファラー、竹熊誠(訳)、日本経済新聞社・2004年9月発行
2008年11月27日読了

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2008年11月18日 (火)

目撃 アメリカ崩壊

2001年9月11日。あの世界貿易センタービルから、わずか数ブロックしか離れていない自宅の寝室で著者は叩き起こされた。ジャンボ機の衝突した轟音は、ニューヨークの光景を、アメリカ人の意識を、世界情勢を一変させてしまった。
本書は、その後の1週間のニューヨークの動きを観察した詳細なレポートだ。自宅から避難しないと腹をくくり、毎日、現場へ足を運ぶ。一晩たっても燃え続け、巨大な煙を上げるビルの残骸。収まらない粉塵の中、鉄とコンクリートと、人の焼ける臭いを呼吸する。次なるテロ=生物兵器による攻撃の予感に脅えながらも、救急作業に全力を挙げる救急隊員とニューヨーク市民の姿。

著者は問う。
テロの予兆はあった。何故、防ぐことができなかったのか。
1993年のテロ事件の際、逮捕された容疑者は「資金と爆薬が足りなかった」と語った。この失敗を教訓に、アルカイダは入念な準備と資金の準備を行ってきた。1996年から2000年かけて中東の米軍基地、海軍艦艇、アフリカの大使館が攻撃された。これだけの予行演習の後、アメリカの中枢への攻撃が実行に移されたのだ。

ただ1機、おそらくはホワイトハウスを目標とした機体がペンシルバニアに墜落した。3人もしくはそれ以上の勇気ある乗客がテロリストと闘ったことが明らかになった。以前、テレビでもやっていたが、感動的な逸話だ。ただ運命に身を委ねるよりも、闘う勇気。見習いたいものだ。

アラブ系アメリカ人への人種迫害。イスラム原理主義や急進主義から離れ、自由の国にやってきたはずなのに、どうしてこのような目に遭うのか。以前、ロサンゼルスで暴動が発生した際、韓国系の店が集中的に襲撃された。暴力の捌け口はマイノリティになるのか。オバマ氏が大統領に就任することで、このあたりは変わるのであろうか。

目撃 アメリカ崩壊
著者:青木冨貴子、文春新書・2001年11月発行
2008年7月28日読了

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2008年11月16日 (日)

ピエールとリュース

1918年のパリ。ドイツ軍の空襲に脅え、傷つきながらも人々の日々の営みは続く。
群集心理への軽蔑的な反動から、知的・芸術的自我至上主義へ引きこもるフランスの思想界。3ヶ月後の招集を控え、つまらない日常をすごすピエールも、そんな頭でっかちの学生だ。何気なく乗った地下鉄の中で美しい少女を見初める。駅に逃げ込む空襲の被害者たち。リアルな血染めの男。気づけば、彼女の手を握り、彼女もまたピエールの手を握る。
偶然の再会は一気に距離を縮める。裁判所判事の父親を持つ中産階級のピエールは、貧しい生まれ育ちのリュースにのめり込み、憧れていた兄の戦場の華々しい話にも興味を無くす。どうせあと3ヶ月の命。厭世の気分と投げやりなあきらめが、単調な毎日へと彼を誘う。上空の爆撃機のエンジン音と長距離砲の咆哮にさらされながらも、美しい二人だけの世界を満喫し、永遠を願う。

ピエールの悩み。人を人として愛するのか、所有物として愛するのか。自分の属する中産階級のひからびた人間性、戦争への責任。孤独な精神と思想の王国。

リュースの哲学。贋作を描き、金持ち連中に売りつけるのは生活のため。工場でドイツ人を殺戮する砲弾の製造に従事する母親の行為も正しいのだ。「生きるためには何でもする」のだ。

様々な思いを抱く二人を、しかし、サンジェルベ教会にいる二人を、ドイツ軍長距離砲の砲弾は容赦なく貫く。悲しみで物語は幕を閉じる。

小説に添えられた版画が実に良い。フランス語版では、表紙に版画作家のクレジットも明記されているようだ。

PIERRE ET LUCE
ピエールとリュース
著者:ロマン・ロラン、宮本正清(訳)、みすず書房・2006年5月発行
2008年10月28日読了

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2008年11月15日 (土)

漢方小説

タイトルと、南伸坊さんの装画に引かれて購入した。
冒頭から語られるオモシロ人生。自分では認めたくない「失恋による体の変調」の治療のために病院を転々とし、最後にたどり着いた漢方医院。そこの若い先生に憧れを抱き、恋なのか、そうでないのか。31歳アパート独り暮らしの女性脚本家の心は揺れる。

いつもの飲み仲間。自分だけじゃない。ひと癖もふた癖もある彼らにも、深刻な悩みがあることに気づく。新婚半年での離婚、ロマン欠乏症、睡眠薬の大量飲用…。
少し前に"アラフォー"世代が話題となったが、この本は30代の女性の悩みと成長がギュッッと詰められている。

生きる目的ではなく、"真の"生きる目的。それをおぼろげながら理解した主人公は、新たな失恋にも動じない女になった……。

日頃接することのない東洋医学の知識も垣間見れた。韓国の大河ドラマ「ホジュン」の中に出てきた薬草や"気"にまつわるエピソードもあり、それがストーリーに上手くちりばめられ、実に爽快な読後感を味わえた。
第28回すばる文学賞受賞作か、納得。

漢方小説
著者:中島たい子、集英社・2005年1月発行
2008年11月15日読了

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2008年11月14日 (金)

信号機の壊れた「格差社会」

小泉政権下、これまで長い戦後日本社会の中で培われた"必要な"規制までが次々と取り払われ、無法地帯が出現した。その犯人こそ竹中平蔵氏であると断言する佐高氏。
村上ファンド、ライブドア、木村剛等、きな臭い人物・組織の暗躍劇。最後の人物だけが無傷なのは、竹中チームの一員だったからか。この点は強く追求はされない。
なぜ、村上氏や堀江氏が逮捕されたのか。誰から見ても姑息な手段で利益を上げ、非難されこそすれ、制限のかからなかった現実。その原因は、審判の役目を果たすべき組織、公的機関まで民営化=利益追求を至上命題とする民間企業に変化させてしまったことにあると佐高氏は説く。具体的には東京証券取引所だ。
JRも同例に挙げられる。
じゃぁ、旧来の親方日の丸、労働組合まみれの国鉄の体質で良かったかというと、そうではないだろう。あの組織は解体されてしかるべきだったし、民営化されたからこそ、腰が低くなったわけだし。

作家の雨宮氏はフリーター取材を通じ、ごく一般的なサラリーマンが容易にホームレスに転落する様を紹介する。特に地方から大都市に出てきてトヨタ、キャノンの期間従業員として働き、いきなり会社からも寮からも放逐され、途方に暮れる間もなくホームレス生活へ直行する現実。国や地方自治体の冷酷な対応。それならば、とNPOが立ち上げたセーフティネットが紹介される。

規制改革、構造改革が進められた結果、われわれが目にしているのが年収300万円以下の個人が半数を占める格差社会とされる。森岡氏は最低賃金の世界的格差についても説く。EUの最低賃金は1300円台、アメリカのそれは1000円台、日本はなんと600円台だ。1ヶ月働いても月15万円台では、たしかに生活できない。

"名ばかり管理職"、"ホワイトカラーエグゼンプション制度"の話はキツイ。他人事とは思えない過酷な労働環境が身近にあることは用心するべきかな。

佐高氏と森岡氏、恐らくは雨宮氏も強調したいことは、政治の力だ。日本経団連等が政策をまとめ、政治献金を行い、自民党と公明党が実行する。大義名分のための審議会が設置され、国会での議論もそこそこに法案が成立する。野党は遠くから非難するだけで、何の力もない。これが日本政治の現実であり、お寒い限りだ。
民主党が大勝した参議院選挙。これで少し状況が変わった。自民党は「衆参ねじれ」現象を嘆くが、これこそ民意を反映しやすい、民主主義制度の極意とも言うべきものだな。

信号機の壊れた「格差社会」
著者:佐高信、雨宮処凜、森岡孝二、岩波書店・2008年4月発行
2008年11月11日読了

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2008年11月 9日 (日)

ダナエ

ダナエ。それはギリシア神話を題材にを描いたレンブラントの主要作。1985年にエルミタージュ美術館で硫酸をかけられ、頭部等が著しく損傷し、修復後も完全な復元には至っていないという。
表題作は、その彼女の出生と息子、ペルセウスにまつわる逸話が、主人公と親族に絡めて進められる物語だ。古色蒼然とした日本の美術界には相手にされず、海外で有名になって凱旋した主人公は、華々しい出生の階段を駆け上がってゆく。財界大御所の娘との結婚は話題を呼んだのだろう。その主人公唯一の人物画、見る人を震えさせる世紀の作品は、硫酸をかけられてナイフで削られ、二度と再現できないものとなる。犯人からの電話、破綻した私生活、アトリエでの空虚な感覚。離縁した前妻への償いきれない想い……。その若い声をから想像される犯人像と、次の狙いとは……。
表題作の他に「まぼろしの虹」と「水母」の中編3作品が含まれる。著者の古巣である広告業界の逸話も垣間見れて興味深い。

著者の俗世に生きる男の心意気。どの作品の底辺にも流れる、その寂しさ混じりのハードボイルドは、心地よい読後感を味わわせてくれる。本当に、もっと作品を書き続けて欲しかった。

ダナエ
著者:藤原伊織、文藝春秋・2007年1月発行
2008年11月9日読了

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2008年11月 3日 (月)

ジョン・アルパート 戦争の真実を映し出す

誰もが安価なビデオカメラ、それもHD画質で映像を記録できるだけでなく、Youtube等のサイトで自分の作品を世界中に披露できる。WEB2.0を満喫中の2008年から見ると、1970年代に巨大ビデオカメラを抱え、両肩には録画装置と制御装置を抱えて活動したビデオジャーナリストは、遠い存在に映ってしまう。
著者はタクシー運転手時代、待遇の改善を求めて労働組合を結成した。ビデオカメラで実態を記録して労働者の力を結集できたことにより、映像の持つ力を確信した。撮影・編集・報道を一人でこなすビデオジャーナリストの先駆けとして、1970年代よりベトナム、ニカラグア、カンボジア、イラクなど、世界中の戦場にビデオカメラを持って乗り込んだ。

その信念は次の言葉に込められている。
「現場を撮影し、それを持ち帰ってアメリカ人に見せるというのは、ジャーナリストとしての義務であるとともに、アメリカ国民としての義務だと考えている」

戦争についての真実が人々に理解されること、特に世界中で戦争を遂行する能力を備えたアメリカ人にとって重要だ、と著者は説く。
マスコミで報道される「大本営発表」では真実は見えず、当局の隠したがる一面をさらけ出してこそ、軍を送る国民の知る権利が保障される。そう言うことか。

アフガニスタンで続く、テロとの戦い。厳格なイスラム原理主義から解放され、女性たちは教育の機会と外出の自由を取り戻し、映画、読書等の娯楽も解禁された。アメリカによる解放。「これは良い戦争だ」そう思い現地へ赴いた著者は、米軍の爆撃によって全滅の憂き目にあった小さな村-同行者のアフガニスタン系アメリカ人の親戚一同の避難先-の惨状を目の当たりにする。
カンダハルだけでなく、小さな子供や女性ばかりが住む疎開先の小さな村でさえ「疑わしき」は攻撃の対象となる。
「何が行われたのかを、アメリカ人は知らなければならない」
この思いは、われわれグローバル化された世界に住む者にとっても同じである。イラク戦争では通信社、新聞社から選抜された従軍記者が同行し、それなりの報道が行われたが、これは検閲済みのクリーンな報道だ。
たとえばジェシカ・リンチ上等兵の嘘だらけの英雄物語、アブグレイブ捕虜収容所で行われた虐待と人権侵害など、人間性の本質が問われる物事は、これら従軍記者の口から聞かれることはない。

伏せられた事実、公の報道に含まれない物事を知ることで、われわれ一般人の意識レベルも進歩できることを、本書を読んで再認識した。

NHK 未来への提言
ジョン・アルパート 戦争の真実を映し出す
著者:ジョン・アルパート、青木冨貴子、NHK出版・2005年5月発行
2008年10月31日読了

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2008年10月14日 (火)

シュリーマン旅行記 清国・日本

著者は、1870年代にトロイア遺跡を発掘し、「古代への情熱を」著した、あのシュリーマンである。その彼が世界旅行の途中、1865年5月から8月にかけて立ち寄った上海、北京、万里の長城、横浜、江戸を中心とした紀行文が本書である。

明治維新直前の日本の姿。現代日本人の知り得ない江戸期の風俗と生活を詳らかに、まるで眼前に現れるかのように描く筆致はすばらしく、西洋と清国との比較とも相まって、興味深く読み進めた。

浅草寺に関しての記述が面白い。聖域である神社仏閣に群がる土産物屋と雑多な人々の群れだけでなく、仏像の横に掲げられた「おいらん」の肖像画が著者を大いに驚かせたようで、それが彼の日本人観に与えた影響は大きいと思われる。
シュリーマン氏曰く、
「私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである」
その通り! 日本では狭義の宗教心ではなく、広義の道徳心が、"日本人"をかたちづくっているのですよ。

清朝統治時代の怠慢な(習性? それともモンゴル人統治で骨抜きにされた?)シナ人の姿に対し、清潔、金銭に対し潔癖(誰も彼もが賄賂を拒否。労働者も余計な金銭を要求しない)、任務に忠実、整理・整頓を怠らない。木彫り細工、玩具制作などの技能は西洋人を凌駕する等、日本人をベタ誉めなのが嬉しい。

もっとも、"神道と儒教、仏教に支配された"日本人総体が宗教的には否定される。物質文明は西洋に引けを取らないが、"真実の文明の域に達していない"と手厳しい。これが西洋人の主観的な限界か。

La Chine et le Japon au temps present
シュリーマン旅行記 清国・日本
著者:ハインリッヒ・シュリーマン、石井和子(訳)、講談社学術文庫・1998年4月発行
2008年10月14日読了

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2008年10月13日 (月)

藪の中

僕の胸に秘めている言葉がある。
「信ずるは良心、頼るは自分のみ」
誰が言ったか書いたのか、はたまた自分が編み出したのか。いまとなっては分からないが、本作を読んでふと、思い出した。

さて、何度も読んだはずの芥川の超有名作品だ。先日の神戸新聞の恩田睦さんのインタビュー記事で引用されていたので、書棚から引っ張り出してきた。

ひとの本質を抉る短編。最もらしく聞こえる他人の言葉ほど信用ならないものはない。
最後のよりどころを意識しつつ、生きていかねばならぬ。そう言うことだな。

藪の中 芥川龍之介全集第八巻所収
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年6月発行
2008年10月13日読了

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2008年10月12日 (日)

夢十夜

本作は小説というより、短いファンタジーのオムニバス。こころや虞美人草に代表される長編とはかなり印象が異なる。

第三夜が秀逸だ。
「左を見るとさっきの森が、闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ投げかけていた」
背中におぶった我が子が自分の過去だけでなく、これから起こることも予言するかの口をきく。小雨の中の街道で、瞬時に百年前の自らの行為を理解する。小泉八雲、河竹黙阿弥等、日本の伝統文学に散見される因果応報の盲人殺しの物語。

それにしても、イギリスの絵画とキリスト教の伝承(第十夜)、過去の時代の人物との同居(第六夜)、神代の頃の自分の記憶の回想(第五夜)等、これだけバラエティに富んだ話をひとつの作品にまとめる辺り、これもひとつの才能か。

夢十夜 漱石全集第十二巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年12月発行
2008年10月12日読了

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2008年10月 8日 (水)

国家の品格

現在日本を蝕む様々な病理。それは、先進国世界共通のものであり、過去数世紀間の西洋的論理・近代的合理主義を追求した結果の姿である。
何事も論理だけに頼ると、いつか破綻を来す。日本人が本来もっていた情緒と形を取り戻し、自らが範を示すことで、世界から尊敬される存在になろう。

数学等の科学・工学は論理が最重要だ。しかし、一般社会に論理を追求するのは間違いであり、人間性に対する深い洞察力こそ重要である。

なんでもありの自由、前提条件のない民主主義、制約のない平等が、社会に歪みをもたらす。
カルヴァン派の極端な宗教観が、現在の西欧式資本主義の背景となっている。利己的な利潤追求の奨励は社会的問題を解決しないし、「神の見えざる手」はまったくの誤りだ。

悠久の自然と儚い人生。その対比の中に美を発見する感性。この「もののあはれ」の感性は、日本人は鋭い。この自然観こそが神道を生み、特定の宗教に束縛されない日本社会を持続させてきた。

江戸・明治期の識字力の高さ、実益に役立たない教養の豊かさが底力となり、明治維新後の脅威の発展を可能にした。だからこそ、表面的にマネをした諸外国は失敗したのだ。

卑怯を知り、弱者をいたわる精神、すなわち明治初期に西欧諸国から絶賛を浴びた武士道精神こそ、これからの日本人が身につけるべきものだ。

小学生に英語教育や株式教育は必要ない。そんな時間があるなら本を読み、国語の基礎力を徹底的に鍛えるべきであり、それが真の国際人の育成に繋がる。

なるほど、ベストセラーになるのも納得だ。

ただ、疑問に思える記述も散見される。たとえばサラエヴォでフェルデナンド大公が暗殺され、急速に第一次世界大戦に拡大する描写は良いのだが、その一因が「民主主義であるがゆえの主権在民に」よるものであるとされている。さらには「主要国の間にはそもそも領土問題もイデオロギー問題もほとんどなかった。国民が大騒ぎして、外交でおさまりがつかなくなり、大戦争になってしまった」とある。
当時、広義の意味で民主国家と呼べるのは英仏だけであり、オーストリア、ドイツ、ロシアの主権は君主が握っていたはずだ。英仏の国政レベルの議会でさえエリート層支配そのものであり、現在の大衆民主主義とは異なるものだ。当時も議会制度が浸透していたとは言え、この辺は、著者の都合の良い解釈になっていると思う。
(正確さが要求される歴史書ではないし、目くじらを立てることもないのだが。)

「一般国民は成熟した判断ができない」との指摘も、一面ではその通りだと思う。劇場型選挙に目を奪われ、本質的な部分を理解しないまま、選挙戦が繰り広げられる様は、まさしくポピュリズムの典型だ。前回の衆議院"郵政"選挙もそうだったし、ここ数年の米国大統領選挙もモロにあてはまる。日々の勤めに追われる"われわれパンピー"は専門家じゃないんだし、マスコミによる扇情、ネット空間の"勢い"、カリスマ・タレントの"思いつき発言"等に幻惑され、あらぬ方向へ走ることもある。
それでも、国民集団として最終的・大局的な判断を下す能力は失われてはいないと思うし、そうありたいと思うことで、潜在的な判断基準は保たれているはずだ。

素直に飲み込めない点もあったが、内部にエネルギー("その気"ってヤツ)の活性化するのを感じ、満足な読後感を得た。
個々人の品位を回復し、日本人としての矜持を保ち、堂々と世界と渡り合う、か。良し!

国家の品格
著者:藤原正彦、新潮社・2005年11月発行
2008年10月7日読了

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2008年9月14日 (日)

マノン・レスコー

18世紀フランス文学なんて、スタンダールの赤と黒しか記憶にない。
マノン・レスコー。この名前を初めて目にしたのは、篠山城近くの大正ロマン館で買ったメモ帳、竹久夢二が描く「マノン・レスコーの唄」イラストだ。
しばらく買ったことすら忘れていたが、2008年8月24日の神戸新聞「豊かな読書 鴻巣友季子さんの一冊 マノン・レスコー」を目にし、急に読みたくなった。幸い、本棚を漁ると出てきたので、アイスコーヒー片手に重い文学全集を開いた。

マノン。このわがままで贅沢を知り尽くし、それでも男を夢中にさせる女!
貴族の息子である主人公はたちまち恋に溺れ、学業も将来も投げ捨て、移り気な女に夢中になる。犯罪に手を染め、友を裏切り、幾度かの投獄も苦にせず、マノンに夢中だ。
警視総監の言葉がすべてを語る。
「ああ、恋よ、恋よ! おまえはついに思慮分別と和解することはないのか?」
情欲に溺れることを望むのか、名誉の感情を選ぶのか。監獄へ迎えに来た父親の嘆きもむなしく響き、主人公はマノンと数回目の逃亡を図る。

囚人としてアメリカへ送られる主人公とマノン。偽装結婚がばれたあとの転落人生。権力=総督の前に人権の尊厳もむなしく、ただ逃亡の日々。
最愛の人を亡くした主人公は、神との対話を通じて精神を保つ。最後に現れるのが、ただ主人公を捜しに危険を冒し、単身アメリカへ渡ってきた友人であり、すべてを超越した友情が物語を締めくくる。救いようのない人生でも、持つべきものは友、か。

HISTOIRE DU CHEVALIER DES GRIEUX ET DE MANON LESCAUT
マノン・レスコー
(シュヴァリエ・デ・グリュとマノン・レスコーの物語)
著者:アベ・プレヴォ、集英社・1990年9月発行
集英社ギャラリー[世界の文学6] フランスⅠ所収
2008年9月14日読了

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2008年8月30日 (土)

サラリーマンIT道場

語学力、ITリテラシー、論理思考力と構想力に重点を置く教育を進めないと、ただでさえ遅れているネットワーク社会への対応が遅れ、日本が衰亡すると警鐘を鳴らす。
6年前の著書だから技術的内容の古いのは否めないが、企業、社会のIT化に際して指摘された問題は、現在も解決されておらず、大前氏の目は確かだ。
(外国人IT技術者、明治時代の戸籍、等々。)

・ぼんやりネットサーフィンをするのではなく、ネットだけで課題を完遂する(目的を持ってネットに接する)。
・向上心を死ぬまで持つ。
・必要なのはITスキルと英語力と財務力。

お盆休みに旅行したアメリカとカナダでは、英語力の不足をイヤと言うほど味わった。
またITは日本がより進歩しているはずなのに、携帯を持参しなかった自分が「ひどい後進国の人間」に思えて仕方なかった。
(アメリカ人が日常で携帯"情報ツール"を使いこなしている姿を見て、惨めな思いがした。)
まずは携帯を買い替えよう。(いまどきmovaを愛用しているなんて"ありえない……"。)

PATHFINDERⅢ
サラリーマンIT道場
著者:大前研一、小学館・2002年3月発行
2008年8月30日読了

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2008年8月23日 (土)

ウェブ進化論

1990年代後半に盛り上がったIT(情報技術)ではない。
本書はI、インターネットとチープ革命、そしてオープンソースが引き起こす「情報」そのものに関する革命的変化を解説する。特に、物理的なインフラを含め、ネットの「あちら側」に基軸をおいた革新的な企業、グーグルの哲学とその戦略には、本書を読んで舌を巻いた。
「世界中の情報を組織化し、誰からでもアクセス可能にする」ことを実現するため、30万台ものコンピュータシステムを自製し、ネットのあちら側に全ての情報を蓄積し、広告料だけで運営する。そして、ユーザはすべての機能を無料で利用できる。社内のすべての情報が開示された環境で、複数の博士号集団による絶え間ない開発と競争が行われる世界。人間を介在させず、すべてをコンピュータが処理するシステムを目指すテクノロジー集団。
ヤフーや楽天でさえ時代遅れであるような印象を抱く。
「パソコンに情報を記録する」行為すら時代遅れになるのも、すぐ目の前か!

