2017年12月10日 (日)

イノック・アーデン テニスン [読書記]

ヴィクトリア朝時代の物語詩を朗読向けに翻訳。美の香り豊かな名訳文が物語を惹きたててくれる。

・3人の幼きときから青春の日々への変遷は、アニーとイノックを結びつけ、フィリップを良き隣人として運命付ける。幸せな日々はしかし、突然の悲劇に見舞われる。新しい運命をアニーと子らは受け入れる。

・漂流の10年。変化(へんげ)したイノックの身体に、それでも神に支えられた精神は宿っている。そして帰郷へ。

・暖かな光の中に、"他人"となった元家族のだんらんを覗き見る悲劇。張り裂けそうな心を必死に押さえ、イノックは一人生きる決意を新たにするのだが……。

真直ぐに堂々と生きてきた。最愛の人の幸せをたしかめた。そして最期を悟り、語ること、想いを託すことのできたイノックは、まだ幸せだったのではないだろうか。

暖かな思いをもって読了。紙面の質も装丁も近年のものと違って格調高いつくり。文芸本はかくあるべし。

ENOCH ARDEN
イノック・アーデン
著者:Alfred Tennyson、原田宗典(訳)、岩波書店・2006年10月発行
2017年12月10日読了

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2017年12月 8日 (金)

杉浦非水のデザイン [読書記]

グラフィックデザインの黎明期に新しい仕事を切り開いていった杉浦非水の作品が「三越の仕事」「デザインの仕事」「図案集」「非水百花譜」の4章にバランスよく収められている。

・三越呉服店の華やかなポスターと会報誌。和風アール・ヌーヴォーと呼ぶべきか、100年を経過した現在でも古臭さを感じさせないセンスは、やはり本物だ。

・「<美>と<経済>のバランスのうえに成り立つデザインというジャンルの本質」(p79)、顧客の無茶で過大な"要求"と現実的かつセンスある"成果"をどう両立させるのか。広い意味でのデザインの本質を、彼は心得ていたんだなと思う。

・『東洋唯一の地下鐵道上野浅草間開通』(1927年)は何度見ても飽きない。着飾った婦人たちや子供の姿、煙草を手に近づく電車へ目をやる紳士。そしてこの構図。良いなぁ(p86)。

・各種「図案集」も秀逸。アール・ヌーヴォーのみならずアール・デコの風潮を逃さず、日本風にアレンジ。素晴らしい。

本書そのものも美術作品集にふさわしい手触りとなっており、申し分ない。ただ、できればB5ではなく、A4サイズで出版して欲しかったと思う。


HISUI SUGIURA : A PIONEER OF JAPANESE GRAPHIC DESIGHN
杉浦非水のデザイン
パイ・インターナショナル・2014年3月発行
2017年12月7日読了

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2017年12月 7日 (木)

大英帝国のアジア・イメージ 東田雅博  [読書記]

ヴィクトリア時代に刊行された総合雑誌を対象に、そのインド論、中国論、日本論を分析することによって、当時のアジア・イメージの変遷と「文明化の使命」の史的変遷が描かれる。
インド・イメージ(第4章)と中国イメージ(第5章)が本書の半数を占め、引用される当時の雑誌評論文の数量は圧倒的だ。日本に関する情報の少なさはやむを得ないところ(第6章)。

・インドについては、統治手法の変化が決定的となる1857年の大反乱をキーに据えて1800年代を四期に分け、70を超える雑誌評論文を読み解き、その傾向からイギリス人にとってのインド・イメージの変遷を考察する。
・「停滞した物質文明と、イスラム教とバラモンに支配され、カースト制にとらわれた中世的な精神文化」のイメージに彩られたインドを、「普遍的な西洋文明」の光をもってヨーロッパ的なレベルに引き上げるべきであるとする「文明化の使命」(p88)論は、大反乱を経てもなお主流であった。だがドイツとアメリカに追い上げられてワールド・パワーとしての大英帝国の地位の低下が明らかになる1880年代になると、インドを不可分の帝国領土とする帝国主義的論調が堂々と目立つようになるという(p103)。

