JR新長田駅南側にポスターが掲示されていた。内容がわからず素通りしていたが、実に興味深い内容であることを5月2日の神戸新聞で知った。チベット問題を中心に、ブータン、ネパール、インドなど、ヒマラヤを囲む地域の文化・政治・人権等多岐にわたる映画が上映されるそうな。中でも、ある作品が目を惹いた。
その「安らぎはいずこに?」は、カシミール地域の問題を取り上げている。Amazonで探したが、日本語版は無い。米国版DVDはリージョン1だし、英語じゃダメだ。
GWは業務都合で休日出勤なのだが、本作品の上映される夕方だけ、都合を付けて観賞に出向いた。(2009年5月3日)
[カシミール問題]
前々から欧米、特に旧宗主国である英国で大きく採り上げられるも、冷戦時代はインドの背後にソ連邦が、パキスタンには米国が付き、結局は無難な「現状維持」が続けられた。
(当時のパキスタン軍部への支援とアフガニスタン・イスラム義勇兵への肩入れが、後々に米国へ災いをもたらしたことは周知の通り。)
時代は変わり、インドは無視できない存在となった。ハイデラーバードを中心とするIT産業、インド人の数学、英語スキルの高さ、なにより膨大な人口と市場を擁する無限の可能性だ。
一方のパキスタンは弱体化した。繰り返される軍事クーデター、根付かない文民政治、現ザルダリ政権に代表される政府ぐるみの腐敗。内戦・国家崩壊の可能性すら出てきた。
ニューズウィーク日本版2009年5月6日・13日合併号では、特にパキスタン軍部の害毒があからさまに書かれている。
で、3000年の昔からそこに住む民衆の思いは無視されてきた。
カシミール Kashmir のインド占領地区では、特に1990年代前半に、反インド闘争が盛り上がりを見せた。パレスチナの地になぞらえ、カシミールのインティファーダと呼ばれることもある。
独立運動だけではない。ムスリム住民としての正統な権利を要求するだけで、留置場行きだ。
[安らぎはいずこに?]
正式作品名は「Jashn-e-azadhi : How We Celebrate Freedom」、2007年にインドで制作された。
フィルムはクプワラ Kupwara の地からはじまる。うら寂しい墓地で、老父がインド兵に殺された息子の墓標を探す。
「かなり昔のことだ」
それは1992年、反インド、独立運動が最高潮に達した時期のこと。
「息子はムジャヒディンだった」
彼は反インドのムスリム戦士。インド政府は「テロリスト」と呼ぶ。
ラル・チョーク。ここはインド・カシミール州の州都スリナガル(シュリナガル)の中心街だ。ニューヨークのタイムズ・スクエアをイメージしてもらえればわかりやすい。その豊かさは比較にもならないが。
60回目のインド独立記念日にあたる2007年8月15日、ここで祝祭行事が催された。
中央広場の時計台は巨大なインド国旗にくるまれ、居並ぶインド軍高級将校たちが演説をする。放たれる白い鳩、鳩。平和の象徴だ。ミニチュア国旗が配布されると、子供たちが群がる。
だが、大人たちは出てこない。閑散とした大通り。これこそ、カシミール住民の意思の表れだ。何故か?
[アザディ! アザディ!]
集会で連呼されるアザディ azadi は"自由"を意味する。
いまは平穏なスリナガルも、1993年は暴動に荒れていた。当時のニュース映像が流れる。
ハズラートバル・モスクには大勢のデモ参加者。
「インドは出て行け!」アザディ! 「インドは出て行け!」アザディ!
ダル湖畔にあるこの美しい白塗りのモスクは、僕が訪問した2007年7月には閑散としており、ただ子供たちの遊ぶ声だけが印象に残ったのだが……。
インド軍治安部隊と反インド武装勢力の抗争。前者はムスリム軽視のヒンドゥー教徒。後者は、カシミール独立運動の主流だった地元勢力に代わり、アフガニスタンから流れた外国人の"ならず者たち"。両者の狭間で苦しむのが、地元の民衆だ。
カメラは北部カシミールの村、テキプラ TEKIPULA、バンディポラ Bandipola、南部カシミールの村シュピアン Supianの住民の不安を追う。
家が放火される。軍は消火には協力せず、武装勢力を追うのみ。焼け出された数十人は途方に暮れる。
普通の農民が突然逮捕され、拷問され、命を奪われて家族の元に帰ってくる。「誤りだった」とわずかなカネで賠償される。
虐げられてきた涙は枯れることはない
そして怒りは蓄積される。
武装組織の協力者だった夫を殺され、弟も殺された女性は、畑仕事を捨て、小銃を手にする。インド側から見れば「テロリスト」になったのであり、殺すのに理由は無い。
それでも、すべての住民が反インドではない。イスラム武装勢力のリーダーの演説が始まる。「10万人もの犠牲者を出した。世界は見ているはずだ。インド軍は出て行け」
集会への参加者は多いが、独立支持に署名したのは村の全人口の9%に留まる……。
[懐柔]
ある村で貧しい住民にラジオを配るのは、インド治安部隊だ。
クプワラ村 Kupwara では、軍が学校を建て、寡婦を対象に職業訓練所(旧式のミシンだが)を運営する。
スリナガルのムスカン Muskaan 基地内には、学校を兼ねた孤児院が設営されている。祭の日、親を亡くした少年少女が「○○大佐、将校のみなさん、ありがとう」と舞踊を披露する。軍の当事者にとっては微笑ましい光景であるだろう。だが、周囲の虐げられてきたムスリムは、そうは思わないのだろう。
イクワニ ikhwani 。元はアラビア語の「兄弟」の意味。転じて「武装抵抗組織から足を洗い、軍の協力者と成った者」を指す言葉に。カシミールでは「裏切り者」の意味で呼ばれ、民衆から蔑まれる。
[カシミールは誰のもの?]
カシミールの地には、一般市民15人に一人の割合でインド兵が駐留していると言う。これには納得した。2007年7月にスリナガル Srinagar、ソープル Sopure、等を旅行したが、軍人だらけだった。はしゃいで遊ぶ子供の横に、小銃を持った兵士がうようよと。異様な光景に映ったが、準戦時下の国だ、とそのときは思った。
(ソーナマルグ Sonamarg はのどかだったが。)
スリナガル Srinagar の西にグルマルグ Gulmarg と言う村がある。ここでインド人は冬にはスキー、夏にはゴルフを楽しめる。仲間と最高のひとときを送るヒンドゥー教徒の観光客がカメラに語る。
「カシミールはインド人のものだ」
これが本音だろう。
中共に不法占領されたチベットと同じ。
世界がどう言おうと、インドはカシミールを手放さない。パキスタンも支配地域を手放さ
ない。カシミ-ル人の独立なんてもってのほか。
支配は勝利を意味しないが、現状維持ができればそれで良いのだ。
こうやって衝突と流血は繰り返される。これからもウォッチを続けよう。
ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html
[余談。でも重要]
WEBをみると「Jashn-A Azadi」や「Jashn-e-Azadi」が存在する。YouTubeのフィルムからすると「Jashn-e-Azadi」が正解のようだ。
Jashn-e-Azadi documentary film
http://www.youtube.com/watch?v=bSnVVlX0ZNU
公式HPがあったぞ!
Jashn-e-Azadi
http://kashmirfilm.wordpress.com/