それにしても、この世界の加速はすさまじい。
ブログ、ソーシャルネットワーク……WEB2.0。ウィキペディア、ユーチューブの登場と発展でさえ、もはや驚かなくなってしまった。

そして、総表現社会。何かを表現したいアーティスト予備軍には、無限の可能性が開かれているわけだ。
でも、そんな予備軍も無限に増殖する。ケータ小説のように、同じようなコンテンツとその表現者が無数に存在するわけだから、抜きん出るにはよほどの才能が必要だ。やはり"研ぎ澄まされた感性"と容易にまねのできないアナログ"な"熟練技術"がクローズアップされるんだろうな。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
著者:梅田望夫、ちくま新書・2006年2月発行
2008年8月20日読了

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2008年7月21日 (月)

ヨーロッパとイスラーム世界

中世地中海世界に鼎立したギリシア・東方正教文化圏、アラブ・イスラーム文化圏、ラテン・カトリック文化圏の比較と交流、そして衝突を軸に、異文化の接する地域(スペイン、シチリア)の特異な状況が解説される。ゲルマン民族大移動、フランク帝国、カール大帝など、世界史でお馴染みの言葉が並ぶが、イスラム国家とキリスト教国家の衝突は宗教的なものではなく、むしろ国家間戦争の一環であったとされる。
11世紀、十字軍の遠征が始まると状況は一変し、宗教間戦争の様相が濃厚となる。なかでも、1228年に行われた第五回十字軍の記述が興味を引いた。

第五回十字軍。それは、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世が自らシチリア島へ足を運び、相手側との戦争に依らず二年に及ぶ交渉によって「キリスト教徒とイスラム教徒の平和的共存」と「エルサレムの割譲」を実現した。無論、武力を背景にしての高圧的な態度が予想され、公平でなかったかもしれないが、当時にしては快挙と言えよう。
しかし、肝心のローマ教皇も西洋諸国の貴族・人民は反発した。数年後にこの皇帝が死去した後、ムスリムに対する弾圧が開始された。
わずか10年間の和平合意。
この件を読んで「オスロ合意」の顛末を思い出した。1993年にイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が署名したことにより、一時的な和平が訪れた。だがラビン氏は自国民に暗殺され、アラファト氏もPLOでの覇権を維持するために和平方針を撤回せざるを得なくなった。
粘り強い交渉と勇気、指導者の葛藤と決断がもたらした画期的な和平合意も、それによって存在意義を失う勢力によって"反故"にされるという構図は、700年を経ても変わらないのか。

著者は、数年前に話題をさらったハンチントン氏のベストセラー「文明の衝突」に触れ、そこに描かれた世界は訪れないと言う。なぜなら同書は「国家間戦争」の思考に基づいて論じられたものであり、そもそも「文明」のとらえ方に無理があるとする。
かつて地域と時代に大きな影響を及ぼした文明が存在し、幾多の衝突と融合を繰り返してきた人類社会はグローバル化時代を迎え、ひとつの「現代文明」に収斂しつつある。諸処の要因、すなわち国家・民族・宗教観に基づく紛争は絶えることはないだろうが、少なくとも文明の違い=生活・文化・政治思想=他者の一切を否定しての紛争は起こることはないと説く。

最後に、イスラーム過激派のルーツ=第三次中東戦争のアラブ側の敗北とソ連のアフガニスタン侵攻と、ヨーロッパの中流階級であったムスリムのテロリストへの変貌についての考察が掲げられる。かれらの「二流市民」からの脱却への願望と、テロ組織指導者の巧みな正邪シンプルな価値観への誘いが、アル・カーイダその他の組織を強力なものにしたという。
ヒンドゥー社会の最下層民が、ムスリムまたは仏教徒へ変貌を遂げる事態も、同様の理由(二流市民からの脱却)が存在している。自己実現がかなうポジションへのアイデンティティの組み替えが大きな要素であるならば、そこにテロ抑制の鍵があるように思えてきた。

世界史リブレット58
ヨーロッパとイスラーム世界
著者:高山博、山川出版社・2007年9月発行
2008年7月21日読了

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2008年7月13日 (日)

敗者の勝利

1939年秋の満州国。ソヴィエト・ロシアとの衝突現場を取材するため、哈爾浜(ハルビン)に派遣されたタイ人新聞社特派員。当時の国際情勢を背景に、上海からの船便で出会ったロシア人女性との恋愛と、人生の意味と理想を描く。

外国人の目を通して描かれる哈爾浜の姿は斬新だ。
五国融和のスローガンにほど遠く、その日暮らしを強いられる満州の土民(中国人)。亡命してきた白系ロシア人たちは、売春同然の職に身を落とし、明日におびえて暮らす。貧困に苦しみながらもソヴィエトを告発するある男の姿は、まさにハードボイルドだ。そんな帝政ロシアの残滓を横目に、正統なる新生ソヴィエト国家を代表する赤色ロシア人。そして、最下層でも中流階級の暮らしを満喫し、すべての上に君臨する日本人。

舞台は大連に移り、ヒロインの関与した、ある事件が発生する。大連警察署長(日本人)の紳士的な描写が好感を持てた。驚愕と精一杯の努力と、絶望と……最終局面での勝利。満足感と共に、船は一路、日本の神戸へ向かう。

「人のほうがそれらの仕事や任務を受け入れるように自らを創造し、自ら進んで仕事や任務に就かなければならない。生まれてきた私たち人間にとって、人生の価値は社会の人々のために仕事をして役立つことにある」

男性としての名誉、自分の誇りと社会への奉仕、人生への高い理想と野心、家庭を持つことの意味、社会進出を始めた女性と社会的評価、職業の誇りと女性への愛の狭間に揺れる男の真摯な姿。
いまから65年も前にこんな作品があったとは驚きだ。

小説のかたちを取りながらも、恐らくは著者の実体験をもとにしたと思われるこの作品、政治的・社会的背景の中に自らの営みを溶け込ませ、読者それぞれの"人生の役割"を意識させるあたりに、著者の筆力を感じた。

アジアの現代文芸 THAILAND 13
CHAICHANA KHONG KHON PHAE
敗者の勝利
著者:セーニー・サオワポン、吉岡みね子(訳)、財団法人大同生命国際文化基金・2004年12月発行
2008年7月13日読了

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2008年6月22日 (日)

悩める自衛官

カンボジアPKOへの参加を機に、その任務が変貌した自衛隊。
環境の変化がストレスを生みやすくしたのか、借金といじめを苦にしての自殺は後を絶たず、年に90名もの隊員が自らの命を絶っている。本書は、その背景を探り、自己完結型=閉鎖組織の闇の一端を明らかにする。

モザンビークでの輸送調整(Movement Control)任務のレポートが興味深かった。
危険を承知でPKOへの参加を希望する隊員の心理。それは、自分を犠牲にして過酷な任務を体験してこそ、自衛官として胸を張れるとの思いがあるからであり、戦地が急速に復興する様子を見て感じる貢献への手応えが精神的な支えとなる、か。なるほど。

悩める自衛官 自殺者急増の内幕
著者:三宅勝久、花伝社・2004年9月発行
2008年6月18日読了

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2008年6月15日 (日)

ニューヨーク地下共和国

同時多発テロに過剰に反応し、自らの"力の論理"を振りかざしてアフガニスタン、イラクへ侵攻し、いまなお居座り続ける米国の姿を、中央アジア天然ガス・パイプラインと埋蔵量世界第4位の石油への露骨な執着と利権構造と、ネオコンと大企業の癒着、権力を独占行使する"官"の姿を借りて批判的に描きつつ、自由な一市民の勇気と運命を力強く示した作品だ。

果てしなく続くニューヨークでのテロは治安当局を刺激し、愛国者法による歯止めのない逮捕が続く。自由と民主主義の名のもとに次々と拘束され、言われなき尋問に苦しめられる反戦活動家の姿。かつてのマッカーシズムを凌駕する規模の人権蹂躙が正当化され、社会の崩壊する様子すら垣間見れる。

登場人物の心の動きまで伝わってくるような描写は一級品だし、骨太のストーリーも秀一だ。それだけに、最終段階の謎を残したままの終幕には物足りなさを感じた。

世界一豊かなアメリカでの、黒人の置かれた社会的立場と虐げられた生活と、白人警官の"ニグロ"を見る意識と、手段を問わない権力者の非道な「公務の執行」は、丁寧に描かれる。それは、在日朝鮮・韓国人の置かれた立場を重ね合わせるような、著者の強い問題提起なのだろうか。

ニューヨーク地下共和国 下
著者:梁石日、講談社・2006年9月発行
2008年6月15日読了

ニューヨーク地下共和国 上
著者:梁石日、講談社・2006年9月発行
2008年6月7日読了

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2008年5月20日 (火)

ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く

著者は国連PKO部隊の司令官を務めたカナダ軍人。あの前代未聞の大虐殺劇、ルワンダ大虐殺を察知し、UNAMIR=国連ルワンダ支援団2500名を統率する身として安全保障理事会、国連事務局に状況の打開を訴えるも「価値のないアフリカ」故に無視され、80万人の虐殺を前に無力な日々を強いられたという。帰国後、国際社会の無関心に絶望して自決を図るも一命を取り留め、確固たる正義感に基づく活動を現在も続けている。その強い意志が、東ティモール、シエラレオネで活躍した伊勢崎氏の知性と理念と融合しあい、実に深く強い対談が展開される。
「圧倒される」とは、まさしくこのことだ。

[DDR]
2005年末まで続けられたUNAMSIL=国連シエラレオネ・ミッションは、各軍事派閥組織の非武装化・動員解除と社会復帰プログラムを実践し、新たな軍・警察機構を再編・定着させた。さらに主要産業(ダイヤモンド採掘)の市場と売買ルールを確立するなど、近年に例を見ない大きな成功を収めたPKOだ。その中核事業であるDDRのトップが伊勢崎氏であったことは、同じ日本人として誇りに思った。

DDRは、同じ伊勢崎氏の著書「武装解除」を読んで知った。従来の国家間紛争に代わり、内戦の収束・和平定着が平和維持活動の中心となった現在、小型武器、特に少年兵でも容易に扱えるとされるカラシニコフ小銃の回収と、半ば強制された「兵役」の解除、平和状態への参加のための職業訓練プログラムを一体のものとして進めるDDRは、効果の高い手段に思えた。

[保護する責任]
UNTACの頃からPKO活動には興味があったが、従来のPKOに加えて新しい概念が確立されつつあることを、本書を読んで知った。それが「保護する責任」だ。PKO先進国カナダ政府において研究・提唱された概念であり、ルワンダを経験したダレール氏も、その研究メンバーに名を連ねる。
統治能力の失われた小国においては、反政府勢力との勢力争いに全力を投じ、自国民の保護がないがしろにされがちだ。誰が彼らの人権を護るのか。また国家体制を優先するあまり、人命が軽く扱われることがままある。ウイグル、チベット、チェチェン等が典型だが、当該国は「内政干渉」として他国の意見を封じる傾向がある。この理不尽な「国家主権」に対し、伝統的に国際社会は力を持たないとされてきた。しかし、この新しい概念「保護する責任」は、自国民を保護する能力の欠如、または責任を放棄した国家を前に、国際社会には積極的に人権を保護する責務が生じることを提唱する。
この画期的な概念は、2005年の国連世界サミットで正式に採釈された。ウェストファリア条約以来、絶対的なものとされてきた「国家主権」と「内政不干渉の原則」を凌駕するものであり、国際社会が変わる予感すらある。
このシステムは、ルワンダその他の国における「数百万人レベルの虐殺」を経て成立したものだ。誰かの犠牲の上に何かが変わる構図は、古来から変わらないのか。

[日本の平和維持活動への参加]
アフガニスタンで試行が始まった「地方復興チーム」はこれも新しい試みだが、実は米国とNATOの対立・妥協から生み出されたものらしい。従来のNGOとの軋轢が生じていることも率直に語られる。
湾岸戦争以来、従来の戦争概念では対応できない紛争が続いた結果、政治家、外交官、軍人、専門家を含め、リスクの少ない=効果の低い方法を選択せざるを得ない状況にあり、これを打破する一手段として有望であるとされる。

保護する責任、地方復興チームはP5ではなく、カナダ、ドイツ等の中堅国家こそが主導権を発揮するべき分野であり、日本こそ積極的に参加するべきであるとダレール氏は説く。
対する伊勢崎氏は、先進国と比較しての日本人の「民度」を引き合いに、日本国の国際社会への参加には悲観的、いや絶望的だ。

本文を読み終える前に最終章「インタビューを終えて」に目を通した。伊勢崎氏の迫力ある文章が、僕を震えさせた。そして"PKO記念碑"の件を読み、8月のお盆休みにオタワを訪問することを"即決"した。ついでにニューヨークを再訪し、国連本部と「グランド・ゼロ」を見ることにした。5月11日にチケットは予約済みだ。

NHK 未来への提言
ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く
著者:ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治、NHK出版・2007年9月発行
2008年5月13日読了

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2008年5月 2日 (金)

帝国主義

エリザベス女王のイングランドが始め、クロムウェル寡頭政治が拡大発展(航海条例)させたイギリス帝国。その古き理念の正統な継承者こそ、現代アメリカであることが明快に解き明かされる。
ピューリタンに代わって権力を掌握した国教会。彼らも、かつてのピューリタンと同様、神学者の素朴な愛国主義が、宗教の名のもとに征服戦争を肯定する。ピルグリム・ファーザースの乗り込んだ新世界においても、表象的な民主主義に覆い隠された膨張主義はとどまるところを知らない。西部フロンティア、太平洋、アジア大陸を経済的・政治的に従属させ、次の中東で苦悩している現在のアメリカ合衆国の姿は、かつての帝国主義を彷彿させる。

レーニンは帝国主義の概念を、民族的抑圧、植民地主義、自由帝国主義、剰余価値の移送、の4種類に区分した。
それぞれがローマ等の古代帝国と前近代のハプスブルグ帝国、大英帝国によるインド支配、外国市場をこじ開けるイギリスとアメリカ("黒船")、貿易関係による未発達社会からの収奪を意味する。前の二者はローマや中国の古代帝国に起源を有するものであり、残りの二者は近代西欧諸国に生まれたものだ。

著者はマルサスからホブソン、レーニン、ローザ=ルクセンブルグらの論点を抽出し、重商経済から自由主義経済、その発展型としての保護主義と関係させて、それぞれの時代の帝国主義を論じる。特に近代西欧諸国に生まれた自由帝国主義と剰余価値の移送に関しては、近代帝国がもっぱら「新しい市場」を求めて獰猛に活動した姿が明らかにされる。

それにしても、マルクスの影響は大きい。著者はレーニン主義とそこから離れた毛沢東主義にも触れ、第三世界の経済的発展モデルとして後者が有効であると説く。ただしこれは1980年の話なので、ほとんどアメリカの影響下に置かれた現在の世界情勢にはあてはまらないのかもしれない。

資本の流入が発展途上国に何をもたらしたのか。開発の前提条件としての伝統社会と自給自足経済の崩壊、その更地に建てられた市場向け商業生産の発展は、しかし、その国の富裕層にのみ恩恵をもたらした。そして、開発の是非を問う時間的余裕はなく、列強資本の受け入れを拒んだ途上国は、半永久的に先進国の原料供給地として従属状態に置かれる。一部の資源国や金融で存在感を増すドバイなんかは別として、多くの途上国が置かれている現実=ほとんど見捨てられた現実の姿こそ、特に19世紀後半から20世紀初頭にかけての帝国主義的争奪戦の遺した負の遺産と言えそうだ。

ところで近年、フラット化する世界、と言われるようになった。
旧イギリス帝国によるインドからの、そして旧フランス帝国によるアフリカからの搾取は苛烈なものであった。その一方で、帝国の資本の流入が、わずかながらでも植民地の開発につながり、一部では工業化が根付いた。もちろん他の要因が結びついての結果なのだろうが、長期的に見て、これが21世紀初頭のインドや中国における低賃金知識労働者の出現と、主に英語圏の企業のアウトソーシングの活発化につながった。先進国の失業率の増大だけでなく、「世界的な賃金水準の平準化」=日本を含めた先進国の賃金水準の低下がこれから起こり得るのだろう。
これこそ、過去の帝国支配に対する、歴史からの手痛いシッペ返しなのかもしれない。

現代では、なんでもかんでも「グローバリズム」に括られるが、そんなに簡単なはずがない。人類社会に深く根付いてきた帝国、そして帝国主義。その意味を探求してきた自分にとって、本書との偶然の出会いは幸運だった。
(広島出張の帰りに平和公園を立ち寄る際、降りるバス停を間違え、その停留所の前にある古本屋で見つけたのだ。実に読みにくい本でもあったが。)

IMPERIALISM
帝国主義
著者:ジョージ・リヒトハイム、香西純一(訳)、みすず書房・1980年2月発行
2008年5月1日読了

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2008年4月13日 (日)

灰色の魂

時代は第一次世界大戦、場所はドイツ国境沿いのフランスの田舎町。砲撃戦のあった日には、火薬と死骸の臭いが町に満ちる。出征して"変貌"を遂げて戻ってくる幸運な一部の"負傷者"、棺に入れられる大多数の若者。そんな最前線に近く、それでも工場勤めが優先されて徴兵免除となった大多数の町の男たちは、今日も酒場を練り歩く。
そんな喧噪とは距離を置き、貴族の生活を崩さない鬼の老検事。彼には、結婚して半年で先立たれた若妻がいた。戦中、新たに赴任してきた若い女教師を見て、検事は驚愕し、狼狽し、淡い恋心を抱く。
前線から送られた手紙。女教師の自殺。そして、ある冬の凍てつく朝に起こった<事件>……。
その彼を見つめ続けた「私」のことが、これも亡き妻に語られる古風な小説。優れた文学のみが有する「人間の奥深さ」。フランス文学界でセンセーションを巻き起こしたこともうなずける。

細かな描写と、最終段の「私」の独白は見事。時間はかかったが、フランス長編文学の正当な歴史観とともに、洗練された訳文をじっくりと味わえた。

LES AMES GRISES
灰色の魂
著者:フィリップ・クローデル、高橋啓(訳)、みすず書房・2004年10月発行
2008年3月18日読了

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2008年4月 3日 (木)

大衆消費社会の登場

南北戦争が終わり、19世紀末から20世紀初頭にかけて急速に変貌するアメリカ社会を題材に、中産階級の台頭と、彼らがもたらした初期大衆消費社会の姿を描く。

まず驚いたのは、すでに1920年の時点で、アメリカ合衆国での自動車の普及率が50%を超えていたことだ。西欧でこの数字に達するのは1970年代であり、"車社会アメリカ"を印象づけられた。

19世紀最終期には、酒屋や雑貨屋といった小規模商店と「お得意様」の時代は終わりを告げ、企業広告・商品広告により、消費者と大企業が直接結びつく大量消費社会が到来する。
その原動力となったのが、安価な印刷が可能になったカラーポスターと、従来の高級文芸雑誌に代わる「大衆雑誌」の広範な普及とされる。

一方で、「企業の歯車」と成り果てた中産階級の男たち。彼らは生き甲斐を娯楽に求め、これが映画産業の発展に結びつく。女性の進出はメイドを激減させ、これが若い男女の交際に変貌をもたらした。いまでは信じられないが、19世紀後半まで=ヴィクトリアニズムの時代には、娘の自宅での、親の監視付き交際が当たり前だったそうな。今日の屋外でのデートは、メイドの減少が遠因と、なるほど。

家電製品の普及が女性の家事負担を増加させたのは、何とも皮肉で逆説的だ。また、それが離婚率の上昇をもたらしたのであれば、文明化は万能とは言えないな。

なんかまとまらないが、今日の我々の生活スタイルの原型が、20世紀初頭のアメリカ中産階級にあることは間違いなく、興味深く読むことができた。

世界史リブレット48
大衆消費社会の登場
著者:常松洋、山川出版社・1997年5月発行
2008年4月1日読了

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2008年3月27日 (木)

土の中の子供

他人から見ても"絶望"と呼べる状況にわざと身を置き、その恐怖を底まで体験することに何の意義があるのか?