・地の果て、極東の古い帝国である中国に対しては、18世紀に論じられた好意的なイメージ=安定した穏健な専制的帝国に対し、いかに西洋文明を輸出するかという議論が、1850年代から盛んになる。こちらも50を超える総合雑誌の評論文を引用・解説しつつ、イギリスにとっての中国イメージの変化を読み解く。
・1890年代になると、険悪化する国際関係の中で、いかにして中国でのイギリスの通商的利益を維持するかに主眼を置き、中国の改革、すなわち近代化・文明化を「強制」すべしとの論調が力を得てくる。改革の一向に進展しないアジアの老大国に対し、「きわめて無知で迷信的な」中国人、「馬鹿げた慣習」の横溢する中国は「東洋における巨大なタコ」だ、等の厳しい表現が顕れるのもこの時期だ。

・1850年代にはほとんど注目されなかった「人形の家の文明」を持つ日本は、停滞する中国と比較され、さらにはジャポニスムの影響もあり、1860年代頃より好意的なイメージで捉えられるのみならず、日清戦争を契機として、アジアにおける大国、男性的国家と評されるようになる。ただ、西洋文明の摂取に熱中するあまり、自身の相対的な芸術的・文明的価値を認識できなくなった(p217)との評論も存在したのだな。

包括的なアジア・イメージは1800年代後半を通じて変容し、それはイギリス自身のイメージにどう影響を与えたか。アジア諸国の工業化の影に怯え、それは「文明化の使命」に疑義を投げかける。そしてパクス・ブリタニアの衰えが見え隠れする1880年代以降は、社会進化論や人種主義の勃興により、全人類の「単一の連合体」への統合を目指す「帝国の使命」をもって世界に君臨するイギリスへと、セルフ・イメージを変遷させた。ここに、帝国主義の正当化が完成する。

自由貿易と「文明化の使命」の両輪をもって、世界をイギリスのイメージに従って変革しようとする衝動。すなわち、文明世界という外観を持ち、自由貿易によってリンクされた農耕の国際分業が貫徹した世界(p253)の実現は、19世紀中葉のヴィクトリニアリズムの楽観的な時代の産物であったというのが、本書の結論である。

大英帝国のアジア・イメージ
著者:東田雅博、ミネルヴァ書房・1996年3月発行
2017年12月7日読了

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2017年12月 2日 (土)

アガサ・クリスティーの大英帝国 東秀紀  [読書記]

都市犯罪に主眼を置くポー、ドイル等の作品に比べ、移動手段を含む観光ミステリーの多さがクリスティー・ミステリーの特徴である。本書は、年代区分別に、特に戦間期における大英帝国の最盛期から戦後の帝国解体・社会福祉国家への変貌が、クリスティーとその作品に与えた影響を考察する。僕のようなクリスティー初心者にはとても参考になった。

・『茶色の服の男』は、独身女性の南アフリカ行きを視野に置き、汽船、鉄道、地下鉄の登場する初期のミステリーだが、そのヒットの要因を、大英帝国博覧会で露わになった人々の「観光願望」を捉えたものと分析する(p58)。1920年代は貴族・ジェントリにとどまらず、中産階級が帝国の版図を中心に海外へ足を延ばした時代でもあり、夢や憧憬であった「海外観光」を身近に感じられる作品として、時代のニーズにマッチしたんだな。

・1930年代のオリエント=シンプソン急行(p89)を舞台とする『オリエント急行殺人事件』(p98)と、『ナイルに死す』(p109)の解題は有意義だ。大英帝国をこの目で確かめ、明るい未来を確認するという国民の潜在的要望に沿った作品群は、なるほど、ベストセラーになりうるな。

・第二次世界大戦を挟んでの中産階級の境遇の変化、すなわち配給制度の継続、帝国の解体による配当の減少、村への見知らぬ帰郷者の増大等が、クリスティー作品に変節をもたらしたとの分析は秀逸だ(第五章、田園への旅)。『予告殺人』をぜひ読まねば。

・帝国の繁栄と変貌を背景に、「観光」と「田園」が20世紀イギリス人の普遍的な関心事とするなら、なるほど、クリスティーの作品はしっかり応えてくれる。

「空間」の旅、過去を呼び覚ます「時間」の旅。その背景にあるのは20世紀イギリスの繁栄と衰亡か。この視点で作品を読み返してみたい。

アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代
著者:東秀紀、筑摩書房・2017年5月発行
2017年12月1日読了

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2017年11月27日 (月)

都市の周縁(モダン都市文学Ⅲ) [読書記]

本書は16編の小説、3編のルポタージュ・座談会と、小コラムから構成される。大正末期から昭和初期にかけて拡大した都市の盛り場とその周辺――ダークな部分を含めて――の賑わいと悲哀を堪能することができた。
しかし、いつになっても男は騙される運命にあるんだな。

■武田麟太郎『日本三文オペラ』
浅草の三階建てアパートに生息する多種多様な人間たち。トーキーの普及により失職寸前の映画解説者、若くても女に相手にされない萎びた安酒場のコック、60過ぎて恋仲となった老夫婦、呉服屋のせり売りの桜とその女房、そして、アパートの管理人。下層階級の悲喜こもごも。個人的には近メガネをかけて30過ぎて女を知り、手ひどく騙されたコックに同情を禁じざるを得ない……でも、女の父親との会話は実に面白いぞ(p116)。狡猾な映画解説者の最期は、さもありなん(p124)。

■佐多稲子『レストラン・洛陽』
愛想笑いに終始してパトロンを探し、銀の釣盆に残されたチップから日銭を稼ぐカフェの女給の生活は極めて厳しい。関東大震災からの復興時に浅草六区に雨後のタケノコのように設営されたカフェの事情は、どこも似たようなものだったろう。病気の旦那と莫大な借金と子供を抱えたお芳、娘に洋服を買い与えて上野公園を散歩するのが夢の夏江、憲兵と心中するお千枝……。ライバル店の繁盛を横目に、経営の傾くカフェレストラン・洛陽。花見すら行われず、景気後退を身に染みて感じ、パトロンに離れられ、ウイスキィをがぶ飲みする上得意に逃げられ……。脳梅毒で亡くなる寸前の「木片のような」お芳の顔(p184)。
近代日本・新東京の暗黒面の辛さが、読後感を重くする。

■川端康成『水族館の踊子』
「ね、お魚にも、情熱ってものがあるでしょうか」(p192)
客引きの"一等利口な"兄を自慢する千鶴子。大規模カフェ、カジノ・フォーリーの"水族館"で愉しげに踊る姿は微笑ましい。だが、やはり借金、である。その重みは人を滅ぼす。特別な顧客への特別な接客、竜宮……。彼女の復讐の物語でもある。

■石川淳『貧窮問答』
木賃宿の三畳間に寝泊まりすることになったインテリ。好いた牛飯屋の娘に、翻訳を終えたら二百円が手に入ると述べたことから、群がってくる下層階級の群れ。暴力団員、宿屋の掃除婦、娘を抱えた労働者……。一時の情に流され、牛飯屋の娘にもあっという間に騙されるインテリ君。本書で異色をなす作品。面白い。

■コラム『元町通』は昭和5年正月の神戸の様子がうかがえて嬉しい気分(p423)。

他に、地方から駆け落ちしたティーンエイジャーの姿を描く龍胆寺雄『機関車に巣喰う』、ばくち打ちの世界を覗き見る広津和朗『隠れ家』、浅草のダンス・ガールを描く今日出海『泣くなお銀』、法善寺横丁「めをとぜんざい」と「しる市」の登場する織田作之助の味わい深いエッセイ『大阪発見』、佐藤春夫『路地の奥』等を収録。

モダン都市文学Ⅲ 都市の周縁
編者:川本三郎、平凡社・1990年3月発行
2017年11月27日読了

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2017年11月25日 (土)

舞台の上のジャポニスム 馬渕明子 [読書記]

19世紀パリに花開いた日本趣味とジャポニスム。国立西洋美術館長の著す本書は、日本の文物ではなく、舞台芸術で表象された「日本人」を対象に、現代まで続くイメージの系譜を探求する。
10枚のカラー口絵を含め、ヴィジュアルイメージとしての舞台資料満載。