幼少の体験:生後すぐ親から捨てられ、転々と居候先を替えた主人公。最後に預けられた親戚宅では殴る蹴るの暴行を毎日受け続け、最後は死に至る寸前にまで虐待され、山中に埋められた。親のいない、土の中の子供。
施設生活、登校、生きる意味を見いだせない毎日。それが、恐怖を求め続ける人格を育んだ。
後半、命の危機に遭うことにより、求めていたものは恐怖ではなく、その先の「あるもの」をこそ求めてきたことが、主人公によって自覚される。この辺の描写は見事だ。

個人的には、物語の中盤、初めて自分の意志で積み重ねてきたある行為が、外力によって崩れ落ちる場面が印象に残った。

土の中の子供
著者:中村文則、新潮社・2005年7月発行
2008年3月26日読了

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2008年3月23日 (日)

からくり民主主義

「政府は国民の声に耳を傾けるべきだ」、「国民の声をないがしろにした与党の対応は許し難い」等々、テレビの"ニュースショー"や国会討論等では時折、"国民の声"なるものがキャスターや政治家によって口にされる。
この、言わば"最大公約数"的な漠然としたものは、いっぽうでは"世論"ともされる。

「国民の声」ってのは、いったい誰の声だ?(帯より)

世論、世間、あるいは「みんなの意見」なる漠然とした雰囲気に流されて毎日を送る我々。その正体を追求したのが本書だ。
簡潔に言えば「マスコミに都合の良い意見」が、その時々の「国民の声」になる。そう言うことか。

若狭湾の原子力発電所、沖縄の米軍基地、九州・諫早湾干拓地問題では、マスコミは反対派と賛成派とに分類し、特に「権力に蹂躙される地元住民の意見」なるものをクローズアップする。実際に足を踏み入れた著者によれば、地元住民の意見とは「余所から乗り込んできた活動家の意見」であり、反対派も「裏では賛成」の場合が多い。全員賛成では見返りが得られず、一部の仮面を被った反対派の存在が、地域に莫大な利益を誘導する構図があぶり出される。

「テレビの至上命題は…(略)…CMという四角い看板を茶の間で見せるのが本当の目的なのだから」か、なるほど。

からくり民主主義
著者:高橋秀実、草思社・2002年6月発行
2008年3月4日読了

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2008年3月 2日 (日)

地獄変

一遍の芸術作品を仕上げるため、異常なまでの現実描写へ執着する変わり者の絵師、良秀。
それが地獄絵図となると……。
いまにも火が放たれようとする牛車内に縛られた女は、時の権力者へ奉公に出した愛娘。
あまりの光景に飛び出した一瞬間の親心は、次の瞬間、飽くなき芸術への探求心に閉ざされる。
娘の悶え死ぬ姿を目前に、恍惚とその姿を脳裏に焼き付ける様子は、見る者どもに恐怖を抱かせる。そのなかで只一人、権力者だけが笑みを浮かべている…。
昔読んだ短編を久しぶりに読んでみた。流れるように描く"人の惨さ"は圧巻だった。

地獄変
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年1月発行
[芥川龍之介全集第三巻]所収
2008年3月2日読了

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2008年2月19日 (火)

世界史の中のマイノリティ

前半は近世イスラームの3大帝国、オスマン、サファヴィー、ムガールに生きたユダヤ人、アルメニア人の姿を描く。
ヨーロッパでは迫害の対象として辛酸を舐めた彼らも、イスラーム圏でも同様に少数民族であった。しかし、民族の離散をネットワークとして活かし、一定の地位を築き上げた。
しかし国民国家の時代に移り、取り巻く環境が変わると、少数民族であることが仇となり、ゆっくりと没落してゆく。
後半は現代イスラーム圏におけるマイノリティ集団の事例として、チュニジア領ジェルバ島に生きるユダヤ人共同体の生き方と、共存を可能にしたイスラーム的要素、すなわち、コミュニティの多様な関係を保証したシステムのあり方が考察される。
19世紀に入るとオスマン帝国は国民国家トルコへと向かい、その過程で生じた諸民族の意識が、マイノリティ集団に同質化または退去(排除)を迫るまでになる。
今日も終わらないテロ行為の源に、宗教ではなく、異なる民族・社会集団を保護するシステムの崩壊がある。そう思えた。

世界史リブレット53
世界史の中のマイノリティ
著者:田村愛理、山川出版社・1996年12月発行
2008年2月19日読了

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2008年2月12日 (火)

イスラームの生活と技術

製紙法を取得したことにより、コーランと科学技術が普及・発展する様子が俯瞰される。また、製糖法の技術がイスラム教徒の手によって中国、ウズベキスタン、イラク、エジプト、西アフリカを経てヨーロッパへ伝達される様子は、キリスト教徒による東インド諸国のプランテーション化、紅茶文化の発展と合わせて興味深い。カフワ=コーヒーを飲む習慣もイスラムの地、アラビア半島のモハ(モカ)から伝搬し、現代社会まで続いている、か。

9世紀頃のイスラーム世界。アラビア語と紙、それに0の概念を含むアラビア数字が、ヨーロッパに先行して科学技術を発展させる原動力となったこと、濃い黒インクで書かれた美しいアラビア文字は、より多く神の心にかなうものとされ、この精神がアラビア書道を生み、クーフィー体などの様々な書体が生まれたこと等、興味深い内容が多い一冊だった。

中世イスラム商人の栄華も、スペイン・ポルトガルによるインド航路の発見、すなわち大航海時代の始まりによって淘汰されてゆく。もちろん、彼らは手をこまねいているわけではなく、工夫を凝らして挽回を試みるが、特産品である砂糖と故障の専売化=国策によって急速に廃れてゆく様はわびしいものがある。大商人、類い希なる大金持ちといえども、君主の舌先ひとつで運命を翻弄されるのか……。

世界史リブレット17
イスラームの生活と技術
著者:佐藤次高、山川出版社・1999年1月発行
2008年1月23日読了

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2008年2月 9日 (土)

イスラーム世界の危機と改革

中東を中心とする現代イスラーム世界の混乱と紛争は、何も宗教対立が原因ではなく、近代、特に19世紀以降の西洋諸国による介入とオスマン帝国の分割が原因であると解説される。
明治維新の少し前、1830年代のオスマントルコの改革は、軍制度の近代化、官僚制度の整備が中心となって進められるも、列強の進出を機会に地方勢力が独立志向を高めたことは、帝国の瓦解を加速した。また、資本制度の導入、鉄道網の整備は、それ自体がイギリスの勢力を深めるものになるとは理解し得なかったのだろうか。結局は財政が破綻し、列強の支配下に置かれることになるとは。
日本も一歩誤れば、同じ運命だったと思うと、先人の英知にただ感謝するばかりだ。

近代化のためのイスラーム改革運動は、その揺り戻しを内包しながらも発展するが、その成果のひとつが、イラン革命につながる「法学者の統治」理論であったことは、西欧社会へのしっぺ返しとも言えよう。

オスマン帝国の一部なるも事実上の独立国であったエジプト。かの国も近代化に乗り出すが、やはり財政が破綻し、棉花栽培への特化=モノカルチャー化への道を歩む。雄大な歴史を有するエジプトは、単なる原料供給地として大英帝国に従属するに至った。そしてこれが、ムガール帝国=インドの綿手工業者を死の淵に追いやることになる。グローバル化は当時から始まっており、いつも弱いものが泣かされる、か。

その他、オスマン帝国の歴史は、当時にあって突出したコスモポリタン的性格を有する中央権力=イスタンブールを中心とし、地方の有力者との権力のせめぎ合いを続けてきた帝国であったこと、アラビア語には住民の帰属を示す5種類の言葉があり、血縁・言語、地縁、宗教・宗派、政治単位、心理的な人間集団によってアラブ人を中心とするイスラーム世界のアイデンティティが形成されてきたことなど、日頃接することのないイスラム社会に関する知識を深めることができた。

世界史リブレット37
イスラーム世界の危機と改革
著者:加藤博、山川出版社・1997年3月発行
2008年2月4日読了

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2008年2月 8日 (金)

大阪破産

橋下氏が大阪府知事に就任して、はや3日だ。財政の立て直し、第三セクター、関連組織の売却等、話題には事欠かない。以前から大阪府と大阪市の杜撰な運営と職員の好待遇が問題とされていたが、その実態を以前に購入した本書で確認した。

大阪市を中心とした記述だが、カラ残業、怒りが沸き上がる「各種手当て」、既得権益を手放すのに抵抗する職員たち……もはや特権貴族のようにしか見えない。そのくせ、情報公開レベルの低さ、突出した無責任さが目立つ。

収益の95%以上を大阪市からの委託=丸投げに頼る外郭団体。なんと職員の90%が大阪市職員のOBであり、その癒着度の高さは、まさしく公正さが欠けている。ほとんど座っているだけでバカ高い給料が入ってくる仕組みにも呆れるばかりだ。
それにしても大阪市。中央省庁との人事交流が無いとは知らなかった。労働組合幹部と市長と与党会派の三頭政治が平然とまかり通るのも不思議ではないな。

鳴り物入りで建築された超高層ビル、WTCコスモタワー=世界貿易センター。その入居者は「貿易」とも「国際企業」とも関係のない水道局や建設局が8割を占め、実態は「大阪市第二庁舎」か。もはや「お笑い」だが、それで済まされないのは、1193億円もの建築費が費やされ、毎年数十億円の赤字を垂れ流しているからだ。
フェスティバルゲート、アジア太平洋トレードセンターなどの散々たるハコモノも、同じような状況だ。

「先見性」と勘違いした希望的観測と趣味的要素、そして甘い甘い採算性とが公共事業に結びついた結果が、この有様か。
莫大な借金を解消する魔法はなく、地道に返済するしかないんだろう。

で、兵庫県は大丈夫なんだろうか?

大阪破産 Osaka Bankrupts
著者:吉富有治、光文社・2005年10月発行
2008年2月8日読了

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2008年2月 7日 (木)

八月の路上に捨てる

正直、最初の数ページで違和感を感じた。いわゆる「神の視点」と第一人称の混在を感じたからだ。だが読み進めると、自然に世界に引き込まれた。
けむりづめ、醤油差しの注ぎ口など、小道具的キーワードの配置が巧みだ。
8月の最終日、主人公は清涼飲料水を自動販売機に詰めて回る。アルバイトだから正社員の女性ドライバーと一緒だ。その半日で、「心の病」を持つ妻との離婚話が語られる。明日の離婚日を控えての回想は淡々と続く。その日を境に異動する女性ドライバーの反応はドライで、クールで。
弱いものが持つ、元気。
第135回芥川賞受賞作か、なるほどなァ。
受賞第一作の短編「貝からみる風景」も同時収録だ。

八月の路上に捨てる
著者:伊藤たかみ、文藝春秋・2006年8月発行
2008年2月6日読了

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2007年11月23日 (金)

地球市民社会の最前線

日本で"市民"と言えば、地方自治体の行政単位である市役所が所掌するところの住民を指すのが一般的であり、欧米諸国と比べて"独立した個人"としての概念は低い。また、マスコミの報じる"市民団体"は、反政府活動家、それも反社会的行為を潜めたイメージさえ帯びているように思う。
グローバル化以前、国際社会のアクターは国家と一部の多国籍企業であり、個人または個人集団としての社会的活動は限られていた。だが、NGO・NPO活動に代表されるように、目的を有する近年の個人集団の存在が年々重みを増し、現在では、公的性格を有する"市民社会"として認知されてきたと思う。
本書は、世界的規模で活動するNGOの活動を紹介し、一般市民が社会運営に参画することの意義を説く。

ユーゴ戦争被害者の遺体を一体ずつ掘り起こし、医学的知識と科学的知見をから身元確認を行う「人権のための医師の会」のメンバーは語る。
「行方不明だった家族の"死亡"が確認されても、生き残った家族は真実を知ることによって、人生を歩み続けられる」

世界地雷除去キャンペーン。故・ダイアナ妃も参加したこの活動も、もう日本では関心の対象から外れたようだが、現在も精力的に活動し続けている。本書では、スリランカとネパールにおける国際NGOの活動が、地元警察・軍関係者・政治家との協議、反政府武装組織との対話等による地道だが綿密に計画された取り組みとして、「地雷廃絶日本キャンペーン」代表である著者自身の体験から語られる。これは圧巻だ。

市民社会活発化の要素としては、一般的にインターネットの普及が挙げられる。著者は、国際航空運賃の低価格化と入国ヴィザの緩和、それに国際機関、財団の資金援助の拡大を理由として挙げる。環境問題への取り組みも、その恩恵を受けているのだろう。
「高い関心を持ち、厳しい目を持つ市民は健全な民主主義に不可欠である」(第四回汎欧州環境閣僚会議の閣僚宣言)

最後は、グローバリゼーションの進化の潮流について。
新自由主義者=市場原理信奉者の推し進める経済政策は、潜在的に一般市民の生活に被害を及ぼす可能性がある。国内政治で為政者を選ぶように、経済面での選択肢が無いことに市民社会が不満を抱きつつあるとされる。
「反グローバリゼーションが提起している問題は、市民生活を直撃する可能性のあるテーマについて、市民の意見が反映されるような民主的決定過程が欠如していることだろう」
グローバリゼーションの長所と短所を見極め、その恩恵を多くの人が享受できる市場経済と、プロセスへの参加が保証された政治体制が求められる、か。なるほどなぁ。

<新世界事情> 地球市民社会の最前線 NGO・NPOへの招待
著者:目加田説子、岩波書店・2004年11月発行
2007年11月22日読了

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2007年11月20日 (火)

座右の諭吉

明治初期、民間人でありながら、独自の方法で文明開化後の日本を近代社会へと導いた「1万円札の人」、福沢諭吉。高等教育、銀行、新聞社をはじめ、現代の平成日本の礎を築いたと言っても過言ではないだろう。
その著書「福翁自伝」を中心に、彼の精神力とポリシーを読み解き、我々の人生に生かしてくれるのが、本書だ。

「独立の章」と「修行の章」では……
・「世間に無頓着」でも「世界の情勢」には無頓着であってはならず、時代の動きをイメージして行動を起こすべし。
・多忙な日常から経験知だけを積み上げ、ネガティブなストレスはキッパリと捨て去る、余裕を確保することで、精神的な病から遠ざかることができる。
・悩むことに時間をかけるのは無駄。それよりも読書と勉強で理解力を深め、経験値を増やせば、思考を複雑化できる。
・独立の気力が無ければ人を頼り、媚びへつらう。そのような依存心は払拭し、自ら率先して事を成すべし。
これらの気質を保持して実践してきたのが、戦後日本を牽引した本田宗一郎、松下幸之助などの優れた経営者であり、現代のIT長者、優れたスポーツ選手にも通じるところがあると著者はいう。
また、読書についても、人間的魅力をつくる上で極めて重要とする。ネット時代における読書の有効性も解き明かされる。

「出世の章」と「事業の章」では、より実践的な教えが開陳される。
・「才能が重要ではない。決断を積み重ね、現実を切り開いてゆくことが大事」で、その積み重ねの中で決断スピードもアップする。
福沢諭吉が留意していたのは「リスクには敏感でいながら細かなことには動じない強靱さ」か。
なるほどなぁ。
(福沢諭吉のスゴサがわかったような気がした。丸善の創設者でもあったのか……)

最後に、パブリック意識と「ミッション」の考え方には共感した。内容は割愛するが、これは会社組織についてもそうだし、個人についても言える。
何度も読み返したい1冊。しばらく机上に置いておこう。

座右の諭吉 才能より決断
著者:齋藤孝、光文社・2004年11月発行
2007年9月25日読了

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2007年11月18日 (日)

審判

肥大化する公務員組織は、必要のない仕事をひねり出しては、自己存在の正当性を主張する。いつの時代、どの国でも見られる光景だ。だが、それが市民に害を及ぼすとしたら……。

カフカの三大長編の一つ、審判を久しぶりに読んだ。
高層アパートに住む銀行員、ヨーゼフ・K。若干30歳ながら、類い希な才覚によって支店長の要職にのし上がった彼は、ある朝突然、寝室で逮捕される。
身に覚えのないところで起訴されているという。奇妙なことに、身柄を拘束されるわけでなく、これまで通りの生活に支障も無く、月に1~2回の公判への出頭のみが命ぜられた。
最初の日曜日、9時に裁判所を訪ねたKは、そこが高層住宅の一部であり、裁判所職員の一住居を間借りした臨時の法廷であることを知る。
驚愕は続く。裁判官と下級判事専属の肖像画描き、画家にまとわりつく幼い姉妹、おびただしい数の事務員、彼らすべてが裁判所の関係者だという。さらに、弁護士と裁判所職員のもたれあい、クライアントであるはずの被告人を奴隷のように扱う弁護士、何年待っても進展しない、気まぐれな裁判システム……。
Kは最初は突き放す。やがて一族がかかわり、職場でも周知の事実となり、肉体的、精神的に裁判に深く巻き込まれてゆく。
相変わらずの怠慢な裁判は続く。だが気まぐれか、必然か。その「仕事が完遂」されるため、ちょうど1年後の同じ日に、ヨーゼフ・Kは処刑されねばならなかった。

身近に突然起こる恐怖の光景。ある意味、全体主義のこれは、ドイツ的、あるいは、ゲルマン気質と呼べなくもないだろう。

自己増殖する官僚機構に制動をかけ、適正な姿に戻すのは政治家の責務であり、ひいては為政者を選択する国民・市民の義務でもある。
公務員は必要だろう。だが、公的機関としての役割が低下したのなら、その組織も縮小すればよい。公的組織の必要性を強調するのなら、非営利団体NPOが十分、その役目を果たすだろう。

どこの自治体も、膨大な赤字財政を放置・先送りし、破綻直前になってやっと「行革」らしきものを立ち上げる。兵庫県もそうだ。
今朝(2007年11月18日)の神戸新聞によると、兵庫県「県職員文化祭」なるイベントが、神戸国際会館を借り切って開催されたそうな。
これは兵庫県庁の職員と家族、OBだけが参加できるイベントだ。主催は職員互助会らしいが、その予算1,200万円の半分、実に600万円もの税金が投入されたという。残る600万円は県からの補助らしいが、それも我々の税金だろうが。
賃料もバカにならない「こくさいホール」では、職員によるダンスやバンド演奏が披露されたという。(まさか、仕事そっちのけで練習してたんじゃないだろうね?)
一般の県民にはサービス低下、各種補助金削減という痛みを強いておいて、バカ高い報酬を得る自分たちだけで、ノホホンとお祭りを愉しむのだ。その「まるで特権階級のサロンを思わせる」閉鎖的なお祭りに、われわれの血税が惜しみなく投入されるのだ!

なになに? 「中止も検討されたが、やむを得ず開催した」だって? 楽しみにしている職員が多く忍びない? 1年かけて準備してきたサークルの努力を無駄にしないため? そんなん、知るか!
う~ん。現代日本もある意味、カフカ的世界だなぁ……。

Der Process
審判(カフカ小説全集2)
著者:フランツ・カフカ、池内紀、白水社・2001年1月発行
2007年11月11日読了

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2007年11月17日 (土)

ワーキングプア

豊かさを誇る日本。その景気はバブル時代を超え、自動車産業では「トヨタが世界一に君臨する日」も近いとされる。
本書は、その中の闇、すなわち「豊かさの中の貧困」にスポットを当て、日本社会に警鐘を鳴らす。

ワーキングプア。この言葉の意味するところは正直、次のようなものだと漠然と思っていた。
「自分探し? 自分らしさを求めてのモラトリアム? ふざけるな! こっちは21歳から命を削り、ときには午前様で働いてるんだ」
「日本社会の表面的な豊かさ、つまりバブルの残滓と円高デフレに便乗し、社会を舐めて働かなかった奴らがいる。怠け者のそいつらが年齢を重ね、周りとの格差を意識し始めただけのことだろう? 自業自得だ、ざまぁみろ」
「そりゃぁ、まじめに働いても収入が少ない人もいるんだろうけど、それは例外だ……」
本書は、そんな浅はかな思いを吹き飛ばし、衝撃を与えてくれた。「働かない」のではなく、本当に「仕事がない」現実を知った。

「田舎は捨てられちょる。都会なば、ちぃとずつ、良くなってきちょるが、田舎はだめだ。捨てられちょる」
海外移転した大工場。病気の母と暮らす30歳の女性社員は転勤よりも退職を選ぶが、アルバイト求人すらない田舎の現実は、想像を超えて凄惨だ。失業保険の期限切れが迫る中、その母親の落ち着いた、しかし悲痛な叫びが胸を打った。

「お金を持つ人間と持たない人間は、そもそも住む世界が違う。競争も、それぞれの中でしか行われない。自分は現実を受け入れて、この世界で頑張るしかない」
家の事情で進学できず、高校卒業後もアルバイトを続けてきた若者。30歳を過ぎると状況は一変し、日々の食料費さえ欠くことになる。このまま路上生活を続けるしかないのか。

「家があれば生活保護が受けられねぇって言うんだべよ。したら、仕方ねぇ。貧乏人は死ぬしかねえべ」
仕立屋として30年以上の職人人生を生き抜いてきた。地方の崩壊とデフレ経済に巻き込まれ、その結果が「年収20万円」の極貧生活だとは! 妻の介護の負担が重くのしかかり、食費を切り詰めて必死に耐える老人の姿は、涙なしでは語れない。そして、官僚の自己満足のための作文「医療制度改悪」が、ギリギリの生活を営む市井の善良な老人を追い詰める……。

「農業は、もうダメだ。やっていけねぇもの。食べていけねぇもの」
作業場で働く60歳代の夫婦。早朝から深夜まで米を作り、漬け物を作って売る毎日。年中休まずに丹誠込めて田畑を耕し、農作物を世に送り出しても、赤字になるだけ。これが日本の米所、秋田県の現実なのか。
「働いても『給料が安い』なんて愚痴を言っている都会の会社員は、信じられないかもしれないが、『給料をもらえるだけマシ』なのである」か……

他にも「死ぬまで働かざるをえない」老人の哀れな末路、安価な中国製品との競争を強いられるだけでなく、日本製品を作る「時給200円の中国人研修員」に苦しめられる中小零細企業の叫び、家庭環境から、余裕のない生活に追い詰められる子供たちの姿など、深刻な現実が明らかにされる。

最後に、自己責任について。
「大丈夫というか、やるしかないですよね……。大丈夫じゃなくてもやり通さなきゃいけない……」
「あと10年頑張れば、自分の体がボロボロになっても、子供たちは巣立つと思うので、あと10年、自分がどう頑張れるか……どう生きれるか……私が果たさなきゃいけない責任……」
二人の子供を抱える母子家庭の母親は、昼夜のダブルワークで睡眠時間は4時間。児童扶養手当で何とか生き延びてきた家庭を、「児童扶養手当改定法」が容赦なく襲う。国は「自主」「自助努力」「自己責任」を合い言葉に、ほとんど中身のない支援策でごまかすばかりだ。資格を取るための支援策らしいが、そんな時間と学費を用意できる母子家庭が、どこにいるのか? 彼女は力なく語る。
「勉強したくてもできない……。それを簡単に『自助努力』の放棄と言われても……。こうやって生活している私たちは、『自助努力が足らない』ことになるのでしょうか……」
そんなこと、いったい誰が言えるのか?