・オペラ座で公演された『イエッダ(江戸)』をはじめ、『黄色い姫君』『美しきサイナラ』『コジキ』など、これが日本か? と思わせる1870年代パリ舞台芸術の数々。1871年初演の『青龍の尼寺』で想像の日本イメージが形成され、それが継承されたことが理由として示される(p76,90)。1890年になっても、白いチュチュの上に着物を羽織ったフランス人ダンサーが、日本髪のかつらをかぶってオペラ座のステージを舞い踊る『夢』が、日本的! として持てはやされるとは、なんとも複雑な気分(口絵6、p135)。

・ロティの傑作小説『マダム・クリザンテーム(お菊さん)』のルネサンス座における舞台についての論評は厳しい。西洋人男性にとっての現地妻、理解しがたい日本文化とお菊さんに対する主人公の心理は小説ならではのものであり、単純化された脚本には現われない。かつてないレベルで衣装・日本文化・社会風俗の再現されたものであっても、かくも舞台芸術は難しいものなのか。

・1900年パリ万国博覧会、ロイ・フラー座での川上音二郎と貞奴、すなわち「本物の日本人」によるパリ公演『武士と芸者』『袈裟』は何をもたらしたのか。乱れ髪を振りかざして踊る貞奴や、武士の切腹シーンは見ものだろうし、フランス人の心に寄り添った=つくられた日本イメージを踏襲した演出は見事(p222)。何しろ、本物の日本人による演技である。この誇張されたイメージが、今日まで日本人像として定着しているとしたら、皮肉である。

・着物、侍と切腹、浮世絵に描かれた富士山と大波、西洋で大流行した扇と団扇に関する考察も興味深いが、日本を表彰する人物像としては、やはり芸者となるのだな(第4章)。

・ジャポニスム礼賛から黄禍論へ。世紀末にはエキゾティックな東洋の島国から、危険な新興国へと日本のイメージは転換する。以降、カリカチュアとして蔑視される日本人のイメージは、21世紀になっても出歯小男とゲイシャガールのままである(p213)。実に歯がゆい。

・第6章「ジャポニスムの終焉」の意味するところは大きい。現代の西洋における日本アニメ・マンガ文化等の流行は、かつてのジャポニスムとは似て異なるものであることが示される。

パリを席巻した(と思い込む)ジャポニスム。われらは感情として浮かれがちであるが、著者は手放しで喜ぶことは慎むべきことを説く。
「オリエンタリズム的日本イメージは姿かたちを変えて脈々と続いているのだ」(p245)
ジャポニスムとはすなわち、遠い未知の、魅力に富んだ発展途上国への眼差しが生んだ現象(p263)であったのか。

舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>
著者:馬渕明子、NHK出版・2017年9月発行
2017年11月25日読了

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2017年11月20日 (月)

階段を下りる女 ベルンハルト・シュリンク  [読書記]

駆け出しの弁護士だった「ぼく」は恋をした。ぼくに向かって階段をゆっくりと降りてくる女性。絵の中のヌーディスト、モデルとなった女性のぬくもりに。
「若いころの小さな敗北」(p135)もし、あのとき、一緒に逃げることができていたならば……。
あの感動が忘れられない『朗読者』の著者の最新作だ。

・40年を経ての「告白」。第二部・19章からの展開は胸を痛めさせる。東西に分断された国家、過去の自分、自ら望んだ未来への選択。4人の邂逅したシドニーの磁場に、それぞれの人生が吸い寄せられてゆく。

・第三部。二人の新しい過去を語ることは、未来への約束へとなる。人生の最期に、選ばれなかった自分たちを生きること。淡々と歩み続ける過去は、ただただ美しい。

・ラストは静かだ。人生=世界の終焉とは、実はこんなものなのだろうか。

「ぼく自身が当時のエピソードを終わらせ、それに意味を与えなくてはいけない」(p73)
タイトルの『階段を下りる女』の真の意味は、第三部・15章に収斂される。「もう一度……海辺へ行ってみたいの」(p200)長い道の途中でたくさんの人生、たくさんの約束を想いながら、一歩一歩下りてゆくイレーネの姿は、あの絵画とあまりにも乖離し、痛々しくもある。それでも「ぼくとイレーネ」の旅の終わりに、人生の確かな意味を見いだせたものと信じたい。

Die Frau auf der Treppe
階段を下りる女
著者:Bernhard Schlink、松永美穂(訳)、新潮社・2017年6月発行
2017年11月20日読了