仕事への「誇り」、人間としての「誇り」が奪われている、か。
本当、久しぶりの快作に出会った。
偶然の成り行きでこのブログを読んでくださった皆さんにも、是非、読んでいただきたいのです。

ワーキングプア 日本を蝕む病
著者:NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班、ポプラ社・2007年6月発行
2007年11月15日読了

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2007年10月28日 (日)

パイドロス

紀元前五世紀のアテナイに住む若き知識人、パイドロス。当時の売れっ子文筆家、リュシアスの自宅で新作を直に聴いて興奮収まらぬ彼は、帰路、日課の散歩を愉しむソクラテスと出会い、早速披露する。「人は自分を恋する者ではなく、恋さない者をこそ恋するべし」との主題で書かれた文章だが、これを聴いたソクラテスは……。

プラトン初期の対話編。恋(エロース)に対する人間の見方と"神の目"を通じての見方を導入部に、、魂の状態がどう影響するのか、真実と真実らしきこと、表面的な技術と"本質を理解した"技術の違い、単なる文人と哲人の差異等が語られる。
恋と弁論術の根幹は実は同じ=哲学的なものであり、表面的かつ人間的な見方と、神と向き合った自分の目を通じた真の見方との違いが、論理的に述べられる。
魂の大宇宙への旅路と、人間の肉体との関わり等の辺りには、キリスト教以前、古代ギリシャのオルペウス教の影響が垣間見られるそうだ。(宗教そのものの記録は少なく、プラトンら古代人著作の中に現れる中から類推するしかないそうだ。)

ΦΑΙΔΡΟΣ(Phaidros)
パイドロス
著者:プラトン、藤沢令夫(訳)、岩波書店・1967年1月発行
2007年10月14日読了

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2007年9月24日 (月)

ヴェネツィア客死

主人公アシェンバッハは国民的大作家。その生活は堅実そのもの、その作風は謹厳にして実直、青年の人生の模範と称される。50歳に貴族に除せられた後も、ミュンヒェンの自宅に籠もり、創作活動に専念する日々を送っていた。ふとした転機にて訪れたヴェネツィアの海岸にて、アシェンバッハは、ポーランド人の美少年の虜になる。
老ソクラテスが美青年、パイドロスに抱いた感情に重ね合わせ、アシェンバッハの情念は日々高まる。欲望が理念を殺した瞬間、それはコレラ感染の危険を顧みず、波乱の中へ自らを投じるのであった。
明日にも自らの身に起こりそうな、人生が瓦解する描写。
高い精神性が情欲に足を踏み入れると、抜け出せなくなる様子は、欲望の対照を現代の歓楽に置換すると、深い意味を持つと思う。

DER TOD IN VENEDIS
ヴェネツィア客死
著者:トーマス・マン、集英社・1990年11月発行
集英社ギャラリー[世界の文学11] ドイツⅡ所収
2007年9月24日読了

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2007年9月16日 (日)

胡錦濤の反日行動計画

江沢民に代わり、手を振り笑顔を振りまく新世代の最高指導者が登場した。新世紀に相応しいフレッシュな政策により、国際社会に適合した中国に生まれ変わるのでは? 「日中友好」を絶叫する日本のマスコミ報道を鵜呑みにすると、そのようなイメージを刷り込まれてしまう。
20年前の胡錦濤へのインタビュー経験を持つ著者は、表面的な姿勢に騙されてはならないと警鐘を鳴らす。

日本では決して報じられないが、史上かつて無い言論弾圧が吹き荒れる中国。外国人記者の拘束も日常茶飯と化し、インターネットへのアクセスも軍が監視している。「ある日突然連行される」のでは、北朝鮮や戦前の日本と同じではないのか。

過去の日本の戦争行為を断罪することは、国民の不満を外に向けるだけでなく、日本の技術と資金を自国の経済発展に寄与させるための、打出の小槌となる。おしとやかな日本国民に罪の意識を喚起させ、親中国派の勢力増強を図る。

アメリカ世論に日本の悪イメージを定着させ、議会には猛烈なロビー活動を行い、日本の立場を悪化させる。

核弾頭の照準を日本に合わせたまま、社会民主主義勢力と共謀して、日本の軍国主義化を批判する。その間に空母と原潜を保有する等、海軍力を飛躍的に向上させ、インドネシア等に原潜基地を確保し、シーレーンの制海権を狙う。

宇宙の平和利用を唱いながら、米国を標的とした人工衛星の攻撃実験、偵察衛星の準備を着実に進めつつある。確かに、有人宇宙飛行は快挙ではあるが、その目的には疑問がつきまとう。
かの国は、近年中に有人月面着陸を目指すという。月面に翻る五星紅旗。「月面の中国領有」が宣言しても、僕は驚かない。

国民生活のためのインフラは疎かにしながら、軍事力の膨張を続ける中国。その先には何があるのだろうか。
北京オリンピックに目を眩まされるのでなく、慎重に見るようにしたい。

胡錦濤の反日行動計画
著者:浜田和幸、祥伝社・2005年9月発行
2007年9月15日読了

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2007年9月 9日 (日)

月のしずく

中年男の哀愁を赤裸々に描く表題作から「浅田次郎世界」に招き入れられた。初めての「彼」から離れられない妻と夫の長年の苦悩と解放劇、自分を捨てた母の最後の言葉がトラウマとなり、その後の人生を束縛されてきた女、生活を打破すべく据えた新たな志と、愛すべき女との狭間に揺れる青年心理など、生きることの切なさが光る七遍。
個人的には「ピエタ」が強く印象に残った。
北京、パリ、ローマ、戦後東京の下町、と舞台も多彩。数年後に読み返したい一冊となった。

月のしずく
著者:浅田次郎、文藝春秋・1997年10月発行
2007年9月7日読了

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2007年9月 2日 (日)

帝国

2007年9月時点において、国連加盟国は192を数える。そのうち150ヶ国以上が、二〇世紀中葉まで存在した帝国の支配下にあった。前世紀の残滓を払拭した現在でさえ、グローバル経済体制に従属しているのが実態だ。
帝国、そして帝国主義。それは突如、消えたのか。否、姿形を変えて存続しているのか?
本書は、有史以来の歴史を俯瞰し、現代まで連綿と続く東西の帝国の意味を概観する。

帝国主義。それは他国民を従属させ、収奪する行為であるがゆえに、必ずしも好意的にはとらえられない。それが現代日本人の感覚であり、おそらく世界共通の認識なのだろう。だが19世紀後半の帝国主義の時代は「植民者こそが英雄」であり、原住民を文明化する使命を担う正しき行為とされていた。大日本帝国もまたしかり。朝鮮半島、中国大陸、東南アジア諸国へ侵攻するのに、これ以上の大義名分はなかった。しかし、1930年代になると欧米で帝国主義への疑問が生じ、日本だけが時代の後追いを続けていたことは悲劇でもあったが。

遠くローマの時代から、帝国の中枢に位置する者にとって「野蛮人を文明化すること」は自分たちに課せられた使命だと信じる傾向があった。それは宗教、特にキリスト教とイスラム教の使命感と混淆したためである。(だから、同様の帝国である古代中国には、周縁国家に対する文明化の意図は生じなかったのだろう。)
しかし、支配される側にとっては、帝国主義は収奪そのものである。
「人住まぬ荒野をつくって、それを平和と呼ぶ」
我々が信奉する基本的人権、民主主義の概念、そして国際法。これらでさえ"帝国の遺産"であり、西洋の価値観の押しつけだとする論調すら見受けられる。

現在、帝国と呼べるのはアメリカだけとされる。直接的な植民地政策を行使しないものの、地域の支配体制を通じて経済と外交、ときには文化を間接支配し、利益が驚かされるときには軍事的手段を用いて「あるべき姿」に矯正する。その意味では、新しい世界帝国とも言える。
長期的にはどうなるのか? 伝統的なヨーロッパ文化と異なる、より民衆的なアメリカの価値観が普遍化し、一方で各国・地域の伝統文化・人生観と混じり合い、かつてのローマ帝国とも異なる「緩やかに統合された世界」が大きな趨勢になるのだろうか。

2007年10月からTV放映が始まる「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」が、上に述べた世界観に近いようだ。このアニメの舞台、すなわち石油資源の枯渇した西暦2300年の世界は、アメリカを中心とした陣営(日本も参加)、中国・ロシア・インドを中心とした陣営、アフリカを支配下に置く欧州連合の3極が太陽エネルギーを奪い合い、中東・東南アジア・アフリカの貧困国からなる「見捨てられた世界」はテロに専従するという、ありうるリアル未来図を予想させてくれる。(日本がアングロサクソンに占領されて全てを奪われる、コードギアスの世界観よりは救われる。)

……脱線が長すぎた。
個人的には、近代の典型的な陸上型帝国である、オーストリア=ハンガリー帝国の姿が印象に残った。多民族にして民主的な帝国を建設するという、どう考えても無理がある政策を実践し、ある程度まで成功させた(当時は大英帝国もフランスも、少しでも民主的権利を植民地に与えてはいなかった)。その画期的かつ穏和な方針が、かえって民族闘争に拍車をかけ、帝国の解体を加速させたのは皮肉だったと言える。

EMPIRE : A Very Short Introduction
帝国
著者:スティーブン・ハウ、見市雅俊(訳)、岩波書店・2003年12月発行
2007年8月29日読了

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2007年8月18日 (土)

テロリズム その論理と実態

テロリズム。今日のマスメディア報道でその言葉が使われない日は無いと言って良い。では、テロリズムとは何か? 本書は、その漠然とした疑問に明快な答えを示す。

それは、一般市民を標的とし、政治的目的をもって行使される暴力または脅迫である。

よって警察や軍に対する暴力行為はテロではないし、無論、非暴力的なデモ行進やストライキは含まれない。ゲリラ活動でさえ、一般市民を標的にしない限り、テロ行為には含まれない。

テロにも種類があり、大きくは民族集団や宗教集団等によるものと、国家によるものの2種類に分類される。
国家テロ対国家テロとして、インド対パキスタンの例が挙げられる。国家成立の過程で数千万の人々が絶命し、その後もヒンドゥー、ムスリム、スィークの対立が続く中、双方の国家は代理テロリストを支援し続ける。
一方、イスラエルとパレスチナの対決は、国家テロ対民族集団によるテロとして挙げられる。
イスラエル国家は、かつての宗主国であるイギリス市民に対する大規模なテロ活動と、土着のパレスチナ人から土地を奪うための大量虐殺行為によって成立した。
現在のパレスチナ人に対するイスラエルの暴力は、すでに国家防衛のための合法的な活動を逸脱し、自国民に対する国家テロ以外の何ものでもない。だがイスラエル政府にとって、「ホロコーストを引き起こした無防備なユダヤ人の状態」を引き起こさないためには、筆よな行為なのだ。
多くのパレスチナ人にとって自国政府は「略奪者」以外の何者でもなく、ユダヤ人に対する攻撃は、全く正当な行為とされる。相容れない主張は、未来に渡ってテロリストを育む。

テロと対テロ戦争は、民主政治にどのような影響を及ぼすのだろうか? これが本書の主題であり、短期的には、先進国では自国民の政治的権利の縮小が促進され、独裁色の残る途上国では「人権」そのものの消滅につながることが示される……。
この「民主主義の新しい概念」を否定しつつ、テロ行為そのものを抑制(無くならない)するために、どうするのか? テロリストを戦士としてではなく「卑劣な犯罪者」として扱い、テロ後に軍事報復(リ・アクション)ではなく、経済的・政治外交的手段によって彼らの不満を和らげること(プリ・アクション)が、解決策として提示される。
「社会改革」と「真の民主主義」を進めることが。テロ、対テロ戦争による暴力の連鎖を崩す。そういうことだろう。

冒頭に、テロリズムの定義が本書に明快に示されると書いた。これによると、国家間戦争はテロ行為に含まれないことになる。政府対政府の戦いであり、互いの正規軍が対峙する「19世紀までの伝統的な戦争」は、その通りなのだろう。
では20世紀型の戦争、すなわち総力戦はどうなのか。
大量破壊兵器を持ち出すまでもなく、都市に対する絨毯爆撃、ゲリラ組織を壊滅させるための農村の破壊、数千人に上る一般市民の「やむを得ない犠牲」とは何なのか? これこそ、国家テロの最大限の行使ではないのか?
著者の視点が欠けているとは思えないが、なんら説明されていないのが残念だ。

the NO-NONSENSE guide to TERRORISM
テロリズム その論理と実態
著者:ジョナサン・バーカー、麻生えりか(訳)、青土社・2004年12月発行
2007年8月17日読了

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2007年7月16日 (月)

聖典「クルアーン」の思想

イスラム教徒の思想の基底に深く組み込まれ、生活そのものの規範ともなっている経典、クルアーン。それは、単に読まれるに非ず。日常的に読誦されるべきものであり、ユダヤ教、キリスト教の経典を補完し、アッラーの意志を伝える完全かつ最後の聖典とされる。
本書は、入門編として、イスラム教の成立と発展過程、クルアーンの詩句を題材にムスリムの価値観が簡潔に解説される。その上で、クルアーンと他の二大宗教の聖典(旧約聖書、新約聖書)との違い、使徒ムハンマドとアブラハムとのつながり、天界からクルアーンが啓示される様子、大正期、戦前、戦後の日本におけるイスラム教の理解と「利用」計画等、著者の研究成果が十二分に、かつわかりやすく示される。
われわれの価値観との大きな隔たりは、やはり多々あるのだ。特に「運命」に対するムスリムの態度、その死後と墓の概念等が、新鮮な驚きとして理解できたように思う。

ムスリムの世界観は、仏教と神道、そして似非キリスト教の入り混じる宗教観を抱くわれわれ日本人には、理解しにくいものだ。だが、クルアーンとハディース集の内容を知ることこそが、そのあまりにも違う価値観の差異を埋める"王道"であることを再認識させてくれた。

聖典「クルアーン」の思想 イスラームの世界観
著者:大川玲子、講談社・2004年3月発行
2007年7月14日読了

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2007年6月13日 (水)

報道できなかった 自衛隊イラク従軍記

2004年2月、陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣が出発。そのとき密かに、1名の民間人が覆面で同行していた……。異文化コーディネータとして通訳・交渉に当たった著者による、サマワ宿営地稼働までの活動の日々が綴られる。
派遣はイラクのためでなく、第一に防衛庁の"省"昇格のため、第二にアメリカのためであった。
現場の自衛官には何も知らされず、東京からの「命令」だけが下される実態。
"血尿"は当たり前。屈強な歩兵が倒れるほどの悪環境下、昼夜を問わず任務を遂行する現地の隊員たちの姿。
マスコミには過剰に敏感だが、「日本の政治・軍事・民事」を諸外国並みにすることを目標とする隊員たちは、自らを日本軍と呼んでいる。
大マスコミの取材は最初の3ヶ月のみ。その後に報道されるサマワの姿と実態の、天地ほどの隔たり!

史上最強と呼ばれる米軍だが、イラク派遣軍の三分の一が予備役州兵だ。ろくな訓練も受けずに現地へと派遣された彼らには、イラク人すべてが敵に見え、近づく者を容赦なく射殺する。イラク人の憎悪は増大し、米軍の恐怖とスパイラルとなって悪化してゆく。

内戦状態に陥ったイラクから、米軍は逃れられない。

「本当の意味での国際貢献」について、著者はこう述べる。
アメリカ追随、または戦争反対を唱えるだけでは、何も変わらない。パレスチナ問題の解決=アメリカの二枚舌外交の克服こそが問題だ。実際に困難であれば、穏健派のイスラム指導者を支援し、その影響力を拡大させ、過激派の勢力拡張を阻止しなければならない。
欧米式の民主主義を押しつけても反発するだけ。文化を尊重しながら、斬新的に制度を変えていくしかない。

報道できなかった 自衛隊イラク従軍記
著者:金子貴一、学習研究社・2007年5月発行
2007年6月9日読了

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2007年6月 3日 (日)

フューチャリスト宣言

インターネットの出現により、日常生活が変わると言われて久しい。1998年頃まではネットはそれまでの常識の延長上にあり、新聞、テレビなど既存媒体に併存するものとして扱われてきた。
それが突如、変わった。グーグル、ウィキペディア、ユーチューブが変えたのだ。
マイクロソフトがそれまでのコンピュータ社会を変えたように、何でもありの表示画面から選択する時代から「必要な情報だけを提供する」グーグルが、ネット社会への接し方を変えた。
大学教授やエリートメディア従事者等が「上から与えていた」権威づくしのエンサイクロペディアから「参加者みんなで情報を出し合い、修正し、より正確な内容へ修正された」ウィキペディアが、百科全書への取り組み方を変えた。
そして2006年に出現したユーチューブは、既存メディアが提供するヴィデオ情報に頼らない、万人が欲する映像情報への接し方を変えた。
要は、従来のエスタブリッシュメントの既得権益構造が崩壊しつつあるのだ。
大学教授が学位と序列を支配する。あるいはその教授は、米国のように画期的な発明ではなく、点数化された論文の数によって評価される学者の世界に依存する。経済界では、旧来の既得権益を手放さない企業が新参者を排除し、あるいは談合体制の内部に取り入れてきた。これからネット社会が急速に進化すると、これまで常識とされてきた世界は崩壊に向かう。
急進的とも思えるが、テクノロジーが大衆の要望をかなえてきた現実を考えると、そのように変わってゆくのだろう。

フューチャリスト宣言
著者:梅田望夫、茂木健一郎、ちくま新書・2007年5月発行
2007年5月18日読了

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2007年6月 1日 (金)

グローバリゼーション・トリック

18世紀から続くグローバリゼーションの変遷、奴隷貿易、人権侵害と補償問題等、朝日新聞社の花形コラムニストの筆が、縦横に冴え渡る。

[新しい戦争]
テロリストは、自らは戦士であり、その行動は戦争であり、少なくとも戦争捕虜の待遇を求める。しかし、人質を取り、非戦闘員を殺傷する彼らは、明らかに犯罪者である。
しかし、それは国内法規の範囲を超え、国家・社会の安全保障上の脅威となっており、今後は平時と戦時の境界が曖昧になり、イスラエルが直面している内戦状態が、途上国では常態となるだろう。

[包括的核実験禁止条約 米国の一国主義]
第一次世界大戦後、国際連盟の設立に奔走したルーズベルト。そのベルサイユ条約の批准が、自らが大統領を務める米国で否決されるという悲劇に見舞われた。ウィルソンの悲嘆を目の当たりにした海軍次官補こそ、かのフランクリン・ルーズベルトだった。彼は、ベルサイユ条約の不備(ドイツに対する厳しすぎる取り立て)がナチス政権を育んだことを教訓とし、第二次世界大戦後、敗戦国への戦後補償要求を行わないことを決めた。
そして日本とドイツは連合国(国際連合)の一員となり、現在に至った。
クリントン、ブッシュ両政権の「米国一国主義」は奢りの表れであり、国家ナルシズムは綻びを生む。彼らはルーズベルトの成果、すなわち「歴史に学ぶ」ことを覚えなければならない。

[グローバリゼーションとは何か]
理念でも構想でもなく、それは過程であり、インターネットも英語も道具でしかない。
「グローバリゼーションとは、かけがえのない自分や共同体の多様な価値観をなみなみと注ぎ、それを通じて世界に向けてそれを発現し、表現するために役立たせる容器と心得るべきものなのだ」
なるほどなぁ。

日米同盟と米英同盟についての比較論功も興味深いものがあります。それにしてもイージスシステム、MDシステムの情報が海自内で漏洩し、その一部(全部か?)が中国へ渡ったであろうと予想される事件は、米国軍部に計り知れない衝撃を与えたと思う。安保強化を目指すこの時期には痛い。、自衛隊の情報管理への不安感、否、日本国への不信感が、今後のF22獲得交渉に暗い影を落とすことは間違いない。

グローバリゼーション・トリック
著者:船橋洋一、岩波書店・2002年12月発行
2007年5月31日読了

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2007年5月18日 (金)

藤原伊織氏死去

チャラチャラした時代に、あえてハードボイルドを貫くことの意義!
江戸川乱歩賞を獲得した、この作品の衝撃は憶えている。
「テロリストのパラソル」
その冒頭の、著者の言葉は、こうだ。
「黄金の時間というものがある。……週末にウィスキーを飲みながらミステリーを読む時間だった。……ウィスキーがビールになり、そのビールもずいぶん量はへったが、この時間はいまも至福とともにある。
……一歩でもその職人の域に近づきたい。遠い夢かもしれないが、かくありたいと願う」
なるほど。作品を発表するにつれて、奥行きが深まるのは、この志があってこそか!

警察官、自衛官、探偵、女医、タクシー"探偵"運転手……。ミステリーの主人公は往々にして、特殊な職業に就くヒーローだ。普通のサラリーマンが主人公であり、特殊な技能を有するわけでなく、最大限の能力と勇気と知恵を振り絞って困難に立ち向かう。企業小説に現れるような主人公が犯罪に立ち向かい、体を張って正義を貫く姿は、快い読後感を与えてくれた。

闘病生活の様子を文学誌に発表していたのか……読んでいない。
氏の作品に現れる、あくまで昭和スタイルを貫く主人公。その男のスタイルには、酒とタバコが欠かせない。作品を読み重ねると、それが作者自身の姿であることを確信した。

2007年5月17日、藤原伊織氏が食道癌で亡くなった。
あくまでも自身のスタイルを貫き通す、か。最後に、男の生き方を見せてくれたと思う。
そして、氏の作品は永遠に残る。

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2007年4月10日 (火)

失踪者

従来、「アメリカ」と題されてきたカフカ未完作の最新訳を読んだ。
30半ばの女中に誘惑されて"結果"が発覚し、プラハの実家から放逐されたドイツ人青年。17歳のカール・ロスマンは単身アメリカへと渡り、さっそくニューヨーク港でトラブルに巻き込まれる。そこへ迎えに来たる連邦上院議員の叔父に救われ、最初から恵まれた生活を手にする。しかし、節制と規律に縛られた生活は、若い魂の潜在意識に"自由への渇望"を刻み込む。そんな中、叔父の知り合いのブルジョア企業オーナーと娘から、1泊の招待を受ける。それが転落の始まりとなった……。
一度は郊外のホテルに職を得たものの、ヤクザ者と愚鈍な男に関わりを持ったがために、すべてが泡と消える。
天衣無縫で不埒な女優、その下男となり、犬のような生活を"天職"と喜ぶ男、狭い職場でわずかな権力を振り回す門衛主任……、まだアメリカン・ドリームが健在の、20世紀初頭の下層世界で繰り広げられる欲望渦巻く露骨で猥雑な世界観……。
物語そのものはカフカ自身が筆を投げたために、完結しないで終わっている。だが、後の"審判"、"城"へと連なる不条理世界を垣間見せてくれたと思う。

Der Verschollene
失踪者(カフカ小説全集1)
著者:フランツ・カフカ、池内紀、白水社・2000年11月発行
2007年3月24日読了

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2007年4月 8日 (日)

音楽・ゲーム・アニメ コンテンツ消滅

ネット技術の発展とインターネットの普及がコンテンツ産業に与えたインパクトの大きさ、旧弊なシステムを護ろうとする業界とその破綻。異業種と海外資本によるシステムの変革の強要。20世紀末の金融・流通・第二次産業の激変に続き、いままさに変革期にあるコンテンツ産業の問題点と、その展望が示される。ここでも行政の「何も考えずにアメリカを真似る」姿勢が、やがて業界を破綻に追い込むことであろうことが明確にされる。
黎明期から一変したテレビゲーム業界、音楽業界の供給側と販売側の温度差、アニメ業界の"歪み"と日米の取り組み方の格差、等々。華やかな世界観とはほど遠い実態は、「どの業界も大変だな」と思わせる。
それにしても、中古CD、ブックオフ、TUTAYAといった市民権を得た産業と違い、ほとんど「野放し」にされたネット上の闇コンテンツの世界の問題点は、一考に値する。本書を読んだ以上、消費者の一人として、なるべくクリエータの先行きを細めるような行動は慎みたいと思う。

音楽・ゲーム・アニメ コンテンツ消滅
著者:小林雅一、光文社・2004年11月発行
2007年4月7日読了

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2007年4月 1日 (日)

すみだ川

ときは明治四〇年。一人息子を女手一つで育てる母。自分のような"芸人崩れ"にはさせず、帝国大学に進学させ、将来は立派な月給取りにさせたいとの思いだけが、辛い日々の試練に耐えさせる。その息子は、幼なじみが芸者の道を進むことから、中学校を停めて役者になりたいと言い出す……。叔父の俳諧師に相談ことになるが……。

明治時代に洋行した若き著者。それがふらんす物語、あめりか物語として結実し、小説家、永井荷風を世に知らしめることとなる。
しかし、帰国して目にしたものは、日々劇的に変貌する東京の光景だった。生まれ故郷の変わり行く姿を見て、彼は何を思うのか。
ちょうど世紀末のフランスに発した象徴主義が、荷風に影響を与えているのかもしれない。
荷風本人も書いている。「象徴的幻影を主として構成せられた写実的外面の芸術……叙情詩的本能を外発さすべき象徴を捜めた理想的内面の芸術とも言い得る」と。
自然主義を超え、観念と感性を総合的に表現する世界観を象徴するものを、都会の中にあって日本古来のリズムを失わない、身近な隅田川に求める。墨東奇譚もそうだったが、このあまりにも日本的な情緒が、より味わい深いものにしていると思う。
やがて彼の作品は、文明礼賛から、江戸期~明治初期の情緒を重視したものへと自分の作風を変えてゆく。

失われ行く光景か。
僕は新興住宅地の生まれだから、"田舎"の記憶はない。しかし、多聞(神戸市垂水区)の田舎に生まれ育った父より、高度成長期に山田川がコンクリートで固められ、山が削られて宅地に変わっていった話を聴かされた。「寂しいなぁ」とも言った。
懐かしい古里の光景=記憶が失われてゆく、その喪失感と寂寞感。そんな思いを胸に閉じ、より良い日本を、より良い明日を作り上げるため、賢明に働き続けた父母の世代のことを思うと、自分の惰性に流れる生活が恥ずかしくなる。しっかりせんとなぁ。

すみだ川
著者:永井荷風、岩波書店・1986年7月発行
[荷風小説三]所収
2007年3月17日読了

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2007年3月10日 (土)

若きヴェルテルの悩み

プロイセンが席巻する遙か以前、領邦国家のひしめく18世紀ドイツ。近世から近代へと移り変わる節目にゲーテは生まれた。ライピチヒ、ストラスブールを経て、ゲーテ30歳。生地フランクフルトで、この作品は世に放たれた。

親しい女友達の死去を契機に故郷を飛び出し、新しい散策の地にて書物や人間関係の束縛から解き放たれた自由を謳歌する我らが主人公、ヴェルテル。愛くるしいシャルロッテと出会い、心奪われ、婚約者の存在を知りながらも夢中になるその姿と、狂気へと至る半生が、彼自身の遺した手紙と、彼の死後に編集者から読者への語りかけとして回顧される。
大学で法律を修め、ギリシャ語を自由に操り、そこそこの資産を持つ20歳代の主人公。貴族の身分は持たないが、従僕を持ち、都会で育ったヴェルテルの姿は、ゲーテ自身を写したとも考えられる。

大多数の人々は、食わんがために一日の大部分を働き暮らす。わずかばかりの自由が手元に残るが、それは彼らを不安にするから、今度はそれから逃れるためにどんなことでも探してこようという訳だ。
自分の惨めな仕事や時としては自分勝手な趣味にさえも大げさな名目をつけて、人類の救済と福祉のための一大事業だと売り込む人たち……。静かに、自己のうちより自らの世界を紡ぎ出し、自分が人間であることの幸福に充ち足りる。

ロッテとの別れのシーンは! 男の視点からしても辛すぎる描写。それでも耐えなければならないのか。

それにしても文学の醍醐味というやつは! 流行りの小説ばかり読んでいると、感性が惰性に流されてしまうようで、たまに古今東西の文豪の作品に触れると、新鮮な気分が味わえる。

DIE LEIDEN DES JUNGEN WERTHERS
若きヴェルテルの悩み
著者:ヨハン・W・V・ゲーテ、集英社・1991年5月発行
集英社ギャラリー[世界の文学10] ドイツⅠ所収
2007年3月7日読了

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2007年2月25日 (日)

夜間飛行

実は、サン=テグジュペリの作品は初めてだ。米米クラブの「浪漫飛行」のイメージも重なり、前向きかつ楽天的な、寓話「星の王子さま」みたいな作品像を勝手に浮かべて読み始めた。
読み終えて、嘆息が一つ。仕事をする男の、厳しい世界がそこにあった。行動こそがすべて。
人間の幸福は自由の中にはない。それは義務の受諾の中にこそあり、仕事に裏打ちされた力強い生活だけが、価値ある生活だ。
そして緊張した意思だけが獲得できる自己超越こそ、尊いものであるとされる。
この作品の舞台は1920年代のアルゼンチンだが、まるで現代のサラリーマン社会と同じではないか。

それにしても潔い生き方だ。仕事を終えて「よし、これでいい」、疲労感、哀しみ等の感情を押しのけ、「私の人生はこれでいい」といってのける。
悪天候のために部下を死なせ、なおかつ、次の飛行を命じる飛行郵便会社の支配人こそ、本当の強さを知る人物だと思う。

僕も会社組織の末端に身を置く男だ。生き方を考えさせてくれる作品を遺してくれた、このフランス空軍少佐に感謝の意を表したい。

VOL DE NUIT
夜間飛行
著者:サン=テグジュペリ、集英社・1990年12月発行
集英社ギャラリー[世界の文学8] フランスⅢ所収
2007年2月25日読了

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2007年1月27日 (土)

二十世紀のパリ

工業生産のみならず、教育も思想も、そして芸術さえもが中央集権化した時代――20世紀。ジュール・ヴェルヌの描く、もう一つの1963年のフランスがここにある。
1863年に脱稿するも出版の日の目を見ず、ヴェルヌ没後86年たって発見された作品。
さすがSFの父、ヴェルヌ。当時としては驚異的な洞察力で、今日のモータリゼーション、電灯に代表される科学技術の発展のみならず、「それがもたたらす影響」を鋭く描いている。(さすがに原子力と世界大戦には想像力が至らなかった様子。)
もはや芸術家は存在せず、銀行家と科学技術者が闊歩する世界。19世紀の偉大な作家は忘れ去られ(ユゴーやデュマが絶版!)、大学高校の人文学科が廃止となった世界。
人間は科学技術のために働く存在であり、家族はバラバラに生活し、誰もそれを不思議と思わない世界……。
文学に生きることを決意した主人公のミシェル(ヴェルヌの実の息子と同名だ)の運命は、より悲惨な方向へ……。
それにしても、この作品が書かれたのは1863年。EDO ERAの日本は文久三年。隔世の感があるなぁ。

PARIS AU XXe SIECLE
二十世紀のパリ
著者:ジュール・ヴェルヌ、榊原晃三、集英社・1995年3月発行
2007年1月27日読了

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2007年1月21日 (日)

瀕死のライオン

防衛省直属の特殊作戦群、そして内閣情報調査室の想像を絶する日常。
総理大臣の孤独な戦いと"決断"。孤軍奮闘する自衛官の壮絶な最後。

北朝鮮による「日本隷属化計画」の全貌が明らかになる。この辺りまで読み進むと、日本政府が巨額の税金を投じて進めるミサイル防衛計画も、日米安全保障条約も、ある条件下では無意味になることがはっきりする。
いかに政治が重要であるか。
結局、BMDはアメリカにこそメリットがある、そう言うことか。

北朝鮮の<組長>。彼もまた分断国家の被害者だ。タイトルに込められた意味からすれば、彼こそ真の主人公なのかもしれない。
それにしてもどこまでが現実で、どこまでが虚構なのか……。
結局、すべては「米国の掌の上」。それが現実であり、悲しい。

瀕死のライオン(上)
著者:麻生幾、幻冬舎、2006年7月発行
2007年1月10日読了

瀕死のライオン(下)
著者:麻生幾、幻冬舎、2006年7月発行
2007年1月19日読了

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2007年1月 6日 (土)

戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在

近年、日本の戦争責任に対する中国と韓国の批判が強まっている。国家の煽動だ、と一蹴できない"何か"がその底辺に横たわっている。
原爆投下を巡る日米両国民の認識の隔たり、ユーゴ内戦に対する欧州と日本の対応の違い、コソボ戦争終盤のユーゴ空爆に対する欧米社会と日本社会の対応の落差が現れたが、「国民の戦争の記憶」の正体を探ることで、その遠因が説明される。

・戦争の記憶。それは個人の私的体験が家族と地域で語り継がれことによって社会の記憶となり、公的戦争史観が制定されることで"国民的体験"となる。
・国家の権利として戦争を認める伝統的な「現実主義」に対し、いかなる理由であれ戦争に反対する「反戦主義」と、侵略者に対する武力制裁を行うことで平和が保たれるとする「正戦主義」とが対置されるのが現代政治の構図となる。
・現代アメリカは「正戦社会」だが、かつては、破壊的な南北戦争の経験が「反戦社会」としていた。しかし現代の米国「正戦社会」は第二次世界大戦の勝利が原体験となっており、今後も変わることはない。
・「反戦社会」である現代日本で戦争を主張する者はごく少数。だが戦前では、反戦の声を上げる者こそ少数派だった。破滅的な敗戦が日本社会を根底から変えた。
・反核平和運動主義の問題点。親中ソ・反米的な要素はともかく、普遍的な"ヒロシマ"を語っても、広島の惨劇、具体的には実在の原爆被害者を救済することを考慮しなかったことは致命的だ。

1929年に発効した不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)をあざ笑うように、幾多の人命が銃弾と炎と苦痛と絶望の中で絶えてきた。第二次世界大戦が終了して60年。やっと「戦争は犯罪である」との共通認識が定着しつつある。それでも「正戦主義」は根強く残る。

なんとなく「反戦・平和主義」だった日本社会も、「限定的正戦主義」の意識が主流となりつつあるように思える。米国との同盟を最重視する点からも、それが現実的だと思う。

戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在
著者:藤原帰一、講談社・2001年2月発行
2007年1月6日読了

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2006年12月26日 (火)

青い海をもとめて 東アジア海洋文明紀行

近代以降、日本の歴史は太平洋を巡る歴史であったと言える。一方で日本海側へ目を向けると、水俣、沖縄、済州島、新潟……いわば国家権力の犠牲となった多くの人々。その歴史と思いが連ねられる。

<メモ>
・潜水産業は世界に多しといえど、女性が潜るのは日本と韓国のみ。その海女の伝統も急速に廃れつつある。
・ロシアが太平洋国家になるには日本列島が邪魔。対馬海峡を制圧するため、一時的に対馬国を占拠するも、幕府の要請を請けた英国海軍に駆逐された。結局、昔も今もアングル・サクソンの力に頼るしかない?
・韓国はグローバル化に参画しながら、太平洋に背を向けつつある。すでに中韓貿易は米韓貿易を上回り、中国圏に組み込まれた。政治的には将来の日米対中国の対立における仲介役を意識しているのか?
・経済の爆発的発展を期に中国海軍は沿岸防衛から近海防衛に乗り出した。そこでは黄海のみならず、東シナ海、南シナ海まで自国領海と位置づけられており、日中間の紛争は容易に解決しない。
・神道は人と自然の共生を体現し、社会の精神原理とする。そこに日本が世界とアジアにつながる普遍性と宗教性への契機がある。
神道の回帰。すなわち国家神道からの真の脱却こそが、アジアとの共生につながる。
・すでに北朝鮮は中国の経済植民地。ウォンではなく元が要求される。かつてのモスクワではルーブルではなく、ドルがものを言った。それと同じだ。
・古代から連綿と続く東アジア秩序。そこでは儒教の影響により、海は忌み嫌われてきた。よってヨーロッパ文明を揺籃した地中海のように共通の海洋ビジョンは生まれなかった。

東シナ海、日本海、オホーツク海と南シナ海。いわば東アジアの内海に海洋文明を築くには、日本と中国が利害を共有するのがベストだと思う。でも、ますますギクシャクする日中関係からは当面の連携は望めそうもない、彼の国を共産党が支配する間は変わらないのだろうか。

青い海をもとめて 東アジア海洋文明紀行
著者:船橋洋一、朝日新聞社・2005年11月発行
2006年12月26日読了

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2006年12月17日 (日)

そのとき自衛隊は戦えるか

朝鮮戦争時に「米軍の代わり」として国内治安を主目的に設立された自衛隊。40年に渡る強大なソ連極東軍との対峙、湾岸ショック、カンボジアPKO、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、イラク派遣を経て、その性質は大きく変貌した。
自衛隊と言えども将官は旧帝國軍出身者が占めていたわけで、戦後の防大出身者が陸海空の幕僚長に就任したのは、わずか15年前らしい。大東亜戦争に関わっていない幹部がトップに立ち、国民の自衛隊を見る目もズイブンと変わってきたことで、ようやく諸外国レベルの活動が許される状況となったと言える。
年が明けると防衛庁が防衛省に変わる。自衛隊管理官庁から「政策企画・立案」官庁へ脱皮するわけで、表面の冷静さとは別に「この機を逃さず」に表舞台へ出てくるのだろう。

この本、フジサンケイグループ出版社ならではの「自衛隊ヨイショ。国防軍への昇格を期待」する内容だったが、その筋の通った記述は正論と言える。
石破前防衛庁長官による「他国から誘導弾による攻撃が予想される場合、その基地を攻撃することは自衛の範囲内だ」との発言が大問題となったが、実はこれ、50年前(1956年)に当時の鳩山首相の見解として国会で述べられており、これを歴代内閣が踏襲しなかったことが問題であると提起している。他の重要法案を成立させるため、野党と協議してこの種の安全保障に関わる議論を避け、安易に妥協してきたことの結果が、こんにちの歪んだ防衛政策につながったと言える。
たとえば法律上、海外派遣における「武力の行使」と「武器の使用」は異なるものとされている。また、武器の使用は上官の判断ではなく「自己責任で行え」とも。いざ事態に直面した自衛官に、これを遵守しろと言うのはひどい話だ。諸外国に理解されない法律は改めるべきだ。

「自衛隊のPKO活動や国際緊急援助は、日本国の国際的地位と名誉、発言力を高め、そして世界の平和と安定のための任務である」
それはその通りだと思う。だけどこの著者に限らず、最近勢いを増してきた
「憲法前文の精神を追求するためにも憲法九条の改正に取り組まねばならない」
との主張には賛同できない。
なにかと批判はあっても、なにも日本の国際貢献はPKOや実力部隊の派遣だけではない。拡大解釈で自衛隊の活動範囲の拡大は実現できるし、それで日本国民の理念を具体化できるるだから、何も憲法を変える必要はない。
もっと言えば、明治以来こんにちに至るまで、日本には実質的な文民統治の経験は少ない。ヘッポコ社民党を代弁するつもりはないが、「軍部の権力」を抑制する視点からも現行憲法下での自衛隊の管理が適切と言える。

そのとき自衛隊は戦えるか
著者:井上和彦、扶桑社・2004年3月発行
2006年12月15日読了

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2006年12月10日 (日)

這い上がれない未来

巷を賑わす「下流社会」論議。所得格差は規制緩和や改革によって是正されることはなく、今後、ますます拡大する。何故か? それはグローバル化の宿命であり、労働市場に間接的に参入する中国、インド等の極端に低い人件費が、我々先進国の高すぎる給与所得を引き下げる。グローバル化に対応できる経営者と高い技術を有する専門職だけが高い所得を維持する。それ以外の者、すなわちほとんどの日本人の所得が低下し続けることが明らかにされる。
その遠因は現在の上級公務員試験にあると著者は説く。真の平等な能力主義社会であった明治時代。その高級文官登用試験は意義有ったものの、昭和になると弊害が顕著となり、やがては日本を崩壊へ導いた。その悪弊は戦後も残り、政治・経済・教育の硬直した日本社会はスローデスへ向かうことが述べられる。
比較としての米国、英国の身分社会とその変遷、特に米国の学歴実力社会の解説は興味深い。
2030年には日本のGNPは中国の半分以下になり、一部を除いて勤労意欲のない若者と年金を打ち切られて悲嘆にくれる多数の老人の群れ、消費税率20%の荒廃した未来の日本の姿は衝撃的だ。
「一億総下流」にならないための道筋がいくつか提言される。特に「グローバルな視野を持った新の愛国者の粘り強い戦いのみが、未来を切りひらく」のであり、日本人全体の教育レベルを引き上げる必要性を著者は指摘する。

這い上がれない未来 9割が下流化する新・階級社会
著者:藤井厳喜、光文社・2005年12月発行
2006年12月10日読了

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2006年12月 9日 (土)

政治家とリーダーシップ

マキャベリと荻生徂徠の金言を散りばめつつ、リーダーシップ論、教育問題、中東問題(アラファト議長の失敗)、環境問題(貧困・平等問題でもある)、文明間の対話が取り上げられる。
常識を支える教養がなく、発想や比較の範囲が即効性や時事性にとらわれるなら、事態の解釈や知識についてアドホックに対応するだけで精一杯となる。なるほど。その結果が、「世俗的カリスマとしての(小泉元首相の)存在は、政策を通して難事を合理的に解決する希望をあきらめるか、議会討論によって問題の焦点が浮き彫りになることに関心を示さない情緒的な日本人の縮図そのもの」である、か。

大衆政治に陥った民主主義社会からの脱却に最も必要なものは何か? それは常識であり、常識を培養する教養であり、家庭での「しつけ」の在り方に左右される。学校教育は現在の欧米に偏ったものではなく、ましてや「ゆとり教育」等ではなく、イスラム、日本、東南アジア、中国などの多彩な文化に裏打ちされたものでなければならない。教育指導要領が改訂されることになったが、皇国史観は論外として、明治以来の和漢洋のバランスに配慮した点を取り入れるべし、と述べられる。
日本と日本人に関わる歴史軸と、世界の多様性や芸術的感性を正確に認識できる空間軸に自らの活動や経験を重ねることで、責任ある行動をとることができる。これ即ち総合力と大局観、か。

最終章は圧巻だ。「戦争を考えること」は、文明の対話と異文化理解に直結し、それが新しい行動の始まりとなる、と理解した。

政治家とリーダーシップ ポピュリズムを超えて
著者:山内昌之、岩波書店・2001年12月発行
2006年12月8日読了

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2006年11月26日 (日)

日本の国際貢献

決して景況感の良くない日本が、なぜ発展途上国とその国民に援助を行う必要があるのか? 高い税金を払っているのだから我々に還元するべきなのに、外国の援助を行うのは何故か? 本書はこれらの問いに簡潔に、そして説得力を持って答えてくれる。
援助の目的。それは慈悲や愛からではなく、日本の国益のためだ。日本の国益とは「相対的に自由な世界経済体制の維持であり、そのためには、発展途上国の持続的成長の確保が必要」であり、それが「第三世界の安定につながり」長期的に見て日本国民の国益になると著者は説く。
また、ODAの金額ばかり増やしても片手落ちで、農産物の輸入障壁を撤廃する、あるいは低減する等の政策が伴わないために、政策一貫性の無い自己満足の世界に陥る危険性も指摘される。
「日本国内の既得権益をこわしても自由貿易体制の進展に日本は血を流すべき」であり「公正なグローバリゼーション・日本モデルを打ち出すべき」との主張には拍手を送りたい。

著者は、長期的視野に立った国益に基づく援助こそ中心にするべきで、積極性な人道的援助は得策ではない、との立場だ。日本の政治的能力と影響力が貧小であることがその理由だ。そして憲法解釈上・能力上の問題からPKO、国連平和維持活動への参加には反対の立場だ。唯一、この点だけが不満に思った。
たとえ能力で劣っていても、積極的に参加するべきだと僕は思う。経験の積み重ねが貴重な財産となり、やがて政治的能力に転化することに望みをつなぐために。

日本の国際貢献
著者:小浜裕久、剄草書房・2005年11月発行
2006年11月26日読了

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2006年11月12日 (日)

米中冷戦の始まりを知らない日本人

2006年3月の米国防総省の報告書に「中国がアメリカを攻撃する能力を持った」と明記され、太平洋における米軍"トランスフォーメーション"が、明らかに中国軍を意識して編成されていること、すでに南米、中央アジア、中東、アフリカ大陸で米中の「冷戦」が始まったことが、著者の豊富な人脈からの情報と重要人物へのインタビューによって示されます。
しかし、この新「冷戦」は米ソ間のそれと異なり、イデオロギーではなく国益を巡る争いであることが大きな違いである、と。何より看過できないのは、日本はアメリカによって積極的に「護られない」ことです。たとえ尖閣諸島が中国軍によって占領されても、日本が積極的に奪回を試みない限り、米国は動かない。この冷徹な「近い将来」が本書に記されます。
北朝鮮・韓国はもちろん、政治的・軍事的圧力により、すでに東南アジア諸国は「親中国」と成り果てたこと。日本・米国と共同歩調をとれる民主主義国家はオーストラリ、ニュージーランド、台湾を残すのみとは……。

先日2006年の11月に米国で行われた中間選挙では、勢いに乗る民主党が勝ちました。ヒラリークリントン上院議員をはじめ決して魅力的な政策があるわけでなく「イラク戦争は失敗」の1点だけが争点となり、この結果です。(それでも、どこぞの国の「郵政民営化」選挙ショーよりマシですが。)
ブッシュ政権中枢、具体的にはチェイニー副大統領に代表される保守強行派路線の事実上の敗退であり、その「顔」ラムズフェルド氏は更迭されることが決まりました。
さて2008年の大統領選挙で民主党政権が誕生するとしましょう。クリントン大統領時代の「日本は素通り、中国は戦略的パートナー」世界が再現するわけで、これは我々日本人にとってはありがたくない状況です。中国は徹底した「日本陥れ」キャンペーンを世界に対して行うでしょうし、弱々しい日本の政財界に対する「親中国化、見返り付き取り込み」戦略を実行することでしょう。そのうち国会ではなく、テレビ番組で国民への刷り込みを謀る先生が現れるやもしれません。「冷たいアメリカではなく、母なる中国と同盟を結ぼう」なんて具合で。気をつけないと。

米中冷戦の始まりを知らない日本人
著者:日高義樹、徳間書店・2006年6月発行
2006年11月12日読了

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2006年11月 6日 (月)

国際関係学講義

冷戦終了後、「911」以前の国際関係学の書。
自分の生活の場から国際社会を見据え、逆にグローバルな視点から生活者としての自分に光を当てる、か。なるほどなぁ。
第一次世界大戦の衝撃は国際政治の芽を生み、第二次世界大戦の焦土は植民地経済を崩壊させ、国際経済の進展を促すこととなった。では、冷戦の静かな終結は何を生み出したのか? 徐々にではあるが、"国際法理"の枠ができつつあるのではないか? 現在の傲慢な米政府では無理としても、次の「ヒラリークリントン政権」で推進されるのではないか、との期待が膨らみます。

国際関係学講義
編著者:原彬久、有斐閣・2001年3月発行
2006年11月6日読了

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2006年10月 7日 (土)

イラク戦争従軍記

「イラク侵攻反対」を掲げた朝日新聞記者として、クウェートからイラクへ侵攻した米海兵隊の一中隊と寝起きを共にし、見て、聞いて、感じたことが率直に記録されます。
自分は、「どうせ大新聞社のエリート記者による"米軍ヨイショ"のオンパレードだろ? 最初は格好つけて否定しても、いずれそうなるんだから」との先入観を抱いてページを開いたのですが、やがて訂正せざるを得なくなりました。
たとえ社命で派遣されたとはいえ、中立であるべきジャーナリストの使命感を強固に保ちつつ、自分の命を守ってくれ、運命をともにする「米兵」へ感情移入し、肩入れする情念に悩む姿が惜しげもなく開陳されます。「米軍のプロパガンダ機関」となりうる危険を承知で、報道の使命をどのように護るのか……。
(著者も明記している通り、積極的に戦争を支持した読売新聞と産経新聞の従軍が認められず、表だって非難していた朝日新聞が海兵隊への従軍を認められたことは、興味深いものがあります。すなわち米軍の世論調査の手段として。)

しかし、米軍側の視点で著述されるのは、どのように意識していてもやむを得ないのでしょう。米国の一方的な理屈で強行され、「理不尽に侵攻され、無慈悲に財産を奪われ、無碍に命を奪われた」イラク人、我々と変わらない一般民衆の苦悩が公平に報道されないことも、この世に米国に対抗できる勢力が存在しない以上、やむを得ないのでしょうか?