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2017年11月14日 (火)

阿Q正伝、藤野先生 魯迅 [読書記]

辛亥革命による混乱と嵐、それでも人々の日常は変わらず、緩慢な変化と「希望」だけが人の意識を変えてゆく。
いまもって中華世界を代表する巨人作家、魯迅の13の中短篇を収録。

『故郷』
数十年ぶりの帰郷。実家の雇い人の息子であり、幼いころからの旧友との再会は、しかし、過酷な現実となって主人公を打ちのめす。
「いまわたしが希望といっているものも、わたしが自分の手でつくった偶像ではなかろうか」(p79)
いまなお古い制度・しきたりに縛られる中華民国。その緩い歩みを叱咤するは、魯迅その人なのだろう。彼は民族の希望を携えている。
「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
個人的に最も気に入った一篇。

『阿Q正伝』
大胆にして卑怯、自由な夢想家であり、その日暮らしを所与のものとして時を過ごす三十男、阿Queiを中心に、村の衆人、有力者、女の織りなす中国式世界が展開される。
清朝末期・革命さなかの民衆の卑しさが存分に披露され、阿Qもその一人である。末期にあっても情けない態度しか取れない主人公の姿をもって、著者は民衆の啓蒙を試みようとしたのだろうか。

『祝福』
古いしきたりの農村。姑に縛られた嫁の哀しいさだめ。薄幸の女性の運命を想うとき、主人公の胸に去来するは、やるせなさか、虚しさか。印象深い短篇だ。

他に『狂人日記』『孔乙己』『薬』『髪の話』『小さな事件』『家鴨の喜劇』『酒楼にて』『孤独者』『離縁』『藤野先生』を収録。

阿Q正伝、藤野先生
著者:魯迅、駒田信二(訳)、講談社・1998年5月発行
2017年11月13日読了

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2017年10月31日 (火)

たゆたえども沈まず 原田マハ  [読書記]

万博を機にパリへ渡り、日本美術の紹介と販売を手掛けて来た林忠正。日本に恋い焦がれた孤高のオランダ人画家、ゴッホ。本書は、忠正の直弟子である重吉とゴッホの弟テオドルスの出会いと友情を縦軸に、ゴッホ兄弟の愛憎、日本人二人の絆を盛り込みつつ、1880年代後半のパリ後期印象派の躍動が、まるでセーヌ川の流れのように描かれる。
オランダ人のフィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉。この二組のパリでの幸運な出会いは、浮世絵と印象派を新たなステージへと押し上げる。
広重・歌麿・北斎の浮世絵が、ゴッホ兄弟とその作品が、身近に感じられるようになる一冊。

・フランス芸術アカデミーの巨匠、ジャン=レオン・ジェローム、筋金入りのジャポニザンである小説家、エドモン・ド・ゴンクール、若き画家の"パトロン"にして画材商のタンギー爺さん、ガシェ医師、そして、ポール・ゴーギャン。まるで彼らがそこに存在するかのような活き活きとした会話も、本書の愉しみのひとつだ。

・オペラ・ガルニエ宮、カフェ・ド・ラ・ペ、コメディ・フランセーズ劇場、オテル・デュ・ルーブル、建築中のエッフェル塔。現在のパリでもお目にかかれる建物の登場も嬉しい。

・世紀末パリのジャポニスム旋風に乗り、日本美術工芸品を広く紹介した仕掛け人、林忠正。彼もまた孤高の人生を歩む人だ。だから、ゴッホ兄弟を理解できたんだろう。

・「イギリスには、パリがない」(p29) 凛として横顔に風を受け、未来を見据えて輝く瞳。忠正と重吉の出会いはすがすがしく、パリへの想いは熱く語られる。向上心に溢れた日本青年の姿は素晴らしい。

・『タンギー爺さん』制作の現場。背景に据えられた六点の浮世絵。それらを貸し出しながら、決してアトリエに足を踏み入れず、ショーウィンドウ越しに見護る忠正と重吉。良いなぁ(p188)。