イラク戦争従軍記
著者:野嶋剛、朝日新聞社・2003年6月発行
2006年10月7日読了

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2006年10月 1日 (日)

一月物語

古風な文体を匂わせる明治三〇年を舞台にした幻想奇譚。
奈良県十津川村をさまよう青年詩人。毒蛇に噛まれるも一命を取り留めたのは、一人の僧のおかげ。山中深い庵に静養のために留まるが、時間の流れの異様なことに気付く。
しかし、夢に現れた月下の女との時間は、何者にも代え難く……。
日本文学の王道を往く、ただ者ではない文章力。情熱的なラストシーンへ向けて一気に読ませてくれます。

一月物語
著者:平野啓一郎、新潮社・1999年4月発行
2006年10月1日読了

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2006年9月22日 (金)

平成マシンガンズ

崩壊した家庭、昨日の親友たちが一転して敵性集団となる学校、傍観者から被害者への転落、転校、新たな悩み、母親への期待と、思い過ごし……。違う人種との邂逅、ふっきれた人生……。

「それほどお互いを好き合っているわけではないけどあたしたちは無意識下、青春のおままごとに憧れを持っていてありもしない友情に縋って仲良し劇を演じ……」

「あたしたちを動かしているものは本能ではなくいつも世間体だった。その中で唯一と言ってもいい、本能に従って自分の意思でしていることがいじめだ」

「怒り方も泣き方も笑い方も、人はどこまでもありふれている生きものだ。そんなあたしたちが世に放たれるとき、破壊されるものはなんだろう。あたしたちの心が守るものはなんだろう。この銃口はどこへ向かうのだろう」

現代高校1年生の重すぎる日常を描いた本作品、石原慎太郎が「太陽の季節」でデビューしたときも、こんな感覚を味わえたのでしょうね。
著者は1990年生まれ。本作で文藝賞を受賞したのが15歳ですか、期待できますぞ。

平成マシンガンズ
著者:三並夏、河出書房新社・2005年11月発行
2006年9月22日読了

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2006年9月18日 (月)

貧乏クジ世代

バブル騒ぎに参加できず、凄まじい受験競争に晒され、就職は超氷河期。いざ実社会に出てみたら、平成大不況で下流社会の仲間入り。自然と目線は下向きになり、内向き志向と悲観論が世代の共通認識となる。イチローや中田は、特別な存在……。

団塊ジュニア世代に多く見られる、消費欲の減退(他の世代と比較して)、生きる目標の喪失感、内向き思想とその反動である超越志向等が、精神医学の現場に携わる著者の視点から分析されます。
団塊ジュニア世代の関心がマイホームとマネーだけに向かい、自分の狭い趣味に埋没するのではなく、社会全体の問題に目を向けさせるためには、何をすればよいのか……。

あと、夏目漱石の「こころ」の友人Kと先生。その決意と行動(自殺)に対し、男子学生と女子学生の受け取り方に大きな隔たりがある件は、興味深かったです。

貧乏クジ世代 この時代に生まれて損をした!?
著者:香山リカ、PHP新書・2006年1月発行
2006年9月15日読了

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2006年9月10日 (日)

シリウスへの道

著者には珍しく勧善懲悪ありの企業ミステリー。

13歳。多感な年代の仲良し3人組の25年後。大手広告代理店に勤める営業マンの主人公、大手電機メーカ御曹司と結婚した元アイドル歌手、そして「主人公と性格が似ている様は、まるで二連星のシリウスのよう」と揶揄された「勝哉」……。
世には明るい話題なく、大手都銀による貸し剥がし、大手製造業による中小企業いじめ等を背景に、中島みゆき「地上の星」が登場します。

キーワードは「思い出、覚悟を決めた青年」そして「潔さ」でしょうか。

著者はかつて大手広告代理店に勤務していただけあって、勤務先の描写がリアルです。また、著者躍進の作品となった「テロリストのパラソル」のキーパーソンも登場し、思わずニヤリとさせられます。

シリウスへの道
著者:藤原伊織、文藝春秋・2005年6月発行
2006年9月10日読了

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2006年9月 4日 (月)

アメリカのグローバル化戦略

2002年に一方的に宣言された、アメリカのことだけを考えた米国の新戦略=ブッシュ・ドクトリン。そして、国連での手続きをボイコットして強行された2003年のイラク戦争。史上最強の軍事力を背景に遂行される"21世紀初頭のアメリカの行動"が、中東諸国と世界にどのような影響を与え、必然的に失敗するであろうことが解説されます。

軍事力に裏打ちされた"帝国主義への誘惑"。かつて19世紀の欧州が推進した「啓蒙主義」政策は、その歴史的な拡張志向と合わさり、21世紀の米国によって本格的に推進されつつあること、しかし一国の価値観を押しつけるには力不足であり、米国の孤立する可能性すら現実味を帯びる、と。
一方で、テロ組織はアラブ・イスラム諸国の理解を得られず衰退の道をたどること、現在の頻発するテロは、その最期の足掻きであることが解説されます。

金融・仲介サービス業等で成功したカタール等を除き、中東の社会・経済状態は深刻です。エジプトですら食料輸入率が80%を超え、食料・水不足に悩まされている……。
皮肉にも、医療技術の発達(死亡率減少)が急激な人口増加をもたらし、それが一人当たりGDPを年々悪化させました。たとえばサウジアラビアの場合、石油で潤う豪勢な生活を楽しむ8000人の王族以外は、衛生的な住居の確保すら困難なほど貧窮しているという……。サウジからイラクへ米軍基地の移転が完了した暁には、サウジの独裁政治体制も、転覆させられるのは間違いありませんね。

それにしても、上空5,000mの無人偵察機から発射・誘導される対戦車ミサイルと、ステルス爆撃機B2による"大量破壊兵器"の投射による地上殲滅戦……。従来の戦車戦等が急速に時代遅れにされる感じがします。

アメリカのグローバル化戦略
著者:福島清彦、講談社・2003年7月発行
2006年9月4日読了

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2006年8月23日 (水)

日米は中国の覇権主義とどう戦うか

"反日"奨励に潜む中国の危険な野望、その正体が明らかにされます。首相の靖国神社参拝への非難などは方便に過ぎず、日米が協力して対処しないと取り返しの付かない事態へと発展する……。

戦争責任を取らない"日本の低いモラル"を繰り返し世界中に印象づける。欧米諸国による中国政府への非難の矛先を日本全体へと向け、日米同盟を突き崩し、米軍をアジアから遠ざける。米国の庇護を失い、二流国へ転落した日本の社会システムに入り込み、"中国化"し、本来の中華秩序を復活・発展させる。

アメリカもそれを十分に承知していながら、動きが鈍いのは何故か。経済が緊密になり、おいそれと攻撃できないのは表面的な理由にすぎない。米国の政治家・シンクタンクの天才的な頭脳による分析と予想は、あくまでも欧米的な思考がベースとなっているため、中国共産党首脳の真意を見抜くことはできない、か。なるほどなぁ。

日米は中国の覇権主義とどう戦うか
著者:日高義樹、徳間書店・2005年7月発行
2006年8月22日読了

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2006年8月20日 (日)

二等陸士物語

ライトノベルの良いところは、肩肘張らずに読めることですね。
爆弾テロ予告のためにわざわざ陸自が治安出動を行い、主人公の高卒二等陸士が三等陸佐に昇進し、同級生の美人の嫁さんをもらう等、「ホンマかいな」と言いたくなるのですが、なんでもありの世界に文句を付けても仕方がありません。
レンジャー訓練の記述があまりにも簡単すぎます。「人に訊いた」レベルなのだから仕方がないにしても、「兵士を見よ」の内容とあまりにも乖離しています……。

二等陸士物語
著者:吉岡平、朝日ソノラマ文庫・2003年1月発行
2006年8月16日読了

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2006年8月17日 (木)

二百十日

明治の青年二人、阿蘇山への旅物語。帝国大学を卒業して三年後の漱石は、明治二十九年から旧制第五高等学校(熊本大学ですね)の教授を勤めます。ロンドン留学直前ですね。その頃の旅が本作品のベースとなったのでしょう。

豆腐屋の息子、圭さんは主義主張こそ生きる意味である、といわんばかりの人生を歩む人です。
「田舎者の精神に文明の教育を施すと立派な人物ができる」
「綺麗な顔をして下卑たことばかりやっている。金がない奴だと自分だけで済むのだが、身分がよいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるから、大変な害毒だ」

常時、華族と金持ちに対する不平と不満、革命の意義を口にする圭さんですが、周り(この場合は碌さん)に迷惑を掛けていることに気付かない点では、批判対象と良い勝負です。一方、碌さんは学士なのでしょうか、クールな言動と抑制のきいた行動が圭さんと対照的です。まぁ、結局は図太い性格の圭さんに振り回されて終わりますが。

短編ゆえに、見せ場は悪天候の中での登山と、火山灰まみれになっての救出劇だけとなっています。「半熟たまご」のくだりは、これって明治時代のギャクなんでしょうね。

ロンドン留学時の夏目漱石は、本籍族欄に「平民」と明記します。周りは華族・士族が多いのに。そのことが作品に遠い影響を与えたのかなぁ。

漱石全集第三巻 二百十日
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年2月発行
2006年8月16日読了

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2006年8月16日 (水)

従軍日誌 イラク戦争・兵士と過ごした36日

国連を無視し、独善的にイラクへ「侵略」した米軍。その最精鋭の第三師団第二旅団の自走砲部隊に同行取材した貴重な体験が、日記形式で綴られます。
客観的に見た個々の米兵の姿と行動に関する記述は良しとします。第三者としての素直な感想と「最初の使命感」も評価に値します。が、「進軍」が進むにつれて米軍の行動に関する客観的な記述が薄れ、イラク軍を「敵」と明記するなど、「正義の米軍、ヨイショ」的な記述が目に付くようになります。
きれい事を書いてはいても、やっぱり"情"が入るんでしょうね。
あと、下士官と兵卒、部隊司令官と前線指揮官の記述がゴチャゴチャです。なんだかなぁ……。

従軍日誌 イラク戦争・兵士と過ごした36日
著者:今泉浩美、日本テレビ放送網・2003年7月発行
2006年8月14日読了

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2006年8月15日 (火)

いま、抗暴のときに

イラク戦争の突入前後に記述された"エッセイ"と言うには重すぎる著述集。
「体制や権力といったものに表面的な批判を並べ立ててはいるものの、その実、大樹にすり寄って恥を知らない去勢されたジャーナリストの群れ」とは一線を画す、強靱な「独立した個人」の強い意志が、吠えるでもなく叫ぶでもなく、太いベクトルを持って記述されます。

"おぼっちゃま"な作者の"ゴーマン漫画"では、辺見氏は"左翼"の代表として悪く書きたてられていますね。社会に対峙する個人としての力量の点で優越を競うなら、氏に軍配が上がる事は言うまでもありません。

すでに「戦後民主主義」なる概念は形骸化したこと。権力と一体化したメディアと、メディア化した権力が手を携え、かつての階級闘争理念を超越し、「情報消費者」と化した何も考えずに流されるだけの国民を巧みに誘導し、「柔らかな全体主義」への移行が成功したことが明らかにされます。

また、いま最も注目されている安倍官房長官のことば「核武装は憲法違反ではない」にも及び、表面的なイメージで物事を判断することの危険性と、拉致被害者家族の心痛を余所に政治利用した結果としての、日本の右傾化が加速した事実が指摘されます。

いま、抗暴のときに
著者:辺見庸、毎日新聞社・2003年5月発行
2006年8月14日読了

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2006年8月13日 (日)

不思議の国の自衛隊

行政、政治、産業、マスコミ報道、一般的な国民意識等の点から、自衛隊と国防の問題点が提起されます。

諸外国の軍隊と自衛隊の最大の違いとは何か? 前者が六法の範囲外である軍隊法によって独立した存在であるのに対し、自衛隊は行政機関のひとつにすぎないことがそれであり、有事の際に多大な制約が生じることが示される。それが「超法規的行動」を自衛隊が選択する危険性も起こりうる……。
本書は1999年の出版です。有事法制が制定されたから、少しは改善されたのでしょうか。

また、外務省、財務省に代表される行政機関の問題点が安全保障の点から指摘され、喜劇とも言える状況が納税者の知らないところで展開されていることが明らかにされます。

真の平和を望む者は、政治と軍事に精通しなければならない。なるほど、納得です。

最期に、日本文化の外国への浸透に関しても、もはや現代日本人と縁のないフジヤマ・ゲイシャ・カブキではなく、TVドラマ、アニメ・マンガこそクローズアップするべきであり、それが親日外国人を増やし、安全保障に貢献することが明確にされます。
これには強く賛同します。私事ですが、1993年頃に韓国へ出張した際、当地のゲーム専門誌(ハングルだから読めない)に日本の格闘ゲームやアニメがでかでかと取り上げられて、日本語講座が連載されていることが印象に残りました。

不思議の国の自衛隊 誰がための自衛隊なのか
著者:清水信一、KKベストセラーズ、1999年12月発行
2006年8月12日読了

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2006年8月12日 (土)

常識の壁

常識は移ろいやすいものであり、芯を強く持って生きなれれば世間に飲み込まれてしまうことが、多彩な事例とともに示されます。

「欧州は個人主義、日本は家族主義」は完全に間違いであり、欧州は社会制度が家族単位でできている一方、この十数年で日本の家族崩壊は加速した。それに拍車をかけるのが「親の面倒を見なくてすむ」最悪の制度、介護保険だ。

「失われた10年」は責任逃れのための方便であり、日本人の「自分さえよければそれで良し」とする態度を冗長させた。現実にはバブル期より日本経済は肥大化しており、我々の生活レベルも格段に向上している。

これからますます増えるであろう安楽死の問題は、憲法に明記された個人の尊厳に関わることなのだが、医師会、家族、行政すべてが逃げ腰であり、本人の意向はまるで考慮されていない。

日本の国家財政はすでに破綻しており、国債の格下げも当然のこと。世界史に例を見ないレベルとなった1200兆円もの借金は、返済不可能である。
答えは政府の民営化ですか……。日本国の予算の半分が借金でまかなわれ、我々の支払うバカ高い税金の全額が国家・地方公務員(そのほとんどがロクに働かないことを我々は知っている)の給料に費やされ、公務員本来のサービス業務のすべてが借金で運営されていることを鑑みると、なるほど、現実味を帯びてきますね。

率直な「人の希望」を追求することが、やりがいと創意工夫の連鎖につながり、それが社会の活性化することが提示されます。

どこかで憶えのあるタイトルは、バカの壁の著者との対談を行って、意識的に付けられたようです。御愛敬。

常識の壁
著者:菊池哲郎、中央公論新社、2004年1月発行
2006年8月9日読了

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2006年7月29日 (土)

千秋の讃歌

アメリカ国防総省による宇宙計画、その本当の姿とは!
http://www.shueisha.co.jp/ochiai/sanka/index.html

NASA肝いりの地球温暖化の研究プロジェクトが頓挫した。クリントン政権からブッシュ政権への変化に伴うものだったが、その陰には統合参謀本部の思惑があった。そしてアメリカは「核兵器を超える神の最終兵器・オメガ」を手中に収めつつあった……。
「地球環境を守るため」アメリカ人以外の人類を破滅に追いやるオメガ計画を阻止するため、日系イスラエル人が立ち上がる。

中国=ロシア同盟の危険性、第三世界諸国の生活水準の向上による「災厄」、天才科学者と素朴な兵士の触れ合いと尊厳、法を超える常識……。
壮大なスケール! 男の浪漫! 落合信彦氏の醍醐味がここにあります。
こういうのをハリウッドで映画化してほしいなぁ。

千秋の讃歌
著者:落合信彦、集英社、2006年6月発行
2006年7月27日読了

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2006年7月23日 (日)

戦乱下の開発政策

内戦は「当該国の問題」であり、「勝敗が決するまで好きにやらせたら良い」とし、「内戦の原因は民族的・宗教的なものだ」とする姿勢が、過去40年間に渡って内戦を無視してきた誤解の元であり、実は自分たちの経済に密接していること、内戦の根本原因と地域的な格差、その具体的な防止策が、世界銀行(国際復興開発銀行)の視点から説かれます。

一国の内戦。それは当事国のインフラ破壊、国民の大量死、経済の軍備偏重を来すだけでなく、周辺地域国への難民の放出、マラリアとAIDSの蔓延を引き起こす。さらにグローバルな影響として、先進国へ麻薬とAIDSを蔓延させ、テロリズムを引き起こす。
アフガニスタンにしても、1990年以降は内戦に真剣に介入したとはいえず、放置した結果、非合法地帯が生まれてテロリストが育ち、その因果が例の九一一であったと言えます。

内戦そのものを抑制し、より平和な世界へ向けての提言としては素晴らしいものがあります。ですが、いわゆる悪政に苦しむ非民主主義政体をどうするのかについては、一言も触れられていません。「World Bank/IRDBの所掌外だ」と言われれば、それまでですが……。

BREAKING THE CONFLICT TRAP :
CIVIL WAR AND DEVELOPMENT POLICY
世界銀行政策研究レポート
戦乱下の開発政策
著者:世界銀行、田村勝省、シュプリンガー・フェアラーク東京
2004年8月発行、2006年7月23日読了

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2006年7月18日 (火)

アメリカは何を考えているか

かつての軍産複合体に代わって米国経済を動かし、世界のエネルギー需給をコントールすることを画策・実行している集団がいる。その名も"オイル・マネー複合体"。彼らの思惑が産油国と国際投機筋と一致し、ここ数年の原油高騰、すなわち「第二の石油危機」が始まった。
石油売買がドル建てである理由、それで誰が得をしているのか、迷惑を被ってきたのは誰か、等が遠慮無く明らかにされます。
現在のドル経済体制の限界が露呈し、ハードランディングの危険に晒されていること、何故日本政府が役立たずの米国債を異常なほど大量に「買わざるをえない」のか等、興味深い内容が71ページの小冊子にぎっしりと詰まっています。

それにしてもガソリン、高くなりましたね。ハイオクなんてリッター150円も間近で、財布も汲々としています。(給料上がんないし。)

実は怖いのはこれからで、「世界の需要が供給を上回る」2010年代にかけて、大幅に高騰することが予想されます。そして、中国は1994年から1996年にかけて世界中の産油国と協定を結んで油田採掘権を確保しており、ついにはサウジアラビアとも……。アメリカは黙っていませんね。
冗談抜きにガソリン車をエタノールやメタンガス車に改造しないとイケナイかも。

アメリカは何を考えているか オイルとマネー
著者:赤木昭夫、岩波書店・2006年7月発行
2006年7月17日読了

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2006年7月15日 (土)

歴史の中のソ連

いまの若い人にとって大国とはアメリカ合衆国であり、それに中国が続く、と理解して良いのでしょうか?冷戦まっただ中に多感な(?)十代を過ごした僕の世代では、ふたつの超大国=米国とソ連邦のガチンコ勝負の世界観が、いまも根強く残っています。だから望むわけではなく、"新冷戦"としての米国v.s.中国、あるいは米国v.s.中国・ロシア連合の構図が現実的に感じられるのでしょう。

かつて分不相応に米国と覇権を争い、そして歴史の舞台を降りたソビエト社会主義共和国連邦の歴史的意義を問う著作です。

"情報開示"の少ない時代のことです。スターリン、ベリヤが引き起こす無慈悲な処刑と強制移住と裏腹に、華々しい宣伝と社会主義の理想像は、"打倒されるべき汚れた資本主義社会"の一部住民と第三世界諸国に希望を与え、そのことが米国をして徹底的なソ連との対決に向かわせます。
結局、レーガン・ブッシュの強行路線とソ連内部の深刻な経済・社会崩壊がゴルバチョフを「新思考外交」路線に走らせるわけですが、福祉国家的な政策が資本主義国家に与えた影響だけは、ソ連の残した功績と言えましょう。

余談ですが、現在の陸上自衛隊の九〇式戦車(MBT:主力戦車)はソ連のT72に対抗するべく設計・製造されたものであり、その運用も北海道に限定されたもののようです。(違う見解も存在しますが、本土への運搬手段、支援車両の配備状況からも、北海道限定と割り切って良いでしょう。)現在の南西方面重視の点から、早いとこ新型戦車への転換を進めて欲しいものです。

歴史の中のソ連
著者:松戸清裕、山川出版社・2005年12月発行
2006年7月13日読了

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2006年7月 9日 (日)

近代技術と社会

近代科学技術。それを生み出した土壌が人口集積地である都市の発展であり、それは人類社会の生活の変革をもたらした。すなわち季節と体内時計を基準とする生活から、産業時刻に管理された生活へ、と。

現在では当たり前のロー・テクも、100年前の先進国では最新ハイテク技術であり、現在の発展途上国においてすら(IT等の一部を除いて)「この目で見たこともない」ハイテクとなる。
また、規格に合わない特殊事情者、採算の取れない少数者、役所審査の上での不適格者等、現代のハンディキャップを背負った人たちには技術の恩恵が行き渡っていないことが指摘される。これを解消するのは「社会技術」上の課題であるとも。

興味深かったのは余暇の解説。欧米、特にプロテスタント諸国では「仕事から解放された自己実現の時間」こそが余暇であり、その時間を増やすために猛烈に技術革新に取り組んできた。それは、余暇の原語=スコレーが転じて学校(スコラー)が成立したにも窺える。一方で明治以降の日本は「余暇=自由勝手に使える時間」と理解している。技術革命の成果だけを取り入れ、その本質をわかっていない。そのように欧米から時折揶揄されるのも、その誤解が根底にある、と著者は語ります。

近代技術と社会
著者:種田明、山川出版社・2003年8月発行
2006年7月7日読了

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2006年6月29日 (木)

国際経済体制の再建から多極化へ

第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制とその矛盾、金=ドル本位制とその崩壊後の為替の動静が語られます。
結局、持てるもの(資源と金、軍事力と政治力。要は米国)の欲しいままに翻弄されてきたことがよくわかります。
GATT(今はWTO)にしても、自由貿易を目指しながらも、EUと米国の農業保護を聖域にしてしまったし。

それにしても「今は昔」ですね。本書が著された1995年~1996年当時は、老いたりとはいえ日本経済の世界に占める位置づけは大きなものがあり、米国と東南アジア地域の貿易シェアに占める割合も日本がダントツでした。中国が日本に取って代わることを予想する向きもありましたが、それが現実になることを本気で予想した人はどれほどいたでしょうか。
すでにユーラシアではロシアとタッグを組み、中心国の地位を固めつつあります。やがて東アジアと東南アジアも日本から中国へと優先順位を変えるのでしょうね。
手をこまねいてきたのは我々日本人自身ですし、まぁ、自業自得か。

国際経済体制の再建から多極化へ
著者:石見徹、山川出版社・1996年10月発行
2006年6月26日読了

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2006年6月17日 (土)

脳力のレッスン

もはや既定路線である「米国一辺倒」に加速し始めた日本政府と国民意識に対し、メディアから距離を置き、知性と良心を働かせて深く考えることを説く寺島氏の、九・一一からイラク戦争終了後半年経過までの著述集。

三井物産時代にイランと米国に長く赴任し、特に米国の深層を知り尽くした著者の主張は、なるほど、耳を傾けるべきものが多々あります。

「"テロ撲滅と民主化推進のための戦い"とは、米国の国際責任を自覚した孤立主義脱却の現れなのか? 否、経済力と軍事力を背景にした米国の価値観の押しつけであり、ねじれたユニラテラリズムである」

「(イラクやアフガニスタンなどの)屈服しそうな都合の良い悪役に攻撃を加え、勝利を演出するだけの、本当の敵を見失った戦争である」

「瞬間風速的には米国の力の論理が突出しているが、世界は着実に国際法理と国際協調システムが機能する時代へと向かいつつある」」

「日本が長年唱えてきた、国連中心の国際協調主義、武力を行使しない平和主義は、結局は米国の都合により、いかようにも変更される程度のものだ。所詮、日本は米国の周辺国でしかない。そう世界の国々には映った」

「広く世界から敬愛される日本。それは武力を紛争解決の手段とはせず、大量破壊兵器の廃絶を、アメリカを含む全世界へ堂々と主張する日本である」

「日本人は時代と向き合うことを止め、ただ漂流していないか?」

米軍と自衛隊の一体化が進んでいますが、裏を返せば自衛隊のすべてを米国に掌握されると言うこと。いまでは考えられませんが、もし将来「米中同盟v.s.孤立した日本」の敵対関係が成立した場合、日本は最初から降伏を余儀なくされるわけで、長期間、国防を(実際には外交も)米国の力に頼り切った"ツケ"としては、あまりにも大きいと言えます。
無論、夢物語で済むようにしなければいけませんが、現況からすると「世界情勢」と言う名の米国の意思に流されて漂流して、気付けば「罠に嵌められた!」なんてことになりそうです。

本書の半分はイラク戦争と対峙した米国と日本の姿勢を質すものですが、「重心の低い知性、歴史軸と時間軸に裏打ちされた本物の脳力」、「市井の人の理性や品格が、その時々の判断に滲み出る」等々、味わい深いエッセイが新たな気持ちにさせてくれます。

これからも寺島氏の発言には、刮目して対峙したいと思います。

脳力のレッスン 正気の時代のために
著者:寺島実郎、岩波書店、2004年12月発行
2006年6月17日読了

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2006年6月11日 (日)

平和を創る発想術

紛争を和解へと導くためには、価値観の転換が必須であることが身近な問題を例に取り上げて解説されます。なるほど、紛争当事者が個人や家族等、小規模であれば有効かもしれません。しかし、内部に様々な利害関係者を抱える国家間の紛争では、妥協一つとっても難しいのに、新しい価値観の容認と発想の転換を示して導くのには、よほど強力なリーダーシップが必要でしょう。

たとえばエジプトの故サダト大統領のように。
たとえばイスラエルの故ラビン首相のように。
たとえばアメリカの故JFKのように。
たとえば英領インドの故ガンジーのように。

彼らの共通点……和平へと向けて相手を信頼し、自国民を説得し、そして暗殺された……。
志を継ぐものがいれば、幸せというものですね。

和解の向けての第一歩が、自分と相手のことをよく知ることであり、当たり前のようで実は難しいのです。その一助として、深層文化の探求が提示されます。なるほどなぁ。

その他、経済(GDP至上は人生を破綻させる)、報道(戦争報道に偏る商業報道。実はNHKも似たようなものだが)の平和的な在り方、指導者の対話(議論ではなく!)の重要性が語られます。

国家レベルの大きな話ではなく、個人レベルから実践していきたいですね。(すぐ感情がでてしまいそうですが。)

平和を創る発想術 紛争から和解へ
著者:ヨハン・ガルトゥング、岩波書店、2003年8月発行
2006年6月7日読了

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2006年6月 4日 (日)

第三次インド・パキスタン戦争

1947年、長く過酷な植民地支配から抜け出した英領インド。しかしマハトマ・ガンジーの理想を追い求める努力は実を結ばず、非宗教国家インドと、ムスリム国家パキスタンとに分離しての独立となった。そのパキスタンは、インドを挟んでの東パキスタンはベンガル人、イランに近い西パキスタンはパンジャブ人を中心としており、その風習、風土、主食は異なり、イスラム教以外の結びつきは皆無であった。
やがて東パは西パに支配される構図となり、かつての連合王国内における独立前のアイルランドのように、自国内植民地の立場に追い込まれていった。必然的に敵意は高まり、軍事政権による弾圧が火に油を注ぐことになった。

本書は、1970年代初頭にインドに駐在したNHK特派員の筆によるもので、ダッカ大虐殺の現場記録、東パキスタン独立運動、インドの介入とパキンタンとの戦争、そしてバングラデシュの独立までが克明に写し出されています。同時にソ連邦、米国、中国の動きと、国連の無力さが浮き彫りにされます。
米国の中国への接近によって転機を迎えた東西情勢と、この戦争へ及ぼした影響が明確に描かれており、興味深く読むことができました。

それにしても厳しいのは、貧困国家パキスタンイスラム共和国から独立した「最貧」国家バングラデシュ人民共和国の現実です。その国民一人あたりGDPは、1998年でなんと350ドルでしかなく、33000ドルの日本から見ると、まるで別の惑星の住民であるかのごとく感じてしまいます。
豊かな生活を楽しむことが当たり前になってしまった現代人は、ときおりテレビで伝えられる「第三世界のかわいそうな」状況に心を痛めることで、贖罪感から無意識に逃れている。もちろん、僕を含めて。そんなことを再発見した、日曜のうららかな午後でした。

第三次インド・パキスタン戦争 バングラデシュの独立
著者:高橋貞雄、日本放送出版協会・1973年9月発行
2006年6月4日読了

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2006年5月25日 (木)

ウルトラ・ダラー

国の威信を賭けて世に放った新100ドル札。その偽札が出現したことに衝撃を受ける米国の対応は素早く、インテリジェンス組織の発達した国家の凄味とともに、同盟国イギリスとの信頼関係をも匂わせてくれます。
やがて物語は、弾道ミサイルの開発に見切りを付けた北朝鮮の「東アジアにおける米中の力関係をも一変する○○」の密輸入問題に発展し、現実味を持って淡々と描かれます。

拉致被害者の母親の心痛と冷酷な役所の対応にしろ、ウクライナのオレンジ革命(小説に取り上げられるのは初めてかも!)にしろ、時事を克明に描くのは、著者の力の成せる技ですね。北朝鮮への首相訪問に関する"不透明な交渉"を糾弾し、現役外務省高官(あの人ですね)への資質を問うくだり等、こんなこと書いて大丈夫なのか? と心配させてくれます。

見返りの少ないエリート会社員、家族崩壊、飽くなき名誉欲と飢えた愛欲の探求、無私な愛国心と信念。その帰結が巨大な犯罪に巻き込まれ、個々の破滅を招く現実。
それにしても、人間はかくも弱きものか。

舞台裏は国際政治の現実と虚構が一体となったものです。これからも、この著者を注目ですね。
(持ち上げといてすみませんが、個人的には「一九九一年 日本の敗北」が一番面白かったです。)

ウルトラ・ダラー
著者:手嶋龍一、新潮社・2006年3月発行
2006年5月24日読了

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2006年5月15日 (月)

カシミール

1990年初頭より散発的な戦闘が行われ、1999年のカルギル紛争でピークを迎えるカシミール紛争。2006年現在も解決の目処が立たないまま、隣り合う核保有国、インドとパキスタンが領有を主張してやまない地域の、まだ比較的平和な時代の旅物語。

仏教に帰依したアショカ王に始まり、その後の為政者がヒンドゥー王朝、ムガール王朝、シーク王国、1846年以降のジャンムー・カシミール藩王国=英国間接統治へと変遷した豊かな歴史と、その産物でもある多様な文化・手工業産物が紹介されます。
現地の人々の息づかいまで伝わるような紀行文と、大判かつ豊富な写真が、旅を共有した気分にさせてくれます。

それにしても、由々しきはカシミール問題。これは、1947年のインド、パキスタンの分裂しての独立にさかのぼる、英国帝国主義の無責任な置き土産です。現地の人が独立を望もうと、パキスタンへの帰属を望もうと、インドが許すはずもなく、ゲリラ化した住人とインド軍との小競り合いが続いてきました。さらにはアルカイーダ系列のムジャヒディンが多数、この地域に雪崩れ込んだことにより、事態はいっそう複雑になっています。

アフリカ・スーダンのダルフールといい、ナイジェリアのビアフラ(古い!)問題といい、パレスチナ問題といい、旧宗主国の勝手な政策が現地人の生活を滅茶苦茶にし、命までをも奪う現実。世はグローバリゼーションと言えども、100年前の帝国主義の残滓は、いまもいたるところで火を噴いています。

ロマンチック・インディア カシミール
著者:茂市久美子、藤田弘基、ぎょうせい・1988年5月発行
2006年5月15日読了

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2006年5月 3日 (水)

南北・南南問題

「南北問題」なる概念は、植民地体制の崩れた戦後になって先進国、特に西側にとっての新しい経済体制を構築する中で提唱された。経済発展を競り合う西側と東側、援助されるように見えながら、その実、置き去りにされた第三世界。非人道的なIMF、OPECとNIESの登場による「南南問題」の発展、と問題が多岐に渡って提起されます。

アフリカ諸国の貧困からの脱却、これは解決不可能なように思えます。一次産品に依存する産業構造は変わることは無い。「より弱い」立場の国民を抑圧する非民主的な国家元首とその政府官僚。時の為政者にとって、獲得した権力を手放すことはありえないし、その政権と結託した多国籍企業は、ひたすら利潤を目指すのみ。見て見ぬふりをする似非人権主義者(自己満足の権化!)の存在……。

南側の諸国では、いまでも「国民国家」より「民族・部族」の紐帯が強いように思えます。
そもそも、西欧式の国民国家を無理に維持する必要性はどこにあるのか? 特に旧宗主国の残した幾何学的な国境(無理な線引き!)を維持するために人命が失われ、モノカルチャー経済から抜け出すのにも困難な現実を顧みると、思い切って数カ国・地域による連邦制を目指すべきではないのか?
すぐには無理でも、国家間統合へと進む世界の趨勢を考えると、決して無理な話ではないはず。

南北・南南問題
著者:室井義雄、山川出版社・1997年7月発行
2006年5月3日読了

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2006年4月29日 (土)

平成三十年

政治・経済が表面だけの改革に終わり、前例と慣例に従う官僚主導のまま、世界の動きから取り残された日本。財政赤字だけでなく貿易収支も赤字となり、さらに全企業収益も赤字に陥る2017年の日本。資源・食料危機に翻弄され、円安を背景に一人当たりGDPがシンガポールや台湾に劣る「中進国」となった日本を舞台に、産業情報大臣となった織田氏の大改革が進められようとしていた……。

1980年代に代表される「過去の日本の栄光」を知る者(僕もそうです)にとっては実に辛い「没落街道まっしぐらの日本」と、その流れを変えようとする「新世代起業家兼政治家」の奮闘する姿が、好意的に描かれます。

「職縁社会が崩壊しても血縁社会や地域コミュニティが生まれるでもない。二十一世紀の日本人はみな、孤独なんだ……」

「国の重要な選択が、国民の選挙で決まると考える官僚はいない。官僚の発想では、選挙の結果はせいぜい、行財政がやり易いかやり難いかの違いだけである」

主人公の高級官僚・木下課長をはじめ、登場人物のほとんどが戦国武将、特に織田信長とその家臣のパロディとなっており、ニヤリとさせられる場面もあったりします。
15年以上前に読んだ「黄金の日々」よりも面白かったです。

平成三十年(上) 何もしなかった日本
著者:堺屋太一、朝日新聞社、2002年7月発行
2006年4月23日読了

平成三十年(下) 天下分け目の「改革合戦」
著者:堺屋太一、朝日新聞社、2002年7月発行
2006年4月29日読了

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2006年4月20日 (木)

戦争と平和 未来へのメッセージ

時代と場所を縦横に巡り、戦争を正当化する権威と進歩的理論、ローマ時代の「良心的兵役拒否」にはじまる平和を追求する人々の希求が、あくまでも学術的に記述される。

自民族中心主義が限度を超えると、戦争に雪崩れ込んでゆく。時代ごとにそれを克服する努力がなされ、幾多の人柱が犠牲になってきた。

国と国、もっと言えば人と人の交渉こそが重要であり、ここ数十年の国連にしても、主体はあくまでも国家と地域であり、あくまでも国連は「場所」にすぎないことを、つい忘れがちになる。

戦争犯罪に対する考えも変遷し、第二次世界大戦までは正当な戦争行為とされてきたことも、昨今では人道に対する罪、「戦争を始めた罪」として国際刑事裁判の対象とされるようになりつつある。(抵抗する某自由主義大国の姿がみっともなく映る。)

で、平和の条件とは何か?
資本主義社会の実現では不十分。民主化を達成しても十分ではなく、ナショナリズムの克服こそが重要である。当たり前のようだが、本書を読んで再認識した。

岩波講座 世界歴史25巻
戦争と平和 未来へのメッセージ
著者:油井大三郎、最上敏樹、長崎暢子、大久保桂子、他
岩波書店、1997年12月発行、2006年4月19日読了

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2006年4月15日 (土)

魔王

2012年頃の東京と仙台を舞台に、特殊能力を手にした兄と、その弟の物語が展開します。
冒頭から期待させてくれるのですが、何かを成し遂げようとする半ばで物語は終わります。
目に見えない絆、受け継がれた「何か」、流れに抗う"意思"が本作品の主題なんでしょうか?

現代日本の閉塞感と庶民の諦観、小さな希望が現れた奇跡への、何も考えない大衆の"ベクトル"の恐さ。永遠に変わることのない「日本人の習性」が見事に描かれています。

「消灯ですよー」 第一部のラストでも効果的に使用される、この何気ない言葉が印象に残りました。

魔王
著者:伊坂幸太郎、講談社、2005年10月発行
2006年4月12日読了

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2006年4月10日 (月)

今がどん底 這い上がるしかないじゃないか

北朝鮮と並んで東アジアの平和を脅かす一大要因、共産党専制独裁国家である中華人民共和国。しかしIMFへの加盟を果たし、2008年にはオリンピックが開催される。上海万国博覧会の先には、力強い発展による揺るぎない経済大国・軍事大国の地位を中国にもたらす。結局は民主主義の片鱗も受け付けないまま、中国は国際社会に受け入れられたのか?
しかし、これがアメリカの長期戦略であること、すなわち中国の解体を目的としたものであり、確実にその方向に向かうであろうことが明快に記されます。(詳しくは本書で。)

それにしても日本"国"がすでに死に体であり、政府部門の積極的な民営化が必要であること、個人は世界をフィールドに生きるべき、等、大前研一先生の主張に通じるところがあります。井の中の蛙たちを"外"から俯瞰したら、やはりこのように見えるのでしょうね。

本書の収穫は他にもありますが、自らのアイデンティティを守りながらグローバルな自分を育む、すなわち自分自身を持つことを意識して上を目指したいと思います。
(人に言えない目標ってありますよね。)

今がどん底 這い上がるしかないじゃないか
著者:落合信彦、青春出版社、2003年4月発行
2006年4月10日読了

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2006年4月 9日 (日)

日本はどう報じられているか

イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、アラブ諸国、中国、韓国で日本に関する事項がどう報道され、それがどう影響を及ぼすのか?

イラク戦争の事例。われわれ日本人は「自衛隊をイラクへ派遣はしたが、それでもアメリカとは違う」と思いがちだ。だが小泉首相とブッシュ大統領がクロフォード牧場で握手して微笑む写真がワシントンポストとニューヨークタイムズにデカデカと掲載されたことで、「日本とアメリカは一蓮托生」だと世界は認識した。無論、テロリスト側も。その帰結が外交官二名の殺害であった。

ノー・モア・ヒロシマの事例。イスラエルと対立を続けるアラブ世界では、ヒロシマ・ナガサキの意味をこうとらえている。「二度と過ちを繰り返しません」とは「二度と核攻撃を受けないよう、われわれは力を蓄えなければならない。そうだ、核武装しなければならない」
1998年に核実験に成功したパキスタン。当時のシャリフ首相はこう言った。
「ヒロシマとナガサキに起こったことは、日本が核兵器を保有していれば回避できたのだ」「だから(パキスタンの)核武装は当然の選択だ」
インド=パキスタンが一戦交えたカルギル紛争でもNPOと学生団体が「ヒロシマ精神による平和」を訴えたが、同じように受け取られたのだろう。

結局、われわれ自身が積極的に「正しい情報」を提供しないと、思わぬ方向へ話が進むんですね。

日本はどう報じられているか
著者:石澤靖治、池内恵、土生修一、他、講談社、2004年1月発行
2006年4月9日読了

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2006年4月 8日 (土)

ロウアーミドルの衝撃

マスコミ報道によれば「そろそろ景気が回復してきた」そうだが実感が沸かない。実はその正体は、加熱する中国特需によるものであり、日本が自主的に獲得したことではない。それでは、これまでの「デフレ」とは何だったのか……?
その答はグローバル経済の浸透による価格の正常化であり、世界的にまだまだ「バカ高い」日本の物価は、さらに下落することが明らかにされます。
いまや「年収600万円以下の下層中流世帯と下層世帯」が日本国民の80%に達するが、それでも世界的には十分な富裕層と言える。では何故、余裕が感じられないのか? それは、ありあまる公務員とごく少数の一次産業従事者、既得利権者を優遇する政治体制から脱却できないためであり、現在の経済システムがサラリーマン世帯の多大な犠牲の上に成立しているためである……。

日本経済は"不景気"などではなく、長期的な衰退に入っていること、すぐにヒト、モノ、カネを世界中から受け入れる準備をしないと「犯罪が蔓延し、老人ばかりが無気力に生きる2025年の没落した日本」が訪れることが明言されます。

本書の真骨頂は税制改革の抜本的変更の提言です。
現行のフロー課税からストック課税に変更しないと、近い将来に日本そのものが破綻し、以降、永遠に立ち直れないことが何度も何度も説明されます。
個人金融資産も雲散霧消し、最貧国に没落する悪夢……。

わずか1,600円です。買って読みましょう!