・まったく新しい絵画。「絵の具が叫び、涙し、歌っている」(p202)のがゴッホの表現であり、観るものに、どっと押し寄せる「色彩の奔流」(p172)を感じさせずにはいられない。このあたり、著者の表現は見事だ。

天空の下、滔々とセーヌは流れる。FLUCTUAT NEC MERGITUR―― たゆたいはしても、流されることなく、沈まない。フィンセント・ファン・ゴッホが本当に描きたかったものがテオと重吉に明かされるのは、アルルでの「耳切り事件」の翌日のことだ(p315)。

そして「とうとう……成し遂げたんだな」と忠正に言わせた『星月夜』を前に、フィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉がたたずむシーンは感動的だ(p360)。

たったひとつ、弟のためにしてやれること……(p387)。それが答えだったとしたら、あまりにも、あまりにも哀しい。

読後の余韻に浸りつつ、装丁を眺める。物語の鍵となる『星月夜』と『大はしあたけの夕立』があしらわれ、実に良い。カバーを外すと、よれよれの中折れ棒と、山高帽が現われる。うん、兄弟の運命と名声に叶う、粋な計らいだ。
アムステルダムのゴッホ美術館に行きたくなってきたぞ。

FLUCTUAT NEC MERGITUR
たゆたえども沈まず
著者:原田マハ、幻冬舎・2017年10月発行
2017年10月31日読了

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2017年10月28日 (土)

オペレーションZ 真山仁 [読書記]

未来の世代のために「いま」われわれがなすべきことは何か。
何度も噂されては政府・財務省の敏腕によって事なきを得てきた国債危機。だが担い手が多様化したことで、従来の回避策は通用しなくなってきている。いまや1000兆円を超える国債のデフォルト、すなわち日本の破滅を防ぐため、総理大臣直轄のImpossible Mission Force、オペレーションZが創設された。
本書は、デフォルトに陥った日本の惨状を描く大物小説家の作品「デフォルトピア」の片鱗を覗かせつつ、財務省の若きキャリアの歳出半減ミッションを中軸に、「あるべき国家観」を深く考えさせてくれる内容となっている。

・第四章、チームOZと厚生労働省との第一回折衝は胸に重くのしかかる。「年金、医療、介護保険給付費をゼロ」(p136)にする。日本を破滅から救う財政健全化のために、国民皆医療制度を犠牲にする――。これを本気でやれと明言する総理大臣の決意は良いが、国民の命を預かる厚生省の反論は正当だ。「生活保護を除く社会保障関係費ゼロとなった場合、想定される事態」(p152)何をもって正しいと判断しうるのか。そも、崖っぷちに立たされると、正しさの定義すら怪しくなってくるのか。

・ワーキングプア、増加する下流老人、疲弊する地方経済、これらをすべて「切り捨て」る決断。日本は民主国家ではない。大蔵貴族と揶揄される高級官僚の思いは正鵠を得ている。

・アルゼンチンや韓国のような小国へのIMFの介入の例はあるものの、これでは世界第三位の経済大国、日本は救えないのか。

・第六章は市町村「地方自治体の存在意義」を真正面から問う。著者の見解は明快だ。無駄な地方公務員の存在、行政のきれいごと、すべてを御破算にすべし。ところで、無神経かつ失礼千万な准教授、宮城のキャラクターは気に入ったぞ。

・第八章、もはや「おそロシア」としか言いようがない。インテリジェンス・スキルの圧倒的な格差。こうやって日本の国益は損なわれてゆくんだな……。

・日本国民の選択。最終章は勇気に彩られつつも、哀しい予感に溢れている。そして心地好いぬるま湯は、エピローグが吹き飛ばしてくれる。

「社会の中で、困った人を可視化するために必要なのは、金でもITでもない。近所や学校、企業内でのコミュニケーションじゃないのか」(p355) 周防の言葉はまったく正しい。仮に国家窮乏の事態に陥ったとしても、近隣との助け合い精神があれば、何とか生きて行ける……と僕も思っていた。

この日本を何とかしなければ、との著者の思いが紙面から強く伝わってくる。
カネがなくなると何が起こるのか。「Z」の意味を知る時、行動しないのは罪だと理解し、書を閉じた。

オペレーションZ
著者:真山仁、新潮社・2017年10月発行
2017年10月28日読了
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