ロウアーミドルの衝撃
著者:大前研一、講談社、2006年1月発行
2006年4月8日読了

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2006年4月 2日 (日)

The Third Way 第三の道

かつての勢いを無くしつつあるトニー・ブレア英国首相ですが、従来の社会主義の「良い部分」と自由経済の長所を生かそうとする政治手腕は評価できるものと言えます。1980年代のサッチャリズム、レーガノミクスに代表されるニュー・ライト、すなわち新保守主義路線からの脱却を説いた本書が、イギリス労働党に与えた影響が大きいとされています。

不平等の是正、すなわち資本主義をどう統御するかについては様々な議論が行われていますが、結局は野放しの自由経済は「弱肉強食」でしかなく、それが1990年代の経済危機(南米、ロシア、東アジア)を招いたこと、国別・地域別の貧富の差がますます拡大することは明白です。
本書では、資本主義の利点を生かしつつ、人間的に作り替えることが社会民主主義の目標の一つであり、魅力であることが明らかにされます。
第二次世界大戦終結後の政治の主流となった社会民主主義=高度福祉社会体制も、石油ショックを経て新自由主義に取って代わられます。冷戦の終結が社会主義を過去のものとしたこともあり、社会民主主義を立て直す議論が欧州で行われてきました。本書はその集大成とも言えます。

日本にも二大政党政治が根付くと期待されていますが、強者=自民党の政策を部分的に借用・改変し、あたかも自分たちの政策であるように振る舞う民主党=小自民党ではあまり期待できそうにありません。投票率の低下も納得できるというものです。
小沢さん、鳩山さんには耐えられないかもしれませんが、社会民主主義の考えを取り入れた政策を前面に押し出してはいかがでしょうか? 小泉さんに幻滅したサラリーマン世帯の支持率を確保できるかもしれません。

The Third Way : The Renewal of Social Democracy
第三の道 効率と公正の新たな同盟
著者:アンソニー・ギデンス、日本経済新聞社、1999年10月発行
2006年4月1日読了

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2006年3月23日 (木)

ヘンな国、困った国ニッポン

祖母が入院していた、そして最期の夜を過ごした兵庫県の吉川病院では、外国人従業員の多いことに驚いた。車椅子に乗るもまだ元気の残っていた祖母を見舞うとき、そこで働く東南アジア系の女性を幾人も見かけた。看護に付くのではなく、食事の準備と配膳が主な仕事のようだった。いまでもそうだろう。
ハッキリ言って下働き。
顔つきからして出身地はフィリピンだろうか? インドネシアだろうか? 一時的な出稼ぎではあるのだろうけれど、その待遇は? 地位は? 社会保障は? 手厚く報われているとは思えないなぁ。
史上例を見ないほどに贅沢になった21世紀ニッポン。3K職に就く日本人は少なく、代わりに需要を満たすのは外国人である。冷徹な現実ではあるが、後ろめたい気持ちもある。

さてさてさて、本書では「となりの外国人」にスポットを当てつつ、現代日本の抱える様々な「外国人」問題が取り上げられます。
少子高齢化する日本と移民受け入れ問題、日本のフィールドで活躍する外国人スポーツ選手とタレント、外資系企業の経営者、世界中から非難を浴びても開き直った難民政策、合法的な、そしてイリーガルな外国人労働者、等々。
英字新聞編集部の筆によるだけに、抑えられた記述とされていますが、その内容は怒りすら憶える深刻なものでした。
たとえば、中小企業を救うべく政・官・財トライアングルの思惑が一致して制度化された「外国人技能研修制度」ですが、その実態は「文句を言わない安価な労働者の提供手段」でしかなく、実際に酷たらしく搾取される"研修生"の実態が静かに、しかし熱く暴かれています。
「彼らは研修生であり、労働者に非ず!」との法の建前から、タダ同然でいくらでも働かせる中国人、インドネシア人。パスポートも取り上げられ、所定の給料の8割も「必要経費」としてピンハネされ、日本人の嫌がる残業を押しつけられて! これでは反日感情が高まるのも無理ありませんネ。

ヘンな国、困った国ニッポン ドキュメント外国人
編著者:デイリー・ヨミウリ、中公新書クラレ、2002年10月発行
2006年3月22日読了

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2006年3月21日 (火)

サラリーマン残酷物語

戦後例を見ないほど強力・強大となった会社に対し、弱体化したサラリーマンは失業率5%を意識しつつ、ただ黙々と働き続ける……。
過酷な会社社会と、それでも生き延びようとするサラリーマンの姿を描き、ますます蔓延する社内イジメ、パワハラ、うつ病、リストラ解雇への処方箋が示されます。
さまざまな事例のうち、銀行出身の役員や外資系コンサルタント会社の好きなようにされ、最後は破綻した大手老舗食品商社の実例が印象に残りました。
経営トップのあり方ひとつで会社は簡単に沈むこと、そして個人は、常に最悪の事態を想定しておく必要があると言うことですね。

「まだまだ自分の職場は恵まれているなぁ。いちおう大企業だし」と思いつつ、いつ何時零落するかわからない不安感は払拭できません。

最後に「時間=命」という当たり前のことを再認識させてくれたことは、本書の最大の収穫でした。

サラリーマン残酷物語 起業か、転職か、居残るか
著者:風樹茂、中公新書クラレ、2004年7月発行
2006年3月18日読了

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2006年3月20日 (月)

やりたいことは全部やれ!

やりたいと思ったらすぐに実行する(後悔することを避ける)、人生のバランスシート(死ぬときは貯蓄0円)、身軽さが一番(家は買わない)等、いろいろと示唆を与えてくれる本書ですが、特に印象に残ったのは次の2点の人生訓です。
・四つの責任を自覚するべし
 自分に対する責任、家族に対する責任、社会に対する責任、日本国に対する責任
 (あとは好き勝手にすれば良い。)
・いつ死んでも良いような人生を送るべし。
 死の瞬間に後悔の念の生起しないような生き方をする。

しかしこの先生、肉体派だったとは知りませんでした。
(自衛官や防大生を相手の腕相撲勝負で、負けたのは一度だけらしい。)

やりたいことは全部やれ!
著者:大前研一、講談社、2001年12月発行
2006年3月17日読了

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2006年3月19日 (日)

怒る技術

カバーには「怒りの哲学」と表されています。
なるほど、達観です。人生において降りかかるあらゆる災いは、これを逆利用して人生の糧にするべし、と。
怒りが蓄積して"腐る"とどうなるか? キレる若者たち、「おとなしい善人だった」無差別殺人犯等の事例が述べられます。
恐怖の対象から逃げ惑うのではなく、鮮度を保つうちに対処しておかねば人格が変わる、とも。

最後に「怒る技術=怒らないための技術」であることが明らかにされ、納得です。

怒る技術
著者:中島義道、PHP研究所、2003年2月発行
2006年3月16日読了

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2006年3月13日 (月)

下流社会 新たな階層集団の出現

実にわかりやすいキーワードが散りばめられています。
働く上流と踊る下流
上流は女性らしさ、下流は自分らしさを大切にする
ミリオネーゼ系キャリアウーマンの闊歩する日本橋
渋谷(センター街)はすでに下流の街
下流は自民党とフジテレビ、スポーツ観戦が好きで「ぷちナショナリズム」的である
等々

マーケティングを専門とする著者によれば、本人の上昇志向/現状志向、仕事志向/趣味志向の違いにより、女性は1)ミリオネーゼ系、2)お嬢様系、3)かまやつ女系(ストリート系)、4)ギャル系、5)普通のOL系に分類されるそうです。周囲の女性を見回すと、何となくそんな気もしますが、本当かなぁ?
ちなみに男性は1)ヤングエグゼクティブ系、2)LOHAS系(いまハヤリのヤツね)、3)SPA!系、4)フリーター系だそうです。
自己分析結果:最も平凡なSPA!系でした。トホホ……。

途中、食傷気味となる箇所が多数見受けられるのですが、団塊ジュニア世代を中心に消費動向・意識調査から格差社会の実態を暴き出したという意味で、会心の作と言えましょう。
(食傷気味……細かい数字を並べて分析するのは良いのですが、同じような解説が続くのはいただけません。)

現在の政府の少子化対策は正社員の女性をターゲットにしているが、彼女たちに比べて年収が低いために出産を決意できない派遣社員・契約社員を対象にしない限りは、少子化に歯止めがかからない、と言う指摘はさすがです。
(猪口大臣はどのようにお考えなんでしょうか?)

自分なりの本書の結論ですが、結局、上流と下流の決定的な差は「当たり前の生活態度、こどもの頃からの躾」である。これにつきます。

下流社会 新たな階層集団の出現
著者:三浦展、光文社、2005年9月発行
2006年3月10日読了

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2006年3月 5日 (日)

世界のPKO部隊

紛争世界で積極的に平和維持に活躍する世界のPKO部隊。その歴史と部隊編成、現状と将来、アルバニア(1997年)、マケドニア(1998年)、コソボ(1999年)、ボスニア(1998~1999年)での活動実態、自衛隊初のカンボジアPKO派遣の評価、それに、人道的な国際救援活動の哲学(?)が語られます。
よくある「頭でっかちな学者先生」本とは違い、ルポを中心とした構成で、非常に読みやすいです。
国際連合(国連)、ダグ・ハマーショルド氏の理念と行動力、ブライアン・アークハート氏の情熱、自衛隊(防衛庁、情報本部、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊)に興味と理解のある方は、ぜひ読むべきと思います。

世界のPKO部隊
著者:斎木伸生、大久保義信、他、アリアドネ出版、2000年6月発行
2002年11月13日読了

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2005年12月24日 (土)

国民国家とナショナリズム

国境をたやすく越えられる時代に生き、その恩恵を享受する日々の中、毎日のように報道される国家間紛争、内戦とその影で絶命する無数の人々の声なき声……。
そもそもナショナリズムとは、国民国家とは何なのか? その発祥の地とも呼べるフランス、ドイツ、連合王国の地政学的経緯と国民概念の違いが明らかにされます。

「ドイツ語を話すドイツ人」がドイツ国民の条件であるのに対し、自由・平等・博愛(友愛)の精神を有し、フランス領生まれである者は無条件にフランス国民となるのです。この違いが、サッカー・ワールドカップのメンバー構成に現れます。(フランスチームは金髪ラテン系、北アフリカ系、メラネシア系有り、ドイツチームは全員がゲルマン民族)

フランスの特徴とも呼べる啓蒙文明主義は、18世紀に欧州の国家体制の変革をリードした一方で、それがやがて植民地主義に転じようとは、1789年当時には予想すらできなかったでしょう。まさに歴史の皮肉といえます。
連合王国(ブリテン)の場合は「外に帝国、内にも従属国家」を抱えるイングランドの場合、世界帝国を維持している間は内政も安定しますが、帝国が瓦解するに従い、アイルランドを筆頭にスコットランド、ウェールズの自治・独立の動きも激しくなります。しかし、危機的状況になる前に、EUに加盟したことにより「三重のアイデンティティ」すなわちEU、連合王国、アイルランドのおのおのに属することとなり、かえって国内政治が安定したことが明らかにされます。
より大きな連合体に属することで、ローカルが安定するとの逆説。近い将来の東アジア、特に中国の動向を考える上で、参考になりました。

国民国家とナショナリズム
著者:谷川稔、山川出版社・1999年10月発行
2005年12月20日読了

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2005年12月19日 (月)

通貨バトルロワイヤル

タイトルの"通貨"の範囲を超過した、膨大な情報が詰まっています。
アメリカ、EU、中国、そして日本の通貨政策と、その政治・軍事との関係が明らかにされます。
ビルダーバーグ・グル-プ、イギリスのしたたかさ、中国の老獪さ、日本のひ弱さ……

1997年のアジア通貨危機についても、ジョージ・ソロス氏が悪者扱いされていますが、その黒幕はEUであったとは……

それにしても、中国で急速に開発が進む電磁波ミサイル兵器は脅威です。
いくらイージス艦、弾道ミサイル防衛を進めたところで、これらを無力化されてはたまったもんじゃありません。本気で対処しないと危ないですし、この辺に、新たな技術開発の芽が見いだせるのかもしれません。
その前に中国=北朝鮮同盟のテポドン"中性子爆弾"ミサイルを本州・九州に打ち込まれて「お陀仏」ですか……。
どの近未来予測の書籍を読んでも、「米中の狭間に埋もれて消えてゆく日本」の姿が浮かんできます。悲しいことですが。

将来、東アジアで日本が生き残るには、中国を牽制できる軍事・政治力を保持した上で、彼の国と友好関係を築くしか、手がないように思います。
(バカの一つ覚えよろしく形だけの「日中友好」を進めると、なめられて、奪われて、消されてしまう。)

通貨バトルロワイヤル
著者:浜田和幸、集英社インターナショナル・2003年1月発行
2005年12月15日読了

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2005年12月10日 (土)

ネット王子とケータイ姫 香山リカ、森健

[かつて携帯の無い時代があった]
大人にとっての「携帯できる電話機」も、子供にとっては「ケータイできるITツール」、ですか。なるほどなぁ。この認識差が世代間の隔絶につながるわけですね。
思い返すこと13年前、仕事で初めて触れた「携帯できる特殊な」無線電話機は、本体が百科事典1冊分の大きさのショルダータイプで、送受話器が昭和の映画に出てくる「黒電話」そのもののカタチでした。初めて通話した感想は「高速道路の高架橋の上から電話できる。スゴイ!」の一言でした。もちろん、ノイズ混じりのアナログ方式で、連続通話時間は1時間に満たなかったと思います。
それがいまや、300万画素・光学ズーム式のデジカメを内蔵し、フルカラーLCDで動画もOK、着ウタ・WEBブラウジング、GPS内蔵、指紋認証機能まで実現するとは、想像すらできませんでした……。
僕の世代(30台後半)にとっては、携帯の普及は「便利な世の中になったナァ」なのですが、いまの中高生にとっては物心ついたときから存在したものであり、このあたりにジェネレーションギャップを感じます。

[メディア・リテラシー]
公立の小中学校にIT環境を整備する2000年の「eJAPAN構想」のもと、ハードウェアは国の威信をかけて急速に整備された。しかしモラル、リテラシーをはじめとするソフトウェアに関しては、国としての方針がハッキリと示されることなく、結局は民間の後追いとなってしまった。
しかもハードウェアにしても、アメリカのように個々の教室に整備するのではなく、コンピュータ教室にまとめて設置されることが多いそうだ(私立は違う)。昭和の枯れススキ頭脳を持つ年寄リーマン教諭にしてみれば、ネットやPCは「われわれには関係のない、特別な何か」でしかなく、オーディオや自転車と同じく「あって当然のもの」である子供の感覚とかけ離れていることが問題と言えます。

ネット王子とケータイ姫 事故を防ぐための知恵
著者:香山リカ、森健、中公新書ラクレ・2004年11月発行
2005年9月11日読了

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2005年12月 4日 (日)

ほんとうは日本に憧れる中国人

日本のモノやスタイル(生活)に憧れ、日本の現代文学、アニメ、J-POPをこよなく愛するいまどきの中国の若者たち。その一方で教科書問題、靖国神社参詣による「反日」の態度を隠そうともしない彼らの心情を、在日30年の中国人学者が解き明かしてくれる。

[国家と個人]
われわれ日本人は日本、または日本政府を指して「国」と呼ぶ。中国人は「国家」と呼ぶらしい。
日本は武士道の国だ。対して彼の国には儒教の精神が根付いており、頂点に国家、その下にそれぞれの首長、地域の長、家族の長に連なり、個人が存在する。国家に代表される組織と個人の関係が根本的に異なるのだ。

[歴史認識]
日本で揉め事が起こった後、片方が誤りを認め、それを素直に謝罪すればたいていのことは片が付く。過去のことは「水に流す」とする。ところが中国にはこの概念は乏しい。過去の加害者が被害者と関係を保つには、いつまでも謝り続けることが重要らしい。
これは中国人同士のみならず、日本国と中国との関係にもあてはまるそうだ。
つまり「過去の戦争については、すでに謝罪した」と発言するだけで「日本人は信用できない」と、こうなるわけだ。
中国の小学校では、週に2回は粗末な昼食を摂らせる。かつて貧しかった時代を忘れないために。また親は、かつて自身やその親の食した貧しい食事の光景を子供に言い伝える。二度と貧しさを体験しないために。過去のことを振り返らず、なるべく美味な食事を我が子に与える日本の家庭とは、根本的に異なる。

これまでの2000年がそうであったように、これからも日本と中国はお互いを無視できない。傲慢にならず、卑屈にならず、良き隣人としてどのように振る舞うべきなのか。そのヒントを与えてもらった気がする。

ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析
著者:王敏、PHP新書・2005年1月発行
2005年12月4日読了

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2005年10月24日 (月)

28歳からのリアル マネー編

人生の分岐点・35歳へ向けての準備として「萎えたオヤジにならないためのやるべきこと全部」が書かれているそうです。
年収、フリーターだけではない安サラリーマンの危機、結婚、出産、転居、親の介護、ガン予防、投資とその前提としての貯蓄、等々。
すばらしくわかりやすく書かれています。まぁ、若者向きの指南書としては及第点でしょう。
実践的な内容は、それ相応の実用書(できれば専門書)を読め、と言うことですね。

28歳からのリアル・マネー編
著者:人生戦略会議、WAVE出版・2004年8月発行
2005年10月23日読了

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2005年10月23日 (日)

力の論理を超えて 世界の現実と向き合うために

古い大陸欧州の知性。読了後、とっさに浮かんだ言葉でした。

事象から距離を置き、深く呼吸し、沈思黙考する姿勢。歴史の中枢は新大陸に移ったとは言え、過去(劣悪なものも含めて)の蓄積に研磨された感性と怜悧な問題意識が、力で押し通す現在の米帝国とは異なる新鮮な論説を生み出してゆく……。
フランスの国際評論誌、ル・モンドに1998年から2002年の間に掲載されたなかから、厳選された記事が収録されています。
米国の外交専門誌、FOREIGN AFFAIRSと読み比べると面白いのかもしれません。

最後の植民地から未練がましく撤退させられたアルジェリア戦争。栄光の祖国に染みついた、この恥辱の記憶を歴史から抹殺しようと、フランスは国を挙げて取り組みます。驚くべきことに、中学・高校の歴史教員自身が「教育されなかったために」詳細を知らず、また「知らなくて良い」との国の方針に唯々諾々と従っているのです。過酷な植民地行政・「土民」弾圧・虐殺の事実すら「そんな些細なこと!」と片づけられてしまう現実……。一方でナチスについては、生徒の脳髄に徹底して叩き込まれるのです。
なんか現在の日中、日韓関係が穏やかに思えてきました。(双方に多々、問題はありますが。)

最大のタブー「ワーグナー演奏」を実行した世界的指揮者を国家レベルで弾劾する"民主主義国家"イスラエルの恐ろしい姿と、対するパレスチナ・アラブ社会の矛盾を突き崩すのは、あの故エドワード・サイードです。(合掌)

他にも、違う視点から探求した1989年の天安門事件(資本主義遂行のために当局が仕組んだ!)、世界銀行の「第三世界にとってありがたくない」現実、アフリカや中央アジアの資源国家を紛争へと導く「多国籍企業」の実態、等々。
読めば興奮間違いなしの記事が満載です。

実は、これらの記事はすべてWEBサイトで公開されたものであり、その気になれば読破することも可能です。それでも、紙媒体で読む意義があるとの認識に立ち、出版するに至ったと説明されています。同感です。

力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク1998-2002
著者:ピエール・コヌザ、ジャン=イヴ・カミュ、エドワード・サイード、他
NTT出版・2003年8月発行
2005年10月22日読了

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2005年9月26日 (月)

憲法と戦争 C・ダグラス・スミス

[新ガイドライン]
古今東西の世界史上で唯一、交戦権を持たない軍隊。それが日本国自衛隊であり、
これまでの解釈改憲(個人的には賛成)と根本的に異なり、1999年5月の新ガイドライン関連法の成立により、憲法9条の無力化が完成したことが指摘されます。

PKO協力法などでは、自衛官が武器の使用する根拠として「正当防衛」と「緊急非難」が明記されていますが、これらは派遣先で活動する自衛隊員に限らず、我々一般市民にも適用される日本国の刑法(第36条、第37条)が適用されているのです。
戦場、または敵国の民間施設を空爆する米軍の後方支援部隊として自衛隊は派遣され、補給活動等に従事するわけですが、後方支援活動だから「戦争当事国ではない」とする詭弁は通用せず、当然、相手国の攻撃対象となります。その際に刑法の遵守が云々、なんて言う暇はなく、結局は部隊行動として、相手国と交戦するハメに陥ります。すなわち、事実上の交戦権の保持となります。
現状でも、上記のような体制に変遷するわけですから、憲法は改正するべきではありませんネ。

[君が代教育]
在日35年になる外国人の目から、君が代教育についての率直な意見が述べられます。曰く、それは自発的な愛国心を生み出すのではなく、若者の潜在意識に恐怖心と服従心を植え付ける、と。私見では、従属心と読み替えた方がよいのかもしれません。

共産主義体制下のチェコスロバキアの例。八百屋の棚先には、野菜と一緒に「万国の労働者よ、団結せよ!」と書かれたプレートが並べられます。それは店主の思想ではなく、政府の指示に従順な、無害な人間であることを示すためなのです。すなわち戦前の天皇礼賛、毛沢東崇拝、金正日体制ほど極端ではなくとも、民衆のお上への従属心を示すシンボルなのです。そしてまた、歌詞の意味を深く考えることなく「"君が代"を唱える」ことも、それと同じであることが明らかにされます。

民主主義国家といえど、政府の意向に逆らっては生きていけない。このことを行間から読みとったとき、あの9.11直後のアメリカ合衆国の行動を思い出しました。少しでも「当局への従順さ」を欠いただけで強制連行されたムスリム住民たちの姿です。まるでセルビア占領下のボスニアの街を見ているようでした。
自分の思想とまったく異なる行動を強制され、とまどいながらも「周りのみんながしているから」と自意識に言い聞かせ、しかたないなぁ、と言われた通りにする。これが典型的な日本人の社会であり、コンセンサスであるのですね。
深く根付いた村八分社会。裏を返せば、その集団的恐怖には誰も逆らえない。

思えば「意味を考えずに、ただ指示された通りに成す」教育こそが、現在問題とされている一部の若者、すなわち深く考えない、自分のヤリたいことしかヤラない、強い意志の感じられない甘えた男女を生み出しているのではないか? そんな思いに至った夜更けでした。

憲法と戦争
著者:C・ダグラス・スミス、晶文社・2000年8月発行
2005年9月24日読了

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2005年9月 4日 (日)

戦略的平和思考 猪口邦子

2002年3月から日本政府全権特命の軍縮大使として、ジュネーブに赴任し、全世界を相手に「平和を頑なに愛する、そして過去、核兵器の被害に遭い、核軍縮を主張する資格のある日本」の立場から、強力に軍備縮小をリードした2年間が記録されます。
特に、世界中に氾濫し、戦争終了後も人手に残り、災いを生み続ける拳銃や小銃、すなわち、事実上の大量破壊兵器である「小型武器」に関する軍縮こそが急務であり、国際社会を構成する各国政府の責任であることが、情念を込めて明らかにされます。

特筆すべきは、硬派なエリート学者(エール大学博士!)の視点からだけでなく、女性、そして母親の強く穏やかな視点から、世界の周辺、地域の周辺、その周辺に追いやられた女性と子供の立場に注目し、彼らを「非平和」から救済することこそ、本当の平和であることを強く訴えていることです。政治・軍事のジャンルでありながら、その深い包容力の擁する筆致により、暖かな読後感が残ります。
今年読んだ本の中でも、個人的には最大の収穫でした。

もうすぐ衆議院議員ですね! 週刊誌ではいろいろと書かれていますが、過去に読んだ著書(ポスト覇権システムと日本の選択、戦争と平和)の内容といい、過去のコラムといい、この人こそ、国会議員に適任だと信じていますし、期待しているのです。
いずれは「大臣」の立場から思う存分、持てる力を発揮していただきたいと思います!

戦略的平和思考 戦場から議場へ
著者:猪口邦子、2004年9月、NTT出版発行
2005年9月2日読了

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